大学生としての資質とはどういうものか?加藤秀俊の理論から考える。
こんにちは。
私が大学時代に、ある1冊の本を読んで、その著者の本を数冊古本屋で買い、その後、財布の事情が許す限り、本屋に取り寄せを頼んで買ってしまったことがありました。
その著者は加藤秀俊(下写真)という社会学者です。

惜しむらくは、この人は2024年に亡くなってしまいましたが…。
その肩書から、その専門は社会学、ということになりますが、加藤氏は、社会学のみならず、いろんな学問に好奇心の赴くまま本を読み、勉強を修めて、本を書き、講演をこなしてきたのです。
彼は1日に1冊という読書を大学時代に課したことがわかったのです。
その著『独学のすすめ』で知ることができました。
こういう行為は強制によってできることではないのです。
人と比べてではなく、それをする段かいになった時に、おのずとそういう行動においてやりこんでしまい、気が付いたら閉館の時間になってしまっていた。
そういうものが人生生活において見つけれて、それを生業にできたらそれはそれは素敵な人生でしょう。

そういう事を大学の勉学において学生のだれもがしていくのが当然、と私は思っていたのです。
「大学に入るのを希望して大学に入ったのだから誰もが、勉強好きで当然」…そんなことを思っていました。
しかし、私の通った大学は、レベル的には真ん中よりも上であったにもかかわらず、誰もが遊びほうけている。
これでは、汗水たらして働き、お金を貯めて、それを払い、子供を大学に行かせてあげているお母さん、お父さんへの不幸者たちめが!と怒りを心に燃え上がらせていたのです(笑)。
こんな学生ばかりでは日本の未来は暗い…そんなことを思っていましたが、それは杞憂と思っていいのでしょう。
かなりの文字好き、読書好きの加藤秀俊氏によって本から抽出された理論によって、どうしてこういう事象になってしまうのかが知ることができました。
文字好き、文字嫌い、その違いは生まれ持っての資質にあるのです。
だから、学業をおろそかにしてもいたしかたない、とその理論を知ることで、私はその怒りを鎮静し消去することができました。
しかし、当時は、団塊の世代といわれる親御さんの世代の息子や娘が大学に行く時代。
その世代は、日本のほぼ全員が高収入に恵まれていた時代だったから、それでも良かったのです。
しかし、今や格差社会。

そんな時代であるにもかかわらず、大学の学費は上がっているのです。
1コマ1時間半で3000円はするでしょうか?
しかし、大学在学中に気づいていればよかったですが、そんな価値が大学の講義にあるか?
絶対にないです(笑)。
Fランなる大学ランク付けの言葉は、私の時代にはなかったですが、そういうレベルの大学になればなるほど、学費はもっと高くなるのです。
そういうこと(=大学に行って学ぶ)をする必要はあるか?
全然ないです。

対費用効果の面でも、大学教授たちをのさばらせるという面でも全然意味がないです(笑)。
大学に行くことによってしか得れなかったものがあった時代においては、高いお金を払ってでも行くべきでだったしょうが、今はそんな時代ではないのです。
各種公務員試験、司法試験、会計士試験…etcは、昔は大学を卒業しなくては行けなかった時代があったようですが、今や大学に行かなくても試験は誰でも受けて合格する時代になったのです。
だから無理やり行く必要はないでしょう。
もちろん、これは文系大学のみの話しですし、理系の職業で大学を卒業しなくては資格を取れないものはこの限りではありませんが。
では昨今において大学の勉強をどのようにとらえればよいでしょうか?
以下の電子書籍をお読みくださいませ!
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する

今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。
失礼いたします。
私が大学時代に、ある1冊の本を読んで、その著者の本を数冊古本屋で買い、その後、財布の事情が許す限り、本屋に取り寄せを頼んで買ってしまったことがありました。
その著者は加藤秀俊(下写真)という社会学者です。
惜しむらくは、この人は2024年に亡くなってしまいましたが…。
その肩書から、その専門は社会学、ということになりますが、加藤氏は、社会学のみならず、いろんな学問に好奇心の赴くまま本を読み、勉強を修めて、本を書き、講演をこなしてきたのです。
彼は1日に1冊という読書を大学時代に課したことがわかったのです。
その著『独学のすすめ』で知ることができました。
こういう行為は強制によってできることではないのです。
人と比べてではなく、それをする段かいになった時に、おのずとそういう行動においてやりこんでしまい、気が付いたら閉館の時間になってしまっていた。
そういうものが人生生活において見つけれて、それを生業にできたらそれはそれは素敵な人生でしょう。
そういう事を大学の勉学において学生のだれもがしていくのが当然、と私は思っていたのです。
「大学に入るのを希望して大学に入ったのだから誰もが、勉強好きで当然」…そんなことを思っていました。
しかし、私の通った大学は、レベル的には真ん中よりも上であったにもかかわらず、誰もが遊びほうけている。
これでは、汗水たらして働き、お金を貯めて、それを払い、子供を大学に行かせてあげているお母さん、お父さんへの不幸者たちめが!と怒りを心に燃え上がらせていたのです(笑)。
こんな学生ばかりでは日本の未来は暗い…そんなことを思っていましたが、それは杞憂と思っていいのでしょう。
かなりの文字好き、読書好きの加藤秀俊氏によって本から抽出された理論によって、どうしてこういう事象になってしまうのかが知ることができました。
文字好き、文字嫌い、その違いは生まれ持っての資質にあるのです。
だから、学業をおろそかにしてもいたしかたない、とその理論を知ることで、私はその怒りを鎮静し消去することができました。
しかし、当時は、団塊の世代といわれる親御さんの世代の息子や娘が大学に行く時代。
その世代は、日本のほぼ全員が高収入に恵まれていた時代だったから、それでも良かったのです。
しかし、今や格差社会。
そんな時代であるにもかかわらず、大学の学費は上がっているのです。
1コマ1時間半で3000円はするでしょうか?
しかし、大学在学中に気づいていればよかったですが、そんな価値が大学の講義にあるか?
絶対にないです(笑)。
Fランなる大学ランク付けの言葉は、私の時代にはなかったですが、そういうレベルの大学になればなるほど、学費はもっと高くなるのです。
そういうこと(=大学に行って学ぶ)をする必要はあるか?
全然ないです。
対費用効果の面でも、大学教授たちをのさばらせるという面でも全然意味がないです(笑)。
大学に行くことによってしか得れなかったものがあった時代においては、高いお金を払ってでも行くべきでだったしょうが、今はそんな時代ではないのです。
各種公務員試験、司法試験、会計士試験…etcは、昔は大学を卒業しなくては行けなかった時代があったようですが、今や大学に行かなくても試験は誰でも受けて合格する時代になったのです。
だから無理やり行く必要はないでしょう。
もちろん、これは文系大学のみの話しですし、理系の職業で大学を卒業しなくては資格を取れないものはこの限りではありませんが。
では昨今において大学の勉強をどのようにとらえればよいでしょうか?
以下の電子書籍をお読みくださいませ!
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する

今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。
失礼いたします。
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