格差社会において、大学進学の是非を講義内容から考察する(加藤秀俊)
こんにちは。
前回は、大学で学ぶ学問は、わざわざ大学で学ばなくても、本で学べるということを書きました。
試しに、新本ではなくてもいいです、古本屋で売っている学問の本を買って読んでみることをお勧めします。

そこで学んだ内容と、大学の講義で書いたノートを照らし合わせてみればいいと思います。
大差はないでしょう…いや、本で学べる内容の方が充実していることもしばしばあります。
そうでしょう、大学の教授はそんなに研究らしい研究をせずとも大金が入ってくるから、研究らしい研究をしないのです。
大学受験の予備校で、いい加減な授業をしていたら、誰もが文句を言って、そのことについて噂が広まり、その先生の授業は誰も履修してくれなくなること必至です。
しかし、大学ではいい加減な講義をしていてもほとんどの学生が抗議しないのです。
それはなぜか?
大学で学びたいからという人よりも、大学卒業という肩書が欲しいだけだからです。
開始時間からかなり遅く来て、予定時間よりも早く終わったりする教授は多いでしょう?
しかも、その講義の内容は、あらかじめ書いてきたノートを読んでいるだけとか、教科書に書いてあることを解説しているだけの講義というのがほとんどでしょう。

私が大学生時代に、民法の講義が終わった時に、その教授の元に行って質問しようとしましたが、そこにあったあまりにボロボロでまっ茶っ茶なノートにびっくりしてしまいました。
30年間、ずっと同じノートを読んでいるだけで、ほとんど研究らしい研究などしてこなかったのが、それで明らかになりました。
その教授は、その大学の教員を退官するまで、本を1冊しか出していなかったのです。
それも編著本で、その本の1章だけを書いただけなのです。
こんな教授でも、当時2000万円は年収でもらっていたでしょう。
なぜか?
そんないい加減な講義でも、抗議せず、退学せずに卒業までの4年間に高い学費を払い続けて通い続ける学生が大勢いるからです。
こんないい加減な教授ばかりだから、大学を辞めてやるといってやめる人は少数ながらいますが、それは全体的にはかなり少数であることは間違いないのです。

そういう人が大勢いれば、さすがにいい加減な教授はいなくなるのが必然です。
しかし、実際は日本では学問に対する畏敬の念が強く、自分が学んでいこうという気概がなくても、畏敬の念を持ち続けるパターンが全体の7割以上を占めているからこそ、こういう事態を招いてしまうのです。
私が大学に通っていた時は、1時間半の大学の講義は1コマにつき2500円くらいでした。
そんな高い学費でも、当時は1億総中流国家といわれた時代で、35年間働き続ければ誰もが必ず年収1000万円といわれていた時代だったのです。
それだけ潤沢であれば、高い学費を払い、毎月仕送り金を出してでも、大学くらいは自分の子に行かせてあげよう、という気になって、曲りなりにも行けたのだろうと思います。
しかし、今や格差社会に日本はなってしまったのです。
それでいて、今は1コマ3000円以上はするのです。
日本人の平均給与額が、当時よりも下がっているのに、大学の学費は上がっている。

こんな不条理な話しはないです。
そして、今や奨学金を借りる人は学生全体の55%にまで及ぶようです。
曲りなりにも、それで大学を卒業しても、それから後はその大きな金額の奨学金を返す生活が始まってしまう。
そこで考えてほしいのですが、1コマ3000円の価値などないことは明白でしょう。
今更ながら、そのことに気づいてしまいました。
先ほど指摘した、本で読んだ内容との参照をしてみることです。
本当に学びたいなら、そんな内容と価値が見合ってないことに莫大なお金を出すことはないでしょう。
大学の学費は、日本人の幻想によって価格競争から免れているのです。
普通不味い料理を出したらお客さんはその店に行かないのですが、大学ではいい加減な講義をしていても学生は辞めないのです。
良い内容であろうが悪い内容であろうが無批判のまま据え置かれるということです。

「大学の教授たるもの本を出して自分の研究内容を世間に問わなくてはならない」と書いたのは、私の尊敬する学者である桜井邦朋氏ですが、私はその通りと思いました。
しかし、大半の教授は本など出さないです。
なぜか?
本など出さなくても、莫大な年収が入ってくるからです。
研究などしなくても、毎年同じ講義ノートを読んでいるだけで大金が入ってくるからです(笑)。
こんな不条理な話しはないのです。
大学においてしか秘伝的な情報が学べるということはないのです。
しかし、大学での講義される内容は本を買って主体的に学ぶことで習得できるのです。
大学受験で培った現代文の能力で充分なのです。
私が敬愛してきた加藤秀俊氏(下写真)は、その友人で、大学は出ていないけれども、本を読んで学びに学んで教授と同等かそれ以上の知見を持った例を幾人もあるということを氏の『独学のすすめ』の中で書いています。

