信頼できない著作家と大川隆法氏との違いとは? (幸福の科学)
こんにちは。
私は本を読むのが趣味ですが、読まないと決めている著者の本の特徴は、いろいろあります。
まず、ありきたりなことしか書いていない著者の本は興味がおきないからだめですね。
そして、幅広い知識がない人のもだめですね説得力がないですから。
そして、自分の意見が書いていないのも、学ぶものがないからだめですね。
そして、引用ばかりの本を書く人もだめですね。
引用ばかりの本は、結局上記の特徴をすべて内包していますね。
「」をつけて、他の本からの引用をしている本は、支離滅裂で、読んでいて集中力が萎えてくるのです。
自己主張がないことにも通じますし、自分の意見を構成するという日々の脳内の鍛錬が足りていないから、こういう文になってしまうのです。
こういう引用ばかりの本では、他の本を読んだだけという自己をさらけ出しているのに過ぎないのです。
また書くことがなくなってしまっているから、引用で時数稼ぎをして、本を書いているに過ぎない、ということにもなっているのです。
こういう本は読みづらいですから、読む人の立場になってもいないのです。
そういう著者には人間的な魅力もないのです。
以前に指摘した日本の、政治学の神様、などといわれていた丸山眞男(下写真)は、まさにそういう人でした。

古文漢文の引用が長々とされていて、しかも難解で読みづらいので、読むだけで精いっぱいでした。
そして読語の感想は「何が書いてあったかさっぱりわからない!」としか言えなかったです(笑)。
こういう本を書く人が、なぜ政治学の神様なのか、まったく理解できませんでした。
私が講義を受けた政治学の教授や、政治学史の教授、そして思想史の教授などもそろってこの丸山氏を褒めたたえていましたが、まったく理解できなかったです。
しかし、幸福の科学の故.大川隆法氏(下写真)はこうでなかったです。

10万冊もの本を読破し、それらによって配合、発酵、そして抽出された理論、そして経験から滲み出た理論、そして啓示も受けたであろう理論までも書いてあったので、その世界観に引き入られてすぐに読破してしまっていたのです私は。
引用ばかりの本ではこういうことにはなりえません。
そういう本とは一線を画していたのです。
こういった私の意見が、本気であるか否かは、この文章を読んでもらえればわかるでしょう。
嘘を書いているのであれば、やはり行間からそれが読み取られてしまうものです。
決して嘘ではないとわかるでしょう。
「」を多用して、引用ばかりしていては、絶対に3,100冊という冊数には到達しないのです。
総裁は生前にこれだけの冊数の本を出したのです。
こういう面も、やはりエルカンターレが、大川総裁に下生して、その能力を付与したということも頷ける要因になっているのです。

