単なる学者と知識人との違いとは? (加藤秀俊)
こんにちは。
私の手元には、『文化講演会2』という本があります。
これは愛媛県の公民館で行われた講演を収録したもので、その講演の1つに加藤秀俊氏のものが収められているのです。
加藤氏は、ラジオのNHKのラジオパーソナリティとして呼ばれたこともあり、その講義内容が本になったこともあります。
そして、海外の大学での講演にも呼ばれたこともあります。
また書下ろし本を出版社から依頼されて本を出したこともあります。
こういうことを頻繁に依頼される大学教授がどれだけいるでしょうか?
大学教授時代は主に京都に居を固定していたようで、そこから愛媛は結構遠いです。
よくここまで講演に呼ばれたなと思うのです。
しかも、海外からも呼ばれるとはと、感嘆するばかりで、こういうことが可能な人がどれだけいるだろうか?と訝し気に思うのですね。
いろんな学問、社会学、経済学、文学、経営学といったように修めているのみならず、それぞれの分野でそれなりの一家言がある人にこそ、講演を依頼する側からすれば、選択肢は増えるわけで、加藤氏は、選択肢が多いのみならず、それなりの一家言がそれぞれの分野にあったのが明白でした。
加藤氏の本を1冊でも読めば、それはわかります。
巷では、学者と知識人は、同じようなニュアンスで使われがちですが、加藤氏(下写真)からすれば違うのです。

学者と知識人の違いとは。
それは学者とは、自分の専門にだけ関心があり、その領域についてはいっぱい物事を知っているが、ひとたび他の領域について聞かれるとすぐさま黙ってしまう。
それのみか、まるで関心を持とうとせずに、つまらなそうな顔をしている。
しかし、知識人とは、いろんな領域について広い関心があり、常にいろんな領域について本を読み調べて広い知識の中にいることに幸せを感じている人のこと、と定義しているのです。
やはりそういうモラルでいると、その同じモラルでいる人が類友よろしく同じ対談に参加したり、共著本を出したりと積極的に知的活動に邁進するのでしょう。
そういう本を含めて、加藤氏は27歳のデビュー作から逝去するまで実に100冊以上もの本を出しているのです。
その対談集や共著本を出した盟友たちも、同じように多数の本を出していたのです。
共著本の相手が1冊とか2冊くらいというのはあり得ないです(笑)
学者に求める姿勢とは、どういうものかを考えると、常日頃からいろんな領域に関心を寄せて知的行動に毎日邁進するということですね。
そういう活動の中で、自分の専門の事柄について高尚なものに昇華させる結果になる理論や知識が発見できるものなのです。

逆に、自分の領域以外に関心を寄せないでいると、新しい発見もなければ、自分の領域を高次にならせることも出来ないことは明白です。
大学教授を目指した人ならば、当初は、いろんな領域に通じた学者に憧れていたのでしょうが、いつしかその憧れの心を失ってしまったのでしょう。
大学者たるもの何十冊も、これまで本を出してきたのですから、それに倣うように、本を出すぞと意気込んで研究に邁進するのだろうと思うのですが実際は、その意気を失っているのです。
確かに、大学での講義やゼミ、大学から課される研究課題論文、教授会への出席等いろんな義務はあるでしょう。
しかし、それ以外にも時間はいっぱいあるはずです。
1日に8時間の労働が一般人には課されているのです。
それと同等の時間を日々の研究に課し、その他自分の中で問題意識があるのであれば、それ以上を課すようでなければ学者として並かそれ以下で終わってしまうでしょう。
しかし残念ながら、大学教授で、そういう学生時代に抱いていた大学者へのあこがれはいつしか消沈しているのです。
やはり誰も自分を律してくれないまま、あるいは毎年同じ講義ノートを読んで、説明しているだけで、高い給料をもらえるからですね。
私の大学時代のゼミの教授は、いま推定2000万円くらいもらっているでしょう年間で。
それで今、自分を鼓舞して本を出せ、といわれても出す気は起きないでしょう。
それまでにその教授が出した本はたったの1冊でした…マックス.ウェーバー(下写真)に憧れていたんじゃないの?と訝し気に思いました(苦笑)。

