知的好奇心が次々に分派していく人こそが学問に向いている? (加藤秀俊)
こんにちは。
大学教授や著作家で、よくあるいけない例ということで、祖述だけの文章や引用ばかりの文章を書く人の例をあげました。
こういう人は、学問の何たるかがわかっていないのでしょう。
確かに情報収集はしているのでしょうが、それだけでなく、読んだ人の立場になって書けば、そういう論文は面白みがなく、読みづらくなってしまう、ということを理解できていないのでしょう。
読者の立場に立つ…やはり経験してくのが大事、ということです。
一度でもそういう文章に出くわしたら、そういう文章は自分は書くまい、と思うのが必然な気がするのですが。

そして今回は、自分の専門に閉じこもってしまうという例を挙げましょう。
専門に閉じこもる、ということは自分の専門にだけ夢中になってしまい、さらなる背景や理論についてのあくなき好奇心が欠けているということです。
私としては、1つの学問の本を読んだら、好奇心は多岐化していくのですが、他の人たちはそうなっていなかったですね。
そのことを学生時代に経験しました。
試しに知らない著作家の本を1冊読んでみる。すると面白い。そして、その著者の他の本で読んでみたいのを、背表紙を見てリストアップして、ワードに書き溜めておきます。
学生時代、私はパソコン音痴だったのでひたすら紙に書いていましたが(笑)。
そして、いまはそのリストを機会があったら本屋やネットで注文して買って読みます。
そして、その人と共著として出している人の本をもリストアップして本屋やネットで注文して買って読む。
それらの本の出版会社の総合目録をその出版社に取り寄せ願いのハガキを書いて投函します。
その総合目録が家に到着したら、そこにリストされている本をくまなくリストアップして機が熟したら注文し、来たら読む。
このように多岐化してしまいます。
宗教においても同じです。
富士門流(日蓮正宗、創価学会、顕正会)で唱えられている自我偈は、天台宗由来なのをある時、発見しました。

それは日蓮が生前に、天台宗の園城寺に行って天台宗を学び、そこで自我偈の必要性を認識し、自分の宗教を立宗するときに、それを取り入れたからです。
そして、曹洞宗の開祖である道元も、園城寺で天台宗を学び、そこで自我偈を気に入り、立宗の際に自我偈を取り入れました。
今、富士門流の中でも、そして日本の宗教の中でも傑出して信者数が多いのが創価学会です。
だが、その日蓮が必要性を唱えた自我偈は天台宗由来であることに驚きを隠せないでしょう。
私も驚きました。
親戚がなくなったときに、天台宗のお寺で葬式が行われて、その時に僧侶が経を読んでいた時、まん中の地点で、いきなり自我偈を唱え始めたのだから驚きを隠せなかったのです。
これはなぜなのかを知りたくて、色々調べていくうちに、この事実がわかったのでした。
信じれない人は、天台宗、日蓮正宗、曹洞宗の経本を取り寄せて見ているのがいいでしょう。
どの経本にも自我偈が入っているのです。

この事実を知った時に、興味関心がわいたのは、日蓮ではなく、日蓮が取り入れる気にさせた天台宗の偉大さであり、その教祖である最澄でした。
そして、同時代に活躍した真言宗の教祖である空海にもです。
そして、鎌倉時代以降、日蓮正宗および日蓮宗は、隆盛を極めましたが、その後、それらの宗教組織の退廃はまぬかれなかったのは、その手の歴史書を読めばわかります。
その時に反旗を翻して、日蓮の教えを道徳心をもって再興しようとしたのが本門仏立宗です。
この本門仏立宗にも興味があって調べたくなって、その内実を知るためにそれについて書いてある本も読みたくなる。
同じような、道筋をたどってきたのは浄土真宗も一緒なのです。
それをただ単に批判するのではなく、その内実を探求しながら、自分の人生に生かすために、その再興劇を知るのに最高なのは、やはり浄土真宗再興の父とうたわれた蓮如について書かれた本でしょう。
その蓮如についてもその半生を知りたくなり、それについて書いてある別の本も読みたくなります。
そして、親鸞を深く調べていくと、キリスト教からの影響があるという興味深い事実をある時知りました。
その内実を知りたくなって、それについて書いてある本を取り寄せて読むのです。
そして、聖徳太子の伝記を読むと、太子の死後3日経った後に蘇ったということが書いてある。

