難解な表現をする著作物はメリットはある?しかしデメリットの方が多い? (加藤秀俊)
こんにちは。
日本の大学生はとにかく遊びすぎていて、大学自体がレジャーランド化していることが海外でささやかれていたのを大学在学時代に知りました。
しかし、それは海外と比較して、異常なほどの大学進学率がゆえにその面が強調されるからではないか、という気がします。
高校生のうち、卒業生の半分が大学に進学をするのは日本だけです。
その異常なほどの進学率ゆえに、その遊び惚けてしまう人が目立つのでしょう。
もしもイギリスやドイツが、日本のように大学への進学率を記録するようになったら、そんなことが起きるのではないでしょうか?

やはり遊び惚けしまう大学生が目立つようになってしまう、という事態に。
それは、人類を俯瞰して、文字好きよりも文字嫌いの方が比率的に多いという人類普遍的な真理があるあるからです。
それゆえに、日本の大学生が遊び惚けているという事態をそれほど嘆く必要はないのかなという気がします。
その遊び惚けていた大学生も社会人になったら、それなりに立派な業務への取り組みをしているのがわかります。
ただ文字嫌いの人は、受験という後ろ盾がないから勉強しないのであって、後ろ盾があれば勉強するのだから、それはそれでいいでしょう。
ただ、そんな文字嫌いの人に、勉強に向かわせる工夫はやはり必要ではあるのは事実でしょう。
大学の講義への出席が苦手であるならば、せめて本くらいは読むべきではないか?
そんなことを思ってしまいます。
しかし、大学の授業料はかなり高いのです。
私の時代は、1時間半の1コマの講義代は2500円くらいでした。

今考えれば、かなり高いですし、そんな価値はないのは明白でした。
今はもっと高いでしょう。
そのことに気が付いて、辞退する(=退学する)のがいいのではないか、とそんなことを考えてしまいます。
いや本当のことです。
講義1コマの内容と、本を1冊買って読むのとどちらが有意義で学ぶものが多いかを自分なりに研究したらいいと思います。
BOOKOFFで1冊100円で買ってきて読んだ本の方が有意義なことは間違いないです。
その際に、読みやすい筆致で書かれたものの方がいい気がします。
やれ〜性だの、〜的といった表現が多い著作は読んでいて、疲れますし、1文をかなり長く書くような著者の本もいただけません。
また、祖述だけの本もいただけません。
引用ばかりの本を書く著者のもいただけません。
その著者の主張や意見、主義なども書かれたものではないと、面白くもなんともないのです。
こういう本ばかりに出合ってきてしまった大学生は、学問など面白くないと思って忌避してしまうことも間違いないでしょう。

しかし、一歩下がって、そういう難解な表現をする人ではなく、わかりやすく書いて、しかもその著者の考えなども盛り込んでいる人の本に出会えるまで、探索を続けてもらいたいものです。
そういう難解な表現を使う著者や、祖述だけの著者、引用ばかりの著者、考えの書いていない著者のは、私は読みたくないですし、そういう本にであったら、その著者は、ワードのNGリストに入れて2度とその著者の本は買わないことにしているのです。
話題になったりしている著者の本が出て、それを読もうと思ったときに、そのNGリストを見て、そこにその著者がリストアップされていたら、私は買わないことにしているのです。
そうすることで、無駄な時間やお金を使わなくてよくなるからです。
引用ばかりの本を書いている人は、やはり次の本も、また次の本も引用ばかりの本を書いているのが通常だからです。
難解な表現をしている著者は、やはり他の著書でも難解な表現をしているのが通常だからです。
しかし、戦後において、そういう難解な表現をしている著者が持てはやされた時期があったのも事実です。
その代表として政治学や日本思想史で有名な丸山真男(下写真)を挙げたいと思います。

