学者としての資質はどういうものか?加藤秀俊を引き合いに出して考える (加藤秀俊)
こんにちは。
大学で学ぶ学問というものは、理論を構築する作業だということでした。
そのために、大学での年末の試験は論文で書くのが通常です。
その自身の理論の構築のためには、肉付けが必須です。
そのためには、目的のない散歩.逍遥が必要なのです。
それが知的であるためには、指定された教科書だけではなんとも無理があるのです。
いろんな資料をみたり、いろんな本しかもその分野には関係のない分野の本を読んだり、他の教科の講義を聴いたりしているときにふと肉付けにぴったりの理論を学ぶことが出来たりするから、興味深かったです。
文系の大学では最初の1年次は、ほとんどが一般教養というものを履修させられます。

私は法学部生でしたが、1年次は、法律に関する教科は民法総則、基礎法学、憲法@の3つだけでした。
あとは一般教養でした。
しかし、そこで出くわしたことでは、面白いことに、『歴史学』の講義で話されていたのは、「フランス革命時にマリー.アントワネットの処刑はしなくてもよかったのでは?」という歴史的な回顧でした。
これは、政治学でも習うであろう、善悪二元論の弊でして、「悪とみなされたものを処刑することによって全部が良くなる。」という史観が当時の世界を蔽っていたのです。
しかし、決してそれは間違いであって、その認識を改めねばならないという理論を聞き手に認識してもらうべきであるということでした。
その善悪二元論の弊は、2年後の『国際政治学』でも習うことでした。
それが、『歴史学』の講義でも、高坂正尭という日本が誇る政治学者が書いた『国際政治』という本でも書かれていたのです。

1つの学問で語られていた理論が、いろんな学問でも参考になる場面が往々にしてある。
それに出くわすためには、主体的に自分から学んでいく、本を読んでいく、という気概がないことには務まらないのは言うまでもありません。
まさに肉付けのためには、目的のない散歩.逍遥が必要といった加藤秀俊氏の言った言葉が当てはまります。
その言葉は編著本である『私の知的生産の技術』という本に書いてありました。
そう言うように書いてある箇所を読んで認識を強くしたのです。
専門に閉じこもることなく、いろんな分野にわたって学ぶことでいろんなことが自身の専門分野にも役立つし、そういう姿勢こそが学問を面白くするということです。
私が履修した社会学において、その教授は学生に課題を出しました。
マックス.ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んで、その意義についてレポート用紙に書いて論じよ、と。
そのことをしている時間がなかった私は、ふと思い出しました「加藤秀俊の本にそれについて言及した箇所があったよね!」ということを。
そして以前読んでいた加藤秀俊(下写真)の『習俗の社会学』という本を紐解き、その箇所を見つけました。

そうしたら、出てきました。
その本についての意義が書いてある箇所が。
それを参考にして、思ったこと、他の本で学んだこと、これまでに知ったことを総動員してレポート用紙に書いて出しました。
そうしたら高得点をいただくことが出来ました。
また知り合いの後輩が、某大学の文学部国文学科に推薦入試で受験することになり、その時に加藤秀俊の『文芸の社会学』という本に書いてあった文学の存立意義や読むことの意義について書いてあった箇所を思い出したのです。
早速、その本を出して読み直し、その本に書かれていた理論を教えてあげました。
するとその後輩は非常に納得して、その理論を脳内に叩き込んで推薦入試に臨み、その結果、その国文学科に合格することが出来ました。
また知り合いの中国人で、某大学の国際関係学科を推薦入試で受けることになりアドバイスを求められました。
その時思いだしたのは、加藤秀俊の『比較文化への視角』という本に国際化とは何かというモチーフの章があったことを思い出しました。
そこでまたも、加藤秀俊のその本を取り出して、その章を確認しました。
そうしたら、推薦入試に役立つであろう理論が書かれていました。
それを紙に書いて説明し、それを渡し入試面接の日にスラスラ言えるように忠告しておきました。
そうしたら、その中国人も合格することが出来ました。
私と2人の人間が大学の試験で手助けをしてもらったのです加藤秀俊の本から。

