学問を学ぶに際して、ゾレン.当為は必須か?いらないか? (加藤秀俊)
こんにちは。
これまで取り上げてきた加藤秀俊氏の盟友だった梅棹忠夫氏は、加藤氏と一緒に対談集を出したり、いろんな編著本を出したりといろんなことをしていました。

その他、小松左京、多田道太郎、米山俊直といった人たちとも一緒にそういう作業をして本を出していました。
いずれの人物も、高齢に達していて亡くなっていました。
そして最後に残ったのが加藤秀俊さんでしたが、惜しくも2023年に亡くなってしまいました。
93歳の高齢でした。
これらの人物の著作物は、非常にためになるもので、こういった人たちの本もたくさん読んできた私です。
やはりモラルがいずれの人物も似通っていたからです。
これまでの本に書かれていたことや、常識とされていたことに従順になるのではなく、自身の足でその場に赴いて、そして自身の頭で物事を考える、という面でどの人物も似通っていたのです。
著作家には、こういう部分がなければ、その人の本を読んでも面白くないのです。
その意見は大学時代から今まで、全然意見は変わっていません。
しかし、これらの人物のモラルが似通っていたとは言っても、若干異なる部分もあったことは確かです。
それは梅棹忠夫氏(下写真)のモラルと加藤秀俊氏のモラルは若干違っていた観があります。

梅棹氏の『わたしの生きがい論』を読むと、梅棹氏は、学問は知的な好奇心をもって物事を深く広く探ることで、新しいモノの見方や分析事項を自身で構成すればいい、という主旨の話しを書いているのです。
そういうモラルの結果、梅棹氏は、今も語られる『文明の生態史観』という超名著を送り出したのです。
梅棹氏は、巷の学問ではゾレン(当為)を語る旨の論調があるが、それは間違いであるというのです。
私は、そのゾレンを抜きにして『文明の生態史観』を書きあげた、ということです。
あそこまで大家、いや知の巨星とまで言われた梅棹氏の言葉ゆえに、胸に迫るものがありました。
しかし、加藤氏はそういうゾレンを導くことに反対するとまではいかないまでも、やはりその学問の意義を見つけることに意志が赴いていた観があったのでゾレンは必要というように感じれたのが私の正直なところです。
いろんな論文の本を読んでいくと、その分野内での問題点があって、それを構造的に明らかにして、その問題点を科学的な手段で解決させていく、という例が多く見当たりました。

それゆえに、大学で学ぶ学問というものこそ、人生で一番力を入れて学ばなくてはいけない、と思ったものです。
そういう前提で行けば、読書に対するスタンスも真剣になりますし、大学での講義も真剣になるのが必然でしょう。
私は誰に指図されることなく、いろんな本を主体的に大学時代は読みました。
その結果、大学4年時のゼミの最終日のコンパで後輩たちからメッセージが書かれた色紙をプレゼントされましたが、そこには「奥深く、普段から勉強していらっしゃるのがわかりました。」とか、「幅広くてびっくりしました。」といった、ゼミ内での発言やリポートの内容について嬉しいコメントしてくれていたのを思い出しました。
嬉しいけれども、自分としては本を読んだ内容や、講義での内容を思い出して、引き合いに出していただけだったし、こんなこと書いてあったなあということを思い出して、自分の脳内でちょっと考えて発信していただけの事でした。
やはり知的に思白く学ぶためには、学んだことを片っ端から覚える必要ないでしょう。
片端から記憶していかなくてはならないという意気込みであると学問自体がつまらなくなるし、億劫になるでしょう。
しかし、理論づけのためには、いろんなことを片っ端から覚えられるのであれば覚えてしまった方がいいのです。
理論づけの知識が多ければ多いほどいいのですから。
そういう力に富んだ人=高学歴の人こそが、学問に向いているのか、と問われれば、それもまた疑問なのです。
東京大学や慶應大学などの高学歴を持ちながら、祖述だけとか、引用ばかりの本を出す人は多いですから、そこはケースバイケースというほかないのです。
逆に偏差値40台の大学を出ただけにもかかわらず、ものすごい慧眼モノの本を出している例もあるのです。
それがユダヤ教研究で有名な土岐健治さんです。
気の赴くまま好奇心のわいた本を主体的に読んでいけば、印象深かったことや重要事項は大抵思いだせるものです。
「こんなこと書いてあったなあ」ということは、大抵。
ただし畑正則(下写真)のように私は頭よくないから、これは重要と思われた箇所については、ワードに書いて上書きしておくのです。

