今は、なぜ大学に行かなくていいのでしょうか、その理由は? (加藤秀俊)
こんにちは。
学歴信仰について考えてみましょう。
日本の大学においては、国公立大学の授業料が他の大学に比べて信じれないほど安いのです。
才能を持ちながら貧困という理由で進学できない人物を出さない、というのが日本の縦前なのです。

しかし、それ例外にも深く物事をみると、そういった国立の大学に行けるのは、年収の高い家庭の子女なのです。
幼いころから、家庭教師をつけるなり、高額な学習塾に行かせることで、そういう国公立大学への進学が可能になるのです。
もちろん、そういう家庭に生まれなくとも、そういう大学に行けることはありますが、それは稀なのです。
ゆえに、貧困家庭でも、国公立大学に行けるという表面的な現象だけを見て早急な判断は慎むべきでしょう。
収入の高くない家庭でもがんばれば国公立大学に行けたのは、戦後まもなくの時代だけであり、今の熾烈になった大学進学の時代では難しいのでしょう。
それもまた必然であるという気がします。
今や、学歴も収入によって決まってしまう時代なのでしょうか?

しかし、日本よりももっと収入や家柄によって学歴が決まってしまうのが欧米なのです。
ヨーロッパやアメリカで一流とされる大学は、こんにちでも貧乏人にはほとんど門を閉ざしているのです。
やはり日本以上に学歴信仰が高いのが欧米なのです。
しかし、学歴によって決まってしまう、という思い込みを今一度外す必要がある気がします。
今は、そういった学歴だけで通用する時代ではないのが明白なのです。
急激に変化するいまの時代において、大学受験勉強のような知識の吸収の速さを売り物にした能力だけでなく、良きものに変えていく能力、今何が必要とされているかを察知していく能力が問われている…そんな気がするのです。
ゆえに、以前の知識の吸収能力だけで勝負する時代は終わったのです。
そういった学歴信仰はいまでは意味なし…そう考える人の多い時代になっているのでしょうし、私自身もそんな気がします。
自分で本を買ってそれを学べる時代であり、ネットでもいろんな情報を主体的に学べば、自身をすぐさま啓蒙できる時代なのです。
そしてすぐさま脳力を上げることもできるのです。
昔は本は貴重なもので、明治期や昭和の30年代においては、本があまりなく、大学に行ったら、だれもが写経のように、必死に教授のいうことをノートしていったのです。
ゆえに大学=写経の場、だったのです。

しかし、今や本などは豊富にあり、中古本屋もいっぱいあり、そこで最安の本を買って読んで、勉強するほうがはるかに安上がりだし有意義なのです。
ジョエル.コトキンという人の書いた、『大学にいっても意味はない』という本にそういう趣旨の言葉があり、非常に参考になりました。
興味ある人はその本を読んで見ることをお勧めします。
そして私が敬愛していた故.加藤秀俊氏も、同じ趣旨のことを書いていました。
そこを読んで、やはり、自分の理論は間違っていなかった、ということを実感できたですし、今の現状をみると猶更そんな気がします。
加藤氏が『独学のすすめ』というかなり突っ込んだ勉学についての本を書いたときは、日本は一億総一流国家といわれていた時代だったのです。
日本人の9割が自分は中流と思っていた時代で、しかも、一番資産のある人と一番資産のない人の所得差が世界で一番小さい時代だったのです。
しかも、戦後復興のおかげで、誰もが収入を伸ばしていた時代で、30年間働き続れば誰も年収1000万円もらえる時代だったのです。

そんな時代であれば、親御さんたちも、「ちょっと財布にいたいけれども子供には大学に行かせてあげよう」という気になったんでしょう。
しかし、今や格差社会です。
年収1000万円もらえる世帯は限られているのです。
そんな時代にもかかわらず学費は上がっている。
私の時代よりも30万円くらい高いです。
それを4年間でかけると120万円も高いのです。
そんな時代であれば、大学に子供を行かせるには財布にいたい。
そのためにどうするか?
奨学金を借りるしかないですね。
その奨学金を借りる学生は全体の55%にも及ぶようです。
私の時代は20%にも及ばなかったにもかかわらずです。
それで、大学を卒業したら、その返済が始まるのです。
そんなことでいいのでしょうか?
その見返りがあるのならばともかく、そんな見返りがあるとは思えないです。
大学での講義の内容を書いたノートを今も保管してみていますが、その内容と、自身で買って読んで学んだ内容を比べると、そんな大差ない、いや本で学んだ内容の方がずっと有意義な気がします。

