自分のスタンスを決める際には、多面的に深く論じた著作家の本を読むべし? (加藤秀俊)
こんにちには。
自分の立場を確立するには、人の意見が大いに役立つことがあります。
こういう経験はないでしょうか?
某宗教に入っている人に、その宗教への入信を勧められたりするけれども、そういう場合、私は何とも回答に苦しむのです。
その人やその周りの人たちからは「この宗教こそ最高の宗教。入れば必ず人生は好転する」というようなことを情熱を込めて語られるので、こっちも窮してしまうのです。
しかし、読書をしていると、立場を同じくする人の意見を聞くとそれが自分のスタンスを決めるのに大いに役立ったりするものです。
こと宗教に関しても一緒です。
私が敬愛していた故.加藤秀俊氏(下写真)とも私は宗教に対するスタンスが一緒でした。

「宗教の良さは認めるけれども、1つの宗教にだけぞっこんにはならない」
ということです。
これは、私と一緒でした。
私はかつて日蓮正宗の信徒団体だった創価学会に入会を勧められて入るも、講義や新聞では毎回毎回同じ言葉を繰り返すだけだったのでつまらなくなり、新聞の購読も解除し、集会にも行かなくなりました。
宗教というのは人間の精神にとって大事なものなのでしょう。
それがあることで日々の精神的な支柱になり、それが不可欠になってくるもののようです。
その精神的な充実の結果、多くの人の賞賛を集め、その結果、誇大な喧伝がなされて、この人こそが崇め奉る対象だ、などといった大仰な言葉で流布されたりする。
そして、その宗教を開宗した宗祖の大きな、そして巨大な像が建てられたりする。
その代表例は、大仏のモデルになった釈迦でしょう。

奈良の大仏は、ものすごく巨大ですが、あれは当時流行していた疫病を鎮めるために建てられたものです。
それは、医学の発達していなかった当時においては、ウィルスが人から人に伝播するというメカニズムゆえに疫病が流行るということが解明されていなかったがゆえに、ああいう巨大な像を立てて祈れば疫病が収めるための最高の手段として信じられていたがためゆえの結果だったのです。
ゆえに、疫病流行のメカニズムが解明された現代においては、ああいう巨大な像のモデルになりうる人物が現れるかどうか、非常にあやしいです。
よしんば、そういう人物が現れたとしても、私がその人物のすばらしさを喧伝したとしても、受け入れてくれる人がどれだけいるのだろうかと、これまたあやしくなるのです。
喧伝の際にも、喧伝する人のカリスマ性が必要なのは、人類の歴史を見ればわかるからです。
確かに、釈迦の遺した言葉から学び、日々の糧にしなくてはならないものがあるのはやぶさかではないです私は。
しかし、いくら釈迦の遺した言葉でも、全部を受けいられないというのが私の立場なのです。
もちろん日蓮(下写真)についても同様に!

鎌倉時代のお坊さんです日蓮は。
この人が生きていた時代に解明できなかったものが後世になって解明できた。
ゆえに、こういう場合はこうしろと日蓮が生前に言ったことについて後世になって間違いであるとわかったならば、それは矯正しなくてはならないでしょう。
ゆえに、いくら日蓮がカリスマ的な人物だったとしても、全部を受け入れるわけにはいかないのです。
しかし、日蓮正宗や、その信徒団体であった創価学会や顕正会の人たちは、せっせと日蓮の言ったことを学びに学び、それの是非を問うことは一切していないのです。
不思議でたまらないのです私は(笑)
しかし、部分的には学べるものがあると感じているので、そこだけは受けいれますが、全部はちょっと…(笑)
こういうスタンスを決めるには読書が大いに役立ちます。
それに際し、私は大いに加藤秀俊氏には助けられた、と思います。
ただ意見が同じうした、というだけではなく、加藤秀俊氏は多面的に広く、そして深く考察をしてから自身の意見を書いていたからこそ参考にできたのです。
短絡的な意見では知識人として失格です(笑)

しかし、宗教にぞっこんになる人はやはり畏敬の念をその宗教やその崇める対象に持っているがゆえに無批判になってしまうのです。
やはり神や仏は畏れる対象であり、敬する対象です。
ゆえに、その宗教内で言われることは無批判になってしまう気持ちはわかります。
この宗教で言われていることに関しては守らないと自分の身が危うくなってしまう、というような妄想に入ってしまうのでしょう。
しかし、私は惑わされません。
このように1つの宗教だけに拘らないで、その宗教で言われていることに関して賛同できるものに関しては賛同して、賛同できないものに関しては賛同しない…こういうスタンスを選んで生きていくと決めた以上、その責任は自分にありますから、そのことは心していくつもりです。
そのスタンスに決めた結果、被った結果については全部受けいれます。
誰の責任でもありません。
そんな人生を決めてしまうに際して、大いに助かった加藤秀俊氏の偉業について多面的に掘り下げて論じた電子書籍は以下です。
●大いに参考になります!
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する

