莫大な科学的な蓄積のあった大川総裁でも教育において誤った?(幸福の科学)
幸福の科学の総裁であった故大川隆法総裁(下写真)がなくなって、あと1か月で2年がたとうとしている。
いきなりの出来事で、私は当惑したのを覚えている。
私の人生の指針を強烈に与えてくれた人だからだ。

その人がなくなるのは、かなりの程度ショックだったのだ。
他に求めるべき指針があるのかどうか?
もし、それが探せれなかったらどうするか?
そうしたら自分の人生はどうなるか?
こんなことを考えてしまったのだった。
こういう思いにさせてくれる人は人生の中でどれだけいるだろうか?
ほとんどの人が5人以下ではないだろうか?
しかし、それから、これまで自分が読んだ大川総裁の本を見なおしていくうちに、「これらを指針に頑張っていこう!」と思ったのだった。
実に簡単なことだったが、やはり大きく人生を変えてくれた人の死去は、そんな思いになってしまうものなのだ。
その時、考えたのは、「幸福の科学は分裂せずに済むか?」ということだった。
周知のようにそのようにならなくてすんでいる。
後継者は作らず、これまでの総裁の過去の講演を機関誌で掲載しなおし、会合では、過去の総裁の講演を流す、という方式にしているからだ。

これは賢明な施策だ。
後継者を決めると、その人が、創始者と見劣りがしたりして、その組織は必ず分裂してしまうからだ。
そして一度分裂したら、絶対に1つには纏めれないのは、過去の人類の歴史を垣間見れば瞭然だからだ。
宗教かどうかにかかわらず、いろんな団体がそのような軌跡をたどっている。
それは、「キリストの幕屋」という宗教団体を見ればわかる。
名称からわかるように、これはクリスチャンの団体だ。
この団体の長は手島郁郎(下写真)という人だったが、この人なき後、後継者を指定せず、機関誌では、この手島氏の過去の講演を引き合いに出して掲載しているだけだ。

そのことで分裂しないので40年ももっている。
それでいいのだろう。
しかし気になるのは、総裁の子供たちの動向だ。
その長男だった宏洋氏は、総裁に自分の後継者になれるように期待をされていたが、実際はそうはならなかった。
当初、宏洋氏(下写真)は、その期待に応えるべく、講演で檀上に立って父親を尊崇しているという風な発言をして、涙を流していたこともあった。

それのみか、幸福の科学の映画にも出演していた。
それがいきなり反旗を翻えして、決別という形になったのだった。
そのような状態にいきなりなってしまったので、私も当惑したのだ。
それのみならず、本を出して幸福の科学を批判し、またかなりの数の反.幸福の科学の趣旨の動画を出すようになってしまったのだった。
その本を私も買い、その内容を見ると、当初は「総裁の身近にいた人の言葉だからこの本に書いてることは本当なのだろうか?」と思ったのだった。
理想の像とはまるで反対なのだ宏洋氏の書く総裁像は。
だとしたら虚像を書いていたということになる総裁は。
宏洋氏の書いてあることが本当ならば、これから先、自分は総裁の本を読むのをやめて、幸福の科学の会合にも参加しないようにしようか、などと思ったのだった。
しかし、ちょっと時間と距離を置いて、「待てよ。本当の姿と思っていた総裁の像が偽りならば、これまで感動してきた総裁の本は嘘だったことになるが、そんなフリをすることが長年できたことだろうか?」といぶかしげに思ったものだ。
よくよく考えて、やはりそんなフリをすることはできないだろうと、過去に読んだ本を読み返して、結論に至ったのだった。
しかし、そういう知的作業を苦手とする人は、そのまま吟味せず、宏洋氏の言うことだけを信じて、幸福の科学や総裁をこき下ろして終わりということになったのだろう。
しかし、そういう早とちりは嫌いなのだ私は。
しかし、そういった知的作業をしておいてよかったと思ったのだ。
宏洋氏の書いた本の内容と、彼が出した動画の内容が、真実と違うとして、幸福の科学は7度、訴えていずれも宏洋氏は敗訴しているのだ。

