大学で学んだ知識は知恵に変えれば忘れない? (加藤秀俊)
こんにちは。
大学で講義される学問は、やはり社会をよくするために存在しているのです。
ゆえに単なる知識を得るのみならず、学んだ人間の考えが投射されなくてはいけないでしょう。
ゆえに、年末の論述の試験においては、祖述だけしているのではなく、自分の考えや主張を書かないことには、及第点をくれない教授もいるから注意が必要です。
しかし、学問が何のためにあるのかがわかっていない教授も少なからずいて、そういう教授の科目の試験では、単なる知識を書けば及第点をくれる場合もあるから、そこは断定できませんね(笑)
そういうことを踏まえると、大学での勉強こそ力を入れて取り組まなくてはいけない性質のものだという気がします。
それは、故.加藤秀俊氏(下写真)も同じ立場だった気がします。
加藤氏が、本の内で「大学での勉強こそ力を入れて取り組まなくてはいけない」などと書いていたわけではないですが、いろんな本の中で、そういうニュアンスの事を書いていたことは間違いありません。
年末試験の論述では、講義で習った理論的な知識が現代社会では、今どうなっているか?
かされているか?
問題点はあるか?
これからの課題は?
そして私たちがなすべきことはあるか?
あるとしたらどのようなことをしていけばいいか?
そういったことを論じていかなくては意味がないのです。
単なる祖述の論文ではNGです。
こういったことが書けるためには、ぶっつけ本番ではかなわないでしょう。
すぐかけるためには、事前に新書の類を読んでチェックしておかなくてはならないのです。
論述せよと問題に書かれてペンが止まっている学生は、そういったことを事前に準備していないからペンが止まってしまうのです。
ことは高校までの数学の問題でも一緒なのです。
解法をあらかじめ脳内にいくつも入れておかなくてはいけない性質を持っているのです。
数学は暗記科目だ、といっていた教師が高校時代にいましたが、その通りなのです。
ぶっつけ本番で解こうと思っても数学もむりなのです。
ことは大学の論述試験でも一緒だから軌を一にしているのです。
私が大学在学中のゼミの先生が曰く「大学で学んだことは考えることによって忘れない」といっていましたが、その通りです。
それでも、時間が経過してしまうと、その考えたことすらも忘れてしまいますから、その考えたことは、紙に書いたり、ワードに書いたりして保存して、それを定期的に見返せば、また思い出すことでしょう。
また、考えたことを、行動に移すことが一番重要であるとしか思えないですね。
文化人類学の講義での教授が、「生ごみは水分を含んでいて燃えづらく、燃料を必要とする。それよりも、土に埋めることで、土中のバクテリアが分解してくれて養分を含んだいい土になる!」という非常に至高の教えを諭してくれたので、在学中からも今までも、生ごみは全部土に埋めることにしています。
生ごみは、ごみ収集日に袋に入れて出すと、そのにおいに引かれてカラスが突っついて食べにきてしまうので、道路がそのごみで散乱してしまう光景は、日常茶飯のことです。
そうならないためにも、地球環境のためにも土中に埋めるのがいいのです。
それに、埋めずに、台所に可燃ごみの日までおいていたら、臭いが立ちこめてしまい風水的にも悪いのです(笑)
やはり土中に埋めてしまうのがいいのです。
行動に移して得た知識を知恵というのですが、知恵は忘れにくい性質をもっているのは断言できます。
知恵が多ければ多いほど社会はよくなるのです。
そういう社会を学問は目指しているということを忘れないでほしいものです。
そんな意義について興味を持った人は、故.加藤秀俊氏の歴史や偉業について興味が出ることは間違いないです。
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⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

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