大学の講義に料金に見合っているかどうか吟味すべし? (加藤秀俊)
こんにちは。
今、私の大学時代を振り返ると、1コマの講義の代金を計算すると、1コマ2500円前後でした。
それを今、回顧すると、そのお金は価値に見合ってない、ということがわかりました。
しかし、当時とは違っていまは格差社会です。
にもかかわらず、大学の学費の料金は上がっているのです。
それで計算すると1コマ3000円以上するのです。
もっと見合ってないのは明白です。

例えば、大学での講義に出席して、ノートを取り、その内容と、本を中古本屋にいって1冊100円のを買って読んで、その内容を吟味して比較してみることが重要です。
そんなに違いはないはずです…そんなことないです(笑)
1冊100円で売っている中古本の方が有意義と思えるパターンの方が多いはずです。
格差社会において、そんな意味のない講義にお金を使わずに、自身で勉強したほうがいいのではないか?
そのことに早く多くの人が気付くべきではないか、と思われてならないですね私は。
確かに、どんな本でも学ぶものが必ず何か所かあるものです。
それと同じように、大学の講義でも参加していれば、なにがしか学ぶ箇所があるのです。
それに騙されて、大学を辞めずに4年間を費やす人が多いのではないでしょうか?

どうして4年間を辞めずに費やすのか?
それは入学した人の大半の人が大学卒業という肩書が欲しいからでしょう?
日本は世界でも珍しい国で、高校卒業生の大半が大学に行く国民がいるのです。
それは学業に対する畏敬の念が大半の国民が無意識のうちに内面化されているからです。
それゆえに、大学に大半の人があこがれの念を抱いているのです。
それで大学進学をする。
それはかつての70年代から90年代のように、一億総中流国家といわれていた時代ならば、「ちょっと財布に痛いけれども子供には大学へ行けせてやろう」という気概をもって、子供を大学に行かせることも不問に付していてもよかったでしょうか。
しかし、今や格差社会になってしまった現今においては、そういう選択は危ないです。
今は、大学生の55%が奨学金を借りる時代になってしまったのです。
それで、曲りなりにも卒業できたとしても、奨学金の返済生活が10年近く続くのです。
それがいい生活を送れることに足かせになるのは目に見えています。
1コマ3000円以上する…講義にそんな価値はないのは明白です。
なぜそんなことが言えるか?
その内容は本を読めば明白なのです。
講義内容は1冊100円で売っている中古本に負けるのです。
もちろん講義が全部が全部そうであるとは言えませんし、教授によって千差万別でしょうけれども。
私が大学の講義で頭にきたのは、4月から1月の最後までほとんど同じようなことを言っているだけの講義、あるいは何十年も同じ講義用のノートを読んでいるだけの講義、教科書に書いてあることを説明しているだけの講義です。
そんな内容に、3000円の価値などないです。

よしんば研究に研究を重ねている教授の講義を受けたとしても、卒業後の進路に差が出るかとは思えないし、脳内や精神にそんな大きな差が生まれるとは思えないです。
そういう講義を受けるのではなくて、自身で本を買って読んで学べばいいのは言うまでもないです。
大学受験で培った現代文の能力があればそれは叶う話しでしょう。
司法試験にしろ、会計士試験にしろ、各種公務員試験にしろ、大学卒業の肩書もなくても受験して合格できる時代になったのです。
ゆえに、大学に無理やり通い続ける時代ではないでしょう。
それでも行くというのならば、通信制に行くのがいいでしょう。
宗教と同じように、大学では昔の習わしをそのまま無批判に流し続けて、それを軌道修正しない傾向が見て取れる気がします。
昔は、大学にしか本などなかったのです。
本は非常に高価なものでした。
ゆえに、その内容を写経するために行っていた国民からは憧れの貴重な存在だったのです。
しかし、今や本などは子供のお小遣い程度の少額で買える時代になったのです。
ゆえに、そこから学んだほうが料金的にも全然いいでしょう。
そのことに気がつくべきです。
大学など行かなくても、自身で本を買って読みまくり、勉強しまくり、かなりの教養を持っている友人が何人もいるということを私の敬愛していた加藤秀俊氏(下写真)は、その著『独学のすすめ』という本で書いています。

私などよりも教養の深い人の言葉を読むことで、精神に迫ってくるものを感じるはずです。
その加藤氏の偉業について書いた電子書籍を以下紹介したいです!
●お勧めです。
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する