そして、そのワードを見直すことでおもいだすのです。
記憶力に自信がなければ、自身で工夫をしていくだけでいいのではないか?
そんな風に思うのです。
そして、これを修めて社会に何か善行することにつなげることができないか、と思うことでさらに真剣になるでしょう。
その際に必要なのは、ゾレン.当為を見つける、何か自分で考えなくてはという端緒があれば更に真剣になるでしょう。
それは梅棹氏は必要ないとしているのですが、私は必須としているのです。
真剣さを向上させるためにも!(笑)
これはどっちがいいとか悪いとかいう話しではないのです。
こういうスタンスの違いがあるという話なのです。
どちらを採択するかは、その人次第です。
●こういう内容について興味のわいた人におすすめの電子書籍.ペーパーバックは以下です。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
これまで取り上げてきた加藤秀俊氏の盟友だった梅棹忠夫氏は、加藤氏と一緒に対談集を出したり、いろんな編著本を出したりといろんなことをしていました。
その他、小松左京、多田道太郎、米山俊直といった人たちとも一緒にそういう作業をして本を出していました。
いずれの人物も、高齢に達していて亡くなっていました。
そして最後に残ったのが加藤秀俊さんでしたが、惜しくも2023年に亡くなってしまいました。
93歳の高齢でした。
これらの人物の著作物は、非常にためになるもので、こういった人たちの本もたくさん読んできた私です。
やはりモラルがいずれの人物も似通っていたからです。
これまでの本に書かれていたことや、常識とされていたことに従順になるのではなく、自身の足でその場に赴いて、そして自身の頭で物事を考える、という面でどの人物も似通っていたのです。
著作家には、こういう部分がなければ、その人の本を読んでも面白くないのです。
その意見は大学時代から今まで、全然意見は変わっていません。
しかし、これらの人物のモラルが似通っていたとは言っても、若干異なる部分もあったことは確かです。
それは梅棹忠夫氏(下写真)のモラルと加藤秀俊氏のモラルは若干違っていた観があります。
梅棹氏の『わたしの生きがい論』を読むと、梅棹氏は、学問は知的な好奇心をもって物事を深く広く探ることで、新しいモノの見方や分析事項を自身で構成すればいい、という主旨の話しを書いているのです。
そういうモラルの結果、梅棹氏は、今も語られる『文明の生態史観』という超名著を送り出したのです。
梅棹氏は、巷の学問ではゾレン(当為)を語る旨の論調があるが、それは間違いであるというのです。
私は、そのゾレンを抜きにして『文明の生態史観』を書きあげた、ということです。
あそこまで大家、いや知の巨星とまで言われた梅棹氏の言葉ゆえに、胸に迫るものがありました。
しかし、加藤氏はそういうゾレンを導くことに反対するとまではいかないまでも、やはりその学問の意義を見つけることに意志が赴いていた観があったのでゾレンは必要というように感じれたのが私の正直なところです。
いろんな論文の本を読んでいくと、その分野内での問題点があって、それを構造的に明らかにして、その問題点を科学的な手段で解決させていく、という例が多く見当たりました。
それゆえに、大学で学ぶ学問というものこそ、人生で一番力を入れて学ばなくてはいけない、と思ったものです。
そういう前提で行けば、読書に対するスタンスも真剣になりますし、大学での講義も真剣になるのが必然でしょう。
私は誰に指図されることなく、いろんな本を主体的に大学時代は読みました。
その結果、大学4年時のゼミの最終日のコンパで後輩たちからメッセージが書かれた色紙をプレゼントされましたが、そこには「奥深く、普段から勉強していらっしゃるのがわかりました。」とか、「幅広くてびっくりしました。」といった、ゼミ内での発言やリポートの内容について嬉しいコメントしてくれていたのを思い出しました。
嬉しいけれども、自分としては本を読んだ内容や、講義での内容を思い出して、引き合いに出していただけだったし、こんなこと書いてあったなあということを思い出して、自分の脳内でちょっと考えて発信していただけの事でした。
やはり知的に思白く学ぶためには、学んだことを片っ端から覚える必要ないでしょう。
片端から記憶していかなくてはならないという意気込みであると学問自体がつまらなくなるし、億劫になるでしょう。
しかし、理論づけのためには、いろんなことを片っ端から覚えられるのであれば覚えてしまった方がいいのです。
理論づけの知識が多ければ多いほどいいのですから。
そういう力に富んだ人=高学歴の人こそが、学問に向いているのか、と問われれば、それもまた疑問なのです。
東京大学や慶應大学などの高学歴を持ちながら、祖述だけとか、引用ばかりの本を出す人は多いですから、そこはケースバイケースというほかないのです。
逆に偏差値40台の大学を出ただけにもかかわらず、ものすごい慧眼モノの本を出している例もあるのです。
それがユダヤ教研究で有名な土岐健治さんです。
気の赴くまま好奇心のわいた本を主体的に読んでいけば、印象深かったことや重要事項は大抵思いだせるものです。
「こんなこと書いてあったなあ」ということは、大抵。
ただし畑正則(下写真)のように私は頭よくないから、これは重要と思われた箇所については、ワードに書いて上書きしておくのです。
そして、そのワードを見直すことでおもいだすのです。
記憶力に自信がなければ、自身で工夫をしていくだけでいいのではないか?
そんな風に思うのです。
そして、これを修めて社会に何か善行することにつなげることができないか、と思うことでさらに真剣になるでしょう。
その際に必要なのは、ゾレン.当為を見つける、何か自分で考えなくてはという端緒があれば更に真剣になるでしょう。
それは梅棹氏は必要ないとしているのですが、私は必須としているのです。
真剣さを向上させるためにも!(笑)
これはどっちがいいとか悪いとかいう話しではないのです。
こういうスタンスの違いがあるという話なのです。
どちらを採択するかは、その人次第です。
●こういう内容について興味のわいた人におすすめの電子書籍.ペーパーバックは以下です。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
現代は自身の健康は自身で勝ち取る時代? (加藤秀俊)
こんにちは。
今回は、自分の身は自分で守るべし。
健康面においても、という話しをしたいです。
世のなかには、いろんな食品があって、それがスーパーや商店で気軽に買える便利な時代になりました。
しかし、その便利の奥に、忌まわしい事実があるのです。
それは添加物ですね。
保存のためであったり、色の良さを良く見せかけるためだったり、湿感を出したりといろんな用途があるのです。
これは、摂っているだけで何も悪いことが起らないのであれば、そのままとることでいいでしょう。
しかし、それを摂ることで何かしら健康に悪いことがおこるのであれば、摂らないべきでしょう。

