芸人や学者は一般人とは精神内容が違う?社会学者の定義とは? (加藤秀俊)
こんにちは。
以前、学者や音楽家や芸人は、一般のサラリーマンとは違うメンタルを持っているということを話しました。
こういった人たちは、巷にある何気ない情報、あるいは素人が見過ごしてしまう情報をピックアップして自身のビジネスに取り入れることで収入につながる、ということです。
その情報を取りいれるかどうかは、その人の価値観によって違ってくるのです。
ある時、ふと思いついたことを自身のビジネスに取り入れるわけですが、その情報はすぐに書き留めないことには忘れてしまうがゆえに、すぐさま書けるようにいつも小さなノートやペンを携えていくことで、防止することが出来るようです。
音楽家も、いつも生の楽譜を携えていくようです。
その情報摂取をすることがなくても、仕事場で与えられる情報だけを覚えているだけでほぼ大丈夫という一般人とは違う、ということですね。
これは、何も一般人を貶していて、学者や音楽家や芸人だけが素晴らしいということを言いたいわけではないのです。
どちらも貴賤はありません。
否どちらかといえば、厳しいのは学者や音楽家や芸人ではないでしょうか?
音楽家は当たればいいですが、そうでない場合は貧困生活を余儀なくされます。
芸人も当たればいいですが、よしんば一回だけ当たったはいいものの、それから以降は鳴かず飛ばずであれば、ひと月の生活もままならなくなるのです。
しかし、軌道に乗ってしまえば、あとは印税が入り続けるから安泰な生活になっていきます。
CDが売れた、カラオケで自身の作詞作曲した曲が歌われれば永続的に印税が入ってくるのです。
ゆえに、ベテランの音楽家ほど年月が経てば経つほどアルバムを出さなくなるのです。
芸人も一度軌道に乗ってしまえば、そのコントが収録されたDVDが売れ続けて、その印税が永続的に入ってくるのです。
こういう生活をみれば一見羨ましそうですが、そうなったらそうなったで障害は出てくるのです。
毎日決まった時間に起きなくていい…しかし、それでは運動不足になってしまいますし、友人がいないことにはコミュ障になってしまいますし、暇な時間が多くなればなるほど、その隙を埋めようとドラッグに手を出したりする例はミュージシャンでは多くあります。
それに、顔に生き生きとしている観があるのはむしろ一般人でしょう。
やはり、毎日挨拶をして、同僚と毎日話し続ける。
これによって、顔が溌溂としていることが出来るのです。
生気がない顔をしているミュージシャンは多くいます(笑)。

やはり、物事は一長一短であって、これに就けば、なんでも万事OKになる、ということはないようです。
ここで音楽家と学者の定義を確認してみたいです。
音楽家は、自身で音楽を作り、それを自身で演奏する、あるいは歌唱することを生業にしている人のことでしょう。
ゆえに、自身で音楽を作らず、ただ歌っているだけの歌手は音楽家ではないのです。
ゆえに、外部の作詞家や作曲家に音楽を作ってもらって、それをただ歌っているだけのアイドル歌手やアイドル歌手グループは音楽家ではないのです。
そんな厳格な定義はどうでもいいかもしれないですが。
そして、学者はその自身の専攻する学問について一家言を持つほどに研究を重ねてきている人のことですね。
ゆえに、他の本や論文からの引用ばかりの文章を書くだけの人は学者ではないのです。
いってみれば学問研究者ということになりましょうか?
そういう学問研究者が、いろんな大学では多い気がします。
私が属した大学では、廊下に、その大学の教授たちが書いた論文をいくつか収録した学論集がおかれていて、それを学生は自由にとっていっていいということでした。
それらをいくつも取って読んでみましたが、やはり学問研究者という人が多い気がしました。
その学論集の内容をみると他の本や資料からの引用や借用が多い気がしました。
哲学者といわれる中島義道という人が書いた『哲学者のいない国』という本がありましたが、そこには海外の学者の批判が収録されていて、「日本で講演をおこなっても私の講演に関して意表をついた質問は出ず、紋切り型の賛辞のみが多く、おおよそ社交辞令的な話に終始していたのは残念である」ということです。
やはり、そういう人が多いのかなという気がします。
やはり昔の思想家について研究している人は哲学研究者であって哲学者ではないのです。
そんな厳格な定義はどうでもいいかもしれないですが(笑)。
それは、どの国でも哲学者といわれる人のパーセンテージは、どこもそんな差があるとは思えないです。
日本は高校生の半分以上が大学に進むという世界でもまれな国ゆえに、そのことが浮き彫りになりやすいだけであって、やはりそんな差はないでしょう。
ことは歴史家といわれる人の割合もいっしょではないでしょうか?
歴史家とは人類の歴史を俯瞰して、奥深く探求を重ねて、そこから出した歴史の理論を読んだ人の人生の転機を創るような、人類の史観を好転させるような威力を秘めた学者のことであって、単に歴史の事実を脳内に叩き込んだ人のことではないのです。
やはりそういう人は歴史家ではなく歴史研究者であるだけなのです。
そんな厳格な定義はどうでもいいかもしれないですが(笑)。
そして、そういう定義については社会学についても言えます。
社会についてたんに知っているというだけでは社会学者ではないのです。
いろんな社会について壮大なビジョンを有していて、その人の書いた本を多くの人が覚醒して、人生を開けるような思いにさせてくれるような学者こそが社会学者なのであって、社会について知っているだけの、知識があるだけの学者は社会研究者に過ぎないのです。
そんな厳格な定義はどうでもいいかもしれないですが(笑)。
しかるに、そういった社会学者としての威力をふんだんに秘めている例として加藤秀俊(下写真)を挙げたいと思います。
この人はもう故人になってしまいましたが、この人の著作を読んで覚醒した人は数知れません。
この人の偉業について説かれたシンポジウムまで開かれて、その内容が大きなムックになったほどです。
そのシンポジウムに参加した学者は老若男女問わずバラエティに富んでいたのです。
興味がわいた人はいるでしょうか?
●そんな加藤氏について興味がわいた人におすすめなのが以下の電子書籍.ペーパーバックになります。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

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