悪人正機説は親鸞だからこそ弘まった? (親鸞とユダヤ.キリスト)
こんにちは。
カリスマ的な人というのは、その人の発した言葉を聞いた大勢の人が、「この人の言ったことはどんな意味があったのだろう?どういう意図で言ったのだろう?」という疑問をいだかせて、それを自身だけや周りの人間たちに考えさせてしまう力を持った人の事をいうのでしょう。
鎌倉時代にいろんな仏教が派生しましたが、その中でひときわ目立っていたのが親鸞です。
この人は「悪人でさえも救われる」といったのですから。
普通の認識であれば、悪人も救われるなどと言おうものならば、「何たるけしからぬことか?」と異端に思われるのが普通です。
しかし、そうにはならずに、今も親鸞の宗教である浄土真宗は日本各地に広まり、日本で最高の人数の信者を有する団体になっているのですから。
私はてっきり創価学会が一番多いのかと思っていました。
でも実際はそうではないのです。
しかし、悪人正機説…これはどんな意義があるのでしょうか?
古代仏教では、人や動物を殺すことは厳に戒められていたことなのです。
しかし、親鸞(下写真)の生きた鎌倉時代には戦は頻繁に起こり、しかも、魚や生物を殺して食べるのがまかり通っていた時代に変貌してしまっていたのです。
それならば、それは致し方ない事として、恩赦を受けるべきという思想が出てもおかしくはないでしょう。
そこで、そういう古代仏教で戒められていた殺しを容認する必要があったのです。
人の見えていないところで、こういう殺しをしても、阿弥陀仏はみていらっしゃる。
それで当時の時代を生きる民衆をすべて悪人と規定したのです。
それゆえに、悪人正機説という言葉が生まれたのです。
私のようなカリスマのない人間が「悪人でも成仏できる!」などと言おうものならば、「何を言っているんだこの人は…」といった感じで、誰からも鼻で笑われて終わりだったでしょう(笑)
しかし、こと親鸞に至ってはそんなことなく、いろんな人が親鸞の言葉の研究に勤しんでいったのです。
しかも、親鸞の遺した言葉は難解なものが多かったのです。
それは、こんにちのように東京弁が日本の標準語と規定されていなかった時代で、今よりも多くの地方弁があったがゆえに、という理由ももちろんあります。
しかし、それにもめげずに、いろんな人が親鸞の遺した書物を解き明かす努力を重ねていったのです。

しかも、親鸞の書物用の辞典まで発行されて今も販売されているというから驚きです。
やはりカリスマ性を秘めた人の言葉には、大勢の人にそんな努力までさせてしまう威力を秘めているのがわかります。
親鸞曰く、「他人のことではなく、あくまで自分が悪人なのだ、その自覚こそが仏性の顕現。」ということです。
当時の仏教界では間違いなく前衛でした。
親鸞は新しい言葉は使わず師である法然からもらった言葉に新しい意味を吹き込んで、阿弥陀仏の教えを革新的に展開させていった、というのが通常言われる内容ですが、やはりそっくりそのまま伝えるのではなく、自分の言葉で伝えるということは不可避だったのでしょう。
そっくりそのまま浄土宗のような感じにはならなかったようです。
ゆえに、明治期に宗教法人登録の際に浄土宗ではなく「浄土真宗」という名称になったのでしょう。
これまであった既存のものに自分で得た概念を取り込んで、さらに昇華させる…これは自身の宗教を興した開祖といわれる人たちの共通点なのです。
道元であろうと、栄西であろうと、日蓮であろうと一緒なのだ。
ゆえに、こうして哲学を形成してきた開祖に倣うように、いろんな本が安手で入手できる現代ゆえに、いろんな本を濫読していけばいいではないか、といったことを宗教にドはまりしている知人に言うのですがなかなかわかってくれません(笑)。
いろんなものを万般に学んで自身の哲学を形成するということは、鎌倉時代にはできた話しではなかったのです。
紙自体がかなり貴重なもので一般民衆にはできた話しではなかったのです。
ゆえに、日蓮は「私の言ったことだけを実践すればいい」と弟子や信徒たちに言ったのでしょう。
そういう時代背景を考慮に入れずに、ひたすら開祖の言ったことだけを学び、そして日々実行していくだけでは人生が晴れることはないでしょう。
鎌倉時代には存在しなかった概念や観念が山ほど発生しているのですし、それらに開祖の言ったことだけに依拠していけば必ず晴れるといったようなことは考えにくいからです。
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今回はこれにて失礼いたします。
ありがとうございました!

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