人の思想形成は無から有を生み出せるものではない?開祖.親鸞も? (親鸞とユダヤ.キリスト)
こんにちは。
親鸞や日蓮といった開祖を研究していくと興味深くなってくるのは、共通点を見いだすことができることが最大の面白さです私の場合は。
親鸞の著した『教行信証』には、膨大な資料と知識量がちりばめられてあって、力強く美しい文体なのです。
これも日蓮と一緒なのです。
いろんな仏教に遊学したのみならず、儒教や道教なども真摯に学んでいって、自分の仏教の世界観を創り出したのです。
親鸞は、越後で7年間を過ごした後に、関東へ拠点を移し、布教活動に代わったのです。
その後、武装化した武士が農民を支配する格差社会を目にすることになるのです。
その武士たちにも、阿弥陀仏の本願が平等であると説いたので、それに感動して帰依する門徒が続出したのです。
親鸞(下写真)も非常な勉強家で、いろんなものを媒体にモラル.哲学を形成したのです。
やはり大量の砂の中から砂金を探すというような途方もない作業でも厭わない人でなければ、教祖、開祖といった人たちは務まらないのが明白です。
さて、親鸞の接した媒体ですが、ある媒体によって悪人正機説を創り、そして説いたようですが、それはやはり基督教由来なのは明白です。
「人間は生まれもって罪深い存在だ」「この世に義人は1人もいない」
これは聖書に書かれている内容として有名ですが、それゆえにその悪人正機説に結び付けたのは明白です。
その当時の聖書といわれる『世尊布施論』という本を親鸞が読んでいたとして、西本願寺に今も保管されているのです。
そして、人類みな平等という思想もキリスト由来であり、その思想は士農工商という身分関係を固守しなくてはいけない江戸幕府にとって、邪見になるかろいう理由で基督信仰は禁止した、ということは日本の歴史を思い出せれるでしょう。
その平等思想は、すでに鎌倉時代の親鸞が説いていたのです。
もちろん、無から有に親鸞がはっと思いついたわけではないです。
当然、キリスト教由来なのです。
このように人間の思想の形成というものは、無から有を生み出すのではなく、他の媒体からヒントを得て、自己流にアレンジするか,そっくりそのまま取り入れるかどうかなのです。
そうして出来上がった思想は、カリスマ的な人物であれば取り入れたいと思う人が多く輩出するでしょうが、カリスマ性のない人は踏襲しようとする人はいないで終わってしまうでしょう。
そのカリスマ性は、やはり天与のものなのでしょうか…そんな気がします。
その天与のものを親鸞が受けていたがゆえに、門下になりたいという人が大勢出て、真宗王国などといわれるほどの隆起を見せ、今や日本で一番信者の多い宗教は浄土真宗という現在の状態になったのでしょう。
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今回はこれにて失礼いたします。
ありがとうございました!

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