こういうことを書いてある本なり、ウェブページや動画はわんさかあります。
それにアクセスして、読むなり観るなりして、その是非を問う行為をすべきでしょう。
健康を維持したいのであれば。
そして悪いと思ったら、それについては摂らない。
摂っても構わないというのであれば、摂り続けるべきでしょう。
そういうスタンスがなければ、現代の便利社会によって身体を蝕まれることは必至なのです。
こういうことを書くと、「そんな悪いのならば、国が食品会社に禁止命令を出すはずだ!それがないのは、そんなに悪くないからだ。」といって、今の状態を無非難でいる人は古今東西いるようです。
しかし、それはどうしてそういう指令を国が出さないかというと、天下りのため、あるいは病気の人間が増えれば医師会が喜ぶから、という側面を見逃してはなりません。

そういうものを摂ることで病気の人間が増えれば、国(保健機関)がもうかるのはわかりますね?
そして、そういう保存料は安価であるために、食品会社にとってはいい材料なのです。
それを認可することで、官僚たちが天下りのためのいい機関として認可しているのです。
こういう裏事情を知らなくても、実際どれだけ不健康なものであるかは、巷にいろんな本が出ていますから、それを1冊最初から最後まで読んでもらうほかないのです。
それで不都合な真実がわかったのであるならば、それら添加物が入った食品は摂るべきではない、と思います。
そういった一連の行動をしたい人はすればいいし、したくない人はしなくていいでしょう。
これは完全に個人の自由です。
そういったスタンスを勧めているのです。
私の敬愛していた故.加藤秀俊氏(下写真)は、いろんな物事に好奇心が半端なくあった人ですから、そういう面もぬかりなくしていたとしか思えません。