エルカンターレが大川氏に下生した、などということは幸福の科学信者でない人にとっては、信じれない事でしょう。
しかし、それが信用に値するものかどうかは、まず大川氏の本を読んでもらうほかないでしょう。
そして、自分で本を書いてみるのも有効でしょう。
本を1冊出すだけでどれだけたいへんな作業かがわかるでしょう。
しかし、そういう作業をしないでいて、幸福の科学が邪道であると決めつける輩がどれだけいるかわからないです。
そういう立場から私は一線を画しているのです。
しかし、私は、幸福の信者ではないですし、これからも信者になるつもりはないです。
なぜ?
ここまで称賛しているのに?
と思われるでしょうが、私は大川隆法氏の信憑性については信頼を置きますし、本物と思っていますが、彼以外の本でもいくらでも参考になる著者はいますし、他の人からも学ぶものがあるのは明白です。
大川隆法氏には大いに学ぶものがあれど、彼だけではないから、信者にならないのです。
でも信頼は置く…奇妙な立場だなと思われるでしょうが、それをやめるつもりはないのです(笑)
●こういう奇妙な立場でも理解ができるのであれば、以下の本(電子書籍)はお勧めです。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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♯大川隆法
♯信憑性
私は本を読むのが趣味ですが、読まないと決めている著者の本の特徴は、いろいろあります。
まず、ありきたりなことしか書いていない著者の本は興味がおきないからだめですね。
そして、幅広い知識がない人のもだめですね説得力がないですから。
そして、自分の意見が書いていないのも、学ぶものがないからだめですね。
そして、引用ばかりの本を書く人もだめですね。
引用ばかりの本は、結局上記の特徴をすべて内包していますね。
「」をつけて、他の本からの引用をしている本は、支離滅裂で、読んでいて集中力が萎えてくるのです。
自己主張がないことにも通じますし、自分の意見を構成するという日々の脳内の鍛錬が足りていないから、こういう文になってしまうのです。
こういう引用ばかりの本では、他の本を読んだだけという自己をさらけ出しているのに過ぎないのです。
また書くことがなくなってしまっているから、引用で時数稼ぎをして、本を書いているに過ぎない、ということにもなっているのです。
こういう本は読みづらいですから、読む人の立場になってもいないのです。
そういう著者には人間的な魅力もないのです。
以前に指摘した日本の、政治学の神様、などといわれていた丸山眞男(下写真)は、まさにそういう人でした。

古文漢文の引用が長々とされていて、しかも難解で読みづらいので、読むだけで精いっぱいでした。
そして読語の感想は「何が書いてあったかさっぱりわからない!」としか言えなかったです(笑)。
こういう本を書く人が、なぜ政治学の神様なのか、まったく理解できませんでした。
私が講義を受けた政治学の教授や、政治学史の教授、そして思想史の教授などもそろってこの丸山氏を褒めたたえていましたが、まったく理解できなかったです。
しかし、幸福の科学の故.大川隆法氏(下写真)はこうでなかったです。
10万冊もの本を読破し、それらによって配合、発酵、そして抽出された理論、そして経験から滲み出た理論、そして啓示も受けたであろう理論までも書いてあったので、その世界観に引き入られてすぐに読破してしまっていたのです私は。
引用ばかりの本ではこういうことにはなりえません。
そういう本とは一線を画していたのです。
こういった私の意見が、本気であるか否かは、この文章を読んでもらえればわかるでしょう。
嘘を書いているのであれば、やはり行間からそれが読み取られてしまうものです。
決して嘘ではないとわかるでしょう。
「」を多用して、引用ばかりしていては、絶対に3,100冊という冊数には到達しないのです。
総裁は生前にこれだけの冊数の本を出したのです。
こういう面も、やはりエルカンターレが、大川総裁に下生して、その能力を付与したということも頷ける要因になっているのです。

エルカンターレが大川氏に下生した、などということは幸福の科学信者でない人にとっては、信じれない事でしょう。
しかし、それが信用に値するものかどうかは、まず大川氏の本を読んでもらうほかないでしょう。
そして、自分で本を書いてみるのも有効でしょう。
本を1冊出すだけでどれだけたいへんな作業かがわかるでしょう。
しかし、そういう作業をしないでいて、幸福の科学が邪道であると決めつける輩がどれだけいるかわからないです。
そういう立場から私は一線を画しているのです。
しかし、私は、幸福の信者ではないですし、これからも信者になるつもりはないです。
なぜ?
ここまで称賛しているのに?
と思われるでしょうが、私は大川隆法氏の信憑性については信頼を置きますし、本物と思っていますが、彼以外の本でもいくらでも参考になる著者はいますし、他の人からも学ぶものがあるのは明白です。
大川隆法氏には大いに学ぶものがあれど、彼だけではないから、信者にならないのです。
でも信頼は置く…奇妙な立場だなと思われるでしょうが、それをやめるつもりはないのです(笑)
●こういう奇妙な立場でも理解ができるのであれば、以下の本(電子書籍)はお勧めです。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



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