創造力は誰にとっても絶対に必須か? (加藤秀俊)
こんにちは。
前回の続きです。
前回において、故加藤秀俊氏(下写真)は、現代教育においては、創造力を培うことが最大の眼目とすべきである、ということを力説していましたが、それへの端緒をどう考えるかを示唆したいと思います。

それを考えるに際して、現代教育はそういうことにベクトルが向いていないということです加藤氏に言わせれば。
氏の書である『独学のすすめ』から以下、引用しましょう。
「…しかし、それも無理からぬことなのであった。
自分の力で考えるということが日本の教育にはほとんどないのである。中学生は高校の受験、高校生は大学受験のための勉強に必死になっていて、とにかく、あらゆることを、無批判に暗記することだけに忙殺されている。
教育というものはほとんど、例外なしに他律的なのだ。
生徒はガンガンと詰め込まされている。あらゆる知識をただおぼえこむ記憶機械のようなものだ。
どんなことであれ、「なぜ」を問うことは創造性の第一歩である。
既存のものを疑ってみないことには、新しい観念を生み出すことは出来ない。
その「なぜ」にこたえようとしないのが現代の教育である。
私が大学で簿記を習っていた時に先生に質問しに行った。
金がもうかればもうかるほど簿記での「借方」が大きくなる。
なぜプラスを借方というのか質問した。
そうしたらその先生はげらげら笑いだし、「なぜも何もないんだよ。昔からそうなっているんだよ」と相手にしてくれなかった。
「昔からそうなっているんだ」などというのは答えになっていない。
創造的な人間こそ、本当に充実した人間である。そういう人間を育てることを日本の教育は怠っている。詰め込み教育も早く変えなくてはいけない。」
創造とは、なぜそうなっているかを構造的に探ることが大事であるということであろうか?
そういう内情を探るのではなく、ただ単に詰め込めばいい、という現代教育がその原因になっている、ということを加藤氏は言いたかったのだろうと思います。

詰め込み教育…それは仕方ない面も多分に含んでいると思います。
現代日本では多くの人が大学に進学しようとします。
今では高校生の半分以上が、それへの進学を希望しているのです。
そうなれば競争が熾烈になり、大学入試の問題も必然的に、多くのものを暗記するものに変貌せざるを得ないでしょう。
さすれば、内情を問うよりも、量を問うことに行かざるを得ないでしょう。
ゆえに、現代の日本が詰め込み教育の変貌したのでしょう。
それゆえに、勉強とは、暗記することであるという思い込みが必然的に植え付けられてしまった。

ゆえに、内情を問うことを学生がしなくなった…そういう分析も成り立つことも当然認めざるを得ないでしょう。
しかし、私が思うに、それは現代日本に特有の問題であって、他の諸国も日本のように著しい進学率になったら、必然的にそうなるような気がしてならないです。
いつの時代でも、教育=詰め込み、と勘違いしてしまう人もいるでしょうし、物事の内情を深く知りたいという欲求が出てくる人はいるでしょう。
ものすごい理論を生み出すのは、やはり暗記教育だけでは無理、というのは頷けます。
しかし、創造力は、膨大な情報量の積み重ねによってはじめて可能になるのであって、ことさらそれを無暗に批判するのはどうかなと思います。
暗記こそは、創造を生み出す第一歩であることは間違いないです。
現代日本の教育が、それに貢献している面も否定はできないでしょう。
加藤氏は、物事を深く広く追及することによって、問題点の解決が叶った経験がたくさんあるのでしょう。

ゆえにそういう創造力を培うことをすすめているのだと思いますね。
しかし、その作業においては読書というものが必然的に必要になってきます。
しかし、その読書も、もともと知的好奇心がなくては務まらないものです。
その知的好奇心は、あるかどうかはその領域にもよりますし、いろんな幅広い分野においても出るかどうかは生まれつき決まっているようです。
それがない人にはいくら読書の効用を説いても無駄でしょう。
そういうことを私は大学時代に大いに経験してきました(笑)
しかし、それは悪いことではないのです。
興味のないものに対して興味を持て、と言われても湧かない人は湧かないのです。
それになくても、大学卒業後に、立派に社会人として生活を営み、業務をこなしている人しか私は知りません。