そうでなければ、93歳という高齢まで生きれていたとは思えないのです。
昨今で一番怖い高齢者の病気はやはり癌であり、認知症ですね。
これの原因の多くを占めるのはやはり食品なのです。
それについて学び、健康を維持したいと思うのであれば、今日から早速行動していきましょう。
そんなあなたを応援しています。
自分の人生はもちろん、社会を良くしていきたいと思う人であれば、いつまでも永遠に勉強し続けるのがいいでしょうし、何げなくその重要性に気が付いているのではないでしょうか?
●そんなスタンスに共鳴できる人におすすめなのが、以下の電子書籍.ペーパーバックです。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
今回は、自分の身は自分で守るべし。
健康面においても、という話しをしたいです。
世のなかには、いろんな食品があって、それがスーパーや商店で気軽に買える便利な時代になりました。
しかし、その便利の奥に、忌まわしい事実があるのです。
それは添加物ですね。
保存のためであったり、色の良さを良く見せかけるためだったり、湿感を出したりといろんな用途があるのです。
これは、摂っているだけで何も悪いことが起らないのであれば、そのままとることでいいでしょう。
しかし、それを摂ることで何かしら健康に悪いことがおこるのであれば、摂らないべきでしょう。
こういうことを書いてある本なり、ウェブページや動画はわんさかあります。
それにアクセスして、読むなり観るなりして、その是非を問う行為をすべきでしょう。
健康を維持したいのであれば。
そして悪いと思ったら、それについては摂らない。
摂っても構わないというのであれば、摂り続けるべきでしょう。
そういうスタンスがなければ、現代の便利社会によって身体を蝕まれることは必至なのです。
こういうことを書くと、「そんな悪いのならば、国が食品会社に禁止命令を出すはずだ!それがないのは、そんなに悪くないからだ。」といって、今の状態を無非難でいる人は古今東西いるようです。
しかし、それはどうしてそういう指令を国が出さないかというと、天下りのため、あるいは病気の人間が増えれば医師会が喜ぶから、という側面を見逃してはなりません。
そういうものを摂ることで病気の人間が増えれば、国(保健機関)がもうかるのはわかりますね?
そして、そういう保存料は安価であるために、食品会社にとってはいい材料なのです。
それを認可することで、官僚たちが天下りのためのいい機関として認可しているのです。
こういう裏事情を知らなくても、実際どれだけ不健康なものであるかは、巷にいろんな本が出ていますから、それを1冊最初から最後まで読んでもらうほかないのです。
それで不都合な真実がわかったのであるならば、それら添加物が入った食品は摂るべきではない、と思います。
そういった一連の行動をしたい人はすればいいし、したくない人はしなくていいでしょう。
これは完全に個人の自由です。
そういったスタンスを勧めているのです。
私の敬愛していた故.加藤秀俊氏(下写真)は、いろんな物事に好奇心が半端なくあった人ですから、そういう面もぬかりなくしていたとしか思えません。
そうでなければ、93歳という高齢まで生きれていたとは思えないのです。
昨今で一番怖い高齢者の病気はやはり癌であり、認知症ですね。
これの原因の多くを占めるのはやはり食品なのです。
それについて学び、健康を維持したいと思うのであれば、今日から早速行動していきましょう。
そんなあなたを応援しています。
自分の人生はもちろん、社会を良くしていきたいと思う人であれば、いつまでも永遠に勉強し続けるのがいいでしょうし、何げなくその重要性に気が付いているのではないでしょうか?
●そんなスタンスに共鳴できる人におすすめなのが、以下の電子書籍.ペーパーバックです。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
現代の世相と経済状況を考慮して大学通学の是非を考えるべし? (加藤秀俊)
こんにちは。
前回、今はサラリーマンの平均収入がかつての好景気の時代よりも減っているにもかかわらず、大学の学費は上がっている。
しかも、そんな時代に大金を払ってまで受講する価値は大学にはない。
この2つを根拠に、大学に無理矢理行く必要はない。
もし行くならば学費の安い通信制を選べ。
ということを話しました。
これは切実な問題です。
奨学金を借りて、大学の4年間を過ごす。

