大学教授であろうが一般人であろうがアマチュア精神が必要? (加藤秀俊)
こんにちは。
大学および学界への警鐘的なことを今回は書きましょう。
大学に入学して、1年次はいきなり専門科目は履修させてくれません。
法学部生であれば、専門の科目は、法学概論、憲法、民法総則、これくらいでしょう。
その他は一般教養というものがほとんどでした。
社会学、気候学、倫理学、文学、思想、歴史学、心理学…こういったものがほとんどでした。

なぜ法学部に入ったのに、こんな関係ないものばかり習わなくてはいけないんだろう?と思った人もいるでしょう。
それはもっともな疑問です。
しかし、こと法学を学ぶに際しても、いろんな学問を収めないことには、堅実な学にはなりえません。
法学は人間社会の一部であって、それだけ修めても説得力はないです。
社会によって、慣習や風俗は違うわけで、それらを総合してことを論じないことには妥当な道は示せません。
こういった法律が、心理的には妥当なのかどうか、習慣的にどうか…こういったことを交えながら法律を論じなくては説得力はないのです。
ゆえに、いろんな学問を修めたうえで、自身の専門を論じていかなくては説得力のむなしい論述しかできないで終わってしまうのです。
日本は主に西洋からいろんな学問を輸入してきました。

その際に、いろんな分野に分かれた状態で輸入されたゆえに、学問は1つという思想が育たなかったことが弊として挙げられるでしょう。
ゆえに、自分の専門とする学問だけ修めていればいい、という風潮が生まれてしまい、他の分野について知っていることだけ、あるいは他の分野について知っていることが恥というような風潮が1960年代、70年代に風靡したということを明らかにした本を読んだことがあります。
しかし、それは間違いであって、いろんな学問を収めることで自分の学問を昇華させることが出来るのです。
私は法学部生でしたが、民法総則の教授に質問しに行きました。
「これは憲法との関連ではどういう…」と質問したところ、「私の専門は民法だからわからない」と拒絶されてしまいました。
憲法は国の最高法規であり、その関連でその合法性、違法性、妥当性、そしてその国の方向性を決めるべきであり、その際にいろんな法律も兼ね合わせながら論じていかなくてはいけないものなのは言うまでもないのです。
それを私の専門ではないから〜では、すまないでしょう。
他の分野について知らないことがステータスである時代に生きてしまった典型例なのでしょうその教授は。

確かに今はいろんな学問があり、それをすべて把握し、万般にわたり修めるなどというのは不可能を要求しているに等しいわけです。
そんなことを要求するのは野暮ですが、それでも広く修めていかないことには、自分の専門分野も高めることはできないでしょう。
それは大学生自身が味わっていただくほかないでしょう。
民法の教授は、民法だけではなく隣接する法律について知っていてもおかしくはないでしょうし、そうするべきでしょう。
それは、どの分野の学問でも一緒です。
著名な学者はいずれも多分野にわたってことを修めてきたのは言うまでもないのです。
コール−イギリス経済学者、経済閣僚、推理小説家
ガルブレイス−経済学者、人類学の著者、
チャーチル−軍人、政治家、画家
アンドレマルロー−作家、ゲリラ、大臣、パイロット、泥棒(笑)
と何れも多分野にわたって修めてきたのはわかるでしょう。
そういう多面性は何も学者だけではなく一般人でも同様でしょう。
いろんな知識を持っていれば、いろんな場面で通用するし、打開策が見えてくるのです。
お金のやりくり、資産の増やし方、学習の効率的な修め方、植物の発育の効率的なさせ方、人との最高のコミュニケーションの仕方、スポーツでの効率的な成果のあげ方、効率的なダイエット法…人生は多分野にわたっているのです。
それらを日々多面的に修めることによって人生は心豊かになるのではないでしょうか?
いろんなものを多分野にわたって修めるが、どれも専門家といわれるほど奥深く、万般性はない…それについてどう考えるか?
所謂、アマチュアということですね。
それについて私が敬愛していた故.加藤秀俊氏(下写真)は、「そのアマチュア精神でいい」ということですね。