こんなに恩義のある人物はいないです。
これはひとえに、加藤秀俊の好奇心の幅広さと博学さによったのです。
加藤氏は亡くなってしまい残念ですが、死去するまでに100冊以上の本を発行したのです。
これは、彼の専門である社会学だけに拘らずに、いろんなものを好奇心の赴くまま修めていった結果でしょう。
知識人としての模範といってでしょう。
私は、大学卒業までに300冊は本を読んだでしょうか。
それゆえに、卒業時にゼミの後輩から色紙に寄せ書きを書いてプレゼントしてもらったのですが、その色紙に書いてあったのは「ゼミで話される内容が奥深く、普段から勉強していらっしゃるのがわかりました。」とか「理論が幅広くてびっくりしました。」とか嬉しいことがいろいろ書かれていました。
自分としては、意気込んで理論を暗記しようと思ったのではなく、いろんな本を読み、そこに書かれていたことを思い出して、引き合いに出していただけでした。
「こんなこと書いてあったなあ」ということを思い出して書いただけ、しゃべっただけです。
自身の理論構築の際には受験勉強のように教科書を片っ端から覚える必要なしなのです。

好奇心の赴くままいろんな本を読んでいけば、大抵思いだせるものです「こんなこと書いてあったなあ」ということは。
思い出せなかったら、再びその本を紐解けばいいのです。
また理論構築時に必要で忘れそうな場合は、紙に書いてそれを保管しておけばいいですし、それかパソコンのワードなどに書いておけばいいのです。
それが終了したら中古本屋に売るか、人にあげることをして手放せばいいすればいいのです。
読んだ本を全部保管して置いたらスペースが足りなくなってしまいますからね(笑)
そういう地道な作業が好きな人は学者として大成するのではないでしょうか?
そういう目的のない散歩.逍遥をせずに、自分の専門に閉じこもってだけ理論を構築しようとすれば、それは叶わないことですし、よしんば成ったとしても、非常につまらなくて、しかも説得力のない理論が出来るだけです。
やはり著作家として大成するには、
いろんな分野に好奇心を赴かせれられる。
自分から主体的に永久的に学ぶ意思がある。
引用ばかりでなく、自身の頭で考えて理論を構築できる。
この3つが必須です。
それを有していたからこそ加藤秀俊は大成し、100冊もの本を出し、著作集まで刊行できたのです。
そんな加藤秀俊に興味の沸いた人には、その意義について大々的に論じた以下の電子書籍.ペーパーバックをお勧めします。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のこと)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
大学で学ぶ学問というものは、理論を構築する作業だということでした。
そのために、大学での年末の試験は論文で書くのが通常です。
その自身の理論の構築のためには、肉付けが必須です。
そのためには、目的のない散歩.逍遥が必要なのです。
それが知的であるためには、指定された教科書だけではなんとも無理があるのです。
いろんな資料をみたり、いろんな本しかもその分野には関係のない分野の本を読んだり、他の教科の講義を聴いたりしているときにふと肉付けにぴったりの理論を学ぶことが出来たりするから、興味深かったです。
文系の大学では最初の1年次は、ほとんどが一般教養というものを履修させられます。
私は法学部生でしたが、1年次は、法律に関する教科は民法総則、基礎法学、憲法@の3つだけでした。
あとは一般教養でした。
しかし、そこで出くわしたことでは、面白いことに、『歴史学』の講義で話されていたのは、「フランス革命時にマリー.アントワネットの処刑はしなくてもよかったのでは?」という歴史的な回顧でした。
これは、政治学でも習うであろう、善悪二元論の弊でして、「悪とみなされたものを処刑することによって全部が良くなる。」という史観が当時の世界を蔽っていたのです。
しかし、決してそれは間違いであって、その認識を改めねばならないという理論を聞き手に認識してもらうべきであるということでした。
その善悪二元論の弊は、2年後の『国際政治学』でも習うことでした。
それが、『歴史学』の講義でも、高坂正尭という日本が誇る政治学者が書いた『国際政治』という本でも書かれていたのです。
1つの学問で語られていた理論が、いろんな学問でも参考になる場面が往々にしてある。
それに出くわすためには、主体的に自分から学んでいく、本を読んでいく、という気概がないことには務まらないのは言うまでもありません。
まさに肉付けのためには、目的のない散歩.逍遥が必要といった加藤秀俊氏の言った言葉が当てはまります。
その言葉は編著本である『私の知的生産の技術』という本に書いてありました。
そう言うように書いてある箇所を読んで認識を強くしたのです。