そして卒業してからは、その返済に追われるのです。
大学の勉強を代替するするものは、まさに学問の本を読んで自主的に勉強することでこと足りる、ということも話しました。
いま奨学金を借りている人の割合は学生全体の55%にまで及ぶようです。
私の大学時代は2割以下、しかも借りる額はかなり小さかったのです。
それで順調に返せればよいのですが、それができなくなって、破産宣告を受ける人も続出しているようです。
それを奨学金破産というのだそうです。
私の大学時代には、そんな単語はなかったです。
大学になど行かずとも、独学で世界に名だたる名を残した人や、私が敬愛していた故.加藤秀俊氏(下写真)の友人知人で、大学にいかずとも、独学で学びに学んでものすごい教養を成した例もあるということを、その著『独学のすすめ』という本で知ることができました。

要はやる気、知的好奇心であって、どこの大学を出たかではないことを痛感させられました。
私の知り合いの東京国際大学の学生で、親が離婚して、母親と一緒に過ごしながら、その人は派遣の建設現場のバイトをしているという例があります。
しかし、この大学はかなり学費が高いのです。
入学時の初年度の学費は150万円です。
これには驚いて、仰天してしまいました。
私の大学時代は、どこの大学でも1コマの講義料は2500円くらいでした。
しかし、この大学の1コマの講義料は4000円になる計算になります。
そんな価値は絶対にない!と断言します。
片親ですからかなり年収も低いです。
そしてかなり高い授業料の大学に通う…これでは財政が逼迫してしまいます。
声高に言えなかったです、「辞めるべき」などということは。
折角、苦労して受験勉強して、それで合格を勝ちとり、大学卒の肩書を取ることを目指しているのですから。
しかし、大学で受けた講義が、卒業後におおいに高年収に繋がるのであれば、無理やりにでも行くべきでしょうが、実際はそんなことはないのです。

実際に社会に出て役立つことは大学で学べることは確かですが、それは本で代替できるのです。
しかも、各種公務員試験は、大学卒の肩書がなくても受けれるのです。
公認会計士試験、司法試験、弁理士試験、行政書士試験などはいずれもすべて高校卒でも受験は可能なのです。
ゆえに、真に高収入を目指すならば、こういう試験のためにお金と時間を使った方がかなり得策であることは間違いないです。
しかし、何故、私の父親の世代、いわゆる団塊の世代といわれる世代は、一億総中流国家といわれる時代を過ごしてきて、30年以上務めれば誰も必ず年収1000万円といわれていたのに、今の世代はそういう恩恵を受けれないのか?
それはいろんな理由があり、アジア.アフリカや中南米などが経済的に台頭してきたからですね。
日本や欧米諸国だけが経済的に勝てる時代ではなくなってしまったのです。
そして、団塊の世代に比べて今の時代、国民のだれもが必需品は買いそろえてしまい、国民全体が血眼になって買いたいものがないからですね。