なぜ宏洋氏が、これほどまでに父やその団体を忌み嫌うようになってしまったのか?
これはだれしも興味深いことでしょう。
それは家庭心理学、家族心理学といった分野のモノを読むと分かるのですが、教育を間違うと、宏洋氏のように、父親の長所を長所として見れず、欠陥のあるものを見ると、それを何倍にも拡大して批判してしまうようになるのです。
人事の異動に関しては、総裁の気分次第でころころ変わるとして宏洋氏は批判していたのです。
ここを読むと、スティーヴ.ジョブスの評伝の本にあったように、「冷徹なまでの会社内人事を何度も断行、辛らつな言葉を吐いてきた。目的達成のために。」という言葉が思い起こされます。
やはり、組織が緊張感を途絶えさせないように、組織の長たるものは、そういうイニシアティヴが大事なのは私のこれまでの経験からわかります。

しかし、大川総裁がそのような人だったか、それがどの程度だったのかは、当事者ではない私にはわかりかねます。
ゆえに、どのようにすべきであったかなどということは言えますまい。
しかし、いえることは、人間社会においては、これまでの科学の蓄積があっても、過ちを犯すということです。
大川総裁は、死ぬまでに10万冊の本を読んできました。
それゆえに、かなりの知的な蓄積があったのです。
しかし、子供の教育においては、やはり誤ってしまったということが言えると思います。
それを「それ見たことか!」などといって非難する気にはなれないです。
だれしも誤りは犯すがゆえに。
そして大事なのは、宏洋氏のような、無闇に親やその創始した団体を批判するような人間を作らないためにはどのような教育を施すべきか、ということを学ばなくてはならないということでしょう。
その教育というのはそんなに難しいものではないのです。
その総裁の誤ってしまった教育とはどんなものか?
●興味ある人は以下の本を読んでみることをお勧めします。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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♯大川隆法
♯宏洋
いきなりの出来事で、私は当惑したのを覚えている。
私の人生の指針を強烈に与えてくれた人だからだ。

その人がなくなるのは、かなりの程度ショックだったのだ。
他に求めるべき指針があるのかどうか?
もし、それが探せれなかったらどうするか?
そうしたら自分の人生はどうなるか?
こんなことを考えてしまったのだった。
こういう思いにさせてくれる人は人生の中でどれだけいるだろうか?
ほとんどの人が5人以下ではないだろうか?
しかし、それから、これまで自分が読んだ大川総裁の本を見なおしていくうちに、「これらを指針に頑張っていこう!」と思ったのだった。
実に簡単なことだったが、やはり大きく人生を変えてくれた人の死去は、そんな思いになってしまうものなのだ。
その時、考えたのは、「幸福の科学は分裂せずに済むか?」ということだった。
周知のようにそのようにならなくてすんでいる。
後継者は作らず、これまでの総裁の過去の講演を機関誌で掲載しなおし、会合では、過去の総裁の講演を流す、という方式にしているからだ。

これは賢明な施策だ。
後継者を決めると、その人が、創始者と見劣りがしたりして、その組織は必ず分裂してしまうからだ。
そして一度分裂したら、絶対に1つには纏めれないのは、過去の人類の歴史を垣間見れば瞭然だからだ。
宗教かどうかにかかわらず、いろんな団体がそのような軌跡をたどっている。
それは、「キリストの幕屋」という宗教団体を見ればわかる。
名称からわかるように、これはクリスチャンの団体だ。
この団体の長は手島郁郎(下写真)という人だったが、この人なき後、後継者を指定せず、機関誌では、この手島氏の過去の講演を引き合いに出して掲載しているだけだ。