この人は古文や漢文に造詣が深くて、江戸時代の日本思想を引き合いに出して、その日本の思想のあり方を批判していたのです。
しかし、当時の儒教等が、当時の日本人の内面を形成し、明治以降の政治的な行動に結びつけられたことは間違いないです。
しかし、それを難解な言葉で表現して、江戸時代の古文や漢文の引用ばかりで、いただけなかったのです私は。
江戸時代の古語ばかりの文献の引用ばかりだったからわかりにくかった印象がいまだに残っています。
説得力がまるでなかったです。
私は政治学のゼミに入っていましたが、そのゼミの先生は、丸山真男の信奉者だったのです。
その先生曰く、「私は学生時代に丸山真男の本に感動した。「頭がいいっていうのはこういうことかなっ!」と思ったね。学生時代から今まで丸山真男の本を何度読んだかわからない。もう本はボロボロだもの!」と感情をこめていっていたのです。
その先生は私と20歳も年長ゆえに古文の教養はたくさんあったのは確かです。
ゆえに、私に、受験が終了してしまった後に雲散霧消してしまった古文の教養が脳内にたくさん残っていたのであれば、丸山への認識は違ったものになっていたのだろうか?と疑問に思いますが、ちょっと考えて…そんなことはないだろうと思います(笑)。
元々、引用が多い文は読みづらい性質を孕んでいるし、支離滅裂な文章になり、そういう文章は書く人の場合、自身の意見がほとんど書かれていないがゆえに、非常につまらなくなるのです。
それを覆してくれる例を知っているならば、是非とも教えてほしいものです。