いわば成熟社会でほしいものがない社会なのです。
そうなれば、経済成長は緩慢なものになるのは必然でしょう。
ゆえに、年収1000万円もの金額を得れる人は、限られた例になってしまったのです。
ゆえに、日本人の平均年収は下がっていっているのですが、それは今の世代の父母が金稼ぎに無能であるということではないのです。
世相の事情ゆえなのです。
こういう世相にもかかわらず、大学の学費はどこも上がっている。
大学に高い授業料を払っていくには、リスクが高いということを認識した方がいいのです。
1990年代の中盤から派遣労働の台頭が始まったのです。
こういう世相ゆえに、多くのお金を企業も出し渋るようになってのこういう結果なのです。
興味ある人は、その歴史を調べ勉強してはいかがですか?というのが願いです。
もう一度確認しておきますが、勉強の習得は大学を出たかどうかではなく、自身その気があるかどうか、が最大限に必須であるということです。
それを実感したならば、即実行に移すべきでしょう。
その結果が良くなるように祈願しています。
●このページに書いてあることに共鳴してくれる人がいるならば、以下の電子書籍.ペーパーバックを読むことをお勧めします。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
前回、今はサラリーマンの平均収入がかつての好景気の時代よりも減っているにもかかわらず、大学の学費は上がっている。
しかも、そんな時代に大金を払ってまで受講する価値は大学にはない。
この2つを根拠に、大学に無理矢理行く必要はない。
もし行くならば学費の安い通信制を選べ。
ということを話しました。
これは切実な問題です。
奨学金を借りて、大学の4年間を過ごす。
そして卒業してからは、その返済に追われるのです。
大学の勉強を代替するするものは、まさに学問の本を読んで自主的に勉強することでこと足りる、ということも話しました。
いま奨学金を借りている人の割合は学生全体の55%にまで及ぶようです。
私の大学時代は2割以下、しかも借りる額はかなり小さかったのです。
それで順調に返せればよいのですが、それができなくなって、破産宣告を受ける人も続出しているようです。
それを奨学金破産というのだそうです。
私の大学時代には、そんな単語はなかったです。
大学になど行かずとも、独学で世界に名だたる名を残した人や、私が敬愛していた故.加藤秀俊氏(下写真)の友人知人で、大学にいかずとも、独学で学びに学んでものすごい教養を成した例もあるということを、その著『独学のすすめ』という本で知ることができました。
要はやる気、知的好奇心であって、どこの大学を出たかではないことを痛感させられました。
私の知り合いの東京国際大学の学生で、親が離婚して、母親と一緒に過ごしながら、その人は派遣の建設現場のバイトをしているという例があります。
しかし、この大学はかなり学費が高いのです。
入学時の初年度の学費は150万円です。
これには驚いて、仰天してしまいました。
私の大学時代は、どこの大学でも1コマの講義料は2500円くらいでした。
しかし、この大学の1コマの講義料は4000円になる計算になります。
そんな価値は絶対にない!と断言します。
片親ですからかなり年収も低いです。
そしてかなり高い授業料の大学に通う…これでは財政が逼迫してしまいます。
声高に言えなかったです、「辞めるべき」などということは。
折角、苦労して受験勉強して、それで合格を勝ちとり、大学卒の肩書を取ることを目指しているのですから。
しかし、大学で受けた講義が、卒業後におおいに高年収に繋がるのであれば、無理やりにでも行くべきでしょうが、実際はそんなことはないのです。
実際に社会に出て役立つことは大学で学べることは確かですが、それは本で代替できるのです。
しかも、各種公務員試験は、大学卒の肩書がなくても受けれるのです。
公認会計士試験、司法試験、弁理士試験、行政書士試験などはいずれもすべて高校卒でも受験は可能なのです。
ゆえに、真に高収入を目指すならば、こういう試験のためにお金と時間を使った方がかなり得策であることは間違いないです。
しかし、何故、私の父親の世代、いわゆる団塊の世代といわれる世代は、一億総中流国家といわれる時代を過ごしてきて、30年以上務めれば誰も必ず年収1000万円といわれていたのに、今の世代はそういう恩恵を受けれないのか?
それはいろんな理由があり、アジア.アフリカや中南米などが経済的に台頭してきたからですね。
日本や欧米諸国だけが経済的に勝てる時代ではなくなってしまったのです。
そして、団塊の世代に比べて今の時代、国民のだれもが必需品は買いそろえてしまい、国民全体が血眼になって買いたいものがないからですね。
いわば成熟社会でほしいものがない社会なのです。
そうなれば、経済成長は緩慢なものになるのは必然でしょう。
ゆえに、年収1000万円もの金額を得れる人は、限られた例になってしまったのです。
ゆえに、日本人の平均年収は下がっていっているのですが、それは今の世代の父母が金稼ぎに無能であるということではないのです。
世相の事情ゆえなのです。
こういう世相にもかかわらず、大学の学費はどこも上がっている。
大学に高い授業料を払っていくには、リスクが高いということを認識した方がいいのです。
1990年代の中盤から派遣労働の台頭が始まったのです。
こういう世相ゆえに、多くのお金を企業も出し渋るようになってのこういう結果なのです。
興味ある人は、その歴史を調べ勉強してはいかがですか?というのが願いです。
もう一度確認しておきますが、勉強の習得は大学を出たかどうかではなく、自身その気があるかどうか、が最大限に必須であるということです。
それを実感したならば、即実行に移すべきでしょう。
その結果が良くなるように祈願しています。
●このページに書いてあることに共鳴してくれる人がいるならば、以下の電子書籍.ペーパーバックを読むことをお勧めします。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
将来の経済状況を考えるなら、大学継続することを真剣に考えるべし? (加藤秀俊)
こんにちは。
今回は、大学への進学は本当に必要か、ということを考えてみたいと思います。
私が大学に行った頃でも、文系の大学の学費は高いなと感じたものです。
大学を卒業した後に具体的に計算したのですが、1コマの講義が2500円くらいした計算になりました。
これを在学中に着手すればよかったと後悔しています(笑)。
大学を卒業してから気が付いたことですが、その講義内容を今の生活においてそれほど役に当たっているかどうかを考えると、それ程の価値はなかった、というのが正直なところです。
当時、私は講義室の一番前に座って、全部ノートしていました。
それを今でも保管しているので、それを参照しながらの答えがこれなのです。

