明治時代の大学進学のメリットが今もあるか?ないです(笑) (加藤秀俊)
こんにちは。
今回は大学の意義と、その行方を占う事柄を書いてみたいと思います。
高校の卒業生中の半分が大学に行くという国は日本くらいでしょう。

そんなに多いは何故か?学生の多くが学問が大事と思っている…そうではないでしょう、表面的にはそう思っているように見えますが。
実際は、大学卒という肩書が欲しいのとキャンパスライフを謳歌したいだけでしょう。
そして多くの人が何か学歴というものに威厳のようなものを感じているだけでしょう。
本人は勉強したくはないのにも関わらず。
明治10年代、高等教育を受けて立身出世を願う若者たちが東京に集まったのです。
東大、慶應義塾、攻玉社、東京専門学校、全部合わせて3000人、受験志望者はその10倍だったのです。

予備校生、いや寄宿して働いていた人間が4万から5万人いたのです。こういう青年たちを書生といったのです当時は。
苦労の甲斐があって大学受験に合格すればその将来は洋々たるものであった。
当時はやったフレーズが「書生書生と軽蔑するな 明日は太政官のお役人」「書生書士と軽蔑するな 大臣参議はみな書生」ということです。
学生はその学業を修めると「学士」になり、成績がよく郷党の援助でもあると卒業後、外国留学をして、日本に帰るとすぐに高位高官のポストが約束されていたようです。
しかし、明治以降、サラリーマンは増加し、給料生活者というのは、ある組織に属して、自分の労働をその組織に提供し、それに対して給料を支給される生き方をする人たちのことです。
その人の行動はいつも何かの組織によって管理されているのです。
現代は組織と管理の時代です。
立身出世を驀進した民衆のエネルギーが結果として、築き上げたものは、まさに立身出世を否定するような巨大な官僚的組織になってしまったのです。
わかりましたでしょうか?
大学は立身出世のための手段だったのですが、今日においてはそういう機能は果たさないのです。
しかし、そういう手段として大学進学を決める人が少なからずいるようですし、大学というものに何か根拠なく威厳というか、有難さを感じている人もすくなからずいるようです。
日本人というのは宗教や学問に対して無批判に受け入れて多額の金を出してしまう気質があるようです。

これらに対して無批判になって崇拝してしまう気質があるからですね。
しかし、本人が心底学びたいという気概があり、困難が待ち構えていても、やり遂げる気があるのであれば、行くメリットはあるのですが、それらがないのであればいく必要はないでしょう。
私の大学時代は、父母さんたちの誰もが、国民の90%が「自分は中流家庭だ」というアンケート調査結果があったのですし、実際、当時はお金を持っている人と持っていない人の資産の差が世界一小さかった時代だったのです。
しかも、戦後の復興ブームで30年以上働き続ければ誰もが年収1000万円もらえる時代だったのです。
そんな時代であれば、父母たちはちょっと財布には痛いけれども、子供を大学に行かせてやろうという気概を持っていたのでしょう。
文系の大学は初年度で100万円前後、次年度からは80万円前後のお金を3年間払い続けても大丈夫だったのです。
しかし、今は格差社会。
年収1000万円以上稼げている人はほんの1握りになってしまっているのです。

そんな時代にもかかわらず大学の学費の値段は上がっているのです。
私の時代よりも年30万円くらい高いです。
そうなれば、父母の働きだけでは足りなくなってしまった。
そこでどうするか?
奨学金を借りるほかないのです。
その学生のパーセンテージは今や、55%だということです。私の時代は20%もいなかったし、借りるとしても少額でした。そして、借りても卒業後に返し続けなくてはならないのです。
そこまでして学びに行くメリットはあるか?
ないと断言しましょう!(笑)
大学で講義されている内容は、本を読んで勉強すれば事足りるのです。
大学入試で培った現代文の読解力があれば事足ります。

BOOKOFFやその他、廉価販売している古本屋で100円、300円、500円とバリエーションは様々ですが、それらを買って読んで勉強すれば事足ります。
大学の講義のお金は、いまは1コマ3000円くらいするのでしょうか?
私の頃は2500円くらいでしたが。
1コマ3000円…そんな価値はないのは明白です。
試しに、大学で講義を受けて、そこで書いたノートと本1冊読んだ内容を比べて見てくださいませ。
全然本の方が有意義でしょう。
ゆえに、行くメリットなどないのです。
これまでに学んだことがない内容が講義で出てくるから何か意義があるのではないか?
大勢の人間がいる教室にいると圧倒されて、そういったことを考えることなく無批判になってしまうのは明白です。
しかし、講義後の帰途でもいいです。
そこで冷静になって考えてくださいませ。
虚心坦懐に、本と講義内容のどちらが価値に見合っているかを判断するのです。

