いつまでも蔵書にしまっておきたくなる学者の本はどういう性質か? (加藤秀俊)
こんにちは。
私は日々、いろんな本を読んで、いろんな事物に興味が向くまま、いろんなことを学んでいます。
そこで今、一番興味が向いているのは、宗教ですね。
大学に在学中に学んだのは、日本人は国民のうち85%が無宗教である、ということでしたが、それは無神論というわけではないようですね。
無神論とは神や仏の存在をも信じないという立場の人のことですね。
やはりそれなりに、日本人は神や仏の存在を信じているようですね。
そういう日本人の宗教ですが、いろんな宗教を学ぶうちに、それぞれの宗教はそれなりに学ぶところはあるのがわかりました。
やはり、どれも一長一短の気がします。
ゆえに、どの宗教にも与しない、=入信しないというのが私の立場ですね。

いろんな宗教の講演を聞きに行ったり、そこの冊子を読んだりしましたが、それなりにいい面はあるものの、それだけで人生を心豊かに暮らせるわけではない、というのが本音です。
やはり、その他の部分については、本を読んだり、他の宗教からも学ぶ必要があるということです。
これではどっちつかずの印象を与えるでしょうが、それが事実です。
自分の心を偽って、この宗教しかない、とは言えないのです。
いろんな宗教を見てきて、遺憾だったのは、どの宗教も補正しなくてはいけない部分があるにもかかわらず、それをしないままにしている。
当然でしょう。
宗教は古代から続くものが多いゆえに、その時代の宗祖の言ったことをそのまま順守してしまう傾向があるのですが、そのままでいいはずは、ないです。
それは、どの宗教も同じようです。

しかし、時代が降って、どの宗教においても、科学の発達によって、それに縋らなくても解決できる部分も多く出てきたわけなゆえに、そのままその宗祖の言ったことを順守する必要はないのです。
しかし、その宗教では、その文言を変えないでいるのです。
これでは市民生活に支障が出てしまいます。
そうならないように、自分の脳内で考えて、補正しなくてはならない部分については補正しなくてはいけないですし、付け加えなくてはいけない部分については、付け加えなくてはならないでしょう。
そうしてアレンジして、行動した結果、自分に来た結果については、自分で責任を持つ。
いいことが起きたら、そのまま自分を褒めたらいいでしょう。
私は、そういう知的な作業が好きなゆえに、私はどの宗教にも与しない、としているのです。
私は音楽を聴きますが、どんな好きなアーティストでも、どのアルバムも全部いいかというとそんなことはないのです。
いくらファンでも全部を傑作視しない。
それと一緒なのです。
ただし、神仏の存在は信じていますし、それによって得れている恩恵については感謝の気持ちを忘れないでいたいと思います。
どんな科学が発達しても、人間が地球を作ることも出きないですし、動物などの生物を作ることもかなわないのです。
地震も止めることも出きなければ、津波を止めることもできないのです。
私たちが生活できるのはひとえに、神や仏の存在故と信じているからです。

だから、エコ的な生活はいつも維持し、人との良きコミュニケートも忘れずにしています。
こういうスタンスゆえに、どの宗教にも一途にはならないのみならず、1人の学者だけにも縋らないということです。
やはり、ぞっこんになってしまう学者はいますが、他の学者の本も読みたいですし、他の学者から学ぶものも大いにあるからですね。
何人の学者の本を読んできたかは自分でもわかりませんが、やはりどの学者からも学ぶ箇所はあるのです。
それゆえに、この学者だけでいい、などという暴論は吐くことが出来ないのです。
ただし、そういう存在に限りなく近い人はいるものです。
その人の本が出版されたら、必ず買い、読了しても、売らずに保管してしまう。
中古本屋に売ってしまったパターンもあるけれども、限りなく0冊に近い。
ヒントに迷ったときには、その人の本を取り出して読んで、打開策を見つけようとしてしまう。
そういう人って、やはり、いろんな多分野にわたって学問を修めてきた来た人ですよね?
そういう人の本は、いつまでも読んでみたくなるわけですし、ヒントを得るために紐解いてしまいますよね?