専門に閉じこもることなく、いろんな分野にわたって学ぶことでいろんなことが自身の専門分野にも役立つし、そういう姿勢こそが学問を面白くするということです。
私が履修した社会学において、その教授は学生に課題を出しました。
マックス.ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んで、その意義についてレポート用紙に書いて論じよ、と。
そのことをしている時間がなかった私は、ふと思い出しました「加藤秀俊の本にそれについて言及した箇所があったよね!」ということを。
そして以前読んでいた加藤秀俊(下写真)の『習俗の社会学』という本を紐解き、その箇所を見つけました。
そうしたら、出てきました。
その本についての意義が書いてある箇所が。
それを参考にして、思ったこと、他の本で学んだこと、これまでに知ったことを総動員してレポート用紙に書いて出しました。
そうしたら高得点をいただくことが出来ました。
また知り合いの後輩が、某大学の文学部国文学科に推薦入試で受験することになり、その時に加藤秀俊の『文芸の社会学』という本に書いてあった文学の存立意義や読むことの意義について書いてあった箇所を思い出したのです。
早速、その本を出して読み直し、その本に書かれていた理論を教えてあげました。
するとその後輩は非常に納得して、その理論を脳内に叩き込んで推薦入試に臨み、その結果、その国文学科に合格することが出来ました。
また知り合いの中国人で、某大学の国際関係学科を推薦入試で受けることになりアドバイスを求められました。
その時思いだしたのは、加藤秀俊の『比較文化への視角』という本に国際化とは何かというモチーフの章があったことを思い出しました。
そこでまたも、加藤秀俊のその本を取り出して、その章を確認しました。
そうしたら、推薦入試に役立つであろう理論が書かれていました。
それを紙に書いて説明し、それを渡し入試面接の日にスラスラ言えるように忠告しておきました。
そうしたら、その中国人も合格することが出来ました。
私と2人の人間が大学の試験で手助けをしてもらったのです加藤秀俊の本から。
こんなに恩義のある人物はいないです。
これはひとえに、加藤秀俊の好奇心の幅広さと博学さによったのです。
加藤氏は亡くなってしまい残念ですが、死去するまでに100冊以上の本を発行したのです。
これは、彼の専門である社会学だけに拘らずに、いろんなものを好奇心の赴くまま修めていった結果でしょう。
知識人としての模範といってでしょう。
私は、大学卒業までに300冊は本を読んだでしょうか。
それゆえに、卒業時にゼミの後輩から色紙に寄せ書きを書いてプレゼントしてもらったのですが、その色紙に書いてあったのは「ゼミで話される内容が奥深く、普段から勉強していらっしゃるのがわかりました。」とか「理論が幅広くてびっくりしました。」とか嬉しいことがいろいろ書かれていました。
自分としては、意気込んで理論を暗記しようと思ったのではなく、いろんな本を読み、そこに書かれていたことを思い出して、引き合いに出していただけでした。
「こんなこと書いてあったなあ」ということを思い出して書いただけ、しゃべっただけです。
自身の理論構築の際には受験勉強のように教科書を片っ端から覚える必要なしなのです。
好奇心の赴くままいろんな本を読んでいけば、大抵思いだせるものです「こんなこと書いてあったなあ」ということは。
思い出せなかったら、再びその本を紐解けばいいのです。
また理論構築時に必要で忘れそうな場合は、紙に書いてそれを保管しておけばいいですし、それかパソコンのワードなどに書いておけばいいのです。
それが終了したら中古本屋に売るか、人にあげることをして手放せばいいすればいいのです。
読んだ本を全部保管して置いたらスペースが足りなくなってしまいますからね(笑)
そういう地道な作業が好きな人は学者として大成するのではないでしょうか?
そういう目的のない散歩.逍遥をせずに、自分の専門に閉じこもってだけ理論を構築しようとすれば、それは叶わないことですし、よしんば成ったとしても、非常につまらなくて、しかも説得力のない理論が出来るだけです。
やはり著作家として大成するには、
いろんな分野に好奇心を赴かせれられる。
自分から主体的に永久的に学ぶ意思がある。
引用ばかりでなく、自身の頭で考えて理論を構築できる。
この3つが必須です。
それを有していたからこそ加藤秀俊は大成し、100冊もの本を出し、著作集まで刊行できたのです。
そんな加藤秀俊に興味の沸いた人には、その意義について大々的に論じた以下の電子書籍.ペーパーバックをお勧めします。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のこと)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

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