リソースフルな人間、好奇心旺盛な人間になるためにはどうすればいい? (加藤秀俊)
こんにちは。
いろんな論文集や本を無数に出し続けるにはどうすればいいか?を今回は考えたいと思います。
それは、論理的に考えればすぐにわかることでしょう。
リソースを豊富にすることです。
リソースとは脳内の資源ということです。
そのためには、常日頃からいろんな本を読み、冊子やその他情報に接していけば、おのずとリソースは豊富になるのは必然です。
大学の教授たるもの、いろんな学者に憧れて、教授を目指したのだと思います。
デカルト、カント、ウェーバー、ヤスパース、ショーペンハウアー、マルクス、ケインズ、アルチュセール、スミス…こういった学者に憧れて、その道を志したのだと思います。
しかし、どういうわけか、その情熱を失ってしまい、リソースを豊富にする作業を怠ってしまうようになるのです。
ちょっと脳内にリソースがあれば、ちょっとした情報を入れるだけで、脳内にスイッチが入り、情報と情報が結びあわされて、論理が多岐化して、いくらでも論文や本が書けると思うのですが、そうならない教授が多かった気がします、私の大学でも他の大学でも。
私が敬愛していた文学研究者であった故.外山滋比古氏は逝去されるまでに、160冊以上もの本を上梓しましたが、逆に、30年以上の教授生活で、本を1冊とかあるいは0冊のままで終わってしまう例もあるから驚きを隠せなかったのです。
教授たるもの、日々、研究をしているはずなのですから、その集大成として本を出すのは必然です。
もちろん売れなければ、また発行してもらえませんから、売れるようにすればいいのです。
そう、自身の講義の教科書に指定してしまえばいいのです(笑)
姑息であるとは思いますが、それでも出さないよりはいいでしょう。
年間に数百人もの大学生が、その講義を受講するということであれば、出版社も当然OKするでしょう。
それに、その教科書に指定することで、大学生からの意見もフィードバックできるのですし、それによって自身の論文のレベルアップにもつながるのです。
その回数を多くすれば多いほど、自分のレベルがさらに上がるのは必至です。
それと、リソースを多くするのは、生まれもっての資質にあるのでしょうか?
好奇心があるかないか…それに尽きるような気がします。
自分の専門には興味があるけれども、一歩違う領域に出ると、とたんに興味がなくなる…そういう人が少なからずいるのです。
でも、自分の専門以外にも興味がいくつも出れば、また、本を出せる回数も増えていくのは必至です。
私は、いろんな関心が多岐化し、いろんなことに精通している学者には魅力を感じます。
私は、これまでに1000冊は本を読んできたでしょうか?
「本を読もう!」と意気込んで読んできたのではなく、読書をすることで興味の範囲が多岐化していっただけのことです。
試しに知らない著作家の本を1冊読んでみる。すると面白い。そして、その人の他の本で読んでみたいのを、背表紙を見てリストアップして、ワードに書き溜めておく。
機会があったら本屋やネットで注文。
そして、その人と共著として出している人の本をもリストアップして本屋やネットで注文。
それらの本の出版会社の総合目録をその出版社に取り寄せ願いのハガキを書いて投函する。
その総合目録が家に到着したら、そこにリストされている本をくまなくリストアップして機が熟したら注文し、来たら読むのです。
私が、一時期入会していた創価学会でしたが、これは富士門流といわれる宗派の1つでした。
富士門流とは日蓮正宗とその団体を指す単語でした。
創価学会、顕正会、正信会がその信徒団体でした。
その富士門流で唱えられている自我偈という経文は、天台宗由来なのが後になって分かったのです。
日蓮正宗の創始者であった日蓮が生前に、天台宗の園城寺に行って天台宗を学び、そこで自我偈の必要性を認識し、自分の宗教を立宗するときに、それを取り入れたのです。
そして、曹洞宗の開祖である道元も、園城寺で天台宗を学び、そこで自我偈を気に入り、立宗の際に自我偈を取り入れた。
今、富士門流の中でも、そして日本の宗教の中でも傑出して信者数が多いのが創価学会です。
だが、その日蓮が必要性を唱えた自我偈は天台宗由来であることに驚きを隠せないでしょう。
私も驚いた。
親戚がなくなったときに、天台宗のお寺で葬式が行われて、その時に僧侶が経を読んでいた時、まん中の地点で、いきなり自我偈を唱え始めたのだから驚きを隠せなかったのです。
これはなぜなのかを知りたくて、色々調べていくうちに、この事実がわかったのだったのです。
信じれない人は、天台宗、日蓮正宗、曹洞宗の経本を取り寄せて見ているのがいいでしょう。
どの経本にも自我偈が入っているのです。

この事実を知った時に、私が興味関心がわいたのは、日蓮ではなく、日蓮が取り入れる気にさせた天台宗の偉大さであり、その教祖である最澄であった。
そして、同時代に活躍した真言宗の教祖である空海にもである。
そして、鎌倉時代以降、日蓮正宗および日蓮宗は、隆盛を極めたが、その後、それらの宗教組織の退廃はまぬかれなかったのは、その手の歴史書を読めばわかる。
その時に反旗を翻して、日蓮の教えを道徳心をもって再興しようとしたのが本門仏立宗でした。
この本門仏立宗にも興味があって調べたくなって、その内実を知るためにそれについて書いてある本も読みたくなる。
同じような、道筋をたどってきたのは浄土真宗も一緒なのです。
それをただ単に批判するのではなく、その内実を探求しながら、自分の人生に生かすために、その再興劇を知るのに最高なのは、やはり浄土真宗再興の父とうたわれた蓮如でしょう。
その蓮如についてもその半生を知りたくなり、それについて書いてある本も読みたくなる。
そして、浄土真宗の宗祖である親鸞(下写真)を深く調べていくと、キリスト教からの影響があるという興味深い事実をある時知った。
その内実を知りたくなって、それについて書いてある本を取り寄せて読みました。
そして、聖徳太子の伝記を読むと、太子の死後3日経った後に蘇ったということが書いてある。
この内容を読むとキリストの復活劇と同じなのがわかる。
やはり、キリスト教からの影響が、聖徳太子が存命中だった当時の飛鳥時代にも存在していたのがわかり興味深くなる。
飛鳥時代といわれると、どうもアジア的な色彩の強い風景が浮かび上がってくるが、どうもそれは日本の教育によって違うイメージになってしまったのだ。
当時から西洋的なものはそこかしこに反映されていたのがわかる。
その内実について探求していきたくなり、その手の本を10冊くらい読みたくなり、目録やネットで検索をかけてリストアップしていくのだ。
このように、好奇心だけは芋づる式に分派していくようだ私の場合。
このような好奇心が次から次に分派していく私は、やはりこういう内容の本を書きたくなって仕方なくなる。
私が大学時代に、受講した国際政治学の教授は、その論文や本が中国でも中国語訳に翻訳されて売りに出されていることを知って驚いた。
その教授曰く、自分は生涯現役でいる、ということでした。
その教授が日課にしていたのは、毎日、新聞を5種類読んで、重要と思われる記事は箇所は、切って、大型の封筒に入れて、後になって整理し、纏めて論文や本を書くときに応用する、ということでした。
仕事は、それだけではないがゆえに、整理が滞ると、封筒がパンパンになっていった、ということでした。
こういう好奇心が永続的にあると断言できる人がいたら、その人は学者として大成するでしょう。
しかし、ない人は大成することはなく終わってしまうこと必至です、きついものいいですが…。
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⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

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