今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
・加藤秀俊ホーム
今、私の大学時代を振り返ると、1コマの講義の代金を計算すると、1コマ2500円前後でした。
それを今、回顧すると、そのお金は価値に見合ってない、ということがわかりました。
しかし、当時とは違っていまは格差社会です。
にもかかわらず、大学の学費の料金は上がっているのです。
それで計算すると1コマ3000円以上するのです。
もっと見合ってないのは明白です。
例えば、大学での講義に出席して、ノートを取り、その内容と、本を中古本屋にいって1冊100円のを買って読んで、その内容を吟味して比較してみることが重要です。
そんなに違いはないはずです…そんなことないです(笑)
1冊100円で売っている中古本の方が有意義と思えるパターンの方が多いはずです。
格差社会において、そんな意味のない講義にお金を使わずに、自身で勉強したほうがいいのではないか?
そのことに早く多くの人が気付くべきではないか、と思われてならないですね私は。
確かに、どんな本でも学ぶものが必ず何か所かあるものです。
それと同じように、大学の講義でも参加していれば、なにがしか学ぶ箇所があるのです。
それに騙されて、大学を辞めずに4年間を費やす人が多いのではないでしょうか?
どうして4年間を辞めずに費やすのか?
それは入学した人の大半の人が大学卒業という肩書が欲しいからでしょう?
日本は世界でも珍しい国で、高校卒業生の大半が大学に行く国民がいるのです。
それは学業に対する畏敬の念が大半の国民が無意識のうちに内面化されているからです。
それゆえに、大学に大半の人があこがれの念を抱いているのです。
それで大学進学をする。
それはかつての70年代から90年代のように、一億総中流国家といわれていた時代ならば、「ちょっと財布に痛いけれども子供には大学へ行けせてやろう」という気概をもって、子供を大学に行かせることも不問に付していてもよかったでしょうか。
しかし、今や格差社会になってしまった現今においては、そういう選択は危ないです。
今は、大学生の55%が奨学金を借りる時代になってしまったのです。
それで、曲りなりにも卒業できたとしても、奨学金の返済生活が10年近く続くのです。
それがいい生活を送れることに足かせになるのは目に見えています。
1コマ3000円以上する…講義にそんな価値はないのは明白です。
なぜそんなことが言えるか?
その内容は本を読めば明白なのです。
講義内容は1冊100円で売っている中古本に負けるのです。
もちろん講義が全部が全部そうであるとは言えませんし、教授によって千差万別でしょうけれども。
私が大学の講義で頭にきたのは、4月から1月の最後までほとんど同じようなことを言っているだけの講義、あるいは何十年も同じ講義用のノートを読んでいるだけの講義、教科書に書いてあることを説明しているだけの講義です。
そんな内容に、3000円の価値などないです。
よしんば研究に研究を重ねている教授の講義を受けたとしても、卒業後の進路に差が出るかとは思えないし、脳内や精神にそんな大きな差が生まれるとは思えないです。
そういう講義を受けるのではなくて、自身で本を買って読んで学べばいいのは言うまでもないです。
大学受験で培った現代文の能力があればそれは叶う話しでしょう。
司法試験にしろ、会計士試験にしろ、各種公務員試験にしろ、大学卒業の肩書もなくても受験して合格できる時代になったのです。
ゆえに、大学に無理やり通い続ける時代ではないでしょう。
それでも行くというのならば、通信制に行くのがいいでしょう。
宗教と同じように、大学では昔の習わしをそのまま無批判に流し続けて、それを軌道修正しない傾向が見て取れる気がします。
昔は、大学にしか本などなかったのです。
本は非常に高価なものでした。
ゆえに、その内容を写経するために行っていた国民からは憧れの貴重な存在だったのです。
しかし、今や本などは子供のお小遣い程度の少額で買える時代になったのです。
ゆえに、そこから学んだほうが料金的にも全然いいでしょう。
そのことに気がつくべきです。
大学など行かなくても、自身で本を買って読みまくり、勉強しまくり、かなりの教養を持っている友人が何人もいるということを私の敬愛していた加藤秀俊氏(下写真)は、その著『独学のすすめ』という本で書いています。
私などよりも教養の深い人の言葉を読むことで、精神に迫ってくるものを感じるはずです。
その加藤氏の偉業について書いた電子書籍を以下紹介したいです!
●お勧めです。
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する

今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
・加藤秀俊ホーム
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