もちろん専門家といわれるほどに奥深く、万般の知識や情報を得られるのであれば、それはそれで結構でしょう。
しかし、一般人は仕事があり、人付き合いがあり、趣味もあり、レジャーもあり、子育てもありといろいろあり、時間がないのは言うまでもないです。
そんな人たちに、学問について専門家顔負けの習得を目指せというのは酷でしょう。
そうではなくいろんな分野にわたって物事を修めることで人生を豊かにすることは間違いないです。
それは加藤秀俊氏の『暮らしの思想』という本で展開されていましたし、その内容には大いに共鳴したのです私は。
しかし、専門家といっても、それに胡坐をかいていては、いずれアマチュアにまけてしまうことは明らかです。
アマチュアでいいとしても、一般人が奥深く広く学んでいきたいというのであれば、それを目指しても全然構わないですし、そうなるべきでしょう。
●そんな理論に共鳴できたかたは、以下の電子書籍.ペーパーバックをお勧めします。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
大学および学界への警鐘的なことを今回は書きましょう。
大学に入学して、1年次はいきなり専門科目は履修させてくれません。
法学部生であれば、専門の科目は、法学概論、憲法、民法総則、これくらいでしょう。
その他は一般教養というものがほとんどでした。
社会学、気候学、倫理学、文学、思想、歴史学、心理学…こういったものがほとんどでした。
なぜ法学部に入ったのに、こんな関係ないものばかり習わなくてはいけないんだろう?と思った人もいるでしょう。
それはもっともな疑問です。
しかし、こと法学を学ぶに際しても、いろんな学問を収めないことには、堅実な学にはなりえません。
法学は人間社会の一部であって、それだけ修めても説得力はないです。
社会によって、慣習や風俗は違うわけで、それらを総合してことを論じないことには妥当な道は示せません。
こういった法律が、心理的には妥当なのかどうか、習慣的にどうか…こういったことを交えながら法律を論じなくては説得力はないのです。
ゆえに、いろんな学問を修めたうえで、自身の専門を論じていかなくては説得力のむなしい論述しかできないで終わってしまうのです。
日本は主に西洋からいろんな学問を輸入してきました。
その際に、いろんな分野に分かれた状態で輸入されたゆえに、学問は1つという思想が育たなかったことが弊として挙げられるでしょう。
ゆえに、自分の専門とする学問だけ修めていればいい、という風潮が生まれてしまい、他の分野について知っていることだけ、あるいは他の分野について知っていることが恥というような風潮が1960年代、70年代に風靡したということを明らかにした本を読んだことがあります。
しかし、それは間違いであって、いろんな学問を収めることで自分の学問を昇華させることが出来るのです。
私は法学部生でしたが、民法総則の教授に質問しに行きました。
「これは憲法との関連ではどういう…」と質問したところ、「私の専門は民法だからわからない」と拒絶されてしまいました。
憲法は国の最高法規であり、その関連でその合法性、違法性、妥当性、そしてその国の方向性を決めるべきであり、その際にいろんな法律も兼ね合わせながら論じていかなくてはいけないものなのは言うまでもないのです。
それを私の専門ではないから〜では、すまないでしょう。
他の分野について知らないことがステータスである時代に生きてしまった典型例なのでしょうその教授は。
確かに今はいろんな学問があり、それをすべて把握し、万般にわたり修めるなどというのは不可能を要求しているに等しいわけです。
そんなことを要求するのは野暮ですが、それでも広く修めていかないことには、自分の専門分野も高めることはできないでしょう。
それは大学生自身が味わっていただくほかないでしょう。
民法の教授は、民法だけではなく隣接する法律について知っていてもおかしくはないでしょうし、そうするべきでしょう。
それは、どの分野の学問でも一緒です。
著名な学者はいずれも多分野にわたってことを修めてきたのは言うまでもないのです。
コール−イギリス経済学者、経済閣僚、推理小説家
ガルブレイス−経済学者、人類学の著者、
チャーチル−軍人、政治家、画家
アンドレマルロー−作家、ゲリラ、大臣、パイロット、泥棒(笑)
と何れも多分野にわたって修めてきたのはわかるでしょう。
そういう多面性は何も学者だけではなく一般人でも同様でしょう。
いろんな知識を持っていれば、いろんな場面で通用するし、打開策が見えてくるのです。
お金のやりくり、資産の増やし方、学習の効率的な修め方、植物の発育の効率的なさせ方、人との最高のコミュニケーションの仕方、スポーツでの効率的な成果のあげ方、効率的なダイエット法…人生は多分野にわたっているのです。
それらを日々多面的に修めることによって人生は心豊かになるのではないでしょうか?
いろんなものを多分野にわたって修めるが、どれも専門家といわれるほど奥深く、万般性はない…それについてどう考えるか?
所謂、アマチュアということですね。
それについて私が敬愛していた故.加藤秀俊氏(下写真)は、「そのアマチュア精神でいい」ということですね。
もちろん専門家といわれるほどに奥深く、万般の知識や情報を得られるのであれば、それはそれで結構でしょう。
しかし、一般人は仕事があり、人付き合いがあり、趣味もあり、レジャーもあり、子育てもありといろいろあり、時間がないのは言うまでもないです。
そんな人たちに、学問について専門家顔負けの習得を目指せというのは酷でしょう。
そうではなくいろんな分野にわたって物事を修めることで人生を豊かにすることは間違いないです。
それは加藤秀俊氏の『暮らしの思想』という本で展開されていましたし、その内容には大いに共鳴したのです私は。
しかし、専門家といっても、それに胡坐をかいていては、いずれアマチュアにまけてしまうことは明らかです。
アマチュアでいいとしても、一般人が奥深く広く学んでいきたいというのであれば、それを目指しても全然構わないですし、そうなるべきでしょう。
●そんな理論に共鳴できたかたは、以下の電子書籍.ペーパーバックをお勧めします。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
コメントを書く... Comments