法華経を読んで、日蓮と親鸞の共通点を垣間見る! (親鸞とユダヤ.キリスト)
こんにちは。
宗教というものは、非常に難しいもので、自分が良かれと思って人に勧めても、相手は全然素晴らしいと思われない場合もあるから、勧誘の成功率は自分がやったらかなり低いのではないかと思われてならないのです。
古代ならいざ知らず、今のようにいろんな選択肢がある世の中においては、こと宗教だけにとどまらずに、自身の頭で考えて感性で持って選らんだらどうかと思わざるを得ないのですね。
ゆえに、宗教的な功徳や救済理論には与するものの、1つの宗教には縋らないというのが私の立場です。
もうかなり昔になりますが、創価学会に入会することを勧められて入るものの、毎回毎回新聞や会合で話される内容は一緒なので、辟易して新聞の購読も停止し、会合も行かないことにしました。
それでも悔いは全くないです。
その創価学会は、日蓮正宗の信徒団体でありましたが、その日蓮正宗と決別して1つの宗教団体になったのです。
そこで講義された内容は、「『法華経』は釈迦の言わんとしたことを忠実にあらわした内容である。その『法華経』には釈迦の死後2000年後に日本に、民衆を救済する僧侶が現れる。それがまさに日蓮大聖人である。その日蓮の宗教を具現しているのが創価学会なのだ」ということです。

そう講義された私は「へえ、そうなんだ」というくらいにしか思わなかったものです。
その『法華経』は、1世紀ごろに書かれた経典ですが、どこで最初発行されたのかはわからないままなのですが、ユーラシア大陸のどこかだということだけです。
それが6世紀に日本に渡ってきた、ということです。
こういうことが判明すれば、ことは明らかでしょう。
果たして本当に釈迦の言ったことだけを、忠実にあらわしたものなのかどうか、ということが?
1世紀に書かれたものが、日蓮が13世紀に拝読するまでに、いろんな変遷を経て、脚色、削除、付けたしといったことを往々にしてなされたのは言うまでもありません。
その『法華経』には、その衆生を救う僧侶は迫害にあうということまでも書かれているということです。
なるほど、これも人類の歴史をみれば明らかなように、新宗教はどの国のでも迫害にあってきたのです。
しかし、その内容を読んで、日蓮(下写真)はまさに自分だと悟ったようです。

その迫害にあったのは、熱原の法難、松葉が谷の法難といわれるものです。
こういう思いになることを、日本人のように謙譲の美徳を持っている人が聞いたら「自惚れだ」といったようなことを思いがちですが、これは何も日蓮だけでなく、こと空海やジョセフ.スミス(モルモン教)、文鮮明(統一教会)、大川隆法(幸福の科学)といった人たちも、そういう悟りに至っているのです。
ゆえに、それがいいか悪いかは読んだ人の判断に任せるとしか言いようがないのです。
しかし、「釈迦の予言したことがまさに日蓮に起きたのだから、まさに日蓮こそ信心するに値することだ」という思いに至る心情はわからなくはないです。
しかし、それだけで信心するに値するかは早計ではないか、と思われてならないのです。
そんな素晴らしい内容を秘めているのであれば、その日蓮が書いた本を読んでみたいと思い、私は日蓮著の『報恩抄』という本を買って読みました。
しかし、これは他の仏教宗派との比較を難しい言葉で論じているだけで、ちっとも興味の出ない代物でした。
間をおいて、その『報恩抄』を再度よみましたが、やはり面白くもなんともなかったでした。
これでは、信心するに値しないと思ったのです。
それでヤフオクに出して売れました(笑)
確かに、『報恩抄』のほか、日蓮の書き残した書物は多数あります。
そのほかのものも読んだらいいじゃないか、という反論が出そうですが、1冊読んで興味が出なかったら、その著者の本はどれを読んでも興味が出ないという法則を私は発見したものです。
ゆえに信仰するには及ばない。

そのことを、創価学会と同じく日蓮正宗の信徒団体だった顕正会の会員の人に語ったら、「それは日蓮宗の訳出した本だろう!そんな本が真っ当に訳出されているはずはないだろう!」と激高されてしまったのです(笑)
直訳したものですが、その直訳でも人によっては意味が違ってくるのは必然だから、日蓮宗の僧が訳出した本など読むに値しない、ということを言いたかったのでしょう。
しかし直訳にそんな大差が出るはずもないのです。
ならば顕正会の人が訳出した本を読ませてくれと言いたいですが、そんなことが出来るようなアウターディシプリナリーな団体ではないのです顕正会は。
ゆえに、創価学会か日蓮正宗が訳出した御書といわれる日蓮の書物を集大成したものによるしかないようです。
しかし、釈迦の死の2000年後に衆生を救う僧侶が現れる、という法華経の内容ですが、親鸞が念仏を布教していった時期と日蓮が生きた時代はほぼ一緒なのです。
その親鸞が念仏を布教することで、迫害が起きたのです。
日蓮と一緒ではないですか?
それで親鸞は地方に流されたのです。
法難というような名はなかったですが。
そして、1211年の放免の勅令が下されたのですが、その理由はわからず。
放免されて後も親鸞(下写真)は越後にとどまり、現地で教化を維持したのです。
1212年に京都市山科区に興正寺のルーツの1寺を建立し、そして東国へ行きました。
開拓の地は関東になったのです。
興福寺や延暦寺などの権門寺院は遠かったがゆえにかどうかはわかりません。
六角堂で受けた聖徳太子からの夢告では、東国での布教が予辞されていたのです。
こうなると、日蓮だけが法華経に書かれている衆生を救う僧侶には当たらない、ということが言えるのではないでしょうか?
おそらく親鸞も『法華経』は読んでいたでしょうが、それだけでなく、いろんな経典を読んでいたのです。
それが親鸞の哲学形成に役立ち、衆生に布教するという使命感を植え付けたのでしょう。
そして、夢告というものは、誰もが受けれるものではなく、その道に一生懸命にひたむきに取り組んでいる人に現れるものなのです。
全然努力をしないのに、夢告が来てくれというのは虫が良すぎるというものでしょう。
その宗教で、講義されている内容だけ読んで「これこそ本物の宗教だ。信仰するに値する!」と思ってしまう気持ちはわからなくはないです。
しかし、いまは本が豊富にある時代です。
それらを利用して、その宗教で言われている内容について吟味していくことで、その宗教だけにこだわる必要はないと思うのですがどうでしょうか?
あるいは、その宗教に縋る気持ちになってもいいですが、それ以外に、いろんな方法や手段を得ていくことで盤石な自身の哲学を形成していくことが出来る、ということを理解した方がいいのではないか、と思われてならないです。
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今回はこれにて終了します。
ここまでの精読に感謝いたします!

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