この内容を読むとキリストの復活劇と同じなのがわかる。
やはり、キリスト教からの影響が、聖徳太子が存命中だった当時の飛鳥時代にも存在していたのがわかり興味深くなるのです。
飛鳥時代といわれると、どうもアジア的な色彩の強い風景が浮かび上がってきますが、どうもそれは日本の教育によって違うイメージになってしまったのです。
当時から西洋的なものはそこかしこに反映されていたのがわかる。
その内実について探求していきたくなり、その手の本を10冊くらい読みたくなり、目録やネットで検索をかけてリストアップしていくのです。
このように、好奇心だけは芋づる式に分派していくようです私の場合。
こういうように好奇心が芋づる式に分派していく人は、学問を修めていて幸せでしょう。
そういう人は、次々に書きたい意識が出てきて、どんどん本を書いて出すのです。
そういう人は、決して宗教で言われていることだけに固執するわけではないので、決して1つの宗教に拘ることもないでしょう。

いろんな媒体から必須の事柄や情報を得て、それを自分の糧にしていけるので、宗教だけに救いを求めることはないのです。
そういう人も確かにある宗教に入っている場合がありますが、それでも急進的にはならないのが常です。
私は、これまでいろんな宗教の講義に参加したり、その本を読ませてもらいましたが、「この宗教に入りたい!」「この宗教の素晴らしさを人に伝えたい!」と思ったことは一度もないですね(笑)。
これから先も、そういう気概になることはないでしょう。
私が敬愛していた故.加藤秀俊氏(下写真)もそういうスタンスでした。

その宗教の良さや意義は認めるけれども、それにだけにはこだわらない、ということです。
本やその他の媒体によって意義が習得できるのですから。
宗教ではその教祖の偉大さが喧伝されます。
創価学会ならば日蓮、曹洞宗なら道元、浄土真宗ならば親鸞といった具合に。
しかし、創価学会や曹洞宗…これらの宗教を生むきっかけになった天台宗やその宗祖がいたからこそ、それらの宗教の現在があるわけです。
そして、浄土真宗なら、その宗教の興隆の礎を築いたのちの世代の長=蓮如にも依っているのです。
そして、こういった仏教全般を創始したのは釈迦ですから、その偉大さにも注目しないわけにはいかないでしょう。
こういうモラルゆえに、私はどうしても1人の宗祖にだけ依拠することはできないわけです。
こういう脳内の意識の分派が自然とできていく人は学業を修めるうえで幸せでしょう。
そのことは、自分自身、非常に楽しいからこそ言っているのです。
そういう気分になれない人は、おそらく学問を修めてもつまらないでしょうし、学問を教授する立場になるべきではないでしょう。
そういう人はどうするべきかを認識して、行動に移すべきでしょう。
●そんなスタンスに興味ある人におすすめなのは以下の電子書籍.ペーパーバックになります。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
リンク1
リンク2
大学教授や著作家で、よくあるいけない例ということで、祖述だけの文章や引用ばかりの文章を書く人の例をあげました。
こういう人は、学問の何たるかがわかっていないのでしょう。
確かに情報収集はしているのでしょうが、それだけでなく、読んだ人の立場になって書けば、そういう論文は面白みがなく、読みづらくなってしまう、ということを理解できていないのでしょう。
読者の立場に立つ…やはり経験してくのが大事、ということです。
一度でもそういう文章に出くわしたら、そういう文章は自分は書くまい、と思うのが必然な気がするのですが。
そして今回は、自分の専門に閉じこもってしまうという例を挙げましょう。
専門に閉じこもる、ということは自分の専門にだけ夢中になってしまい、さらなる背景や理論についてのあくなき好奇心が欠けているということです。
私としては、1つの学問の本を読んだら、好奇心は多岐化していくのですが、他の人たちはそうなっていなかったですね。
そのことを学生時代に経験しました。
試しに知らない著作家の本を1冊読んでみる。すると面白い。そして、その著者の他の本で読んでみたいのを、背表紙を見てリストアップして、ワードに書き溜めておきます。
学生時代、私はパソコン音痴だったのでひたすら紙に書いていましたが(笑)。
そして、いまはそのリストを機会があったら本屋やネットで注文して買って読みます。
そして、その人と共著として出している人の本をもリストアップして本屋やネットで注文して買って読む。
それらの本の出版会社の総合目録をその出版社に取り寄せ願いのハガキを書いて投函します。
その総合目録が家に到着したら、そこにリストされている本をくまなくリストアップして機が熟したら注文し、来たら読む。
このように多岐化してしまいます。
宗教においても同じです。
富士門流(日蓮正宗、創価学会、顕正会)で唱えられている自我偈は、天台宗由来なのをある時、発見しました。

