その著作家の本を1冊読んで良くなかったら、その人の別の本も必ず良くない? (加藤秀俊)
本は、自分が大事なコンテンツが詰まっているのです。
ゆえに、その本を読み終えた後に、その箇所を再び覗いて読むことで、また人生に必要な糧が得られるのです。
そういう本をたくさん書いた宗教の開祖の場合、その読者はその宗教者の信者になるのでしょう。

しかし、学べるものがあまりに少ない本であるならば、手元に残しておきたいとは思わないでしょう。
そういうものは中古本屋に売りにいくか、オークションに出してしまいます。
音楽にたとえてみればわかりやすいでしょう。
CDに収録されている曲が10曲中、いい曲と思える、いわゆる佳曲が2曲とか3曲しかないならば、そのCDは人にあげたくなったり、中古盤屋に売りたくなったり、ネットオークションに出品したくなるでしょう。
同じアーティストのCDで、そういう例が3回も続けば、そのアーティストのモノは買いたくなくなるでしょう。
気難しい人ならば、佳曲がアルバム中2とか3とかしか入ってないと分かれば、そのアーティストのは次は買わないと決めるでしょう。
こういう音楽アーティストとは違って著者の本の場合、学べる部分があまりに少ないのがわかったら、その場でダメ出しして、もう2度と買わないと私は決めているのです。
そういう著者は、つまらない本を書いていると、やはり次の本を読んでもつまらない場合がほとんどすべてだからです。
引用ばかりの本を書いている著者は、やはり他の本でも引用ばかりの本を書いている場合がほとんどすべてなのです。
しかし、音楽アーティストの場合は勝手が違うようです。
作曲や作詞を自身でする音楽ジャンルを私は聴いていますが、そういう音楽ジャンルでは、2人以上で作詞作曲することがままある。

それまで1人でそれらをやっていた人が他のパートナーを見つけて作詞作曲をする。
あるいは、それまで一緒に作詞作曲してきた人を解雇して、他のミュージシャンと作詞作曲する。
あるいは、それまで依頼してきたプロデューサーとの制作はやめて、違うプロデューサーに依頼する。
すると、それまでとは想像もできなかったほどの素晴らしい曲ができて、世界的な大ヒットにつながったりするのです。
こういう作詞作曲とは違って、論文や小説を書く、論文や小説の本を書く場合、1人でするゆえに、こういうまるで違う作品ができたりすることはないのです。
しかし、霊に憑りつかれたりすれば、それまでとは違う作風になったりする例があるのです。
そういう例で有名なのは三島由紀夫(下写真)です。

彼は、小説を書く能力のある霊に憑りつかれて、それまでとは違う作風になったのです。
彼は、自分の意志とは別に、ペンが彼の手を借りて小説を書くようになったと霊能者に相談に行ったのだそうです。
しかし、こういう例は三島以外、極めて稀ゆえに、他の人には起こりにくい。
しかし、私が敬愛してきた加藤秀俊氏(下写真)の本は最初から最後まで学べる箇所や、知っておきたい、ずっと脳内に入れておきたい知識や知恵がたくさん詰まっているし、知識人としてもモラルが行間にたくさん詰まっているがゆえに、彼のいろんな本を本棚に私はしまってあるのです。

その数30以上です。
こういう場合、その人の書いた本が良ければ、他の本も必ずと言っていいほどいい本なのが通常のようです。
こういうファンになってしまった場合、「集めよう!」などと意気込まずとも、いつしか何十冊も集まっている…そんな感じなのです。
そういう著作家が、人生の中で1人でもいればそれはそれは幸福な人生を歩めること間違いなしです。
そんな行動に私を移させてしまった加藤秀俊氏は、どんな知識人だったか?
興味ある人は、以下からお求めくださいませ!
●非常にお勧めです。
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する

今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。
・加藤秀俊ホーム
ゆえに、その本を読み終えた後に、その箇所を再び覗いて読むことで、また人生に必要な糧が得られるのです。
そういう本をたくさん書いた宗教の開祖の場合、その読者はその宗教者の信者になるのでしょう。
しかし、学べるものがあまりに少ない本であるならば、手元に残しておきたいとは思わないでしょう。
そういうものは中古本屋に売りにいくか、オークションに出してしまいます。
音楽にたとえてみればわかりやすいでしょう。
CDに収録されている曲が10曲中、いい曲と思える、いわゆる佳曲が2曲とか3曲しかないならば、そのCDは人にあげたくなったり、中古盤屋に売りたくなったり、ネットオークションに出品したくなるでしょう。
同じアーティストのCDで、そういう例が3回も続けば、そのアーティストのモノは買いたくなくなるでしょう。
気難しい人ならば、佳曲がアルバム中2とか3とかしか入ってないと分かれば、そのアーティストのは次は買わないと決めるでしょう。
こういう音楽アーティストとは違って著者の本の場合、学べる部分があまりに少ないのがわかったら、その場でダメ出しして、もう2度と買わないと私は決めているのです。
そういう著者は、つまらない本を書いていると、やはり次の本を読んでもつまらない場合がほとんどすべてだからです。
引用ばかりの本を書いている著者は、やはり他の本でも引用ばかりの本を書いている場合がほとんどすべてなのです。
しかし、音楽アーティストの場合は勝手が違うようです。
作曲や作詞を自身でする音楽ジャンルを私は聴いていますが、そういう音楽ジャンルでは、2人以上で作詞作曲することがままある。

それまで1人でそれらをやっていた人が他のパートナーを見つけて作詞作曲をする。
あるいは、それまで一緒に作詞作曲してきた人を解雇して、他のミュージシャンと作詞作曲する。
あるいは、それまで依頼してきたプロデューサーとの制作はやめて、違うプロデューサーに依頼する。
すると、それまでとは想像もできなかったほどの素晴らしい曲ができて、世界的な大ヒットにつながったりするのです。
こういう作詞作曲とは違って、論文や小説を書く、論文や小説の本を書く場合、1人でするゆえに、こういうまるで違う作品ができたりすることはないのです。
しかし、霊に憑りつかれたりすれば、それまでとは違う作風になったりする例があるのです。
そういう例で有名なのは三島由紀夫(下写真)です。

彼は、小説を書く能力のある霊に憑りつかれて、それまでとは違う作風になったのです。
彼は、自分の意志とは別に、ペンが彼の手を借りて小説を書くようになったと霊能者に相談に行ったのだそうです。
しかし、こういう例は三島以外、極めて稀ゆえに、他の人には起こりにくい。
しかし、私が敬愛してきた加藤秀俊氏(下写真)の本は最初から最後まで学べる箇所や、知っておきたい、ずっと脳内に入れておきたい知識や知恵がたくさん詰まっているし、知識人としてもモラルが行間にたくさん詰まっているがゆえに、彼のいろんな本を本棚に私はしまってあるのです。
その数30以上です。
こういう場合、その人の書いた本が良ければ、他の本も必ずと言っていいほどいい本なのが通常のようです。
こういうファンになってしまった場合、「集めよう!」などと意気込まずとも、いつしか何十冊も集まっている…そんな感じなのです。
そういう著作家が、人生の中で1人でもいればそれはそれは幸福な人生を歩めること間違いなしです。
そんな行動に私を移させてしまった加藤秀俊氏は、どんな知識人だったか?
興味ある人は、以下からお求めくださいませ!
●非常にお勧めです。
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する

今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。
・加藤秀俊ホーム
コメントを書く... Comments