大学教授は資本主義の法則を免れている?そんな理不尽な話しはなしです(笑)! (加藤秀俊)
こんにちは。
故.加藤秀俊氏が、大学において学業を修めてきて、そしていろんな場所へ赴いて結論づけたのは「世界中で一番拘束が緩い組織は大学だ」ということです。
教授会というものはあるけれども、それ以外の時間で教授という人たちは何をしているかわからない。
寝ているか、研究しているか、遊んでいるか、旅行しているか、まるで予想がつかない、ということです。
そして曰く「私含めて大学教授という人はかなりいい加減だ。」ということです。
それは謙遜でしょうと思いました。
他の教授でいい加減な例は多くても、加藤秀俊に関してはそんなことはないでしょうと反論したくなりました。
実際、加藤秀俊氏(下写真)は、退官までに100冊以上の本を刊行してきたのですから。
いい加減は人間が、そんな大量の本を出せるわけはないですからね。
しかし、いい加減な教授が多いことは確かです。
毎年毎年同じ講義用のノートを読んで説明しているだけの教授、講義用の教科書を読んで解説しているだけの教授、講義はしているけれども論文などほとんど書かない教授、何十分も遅れて講義に来る教授、講義中小さな声で何を言っているかわからない教授、いろいろありました。
それが矯正される例はまずなかったです。
何を言っているかわからない教授の場合は、教務課に行ってその講義の受講を取り消して他の講義に変えてもらえればよかったです。
しかし、そういう教授の講義が必修科目であれば受講しつづけざるを得なかったのです。
それで仕方なく、教室の前の方に行って何とか聞き耳を立てて聴くことで何とかノートすることが出来ました。
しかし、それでもかなわない場合は、その声を届かせるように学生の声を受け取るコーナーなるものが設置されていればいいのですが、全大学にそういうものがあるのかどうかが疑問です。
そういういい加減な教員は高校あるいは予備校にいたでしょうか?
皆無だった気がします。
しかし、こと大学にはいると、そういういい加減な教授の講義であっても、不満を漏らすことなく、訴えることもなく、ましてや大学を辞めることなく、大半の学生が通学し続けるがゆえに、その状態が悪いまま維持されてしまうのです。
しかも、授業料はかなり高い。
私の在学時代は、1時間半の講義料はだいたい2500円くらいでした。
しかし昨今は3000円くらいします。
高い大学では4000円!…そんな価値はないのです大学の講義に!
そんな理不尽な内容であっても、そのまま通い続けてしまうのが日本の学生なのです。
まずいものを出す飲食店、あるいは接客態度の悪い飲食店であれば、誰もが不満に思ってその店にはいかなくなります。
そして、それが維持されれば閉店を迎えるわけです。
しかし、そんな料金に見合わない講義でも、いい加減な講義でも不満を表出せずに通い続ける。
ゆえにいい加減な教授が、態度を改めないのです。
確かに、そんないい加減な講義に耐えられずに、辞めてしまう学生もいますが、そういう例は稀有です。
これもゆえに、いい加減な教授が態度を改めないのです。
飲食店の例とはまるで違う完全なダブルスタンダードが存在しているのです。
日本人とはとかく、学問や宗教に対して不問にしておいてしまうパターンが往々にしてあるのです。
文系の大学に4年間通い続けるだけで学費が400万円から500万円かかる計算になるのですが、その値段と内容が見合っているかどうかを吟味することなく払い続けて不問にして通り過ぎるのです。
また、葬式の際に、お経を僧侶に唱えてもらうだけで100万円から300万円も平然と払ってしまい、その内容に見合っているかどうかも吟味しないまま通り過ぎてしまうのです。
毎年の講義内容を解説されたシラバスが年度の最初の集会で配られますが、その内容を見て、あまりに教授たちが本を出さないのに驚きました。
教授たるもの毎日の研究結果の表出として、本をいくらでも出すのが普通ではないか?そう思われてならなかったのです。
しかし、本を出している教授は10冊以上も出しているけれども、出さない教授は1冊だけ。
しかも、その1冊も編著本だったり、その教授の講義のために学生に買ってもらうためのものだったりで、まるで研究の成果が表れているとは思えない代物でした。
教授を目指したということは、研究に没頭して、いろんな知識を得て、理論を脳内で長年かけて練り上げて、より良き社会のため、人のため、ひいては世界のために読んだ人の精神を覚醒させて行動に向かわせるためにあるのではないのか、と思わざるを得なかったですね。
でも、きちんとした研究をして、はきはきとした口調で講義していた教授もいたことはいましたが、それでも書くのは大学から課された論文だけで、本は一向に出していない教授も今見るとほとんどなのが残念でした。
やはり、日本人は大学や学問の世界には無批判になって、大学卒業の肩書ほしさや、キャンパスライフの楽しみたさから大学を変革しようとしなくなるので、そのまま高い学費を払って通学し続けてしまう。
ゆえに、大学の教員になると、普通に講義をしているだけで高い給料がもらえるがために、論文を書こう、本を出そうという気概もうせて、20代の若いころに抱いていた憧れの学者像を脳内から消失してしまったのでしょう。
故.加藤秀俊氏のほかに、私が敬愛している桜井邦朋(下写真)という学者の書いた本の中に「大学には研究らしい研究もしないでいるクズ教授が山ほどいる」という文章が書かれていたのを思い出します。
その通りでしょうね。
そのクズ教授を、のさばらせているのはほかならぬ学生や日本の学歴至上主義的な雰囲気なのは間違いないでしょう。
そういう教授の講義はボイコッとせよと言いたくなります。
そして、あまりにも資本主義の法則を免れている大学を変革したいのであれば、大学を大勢の人が辞めることでしょう。
そうすれば、危機感をどの教授も持って研究に励むことになるでしょう。
資本主義の法則とは、その価値に見合っていないものはお金が入らなくなって淘汰される、という法則のことです。
90年代の後半から日本のサラリーマンの平均年収は減っているのです。
そんな中でも、大学の学費は上がっているのです。
私に時代は、初年度の納入金は100万円ジャストくらいだったです。
しかし、今は130万円以上します。
凄いところでは150万円もします。
文系の大学でこれです。
その結果、大学生の55%は奨学金を借りているのです。
私の時代は20%以下だったにもかかわらず。
それに見合った研究をどの教授もして、講義にもつなげているのであればそれでもいいでしょう。
しかし、そういうことをしている教授はほんの一握りなのです。
毎年、同じ講義ノートを読んでいるだけで年収2000万円…そんな理不尽なことはないです。
やはりここを変革するには、せっぱ詰まった状態である今から起こることを私は期待しているのです。
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⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

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