それは日蓮が生前に、天台宗の園城寺に行って天台宗を学び、そこで自我偈の必要性を認識し、自分の宗教を立宗するときに、それを取り入れたからです。
そして、曹洞宗の開祖である道元も、園城寺で天台宗を学び、そこで自我偈を気に入り、立宗の際に自我偈を取り入れました。
今、富士門流の中でも、そして日本の宗教の中でも傑出して信者数が多いのが創価学会です。
だが、その日蓮が必要性を唱えた自我偈は天台宗由来であることに驚きを隠せないでしょう。
私も驚きました。
親戚がなくなったときに、天台宗のお寺で葬式が行われて、その時に僧侶が経を読んでいた時、まん中の地点で、いきなり自我偈を唱え始めたのだから驚きを隠せなかったのです。
これはなぜなのかを知りたくて、色々調べていくうちに、この事実がわかったのでした。
信じれない人は、天台宗、日蓮正宗、曹洞宗の経本を取り寄せて見ているのがいいでしょう。
どの経本にも自我偈が入っているのです。

この事実を知った時に、興味関心がわいたのは、日蓮ではなく、日蓮が取り入れる気にさせた天台宗の偉大さであり、その教祖である最澄でした。
そして、同時代に活躍した真言宗の教祖である空海にもです。
そして、鎌倉時代以降、日蓮正宗および日蓮宗は、隆盛を極めましたが、その後、それらの宗教組織の退廃はまぬかれなかったのは、その手の歴史書を読めばわかります。
その時に反旗を翻して、日蓮の教えを道徳心をもって再興しようとしたのが本門仏立宗です。
この本門仏立宗にも興味があって調べたくなって、その内実を知るためにそれについて書いてある本も読みたくなる。
同じような、道筋をたどってきたのは浄土真宗も一緒なのです。
それをただ単に批判するのではなく、その内実を探求しながら、自分の人生に生かすために、その再興劇を知るのに最高なのは、やはり浄土真宗再興の父とうたわれた蓮如について書かれた本でしょう。
その蓮如についてもその半生を知りたくなり、それについて書いてある別の本も読みたくなります。
そして、親鸞を深く調べていくと、キリスト教からの影響があるという興味深い事実をある時知りました。
その内実を知りたくなって、それについて書いてある本を取り寄せて読むのです。
そして、聖徳太子の伝記を読むと、太子の死後3日経った後に蘇ったということが書いてある。

この内容を読むとキリストの復活劇と同じなのがわかる。
やはり、キリスト教からの影響が、聖徳太子が存命中だった当時の飛鳥時代にも存在していたのがわかり興味深くなるのです。
飛鳥時代といわれると、どうもアジア的な色彩の強い風景が浮かび上がってきますが、どうもそれは日本の教育によって違うイメージになってしまったのです。
当時から西洋的なものはそこかしこに反映されていたのがわかる。
その内実について探求していきたくなり、その手の本を10冊くらい読みたくなり、目録やネットで検索をかけてリストアップしていくのです。
このように、好奇心だけは芋づる式に分派していくようです私の場合。
こういうように好奇心が芋づる式に分派していく人は、学問を修めていて幸せでしょう。
そういう人は、次々に書きたい意識が出てきて、どんどん本を書いて出すのです。
そういう人は、決して宗教で言われていることだけに固執するわけではないので、決して1つの宗教に拘ることもないでしょう。

いろんな媒体から必須の事柄や情報を得て、それを自分の糧にしていけるので、宗教だけに救いを求めることはないのです。
そういう人も確かにある宗教に入っている場合がありますが、それでも急進的にはならないのが常です。
私は、これまでいろんな宗教の講義に参加したり、その本を読ませてもらいましたが、「この宗教に入りたい!」「この宗教の素晴らしさを人に伝えたい!」と思ったことは一度もないですね(笑)。
これから先も、そういう気概になることはないでしょう。
私が敬愛していた故.加藤秀俊氏(下写真)もそういうスタンスでした。
その宗教の良さや意義は認めるけれども、それにだけにはこだわらない、ということです。
本やその他の媒体によって意義が習得できるのですから。
宗教ではその教祖の偉大さが喧伝されます。
創価学会ならば日蓮、曹洞宗なら道元、浄土真宗ならば親鸞といった具合に。
しかし、創価学会や曹洞宗…これらの宗教を生むきっかけになった天台宗やその宗祖がいたからこそ、それらの宗教の現在があるわけです。
そして、浄土真宗なら、その宗教の興隆の礎を築いたのちの世代の長=蓮如にも依っているのです。
そして、こういった仏教全般を創始したのは釈迦ですから、その偉大さにも注目しないわけにはいかないでしょう。
こういうモラルゆえに、私はどうしても1人の宗祖にだけ依拠することはできないわけです。
こういう脳内の意識の分派が自然とできていく人は学業を修めるうえで幸せでしょう。
そのことは、自分自身、非常に楽しいからこそ言っているのです。
そういう気分になれない人は、おそらく学問を修めてもつまらないでしょうし、学問を教授する立場になるべきではないでしょう。
そういう人はどうするべきかを認識して、行動に移すべきでしょう。
●そんなスタンスに興味ある人におすすめなのは以下の電子書籍.ペーパーバックになります。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

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