卒業後に同窓会であった同僚たちと話をしていると…。
ゆえに、創造力をつけたいかどうかは本人によるのであって、いらないといえばことさら騒ぐことはしない方がいいような気がします。
●ただ、その創造力がどういうもので、どんな効用があるのかといったことを探り、経験してみたいなという人がいたら、以下、加藤秀俊の偉業について著した電子書籍.ペーパーバックの読了をお勧めします。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
前回の続きです。
前回において、故加藤秀俊氏(下写真)は、現代教育においては、創造力を培うことが最大の眼目とすべきである、ということを力説していましたが、それへの端緒をどう考えるかを示唆したいと思います。
それを考えるに際して、現代教育はそういうことにベクトルが向いていないということです加藤氏に言わせれば。
氏の書である『独学のすすめ』から以下、引用しましょう。
「…しかし、それも無理からぬことなのであった。
自分の力で考えるということが日本の教育にはほとんどないのである。中学生は高校の受験、高校生は大学受験のための勉強に必死になっていて、とにかく、あらゆることを、無批判に暗記することだけに忙殺されている。
教育というものはほとんど、例外なしに他律的なのだ。
生徒はガンガンと詰め込まされている。あらゆる知識をただおぼえこむ記憶機械のようなものだ。
どんなことであれ、「なぜ」を問うことは創造性の第一歩である。
既存のものを疑ってみないことには、新しい観念を生み出すことは出来ない。
その「なぜ」にこたえようとしないのが現代の教育である。
私が大学で簿記を習っていた時に先生に質問しに行った。
金がもうかればもうかるほど簿記での「借方」が大きくなる。
なぜプラスを借方というのか質問した。
そうしたらその先生はげらげら笑いだし、「なぜも何もないんだよ。昔からそうなっているんだよ」と相手にしてくれなかった。
「昔からそうなっているんだ」などというのは答えになっていない。
創造的な人間こそ、本当に充実した人間である。そういう人間を育てることを日本の教育は怠っている。詰め込み教育も早く変えなくてはいけない。」
創造とは、なぜそうなっているかを構造的に探ることが大事であるということであろうか?
そういう内情を探るのではなく、ただ単に詰め込めばいい、という現代教育がその原因になっている、ということを加藤氏は言いたかったのだろうと思います。

詰め込み教育…それは仕方ない面も多分に含んでいると思います。
現代日本では多くの人が大学に進学しようとします。
今では高校生の半分以上が、それへの進学を希望しているのです。
そうなれば競争が熾烈になり、大学入試の問題も必然的に、多くのものを暗記するものに変貌せざるを得ないでしょう。
さすれば、内情を問うよりも、量を問うことに行かざるを得ないでしょう。
ゆえに、現代の日本が詰め込み教育の変貌したのでしょう。
それゆえに、勉強とは、暗記することであるという思い込みが必然的に植え付けられてしまった。
ゆえに、内情を問うことを学生がしなくなった…そういう分析も成り立つことも当然認めざるを得ないでしょう。
しかし、私が思うに、それは現代日本に特有の問題であって、他の諸国も日本のように著しい進学率になったら、必然的にそうなるような気がしてならないです。
いつの時代でも、教育=詰め込み、と勘違いしてしまう人もいるでしょうし、物事の内情を深く知りたいという欲求が出てくる人はいるでしょう。
ものすごい理論を生み出すのは、やはり暗記教育だけでは無理、というのは頷けます。
しかし、創造力は、膨大な情報量の積み重ねによってはじめて可能になるのであって、ことさらそれを無暗に批判するのはどうかなと思います。
暗記こそは、創造を生み出す第一歩であることは間違いないです。
現代日本の教育が、それに貢献している面も否定はできないでしょう。
加藤氏は、物事を深く広く追及することによって、問題点の解決が叶った経験がたくさんあるのでしょう。
ゆえにそういう創造力を培うことをすすめているのだと思いますね。
しかし、その作業においては読書というものが必然的に必要になってきます。
しかし、その読書も、もともと知的好奇心がなくては務まらないものです。
その知的好奇心は、あるかどうかはその領域にもよりますし、いろんな幅広い分野においても出るかどうかは生まれつき決まっているようです。
それがない人にはいくら読書の効用を説いても無駄でしょう。
そういうことを私は大学時代に大いに経験してきました(笑)
しかし、それは悪いことではないのです。
興味のないものに対して興味を持て、と言われても湧かない人は湧かないのです。
それになくても、大学卒業後に、立派に社会人として生活を営み、業務をこなしている人しか私は知りません。
卒業後に同窓会であった同僚たちと話をしていると…。
ゆえに、創造力をつけたいかどうかは本人によるのであって、いらないといえばことさら騒ぐことはしない方がいいような気がします。
●ただ、その創造力がどういうもので、どんな効用があるのかといったことを探り、経験してみたいなという人がいたら、以下、加藤秀俊の偉業について著した電子書籍.ペーパーバックの読了をお勧めします。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
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