素晴らしい革新にみちた開祖の宗教ゆえに入信する。それは素晴らしいですが慢心すべからず? (親鸞とユダヤ.キリスト)

こんにちは。
私は、日本で一番信者が多い宗教は、創価学会だとばかり思ってました。
しかし、実際は浄土真宗だということを知って驚きました。
それゆえに、その浄土真宗の宗祖である親鸞に興味関心が行くのが自然でしょう。
その親鸞について書いてある本を読むと、人類共通する事項がありました。
やはり既存の宗教への反発ですね。
やはり、親鸞(下写真)も既存の仏教の信徒だったのです。
それは天台宗ですね。
親鸞の歴史を振り返ると、まず、1181年に養父の日野範綱に連れられて、天台宗の慈円の坊舎にいき、出家して名を範宴としました。
当時の、仏教界が官僧に国家が期待したのは玉体安穏、鎮護国家、五穀豊穣など国家的な祈祷をおこなうことだったのです。
多くの官僧を輩出して擁する延暦寺は国家権力と不可分の関係を持っていて、天台座主の任命権は朝廷が握っていたのです。
それが長年続いたがゆえに、院政期以降の大寺院は有力貴族の次男三男が僧侶として出世して高い官位を得るための就職先という面ももつようになり、そこでは王朝貴族社会という1つの世俗社会が形成されてしまったのだった。
10世紀ごろから、律令制が形骸化して官僧制度も形骸化し、比叡山延暦寺ふくむ大寺院が、荘園などの形で広大な寺領を所有することになり、経済が潤沢になったこととも深く連動しています。
当時の仏教は多岐していて、念仏もその概念に入っていたのですね。
その念仏を指揮する勢力の1つとして源信が居ました。
『往生要集』で有名な源信ですね、高校の歴史の教科書にも書いてありましたね?
また、その源信とはべつに、念仏を重視する動きがあったのです。
それが、最澄の弟子であった円仁が念仏を取り込んだ修行の実践ということです。
そんな中、1201年に当時29歳の親鸞は、天台に満足することなく、比叡山を降りることになったのです。
形骸化、世俗化した比叡山の延暦寺の仏法では人々を救うことはできないと悟ったのだった、ということです。
それ以降は、以下の電子書籍.ペーパーバックに書いてありますので、興味ある方は読んでみてくださいませ(笑)
このように開祖になった人は、革新的な精神を持っていることが人類の歴史に通底する事項です。
ゆえに、その宗教は聞いてみる価値あると思う人も多いでしょうし、実際その部分で入信する人も多いでしょう。
その革新性に惚れて入信したがゆえに、この宗教に入ることで、幸福になれるという思いが強くなるのでしょう。
しかし、それだけで満足していてはよくないのではないか、と思われてならないのではないか、と私は余計なことを考えてしまうのです(笑)。
その立派な開祖の開始した宗教ゆえに、万年にわたって安泰であろう、誰もが幸福になれるだろうと思うのは早計でしょう。
やはり、人類の観念は時代とともに増大していくのであって、それに付随して宗教だけの対処では済まないことに陥るのは目に見えていますし、必然でしょう。
それゆえに、宗教にだけに縋るのは間違いでしょう。
確かに宗教によって得れることや、救済の加護はあることは確かです。
しかし、それだけで済ませるものではないことは確かです。
●そんな内容について共感できるかたは、以下の電子書籍.ペーパーバックはお勧めです!(ペーパーバックとは注文が入り次第、印刷をして注文者の住所に届ける製本システムの事です!)
⇒親鸞を貫くユダヤ.キリスト性
今回はこれにて終了します。
ここまでの精読に感謝いたします!

・親鸞とユダヤ.キリスト ホーム
コメントを書く... Comments