そのことで分裂しないので40年ももっている。
それでいいのだろう。
しかし気になるのは、総裁の子供たちの動向だ。
その長男だった宏洋氏は、総裁に自分の後継者になれるように期待をされていたが、実際はそうはならなかった。
当初、宏洋氏(下写真)は、その期待に応えるべく、講演で檀上に立って父親を尊崇しているという風な発言をして、涙を流していたこともあった。

それのみか、幸福の科学の映画にも出演していた。
それがいきなり反旗を翻えして、決別という形になったのだった。
そのような状態にいきなりなってしまったので、私も当惑したのだ。
それのみならず、本を出して幸福の科学を批判し、またかなりの数の反.幸福の科学の趣旨の動画を出すようになってしまったのだった。
その本を私も買い、その内容を見ると、当初は「総裁の身近にいた人の言葉だからこの本に書いてることは本当なのだろうか?」と思ったのだった。
理想の像とはまるで反対なのだ宏洋氏の書く総裁像は。
だとしたら虚像を書いていたということになる総裁は。
宏洋氏の書いてあることが本当ならば、これから先、自分は総裁の本を読むのをやめて、幸福の科学の会合にも参加しないようにしようか、などと思ったのだった。
しかし、ちょっと時間と距離を置いて、「待てよ。本当の姿と思っていた総裁の像が偽りならば、これまで感動してきた総裁の本は嘘だったことになるが、そんなフリをすることが長年できたことだろうか?」といぶかしげに思ったものだ。
よくよく考えて、やはりそんなフリをすることはできないだろうと、過去に読んだ本を読み返して、結論に至ったのだった。
しかし、そういう知的作業を苦手とする人は、そのまま吟味せず、宏洋氏の言うことだけを信じて、幸福の科学や総裁をこき下ろして終わりということになったのだろう。
しかし、そういう早とちりは嫌いなのだ私は。
しかし、そういった知的作業をしておいてよかったと思ったのだ。
宏洋氏の書いた本の内容と、彼が出した動画の内容が、真実と違うとして、幸福の科学は7度、訴えていずれも宏洋氏は敗訴しているのだ。

なぜ宏洋氏が、これほどまでに父やその団体を忌み嫌うようになってしまったのか?
これはだれしも興味深いことでしょう。
それは家庭心理学、家族心理学といった分野のモノを読むと分かるのですが、教育を間違うと、宏洋氏のように、父親の長所を長所として見れず、欠陥のあるものを見ると、それを何倍にも拡大して批判してしまうようになるのです。
人事の異動に関しては、総裁の気分次第でころころ変わるとして宏洋氏は批判していたのです。
ここを読むと、スティーヴ.ジョブスの評伝の本にあったように、「冷徹なまでの会社内人事を何度も断行、辛らつな言葉を吐いてきた。目的達成のために。」という言葉が思い起こされます。
やはり、組織が緊張感を途絶えさせないように、組織の長たるものは、そういうイニシアティヴが大事なのは私のこれまでの経験からわかります。

しかし、大川総裁がそのような人だったか、それがどの程度だったのかは、当事者ではない私にはわかりかねます。
ゆえに、どのようにすべきであったかなどということは言えますまい。
しかし、いえることは、人間社会においては、これまでの科学の蓄積があっても、過ちを犯すということです。
大川総裁は、死ぬまでに10万冊の本を読んできました。
それゆえに、かなりの知的な蓄積があったのです。
しかし、子供の教育においては、やはり誤ってしまったということが言えると思います。
それを「それ見たことか!」などといって非難する気にはなれないです。
だれしも誤りは犯すがゆえに。
そして大事なのは、宏洋氏のような、無闇に親やその創始した団体を批判するような人間を作らないためにはどのような教育を施すべきか、ということを学ばなくてはならないということでしょう。
その教育というのはそんなに難しいものではないのです。
その総裁の誤ってしまった教育とはどんなものか?
●興味ある人は以下の本を読んでみることをお勧めします。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



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