それで通い続けていいことがあるかどうかを自身で判断することをお勧めします。
本当にメリットがあるかどうか?
大学に行かずとも大業を成し遂げた人としてどんな人がいるか?
通い続けることで大学教授に対してどんなデメリットがあるか?
自分にもどんなデメリットがあるか?
●そういった内容について興味の湧いた人は是非とも、以下の電子書籍.ペーパーバックを読んでもらいたいです。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
今回は大学の意義と、その行方を占う事柄を書いてみたいと思います。
高校の卒業生中の半分が大学に行くという国は日本くらいでしょう。
そんなに多いは何故か?学生の多くが学問が大事と思っている…そうではないでしょう、表面的にはそう思っているように見えますが。
実際は、大学卒という肩書が欲しいのとキャンパスライフを謳歌したいだけでしょう。
そして多くの人が何か学歴というものに威厳のようなものを感じているだけでしょう。
本人は勉強したくはないのにも関わらず。
明治10年代、高等教育を受けて立身出世を願う若者たちが東京に集まったのです。
東大、慶應義塾、攻玉社、東京専門学校、全部合わせて3000人、受験志望者はその10倍だったのです。
予備校生、いや寄宿して働いていた人間が4万から5万人いたのです。こういう青年たちを書生といったのです当時は。
苦労の甲斐があって大学受験に合格すればその将来は洋々たるものであった。
当時はやったフレーズが「書生書生と軽蔑するな 明日は太政官のお役人」「書生書士と軽蔑するな 大臣参議はみな書生」ということです。
学生はその学業を修めると「学士」になり、成績がよく郷党の援助でもあると卒業後、外国留学をして、日本に帰るとすぐに高位高官のポストが約束されていたようです。
しかし、明治以降、サラリーマンは増加し、給料生活者というのは、ある組織に属して、自分の労働をその組織に提供し、それに対して給料を支給される生き方をする人たちのことです。
その人の行動はいつも何かの組織によって管理されているのです。
現代は組織と管理の時代です。
立身出世を驀進した民衆のエネルギーが結果として、築き上げたものは、まさに立身出世を否定するような巨大な官僚的組織になってしまったのです。
わかりましたでしょうか?
大学は立身出世のための手段だったのですが、今日においてはそういう機能は果たさないのです。
しかし、そういう手段として大学進学を決める人が少なからずいるようですし、大学というものに何か根拠なく威厳というか、有難さを感じている人もすくなからずいるようです。
日本人というのは宗教や学問に対して無批判に受け入れて多額の金を出してしまう気質があるようです。
これらに対して無批判になって崇拝してしまう気質があるからですね。
しかし、本人が心底学びたいという気概があり、困難が待ち構えていても、やり遂げる気があるのであれば、行くメリットはあるのですが、それらがないのであればいく必要はないでしょう。
私の大学時代は、父母さんたちの誰もが、国民の90%が「自分は中流家庭だ」というアンケート調査結果があったのですし、実際、当時はお金を持っている人と持っていない人の資産の差が世界一小さかった時代だったのです。
しかも、戦後の復興ブームで30年以上働き続ければ誰もが年収1000万円もらえる時代だったのです。
そんな時代であれば、父母たちはちょっと財布には痛いけれども、子供を大学に行かせてやろうという気概を持っていたのでしょう。
文系の大学は初年度で100万円前後、次年度からは80万円前後のお金を3年間払い続けても大丈夫だったのです。
しかし、今は格差社会。
年収1000万円以上稼げている人はほんの1握りになってしまっているのです。
そんな時代にもかかわらず大学の学費の値段は上がっているのです。
私の時代よりも年30万円くらい高いです。
そうなれば、父母の働きだけでは足りなくなってしまった。
そこでどうするか?
奨学金を借りるほかないのです。
その学生のパーセンテージは今や、55%だということです。私の時代は20%もいなかったし、借りるとしても少額でした。そして、借りても卒業後に返し続けなくてはならないのです。
そこまでして学びに行くメリットはあるか?
ないと断言しましょう!(笑)
大学で講義されている内容は、本を読んで勉強すれば事足りるのです。
大学入試で培った現代文の読解力があれば事足ります。

BOOKOFFやその他、廉価販売している古本屋で100円、300円、500円とバリエーションは様々ですが、それらを買って読んで勉強すれば事足ります。
大学の講義のお金は、いまは1コマ3000円くらいするのでしょうか?
私の頃は2500円くらいでしたが。
1コマ3000円…そんな価値はないのは明白です。
試しに、大学で講義を受けて、そこで書いたノートと本1冊読んだ内容を比べて見てくださいませ。
全然本の方が有意義でしょう。
ゆえに、行くメリットなどないのです。
これまでに学んだことがない内容が講義で出てくるから何か意義があるのではないか?
大勢の人間がいる教室にいると圧倒されて、そういったことを考えることなく無批判になってしまうのは明白です。
しかし、講義後の帰途でもいいです。
そこで冷静になって考えてくださいませ。
虚心坦懐に、本と講義内容のどちらが価値に見合っているかを判断するのです。
それで通い続けていいことがあるかどうかを自身で判断することをお勧めします。
本当にメリットがあるかどうか?
大学に行かずとも大業を成し遂げた人としてどんな人がいるか?
通い続けることで大学教授に対してどんなデメリットがあるか?
自分にもどんなデメリットがあるか?
●そういった内容について興味の湧いた人は是非とも、以下の電子書籍.ペーパーバックを読んでもらいたいです。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

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