阿弥陀仏と科学、どちらに縋るべきか? (親鸞とユダヤ.キリスト)
こんにちは。
科学が発達すればするほど、宗教に対する依存心は薄れていくのが通常のようですが、どれだけ科学が発達しても、宗教心が完全になくなることはないようですね。
興味関心の程度が薄れていっているだけで、完全になくなることはないようです。
科学的に解消できなかったことで、どうすればいいかどうかを模索する。
その行為を重ねても、解消ができない。
そこで宗教に頼る。
これで解消できたがゆえに、その宗教にぞっこんになる。
それゆえに、その宗教に入ることを多くの人に勧める。
こういうパターンも散見されます。
人類の歴史を俯瞰すると、科学がいくら発達すれども、人間の悩みが完全払拭されるわけではないようです。
私が興味関心をもって、宗教を調べていくと、日本人ならば浄土真宗は関心の的として、大きく取り上げられることがよくあるようです。
なぜならば、日本の中で一番信者が多いのは、浄土真宗のようです。
その訳(理由)などは、ここでは不問にしておきましょう。
その関心があって、朝日新書の『親鸞 いまを生きる』という本を買って読んでみました。
その中で、鬱の若者が取り上げられていました。
その若者は、「甘やかされた実感がないどころか、一度も無条件で愛されなかったと感じている。その子は、ナンバーワンになるのではなく、特別なオンリーワンになるように期待されて育った。自由にふるまいたいし、社会のルールは鬱陶しい。」ということです。
やはり、異常な教育を受けられなかった子供は、そうい精神的な病に冒されてしまうということですね。
こういったことは教育学の本を読めば、そういう問題が浮上してくるのです。
そして、そこから何を思うか?
自分の子供には、そういった過度な期待は絶対にかけるべきではない、ということを心に止め続けることでしょう。
私は、オウム真理教について勉強していくことで、そういう誤った教育を受けてきた子供たちが、信者になっていったということがわかりました。
オウム真理教は、カルト教団にまで成り上がってしまった宗教団体で、1995年に地下鉄サリン事件を起こし、それがもとで2000年に政府から解散命令を受けたのです。
やはり、そんな若者たちがその教団に入っていってしまったことは、そういう教育的な病理が多く蔓延していたということでしょう。
そうなればやはり、教団を非難して終わりではなく、自分の子供がいる人、あるいは学習塾の講師、あるいはその他一般人も、自身の周りの人間にはそういう教育を絶対に施してはならない、ということでしょう。
こういう社会に散見する問題点を、改善に向かわせるために科学や学問といわれるものは存在しているわけですから、それらを学べる大学での勉強こそ誰もが率先して学ばななくてはならないのですが、実際は逆なのです(笑)
まあ、それもここでは不問にしておきましょう(笑)
しかし、そういう誤った教育を施された人たちが、阿弥陀仏に縋ることで、魂の蘇生がかなったというのですから、その劇には拍手を贈らざるを得ないのです。
しかし、科学には、そういう問題点をよき方向へ向かわせるための方策論があるのが通常ですから、それを学ばない手はないのです。
ここでも明らかなように、やはり宗教にもよき方向へ向かわせる手立てがあるのだし、科学や学問にもあるのだから、どちらも重要、という認識でいるのです。
そこでどういうスタンスでいるべきか?
私は宗教と科学.学問の両方に縋るべき、ということでいるのです。
どちらも効用はあるのです。
それはどのように採択していくべきなのかは、本人に拠っているいるのです。
自身で考えて、情報を集めて、吟味していって採択、そして行動ということをしていってほしいのです。
しかし、浄土真宗を研究していくことによって驚きましたが、浄土真宗こそが日本で一番信者が多いということです。
私はてっきり創価学会が一番であると思っていたのです。
全然違っていたので驚いたのです。
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このページで「不問にしておきましょう」と書いていた内容についても書いてあります。
⇒親鸞を貫くユダヤ.キリスト性
今回はこれにて終了します。
ここまでの精読に感謝いたします!

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