ならば高すぎる大学の授業料を払って、しかも奨学金を借りてまで行く必要があるとは思えないのが実情です。
そのことを今の学生は考えて行動する必要があるでしょう。
私の時代にはなかった「奨学金破産」などという言葉が昨今ではあるようですが、私には信じれなかったです。
奨学金が返せなくて家計が行き詰まり、ヒートオーバーしてしまうことですね、この言葉は。
非常に不愉快な時代に生きているなと感じます。
●以下の電子書籍.ペーパーバックで、なぜ、大学通学を突貫すべきでないのかを、もっと詳らかにしているので興味のある人は読んでみてくださいませ。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
学歴信仰について考えてみましょう。
日本の大学においては、国公立大学の授業料が他の大学に比べて信じれないほど安いのです。
才能を持ちながら貧困という理由で進学できない人物を出さない、というのが日本の縦前なのです。
しかし、それ例外にも深く物事をみると、そういった国立の大学に行けるのは、年収の高い家庭の子女なのです。
幼いころから、家庭教師をつけるなり、高額な学習塾に行かせることで、そういう国公立大学への進学が可能になるのです。
もちろん、そういう家庭に生まれなくとも、そういう大学に行けることはありますが、それは稀なのです。
ゆえに、貧困家庭でも、国公立大学に行けるという表面的な現象だけを見て早急な判断は慎むべきでしょう。
収入の高くない家庭でもがんばれば国公立大学に行けたのは、戦後まもなくの時代だけであり、今の熾烈になった大学進学の時代では難しいのでしょう。
それもまた必然であるという気がします。
今や、学歴も収入によって決まってしまう時代なのでしょうか?
しかし、日本よりももっと収入や家柄によって学歴が決まってしまうのが欧米なのです。
ヨーロッパやアメリカで一流とされる大学は、こんにちでも貧乏人にはほとんど門を閉ざしているのです。
やはり日本以上に学歴信仰が高いのが欧米なのです。
しかし、学歴によって決まってしまう、という思い込みを今一度外す必要がある気がします。
今は、そういった学歴だけで通用する時代ではないのが明白なのです。
急激に変化するいまの時代において、大学受験勉強のような知識の吸収の速さを売り物にした能力だけでなく、良きものに変えていく能力、今何が必要とされているかを察知していく能力が問われている…そんな気がするのです。
ゆえに、以前の知識の吸収能力だけで勝負する時代は終わったのです。
そういった学歴信仰はいまでは意味なし…そう考える人の多い時代になっているのでしょうし、私自身もそんな気がします。
自分で本を買ってそれを学べる時代であり、ネットでもいろんな情報を主体的に学べば、自身をすぐさま啓蒙できる時代なのです。
そしてすぐさま脳力を上げることもできるのです。
昔は本は貴重なもので、明治期や昭和の30年代においては、本があまりなく、大学に行ったら、だれもが写経のように、必死に教授のいうことをノートしていったのです。
ゆえに大学=写経の場、だったのです。
しかし、今や本などは豊富にあり、中古本屋もいっぱいあり、そこで最安の本を買って読んで、勉強するほうがはるかに安上がりだし有意義なのです。
ジョエル.コトキンという人の書いた、『大学にいっても意味はない』という本にそういう趣旨の言葉があり、非常に参考になりました。
興味ある人はその本を読んで見ることをお勧めします。
そして私が敬愛していた故.加藤秀俊氏も、同じ趣旨のことを書いていました。
そこを読んで、やはり、自分の理論は間違っていなかった、ということを実感できたですし、今の現状をみると猶更そんな気がします。
加藤氏が『独学のすすめ』というかなり突っ込んだ勉学についての本を書いたときは、日本は一億総一流国家といわれていた時代だったのです。
日本人の9割が自分は中流と思っていた時代で、しかも、一番資産のある人と一番資産のない人の所得差が世界で一番小さい時代だったのです。
しかも、戦後復興のおかげで、誰もが収入を伸ばしていた時代で、30年間働き続れば誰も年収1000万円もらえる時代だったのです。
そんな時代であれば、親御さんたちも、「ちょっと財布にいたいけれども子供には大学に行かせてあげよう」という気になったんでしょう。
しかし、今や格差社会です。
年収1000万円もらえる世帯は限られているのです。
そんな時代にもかかわらず学費は上がっている。
私の時代よりも30万円くらい高いです。
それを4年間でかけると120万円も高いのです。
そんな時代であれば、大学に子供を行かせるには財布にいたい。
そのためにどうするか?
奨学金を借りるしかないですね。
その奨学金を借りる学生は全体の55%にも及ぶようです。
私の時代は20%にも及ばなかったにもかかわらずです。
それで、大学を卒業したら、その返済が始まるのです。
そんなことでいいのでしょうか?
その見返りがあるのならばともかく、そんな見返りがあるとは思えないです。
大学での講義の内容を書いたノートを今も保管してみていますが、その内容と、自身で買って読んで学んだ内容を比べると、そんな大差ない、いや本で学んだ内容の方がずっと有意義な気がします。
ならば高すぎる大学の授業料を払って、しかも奨学金を借りてまで行く必要があるとは思えないのが実情です。
そのことを今の学生は考えて行動する必要があるでしょう。
私の時代にはなかった「奨学金破産」などという言葉が昨今ではあるようですが、私には信じれなかったです。
奨学金が返せなくて家計が行き詰まり、ヒートオーバーしてしまうことですね、この言葉は。
非常に不愉快な時代に生きているなと感じます。
●以下の電子書籍.ペーパーバックで、なぜ、大学通学を突貫すべきでないのかを、もっと詳らかにしているので興味のある人は読んでみてくださいませ。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

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