自分に逢着してしまった結果は、宗教的な視点を入れて打開を目指すべし? (親鸞とユダヤ.キリスト)
こんにちは。
宗教というものは面白いもので、いつの世でも人の精神を惹き付けてやまないものですね。
こんにちのような科学が発達して、一見縋らなくてもいいような時代においても、人の精神を惹き付けてやまないのですから。
同じことをしていても、上手くいく人とそうでない人がいる。
ちょっと遅れていれば大惨事に巻き込まれるところを寸での差で巻き込まれずに済んだ人もいれば、それに巻きまれてしまった人もいる。
こういう例ってありますよね?
「こういう不運に何でいつも自分は巻き込まれてしまうのか?」といったことを考えてしまうのです。
やはり、科学的に証明のつかないことが自分には起きてしまって不幸が何度も起こる。
そういう人は、やはり宗教に縋ったり、それによってそういった不幸から打開しようとする。
やはりその気持ちはよくわかりますし、それが自然でしょう。
浄土真宗の親鸞(下写真)が曰く、「兎や羊の毛の先にある塵のような小さい罪を犯すのも、すべて思いを超えた無限の因縁が背景にあると感知すべきである。」と自身の書に書いているのです。
見えるか見えないかの小さな罪ですら、宿世からの因縁であり、現世での報いとしてこうむる、ということでしょう。
たとえ、自分に重い背景があったとしても、それは自分を成り立たせている大事な背景なのだと理解できれば、重い過去が大事な過去になり、喜んで引き受けて立ち上がっていけるというふうに変わって行くのでは?という意見が成り立ちますね。
このような現世の理だけでは説明のつかないことを引き合いに出して相談してきた人を説得する。
それは、やはりカリスマ的な人物でなければ説得することはできないでしょう。
しかるに親鸞は、カリスマ性を内包していたので、こういった論議で多くの人を覚醒してきたのでしょう。
親鸞は、いろんな宗教書についても造詣があったようで、いつも書を読み漁っていたようです。
質問されたら、すぐさま返答ができるような人、言ってみればゴムまりのような柔軟性がある人はやはり追随し付いてくる人も多かったでしょう。
そのカリスマ性は半端ないもので、現代日本において信者がもっと多いのは浄土真宗だそうで私は驚いてしまいました。
てっきり創価学会が一番信者が多い団体と思っていました。
しかし、疑問が起きます。
親鸞ははたしてあの世へ行き来できた人だったのでしょうか、という。
親鸞に以下の言葉があります。
「この私においては、ただ念仏によって実在を回復できるという如来の本願の道を法然上人からいただいて、それを信じるのみである。
念仏は、本当に浄土という世界へ往くための原因なのか、また地獄という世界へ落ちる行為なのか、私は一切知らない。
法然上人にだまされた念仏して、地獄に堕ちたとしても決して後悔しない。」
ここを読むと、親鸞は天国や地獄といったものにいけなかったのではないか、と思われてならなったのです。
そんなな能力は必要ないのではないか?
よしんばそういう能力がなかったとしても良かったではないか?
そんな疑問がわくのが必然でしょう。
しかし、こと宗教を論じるならば、そういった視点も内包しながら、信者の行方の指針になるのは言うまでもないでしょう。
ならば実際にあの世に行き来出来て、その詳細について描写できた人の意見を聞いた方がいいに決まってます。
あの世といったものまで視点に入れながら、ことを論じなければ宗教的な意味がないと私は思っていました。
そういうものまで視点に入れて、ことを論じてくれるのかなと思い、以前に創価学会に私は入りましたが、ここではこの世での倫理ばかりを説くだけで、あまり魅力を感じなかったというのが正直なところでした。
しかし、あの世に行って帰ってくる能力が親鸞にあったかどうかは、こういった親鸞の遺した書物を読んでもわからないです。
もしかしたら行けたかもしれないですし、行けなかったかもしれないです。
それに、死んで召されても、地獄にいくか天国に行くかどうかは親鸞が判断することではないです。
その判断は、あの世で閻魔大魔王がすることになっているからです。

ゆえに自分が地獄に行くかどうかはわからない、とした可能性があります。
そこはどう考えるか?
現代では、いろんな宗教の書物を買って読むことができるのです。
それで、あの世にいって帰ってこれる能力があるという人の書物を読むのがいいでしょう。
誰しも1つの宗教に入っていくのが普通です。
それから、その宗教では疑問が解けないと思ったら、そういう内容を含んだ宗教の事柄について本を買って読んで、自分の生活、人生に取り込めばいいのではないでしょうか?
ことは、1つの宗教だけで人生は解決できるものではない、というのが私のモラルなのです。
このページの最初に取り上げた運のよい人、悪い人の原因については、大きな視点が必須です。
この世でのモラルや、生活全般や人との接し方はもとより、風水や清潔感、住む場所の方位、その土地柄、過去世の因縁、等々、こういったものをまで視点に入れて打開していかなくてはいけないのですが、もっとも大事なのは、正確な知識と日々の行動なのです。
こういった様々なことを1つの宗教だけで学べることはできないのです。
ゆえに、どの宗教にも与しないし、人にも入ることを勧めないのです。
ただ、どの宗教にも学べる点は多くあるので、どの宗教の書物は一通り読んで、学べる点は取り入れて生活に生かしている、というのが正直なところなのです。
もちろん浄土真宗についても学べる視点が多くあったのは間違いないです。
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⇒親鸞を貫くユダヤ.キリスト性
今回はこれにて失礼いたします。
ありがとうございました!

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