学問というものは、社会にある問題点を改善していくためのモノです。
それゆえに、社会や人心の内情を構造的に明らかにして、そこからどういったことを考えて、そして社会生活で行動に移すことが大事なのです。
社会に重点を当てて論じていくのが社会科学であり、後者に重点を置いて論じていくのが人文科学なのです。
しかし、そういったことは、何も大学に行かなくても学べる性質のものです。
どこで学ぶか?
本を買って学べばいいのです。
新書の類いには、理論がまず先にあって、そこで現在の問題点を明らかにして、そこでその著者の考えなりが書いてあるのです。
それを読めば、かなり触発されるのではないでしょうか?
それを一通り読んで、自分が何を考えて、何をすべきかを考えていけばいいのです。

新書であるならば、当時は600〜700円で売っていました。
中古本ならば100円で売っていたのです。
しかし、量も内容も新書に負けていたのです、大学の1回の講義は。
なのに値段が高い。
それを在学中に発見していたのならば、辞めるなり、通信教育学部にでも編入していればよかったと後悔しているのです(笑)。
私が大学時代にぞっこんになって今でもぞっこんである故.加藤秀俊(下写真)は、その著『独学のすすめ』において、「わざわざ大学に行くには及ばない。本を買って学べばよろしい!」としているのです。

その本の中で、わざわざ大学になど行かなくても、独学で世に馳せるほどの名声を獲得した人物や、加藤氏の友人知人で、大学に行かずとも、かなりの教養を得ている人が大勢いるということを紹介しているのです。
私は知的好奇心がかなりあったので、大学在学中に300冊は学問の本を読みました。
それでかなり物事が学べたと思います。
確かに大学の講義でも学べたものは大いにあります。
本だけで社会の全部を網羅できるというような暴論は避けなくてはいけないかもしれないです。
大学の講義だけで学べたものもありますし、本だけで学べたもの、とこの両方があるのです。
大学に行っても率先して学ぶ人は少数派ですから前者に力点を置きがちです、金をかけたから(加藤氏に言わせれば、主体的に学んでいる学生は全体の2割くらいとしていました)。
しかし、主体的に読んで学んだということで、私は後者に重きを置きがちです。
私が感銘を最近受けた本は『スミス、マルクス、ケインズ』という5000円弱の本です。
この値段は、講義2回未満分ですが、2回分以上の価値は十分、いやそれ以上に何倍もあるというのが正直なところです。

大学ではどの学部にも必修科目があります。
必修ゆえに、いやでも採らないといけなかった。
「こんな科目…」と思いながらも出席して、ノートしてました。
しかし、後々考えて重要だったこともあるというのが正直なところです。
先に、大学に行かずとも本を読んで学べばよろしい、と書きましたが、しかし、自由な読書だけに任せると、自分の好きな分野ばかりの本を読んでしまいがちになるという負の面があるのは否めないです。
視野狭窄になってしまうのです。
だが人生どこでもテイクオフ関係です。大学を辞めて、独学で行くというのならば割り切れ!ということですね。
私が危惧するのは、大学の学費が年々上がっていることです。
私が在学していた時代は、日本は一億総中流国家といわれていた時代だったのです。
30年務め続ければ誰もが必ず年収1000万円になるという時代だったのです。
そういう時代であれば多少の無理をしても、自分の子を大学に行かせようというインセンティブが働いてもおかしくはないでしょう。

しかし、昨今は格差社会になってしまったのです。
年収1000万円も獲得しているのは1握りの人間だけになってしまったのです。
そんな一般サラリーマンの賃金は下がっている時代なのに、大学の学費は上がっているのです。
文系の大学の学費は、1コマ3000円〜4000円はしてしまう時代になってしまったのです。
4000円…そんな価値はないと断言します(笑)。