ここで問いたいのは、「難解さ」が、丸山の魅力の1つになるのだろうか?ということです。
確かに簡潔すぎる単語を使うよりも、若干難解な語を使うことで、読み手に思考の契機を与えてくれるもので、覚醒作用があることは確かです。
しかし、あまりに難解すぎて、読む気が失せるほどのモノであっては、意味がないでしょう。
私にとってはまさに丸山が好例なのです。
それゆえに、丸山よりも、自分の言葉でわかりやすく論述している著作家の方が好感が持てたのは間違いないです。
私は政治学のゼミに属していましたが、他の、丸山を政治学の神様と崇めていた政治学史の教授がいたことは確かですが、そう崇める人がいても関心もなかったですし、評価もしなかったです私は丸山を。
読んでいて、まるで意味不明な難解な表現を駆使していたし引用ばかりだったので、読了してから印象が全くなかったのです。
そういう人を評価せよといわれても無理でしょう?(苦笑)
そういう人の本よりも、わかりやすい筆致の文章で書いてくれる人の方が好感が持てましたし、今でもそうです。
学問は、読んだ人に意味不明な感想を持たせてその場で立ち往生させてしまうのではなく、読んだ人の精神を覚醒させて、良き方向へカジ取りさせるように行動に結びつけることを目的しているのです。
それに同感の人であるならば、故.加藤秀俊の偉業に関心が持てるのではないでしょうか?
●そんな方に是非とも読んでほしい電子書籍.ペーパーバックが以下です。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
日本の大学生はとにかく遊びすぎていて、大学自体がレジャーランド化していることが海外でささやかれていたのを大学在学時代に知りました。
しかし、それは海外と比較して、異常なほどの大学進学率がゆえにその面が強調されるからではないか、という気がします。
高校生のうち、卒業生の半分が大学に進学をするのは日本だけです。
その異常なほどの進学率ゆえに、その遊び惚けてしまう人が目立つのでしょう。
もしもイギリスやドイツが、日本のように大学への進学率を記録するようになったら、そんなことが起きるのではないでしょうか?
やはり遊び惚けしまう大学生が目立つようになってしまう、という事態に。
それは、人類を俯瞰して、文字好きよりも文字嫌いの方が比率的に多いという人類普遍的な真理があるあるからです。
それゆえに、日本の大学生が遊び惚けているという事態をそれほど嘆く必要はないのかなという気がします。
その遊び惚けていた大学生も社会人になったら、それなりに立派な業務への取り組みをしているのがわかります。
ただ文字嫌いの人は、受験という後ろ盾がないから勉強しないのであって、後ろ盾があれば勉強するのだから、それはそれでいいでしょう。
ただ、そんな文字嫌いの人に、勉強に向かわせる工夫はやはり必要ではあるのは事実でしょう。
大学の講義への出席が苦手であるならば、せめて本くらいは読むべきではないか?
そんなことを思ってしまいます。
しかし、大学の授業料はかなり高いのです。
私の時代は、1時間半の1コマの講義代は2500円くらいでした。
今考えれば、かなり高いですし、そんな価値はないのは明白でした。
今はもっと高いでしょう。
そのことに気が付いて、辞退する(=退学する)のがいいのではないか、とそんなことを考えてしまいます。
いや本当のことです。
講義1コマの内容と、本を1冊買って読むのとどちらが有意義で学ぶものが多いかを自分なりに研究したらいいと思います。
BOOKOFFで1冊100円で買ってきて読んだ本の方が有意義なことは間違いないです。
その際に、読みやすい筆致で書かれたものの方がいい気がします。
やれ〜性だの、〜的といった表現が多い著作は読んでいて、疲れますし、1文をかなり長く書くような著者の本もいただけません。
また、祖述だけの本もいただけません。
引用ばかりの本を書く著者のもいただけません。
その著者の主張や意見、主義なども書かれたものではないと、面白くもなんともないのです。
こういう本ばかりに出合ってきてしまった大学生は、学問など面白くないと思って忌避してしまうことも間違いないでしょう。
しかし、一歩下がって、そういう難解な表現をする人ではなく、わかりやすく書いて、しかもその著者の考えなども盛り込んでいる人の本に出会えるまで、探索を続けてもらいたいものです。
そういう難解な表現を使う著者や、祖述だけの著者、引用ばかりの著者、考えの書いていない著者のは、私は読みたくないですし、そういう本にであったら、その著者は、ワードのNGリストに入れて2度とその著者の本は買わないことにしているのです。
話題になったりしている著者の本が出て、それを読もうと思ったときに、そのNGリストを見て、そこにその著者がリストアップされていたら、私は買わないことにしているのです。
そうすることで、無駄な時間やお金を使わなくてよくなるからです。
引用ばかりの本を書いている人は、やはり次の本も、また次の本も引用ばかりの本を書いているのが通常だからです。
難解な表現をしている著者は、やはり他の著書でも難解な表現をしているのが通常だからです。
しかし、戦後において、そういう難解な表現をしている著者が持てはやされた時期があったのも事実です。
その代表として政治学や日本思想史で有名な丸山真男(下写真)を挙げたいと思います。
この人は古文や漢文に造詣が深くて、江戸時代の日本思想を引き合いに出して、その日本の思想のあり方を批判していたのです。
しかし、当時の儒教等が、当時の日本人の内面を形成し、明治以降の政治的な行動に結びつけられたことは間違いないです。
しかし、それを難解な言葉で表現して、江戸時代の古文や漢文の引用ばかりで、いただけなかったのです私は。
江戸時代の古語ばかりの文献の引用ばかりだったからわかりにくかった印象がいまだに残っています。
説得力がまるでなかったです。
私は政治学のゼミに入っていましたが、そのゼミの先生は、丸山真男の信奉者だったのです。
その先生曰く、「私は学生時代に丸山真男の本に感動した。「頭がいいっていうのはこういうことかなっ!」と思ったね。学生時代から今まで丸山真男の本を何度読んだかわからない。もう本はボロボロだもの!」と感情をこめていっていたのです。
その先生は私と20歳も年長ゆえに古文の教養はたくさんあったのは確かです。
ゆえに、私に、受験が終了してしまった後に雲散霧消してしまった古文の教養が脳内にたくさん残っていたのであれば、丸山への認識は違ったものになっていたのだろうか?と疑問に思いますが、ちょっと考えて…そんなことはないだろうと思います(笑)。
元々、引用が多い文は読みづらい性質を孕んでいるし、支離滅裂な文章になり、そういう文章は書く人の場合、自身の意見がほとんど書かれていないがゆえに、非常につまらなくなるのです。
それを覆してくれる例を知っているならば、是非とも教えてほしいものです。
ここで問いたいのは、「難解さ」が、丸山の魅力の1つになるのだろうか?ということです。
確かに簡潔すぎる単語を使うよりも、若干難解な語を使うことで、読み手に思考の契機を与えてくれるもので、覚醒作用があることは確かです。
しかし、あまりに難解すぎて、読む気が失せるほどのモノであっては、意味がないでしょう。
私にとってはまさに丸山が好例なのです。
それゆえに、丸山よりも、自分の言葉でわかりやすく論述している著作家の方が好感が持てたのは間違いないです。
私は政治学のゼミに属していましたが、他の、丸山を政治学の神様と崇めていた政治学史の教授がいたことは確かですが、そう崇める人がいても関心もなかったですし、評価もしなかったです私は丸山を。
読んでいて、まるで意味不明な難解な表現を駆使していたし引用ばかりだったので、読了してから印象が全くなかったのです。
そういう人を評価せよといわれても無理でしょう?(苦笑)
そういう人の本よりも、わかりやすい筆致の文章で書いてくれる人の方が好感が持てましたし、今でもそうです。
学問は、読んだ人に意味不明な感想を持たせてその場で立ち往生させてしまうのではなく、読んだ人の精神を覚醒させて、良き方向へカジ取りさせるように行動に結びつけることを目的しているのです。
それに同感の人であるならば、故.加藤秀俊の偉業に関心が持てるのではないでしょうか?
●そんな方に是非とも読んでほしい電子書籍.ペーパーバックが以下です。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

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