今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。
・加藤秀俊ホーム
自分の立場を確立するには、人の意見が大いに役立つことがあります。
こういう経験はないでしょうか?
某宗教に入っている人に、その宗教への入信を勧められたりするけれども、そういう場合、私は何とも回答に苦しむのです。
その人やその周りの人たちからは「この宗教こそ最高の宗教。入れば必ず人生は好転する」というようなことを情熱を込めて語られるので、こっちも窮してしまうのです。
しかし、読書をしていると、立場を同じくする人の意見を聞くとそれが自分のスタンスを決めるのに大いに役立ったりするものです。
こと宗教に関しても一緒です。
私が敬愛していた故.加藤秀俊氏(下写真)とも私は宗教に対するスタンスが一緒でした。
「宗教の良さは認めるけれども、1つの宗教にだけぞっこんにはならない」
ということです。
これは、私と一緒でした。
私はかつて日蓮正宗の信徒団体だった創価学会に入会を勧められて入るも、講義や新聞では毎回毎回同じ言葉を繰り返すだけだったのでつまらなくなり、新聞の購読も解除し、集会にも行かなくなりました。
宗教というのは人間の精神にとって大事なものなのでしょう。
それがあることで日々の精神的な支柱になり、それが不可欠になってくるもののようです。
その精神的な充実の結果、多くの人の賞賛を集め、その結果、誇大な喧伝がなされて、この人こそが崇め奉る対象だ、などといった大仰な言葉で流布されたりする。
そして、その宗教を開宗した宗祖の大きな、そして巨大な像が建てられたりする。
その代表例は、大仏のモデルになった釈迦でしょう。
奈良の大仏は、ものすごく巨大ですが、あれは当時流行していた疫病を鎮めるために建てられたものです。
それは、医学の発達していなかった当時においては、ウィルスが人から人に伝播するというメカニズムゆえに疫病が流行るということが解明されていなかったがゆえに、ああいう巨大な像を立てて祈れば疫病が収めるための最高の手段として信じられていたがためゆえの結果だったのです。
ゆえに、疫病流行のメカニズムが解明された現代においては、ああいう巨大な像のモデルになりうる人物が現れるかどうか、非常にあやしいです。
よしんば、そういう人物が現れたとしても、私がその人物のすばらしさを喧伝したとしても、受け入れてくれる人がどれだけいるのだろうかと、これまたあやしくなるのです。
喧伝の際にも、喧伝する人のカリスマ性が必要なのは、人類の歴史を見ればわかるからです。
確かに、釈迦の遺した言葉から学び、日々の糧にしなくてはならないものがあるのはやぶさかではないです私は。
しかし、いくら釈迦の遺した言葉でも、全部を受けいられないというのが私の立場なのです。
もちろん日蓮(下写真)についても同様に!

鎌倉時代のお坊さんです日蓮は。
この人が生きていた時代に解明できなかったものが後世になって解明できた。
ゆえに、こういう場合はこうしろと日蓮が生前に言ったことについて後世になって間違いであるとわかったならば、それは矯正しなくてはならないでしょう。
ゆえに、いくら日蓮がカリスマ的な人物だったとしても、全部を受け入れるわけにはいかないのです。
しかし、日蓮正宗や、その信徒団体であった創価学会や顕正会の人たちは、せっせと日蓮の言ったことを学びに学び、それの是非を問うことは一切していないのです。
不思議でたまらないのです私は(笑)
しかし、部分的には学べるものがあると感じているので、そこだけは受けいれますが、全部はちょっと…(笑)
こういうスタンスを決めるには読書が大いに役立ちます。
それに際し、私は大いに加藤秀俊氏には助けられた、と思います。
ただ意見が同じうした、というだけではなく、加藤秀俊氏は多面的に広く、そして深く考察をしてから自身の意見を書いていたからこそ参考にできたのです。
短絡的な意見では知識人として失格です(笑)
しかし、宗教にぞっこんになる人はやはり畏敬の念をその宗教やその崇める対象に持っているがゆえに無批判になってしまうのです。
やはり神や仏は畏れる対象であり、敬する対象です。
ゆえに、その宗教内で言われることは無批判になってしまう気持ちはわかります。
この宗教で言われていることに関しては守らないと自分の身が危うくなってしまう、というような妄想に入ってしまうのでしょう。
しかし、私は惑わされません。
このように1つの宗教だけに拘らないで、その宗教で言われていることに関して賛同できるものに関しては賛同して、賛同できないものに関しては賛同しない…こういうスタンスを選んで生きていくと決めた以上、その責任は自分にありますから、そのことは心していくつもりです。
そのスタンスに決めた結果、被った結果については全部受けいれます。
誰の責任でもありません。
そんな人生を決めてしまうに際して、大いに助かった加藤秀俊氏の偉業について多面的に掘り下げて論じた電子書籍は以下です。
●大いに参考になります!
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する

今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。
・加藤秀俊ホーム
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