その教授は大学生時代にマックス.ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んで感動し、ウェーバーに憧れて大学の教授を目指した、と語っていたのですが、この冊数とは…と落胆してしまいました。
その教授はいま齢70。
この年で本を出すのは不可能でしょう。
こういう状態−大学者に憧れて学業を志すもいつしかその情熱を失ってしまう、という状態の打破は、単なる学者ではなく知識人を目指す、その本質をもう一回回顧することにもあると思います。
その他、打破の方法はいくらでもありますが、
そういった学業に対する情熱を、享年まで維持し続けた加藤秀俊はまごうことなく知識人でした。
その偉業はいつまでも語り継がれる必要があるのでしょう。
●そんな加藤氏に興味のわいた人におすすめなのが以下の電子書籍.ペーパーバックになります。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
リンク1
リンク2
私の手元には、『文化講演会2』という本があります。
これは愛媛県の公民館で行われた講演を収録したもので、その講演の1つに加藤秀俊氏のものが収められているのです。
加藤氏は、ラジオのNHKのラジオパーソナリティとして呼ばれたこともあり、その講義内容が本になったこともあります。
そして、海外の大学での講演にも呼ばれたこともあります。
また書下ろし本を出版社から依頼されて本を出したこともあります。
こういうことを頻繁に依頼される大学教授がどれだけいるでしょうか?
大学教授時代は主に京都に居を固定していたようで、そこから愛媛は結構遠いです。
よくここまで講演に呼ばれたなと思うのです。
しかも、海外からも呼ばれるとはと、感嘆するばかりで、こういうことが可能な人がどれだけいるだろうか?と訝し気に思うのですね。
いろんな学問、社会学、経済学、文学、経営学といったように修めているのみならず、それぞれの分野でそれなりの一家言がある人にこそ、講演を依頼する側からすれば、選択肢は増えるわけで、加藤氏は、選択肢が多いのみならず、それなりの一家言がそれぞれの分野にあったのが明白でした。
加藤氏の本を1冊でも読めば、それはわかります。
巷では、学者と知識人は、同じようなニュアンスで使われがちですが、加藤氏(下写真)からすれば違うのです。
学者と知識人の違いとは。
それは学者とは、自分の専門にだけ関心があり、その領域についてはいっぱい物事を知っているが、ひとたび他の領域について聞かれるとすぐさま黙ってしまう。
それのみか、まるで関心を持とうとせずに、つまらなそうな顔をしている。
しかし、知識人とは、いろんな領域について広い関心があり、常にいろんな領域について本を読み調べて広い知識の中にいることに幸せを感じている人のこと、と定義しているのです。
やはりそういうモラルでいると、その同じモラルでいる人が類友よろしく同じ対談に参加したり、共著本を出したりと積極的に知的活動に邁進するのでしょう。
そういう本を含めて、加藤氏は27歳のデビュー作から逝去するまで実に100冊以上もの本を出しているのです。
その対談集や共著本を出した盟友たちも、同じように多数の本を出していたのです。
共著本の相手が1冊とか2冊くらいというのはあり得ないです(笑)
学者に求める姿勢とは、どういうものかを考えると、常日頃からいろんな領域に関心を寄せて知的行動に毎日邁進するということですね。
そういう活動の中で、自分の専門の事柄について高尚なものに昇華させる結果になる理論や知識が発見できるものなのです。
逆に、自分の領域以外に関心を寄せないでいると、新しい発見もなければ、自分の領域を高次にならせることも出来ないことは明白です。
大学教授を目指した人ならば、当初は、いろんな領域に通じた学者に憧れていたのでしょうが、いつしかその憧れの心を失ってしまったのでしょう。
大学者たるもの何十冊も、これまで本を出してきたのですから、それに倣うように、本を出すぞと意気込んで研究に邁進するのだろうと思うのですが実際は、その意気を失っているのです。
確かに、大学での講義やゼミ、大学から課される研究課題論文、教授会への出席等いろんな義務はあるでしょう。
しかし、それ以外にも時間はいっぱいあるはずです。
1日に8時間の労働が一般人には課されているのです。
それと同等の時間を日々の研究に課し、その他自分の中で問題意識があるのであれば、それ以上を課すようでなければ学者として並かそれ以下で終わってしまうでしょう。
しかし残念ながら、大学教授で、そういう学生時代に抱いていた大学者へのあこがれはいつしか消沈しているのです。
やはり誰も自分を律してくれないまま、あるいは毎年同じ講義ノートを読んで、説明しているだけで、高い給料をもらえるからですね。
私の大学時代のゼミの教授は、いま推定2000万円くらいもらっているでしょう年間で。
それで今、自分を鼓舞して本を出せ、といわれても出す気は起きないでしょう。
それまでにその教授が出した本はたったの1冊でした…マックス.ウェーバー(下写真)に憧れていたんじゃないの?と訝し気に思いました(苦笑)。
その教授は大学生時代にマックス.ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んで感動し、ウェーバーに憧れて大学の教授を目指した、と語っていたのですが、この冊数とは…と落胆してしまいました。
その教授はいま齢70。
この年で本を出すのは不可能でしょう。
こういう状態−大学者に憧れて学業を志すもいつしかその情熱を失ってしまう、という状態の打破は、単なる学者ではなく知識人を目指す、その本質をもう一回回顧することにもあると思います。
その他、打破の方法はいくらでもありますが、
そういった学業に対する情熱を、享年まで維持し続けた加藤秀俊はまごうことなく知識人でした。
その偉業はいつまでも語り継がれる必要があるのでしょう。
●そんな加藤氏に興味のわいた人におすすめなのが以下の電子書籍.ペーパーバックになります。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
リンク1
リンク2
コメントを書く... Comments