そんな思いにさせてしまう人は、私にとっては加藤秀俊ですね。
この人は故人ですが、今も私の大事な蔵書の中にいろんなその人の本が幾冊も入っています。
こういう人は稀です。
●そんな加藤秀俊氏に興味が出た人におすすめなのは、以下の電子書籍.ペーパーバックになります。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
リンク1
リンク2
私は日々、いろんな本を読んで、いろんな事物に興味が向くまま、いろんなことを学んでいます。
そこで今、一番興味が向いているのは、宗教ですね。
大学に在学中に学んだのは、日本人は国民のうち85%が無宗教である、ということでしたが、それは無神論というわけではないようですね。
無神論とは神や仏の存在をも信じないという立場の人のことですね。
やはりそれなりに、日本人は神や仏の存在を信じているようですね。
そういう日本人の宗教ですが、いろんな宗教を学ぶうちに、それぞれの宗教はそれなりに学ぶところはあるのがわかりました。
やはり、どれも一長一短の気がします。
ゆえに、どの宗教にも与しない、=入信しないというのが私の立場ですね。
いろんな宗教の講演を聞きに行ったり、そこの冊子を読んだりしましたが、それなりにいい面はあるものの、それだけで人生を心豊かに暮らせるわけではない、というのが本音です。
やはり、その他の部分については、本を読んだり、他の宗教からも学ぶ必要があるということです。
これではどっちつかずの印象を与えるでしょうが、それが事実です。
自分の心を偽って、この宗教しかない、とは言えないのです。
いろんな宗教を見てきて、遺憾だったのは、どの宗教も補正しなくてはいけない部分があるにもかかわらず、それをしないままにしている。
当然でしょう。
宗教は古代から続くものが多いゆえに、その時代の宗祖の言ったことをそのまま順守してしまう傾向があるのですが、そのままでいいはずは、ないです。
それは、どの宗教も同じようです。
しかし、時代が降って、どの宗教においても、科学の発達によって、それに縋らなくても解決できる部分も多く出てきたわけなゆえに、そのままその宗祖の言ったことを順守する必要はないのです。
しかし、その宗教では、その文言を変えないでいるのです。
これでは市民生活に支障が出てしまいます。
そうならないように、自分の脳内で考えて、補正しなくてはならない部分については補正しなくてはいけないですし、付け加えなくてはいけない部分については、付け加えなくてはならないでしょう。
そうしてアレンジして、行動した結果、自分に来た結果については、自分で責任を持つ。
いいことが起きたら、そのまま自分を褒めたらいいでしょう。
私は、そういう知的な作業が好きなゆえに、私はどの宗教にも与しない、としているのです。
私は音楽を聴きますが、どんな好きなアーティストでも、どのアルバムも全部いいかというとそんなことはないのです。
いくらファンでも全部を傑作視しない。
それと一緒なのです。
ただし、神仏の存在は信じていますし、それによって得れている恩恵については感謝の気持ちを忘れないでいたいと思います。
どんな科学が発達しても、人間が地球を作ることも出きないですし、動物などの生物を作ることもかなわないのです。
地震も止めることも出きなければ、津波を止めることもできないのです。
私たちが生活できるのはひとえに、神や仏の存在故と信じているからです。
だから、エコ的な生活はいつも維持し、人との良きコミュニケートも忘れずにしています。
こういうスタンスゆえに、どの宗教にも一途にはならないのみならず、1人の学者だけにも縋らないということです。
やはり、ぞっこんになってしまう学者はいますが、他の学者の本も読みたいですし、他の学者から学ぶものも大いにあるからですね。
何人の学者の本を読んできたかは自分でもわかりませんが、やはりどの学者からも学ぶ箇所はあるのです。
それゆえに、この学者だけでいい、などという暴論は吐くことが出来ないのです。
ただし、そういう存在に限りなく近い人はいるものです。
その人の本が出版されたら、必ず買い、読了しても、売らずに保管してしまう。
中古本屋に売ってしまったパターンもあるけれども、限りなく0冊に近い。
ヒントに迷ったときには、その人の本を取り出して読んで、打開策を見つけようとしてしまう。
そういう人って、やはり、いろんな多分野にわたって学問を修めてきた来た人ですよね?
そういう人の本は、いつまでも読んでみたくなるわけですし、ヒントを得るために紐解いてしまいますよね?
そんな思いにさせてしまう人は、私にとっては加藤秀俊ですね。
この人は故人ですが、今も私の大事な蔵書の中にいろんなその人の本が幾冊も入っています。
こういう人は稀です。
●そんな加藤秀俊氏に興味が出た人におすすめなのは、以下の電子書籍.ペーパーバックになります。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

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