文字嫌いでも著作家は務まる?例外的ですが務まります。しかし、大学教授とフリーランス著作家は性質が違うから注意です! (加藤秀俊)
こんにちは。
大学教授や著作家という人たちは、毎日文字に接していなくてはつとまらないから文字好き、という風に考えられがちですが、実際はどうなのでしょうか?
それはケースバイケ−スということでしょう。
著作家として大成するには、いろんな本を随時出していくこと。
その内容も毎回成長していくこと。
同じ内容で満足していないこと。
こういう要素がないことには大成することは出来ないでしょう。
そういう要素があるのであれば、文字嫌いでも務まるでしょう。
私が敬愛しているロバート.キヨサキ(下写真)は『金持ち父さん』シリーズで何作も本を出していますが本人に言わせると、本人は文字嫌いで、中学校時代に国語の単位を2回落としていたというのです。
それでも、毎日、読書を課し、世界中でロバートの本がベストセラーになっているというから驚きです。
また、同じく敬愛する佐伯啓思氏(下写真)は、ありとあらゆる社会科学に精通している学者で、これまでに50冊以上もの単著を出しているのです。
そんな幅広い造詣があって、ぐいぐい引き込む文の魅力があって、それだけの冊数を出しているとなれば、かなりの本好きであろうと察しがちですが、実際はそうではなく、かなりの文字嫌いだったようで、国語が大の苦手だったようです。
しかし、文字嫌いでも著作家や大学教授も務まるのか、ということで大学教授や著作家を目指すのはよくないでしょう。
先の、いろんな本を随時出していくこと。その内容も毎回成長していくこと。同じ内容で満足していないこと。の3つを満たしていれば、それでいいでしょう。
しかし、大学教授は事情が違うのです。
というのも、大学生はほとんどが文字嫌いで、単位が簡単に取れる教授の講義に履修が殺到するのです。
ゆえに、毎回毎回同じようなことをしゃべっているだけの教授の方が受けはいいのです。
ゆえに、多くの人がそういう講義を履修して、それゆえに大きな額の給料がもらえる。
それで満足して、本を出さない、出しても冊数は限りなく少ない。
内容も最初から最後まで同じような内容で学ぶものが少ない、という結果になるのです。
それでもその教授は満悦でしょう。
高い給料がもらえるのですから。
それに満足して、学生時代に抱いていた憧れていた学者像は、いつの間にやら完全に脳内から消えているのです。
しかし、大学に属さずに完全に著作物だけで生計を立てようとしている人は、そんな悠長なことはしていられません。
本や講演が基本ですから、それらからお金がもらえないとなると生計がたてられなくなりますから、日々奮闘するわけです。
その結果、いろんな本を随時出していくこと。
その内容も毎回成長していくこと。
同じ内容で満足していないこと。
といった要素を擁した本を書き、講演をすることで生計が建てられるのです。
そういう著作家をこそ私は尊敬するのです。
しかし、著作家は読書嫌いは務まらない?と思われがちでしたが、実際、あれほどの偉業を成し遂げたロバート.キヨサキや佐伯啓思はそうではなかったという事実を知って私は驚いたのです。
しかし、あれほどの数の本を出しておいて、そして売れていて…(笑)
しかし、私の在学時代に受講した政治学の教授は、いま70歳を超えました。
卒業後、その教授がどれだけの業績を上げたのかを大学のホームページで見て、驚きました。
なんと本を1冊しか出してないのです。
その教授は大学生時代に、マックス.ウェーバー(下写真)の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んで、感動し涙した。
「大学の教授になれば、ウェーバーみたいになれるのかなと思って大学教授になったけれども、実際はなれないんですね!」とぼやいていたのを覚えています。
その教授の出した本を買って読みましたが、確かに勉強しているなという感触はありました。
しかし、そこに盛られている情報や数値がマニアックすぎて、大学院生やその手の専門家にした、意気が続いて読み切れない難しさがありました。
それゆえに、集中力が萎えてきて、途中で読むのをやめてしまったほどでした。
こういう本でありながら、400ページ弱で、値段は9000円以上…これでは売れないよと思われました。
それに萎えて、本を出すのを辞めようと意気消沈してしまったのでしょうか。
それ以降まったく本は出ていないのです。
それでも負けず魂で、また本を奮起して出すのが正常でしょう。
マックス.ウェーバーに質で負けるのであれば、せめて量で勝負すべきだったのではないか、と思われてならなかったのです。
量をこなせば、質も上がってくるのが必然なのです。
政治学概論、政治学原論といったあまりにありきたりな基礎理論本を出しても今時では売れないのは明白だったゆえに、研究していくうちに、自分で発見した、誰も取り上げていないけれども、大事と思われる事柄を扱った本を出せばよかったのに、とおもわざるを得ないですし、情報が無数にある現代においては、そういう事柄はいっぱいあると思われるのですがどうなのでしょうか?
大衆迎合は私自身好きではないです。
そういう姿勢の教授の本を読むよりも、自身で発見した誰も取り上げてはいないが重要な事柄を取り上げて論じる。
それで、その本を読んだ人が覚醒し、社会は良き方向へ動いていくのではないでしょうか?
それが教授や著作家としての役目の1つであると思われるのですし、事実、ロバート.キヨサキや佐伯啓思はそういうスタンスを貫いてきたのみならず、それらの本を読むと毎回、非常にセンセーショナルな理論にいつも驚かされるのです。
この両者に共通しているのは、読みやすい筆致で物を書いているということです。
私が敬愛していた故.加藤秀俊氏(下写真)も、読みやすい筆致でした。
そういう理論をワードでにも書き続けていれば、何かしらの成果を上げることは出来たと思うのですが、その教授は、大学で講義をしたりゼミをしたりすることで高い給料をもらえるので、学生時代に抱いていた高い志を失ってしまったのでしょう。
労せずして大金を得る…これこそが人間の精神を荒廃させる最もなものなのでしょうね。
ゆえに自身の精神を荒廃させたくないのであれば、大学教授にはならずに、自身はフリーランスで著作家を目指すべきでしょう。
しかし、どの教授も研究しないというわけではないのです。
研究する教授はとことんする。
しない教授はとことんしない。
これが事実なのです。
こと加藤秀俊氏は前者でした。
さぼろうと思えばいくらでもサボり、毎年毎年同じ講義ノートを読んで解説しているだけの授業をしていても高給取りになれたはずですが、あえてそうせずに、荊の道を選んで、逝去するまでに100冊以上の本を出し、著作集を12冊、社会学選集を2冊出したのです。
●そういう著作家としての鏡を体現してくれていた加藤秀俊に興味の出た方にお勧めの電子書籍.ペーパーバックは以下です。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

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