司法試験にしろ、会計士試験にしろ、高校卒でも受験できるのです。
その他、公務員試験も。
ゆえに不条理な教授をのさばらせることなく、見合ったものにお金を投資することで健やかな人生をあゆむことができるのではないでしょうか?
大学への無批判な信仰を辞めるべき時がきているような気がします。
●そんな思想内容に興味のある人は、以下の電子書籍をお勧めします。
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
前回は、大学で学ぶ学問は、わざわざ大学で学ばなくても、本で学べるということを書きました。
試しに、新本ではなくてもいいです、古本屋で売っている学問の本を買って読んでみることをお勧めします。
そこで学んだ内容と、大学の講義で書いたノートを照らし合わせてみればいいと思います。
大差はないでしょう…いや、本で学べる内容の方が充実していることもしばしばあります。
そうでしょう、大学の教授はそんなに研究らしい研究をせずとも大金が入ってくるから、研究らしい研究をしないのです。
大学受験の予備校で、いい加減な授業をしていたら、誰もが文句を言って、そのことについて噂が広まり、その先生の授業は誰も履修してくれなくなること必至です。
しかし、大学ではいい加減な講義をしていてもほとんどの学生が抗議しないのです。
それはなぜか?
大学で学びたいからという人よりも、大学卒業という肩書が欲しいだけだからです。
開始時間からかなり遅く来て、予定時間よりも早く終わったりする教授は多いでしょう?
しかも、その講義の内容は、あらかじめ書いてきたノートを読んでいるだけとか、教科書に書いてあることを解説しているだけの講義というのがほとんどでしょう。
私が大学生時代に、民法の講義が終わった時に、その教授の元に行って質問しようとしましたが、そこにあったあまりにボロボロでまっ茶っ茶なノートにびっくりしてしまいました。
30年間、ずっと同じノートを読んでいるだけで、ほとんど研究らしい研究などしてこなかったのが、それで明らかになりました。
その教授は、その大学の教員を退官するまで、本を1冊しか出していなかったのです。
それも編著本で、その本の1章だけを書いただけなのです。
こんな教授でも、当時2000万円は年収でもらっていたでしょう。
なぜか?
そんないい加減な講義でも、抗議せず、退学せずに卒業までの4年間に高い学費を払い続けて通い続ける学生が大勢いるからです。
こんないい加減な教授ばかりだから、大学を辞めてやるといってやめる人は少数ながらいますが、それは全体的にはかなり少数であることは間違いないのです。
そういう人が大勢いれば、さすがにいい加減な教授はいなくなるのが必然です。
しかし、実際は日本では学問に対する畏敬の念が強く、自分が学んでいこうという気概がなくても、畏敬の念を持ち続けるパターンが全体の7割以上を占めているからこそ、こういう事態を招いてしまうのです。
私が大学に通っていた時は、1時間半の大学の講義は1コマにつき2500円くらいでした。
そんな高い学費でも、当時は1億総中流国家といわれた時代で、35年間働き続ければ誰もが必ず年収1000万円といわれていた時代だったのです。
それだけ潤沢であれば、高い学費を払い、毎月仕送り金を出してでも、大学くらいは自分の子に行かせてあげよう、という気になって、曲りなりにも行けたのだろうと思います。
しかし、今や格差社会に日本はなってしまったのです。
それでいて、今は1コマ3000円以上はするのです。
日本人の平均給与額が、当時よりも下がっているのに、大学の学費は上がっている。
こんな不条理な話しはないです。
そして、今や奨学金を借りる人は学生全体の55%にまで及ぶようです。
曲りなりにも、それで大学を卒業しても、それから後はその大きな金額の奨学金を返す生活が始まってしまう。
そこで考えてほしいのですが、1コマ3000円の価値などないことは明白でしょう。
今更ながら、そのことに気づいてしまいました。
先ほど指摘した、本で読んだ内容との参照をしてみることです。
本当に学びたいなら、そんな内容と価値が見合ってないことに莫大なお金を出すことはないでしょう。
大学の学費は、日本人の幻想によって価格競争から免れているのです。
普通不味い料理を出したらお客さんはその店に行かないのですが、大学ではいい加減な講義をしていても学生は辞めないのです。
良い内容であろうが悪い内容であろうが無批判のまま据え置かれるということです。
「大学の教授たるもの本を出して自分の研究内容を世間に問わなくてはならない」と書いたのは、私の尊敬する学者である桜井邦朋氏ですが、私はその通りと思いました。
しかし、大半の教授は本など出さないです。
なぜか?
本など出さなくても、莫大な年収が入ってくるからです。
研究などしなくても、毎年同じ講義ノートを読んでいるだけで大金が入ってくるからです(笑)。
こんな不条理な話しはないのです。
大学においてしか秘伝的な情報が学べるということはないのです。
しかし、大学での講義される内容は本を買って主体的に学ぶことで習得できるのです。
大学受験で培った現代文の能力で充分なのです。
私が敬愛してきた加藤秀俊氏(下写真)は、その友人で、大学は出ていないけれども、本を読んで学びに学んで教授と同等かそれ以上の知見を持った例を幾人もあるということを氏の『独学のすすめ』の中で書いています。
司法試験にしろ、会計士試験にしろ、高校卒でも受験できるのです。
その他、公務員試験も。
ゆえに不条理な教授をのさばらせることなく、見合ったものにお金を投資することで健やかな人生をあゆむことができるのではないでしょうか?
大学への無批判な信仰を辞めるべき時がきているような気がします。
●そんな思想内容に興味のある人は、以下の電子書籍をお勧めします。
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
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