研究者たるもの周囲の理解が必要。それなくんば大成せず? (加藤秀俊)
こんにちは。
大学というのは、とにかく物議をかもす場所です。
研究する教授は研究する。
研究しない教授は研究しないで、講義で毎年毎年、同じ講義ノートを読んでいるだけ、という例がわんさかあります。
そういういい加減な教授の講義が行われていれば不満になって、多くの学生が辞めていけば、そういう教授も必死になって研究するようになるのですが、辞めずにそのまま通い続けて高い学費を払っていく人が大半なので、研究しない教授はしないままなのです。
私が敬愛していた文学研究者だった外山滋比古氏(下写真)は、96歳まで長生きし、それまでに160冊以上も本を出してきたのです。
こういう教授であるならば、尊敬に値するのですが、そうでない教授の方が多かったというのが私の素朴な感想でした。
本を出すのは、研究者たるもの必至な事態のはずなのに、30年以上の教員生活の中で1冊しか出さなかったり、あるいは0という例も珍しくはないのです。
たしかに、研究者たるもの孤独な作業に直面しなくてはならないことなのです。
学者や著作家も同様に、格闘家、その他稽古事などその道を極める人に関しても共通することです。
机やパソコンに対峙して、1人でいる時間が長いのですので、それにめげて、怠惰になったり、遊びに逃げるなんていうのはもってのほかなのです。
そういう研究者の友人や恋人も、それに対して理解を見せなくてはいけないでしょう。

自分に構ってくれなくて寂しいからといって、その人の孤独な作業からつまみ出そう、とするのは、その人は恋人や妻や友人としてふさわしくないでしょう。
長い孤独に向き合わなくてはいけない…そういう時間があるのを理解して自身も打ち込むものを見つけ出せてたら幸いですね。
否、そういう理解力のある恋人や妻、友人がいてくれるからこそ、自分は頑張れると思うのです。
そういう人がいることで、互いがその孤独な作業に勤しむことができるのです。
これは何も、恋人や妻、友人をおろそかにして、その作業に取り組め、と言っているのではないです。
そういった人たちの心を汲むのを忘れずに、そういう作業に打ち込むべし、ということを言いたいのです。
恋人や妻には2日や3日に1回は必ず会う。
毎日会えるならば会うべきでしょう。
友人などとも連絡をメールやlineでやり取りを毎週あるいは毎月必ずする、ということです。

それならば、人間関係に差支えはないはずです。
それでも差支えがあるというのならば、その恋人や妻は、その人にふさわしくないということです。
研究は孤独を伴うのが当たり前、そうでなければ大成しないというのが自明であるのならば、周囲の理解が不可欠なのです。
そのことを理解すべきでしょう。
また、その孤独状態が耐えられないというのならば、その人は研究者にふさわしくないのです。
それでも大学教授は、それに耐えられなくても務まるのです。
毎年、同じ講義ノートを読んでいるだけでも、高い給料が入ってくるからです。
そして自由な時間がわんさかある。
その自由時間で、研究しまくる人もいれば、寝ている人、テレビ見ている人、本を読んでいる人、遊んでいる人、旅行に行っている人(笑)…色々いるわけです。
研究しまくって本を無数に出す人もいれば、1冊あるいは0冊の人もいる…何とも物議をかもす場所なのです、大学というところは。
研究らしい研究もせずに年収2000万円ももらっている例はいっぱいあります。
それをのさばらせないためにも、大学を辞めていく学生が多ければ多いほど研究する教授は必然的に多くなるのです。
資本主義の原理を働かせることが大事なのです。
考えたことは以上です。
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今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

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