私から言わせれば「ふざけるな!」とクレーム入れたくなるのですが、日本社会ではうやむやのまま…無批判体制なのです。
例えば、全然美味しくない飲食店に行って、かなり高い料金を取るぼったくり店で食べてしまったとしましょう。
そういう店には、二度と行かないのが普通です。
しかし、こと大学の講義には日本人は無批判でいるのです。
毎年毎年同じ講義ノートを読んで説明しているだけのぼったくり教授の授業ならば、二度と行かないということはなしなのです。
無批判のまま受講し続けるのです4年間も。
まさにダブルスタンダード。
巷の店は資本主義の原理が働くのに、大学の講義は社会主義の原理で動いているのです。
誠に日本人は、学問に対して無言の畏敬の念を抱き無批判のままでいるのです。
ただ大学卒業の肩書が欲しい、キャンパスライフを社会に出る前に満喫しておきたい、大学で学んだことが重要かどうかを検証する事すらしない。
こんな感じでしょう。

そんなスタンスはすぐに捨てるべきでしょう。
料金に講義内容が見合ってない、ということもさることながら、奨学金を借りて大学にいき続けて、卒業後にそれを返済しなくてはいけないのです。
それでは家計を圧迫して、家庭の経済を最悪の場合、破綻させることは間違いないです。
そうなるよりも、通信制に編入するか、退学をすることを勧めているのです私は。
大学卒業という肩書や大学で学んだことが、高収入や高地位に直結するならば話は別ですが、今の時代そんなことは一切ないのです。
大学に行かずとも、高校もまともに出ていないのに平均年収以上のお金を稼いでいる例などを、以下の電子書籍.ペーパーバックでは明らかにされています。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
それに興味のある人は読んでみることをお勧めします。
●以下どうぞ!
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
今回は、大学への進学は本当に必要か、ということを考えてみたいと思います。
私が大学に行った頃でも、文系の大学の学費は高いなと感じたものです。
大学を卒業した後に具体的に計算したのですが、1コマの講義が2500円くらいした計算になりました。
これを在学中に着手すればよかったと後悔しています(笑)。
大学を卒業してから気が付いたことですが、その講義内容を今の生活においてそれほど役に当たっているかどうかを考えると、それ程の価値はなかった、というのが正直なところです。
当時、私は講義室の一番前に座って、全部ノートしていました。
それを今でも保管しているので、それを参照しながらの答えがこれなのです。
学問というものは、社会にある問題点を改善していくためのモノです。
それゆえに、社会や人心の内情を構造的に明らかにして、そこからどういったことを考えて、そして社会生活で行動に移すことが大事なのです。
社会に重点を当てて論じていくのが社会科学であり、後者に重点を置いて論じていくのが人文科学なのです。
しかし、そういったことは、何も大学に行かなくても学べる性質のものです。
どこで学ぶか?
本を買って学べばいいのです。
新書の類いには、理論がまず先にあって、そこで現在の問題点を明らかにして、そこでその著者の考えなりが書いてあるのです。
それを読めば、かなり触発されるのではないでしょうか?
それを一通り読んで、自分が何を考えて、何をすべきかを考えていけばいいのです。
新書であるならば、当時は600〜700円で売っていました。
中古本ならば100円で売っていたのです。
しかし、量も内容も新書に負けていたのです、大学の1回の講義は。
なのに値段が高い。
それを在学中に発見していたのならば、辞めるなり、通信教育学部にでも編入していればよかったと後悔しているのです(笑)。
私が大学時代にぞっこんになって今でもぞっこんである故.加藤秀俊(下写真)は、その著『独学のすすめ』において、「わざわざ大学に行くには及ばない。本を買って学べばよろしい!」としているのです。
その本の中で、わざわざ大学になど行かなくても、独学で世に馳せるほどの名声を獲得した人物や、加藤氏の友人知人で、大学に行かずとも、かなりの教養を得ている人が大勢いるということを紹介しているのです。
私は知的好奇心がかなりあったので、大学在学中に300冊は学問の本を読みました。
それでかなり物事が学べたと思います。
確かに大学の講義でも学べたものは大いにあります。
本だけで社会の全部を網羅できるというような暴論は避けなくてはいけないかもしれないです。
大学の講義だけで学べたものもありますし、本だけで学べたもの、とこの両方があるのです。
大学に行っても率先して学ぶ人は少数派ですから前者に力点を置きがちです、金をかけたから(加藤氏に言わせれば、主体的に学んでいる学生は全体の2割くらいとしていました)。
しかし、主体的に読んで学んだということで、私は後者に重きを置きがちです。
私が感銘を最近受けた本は『スミス、マルクス、ケインズ』という5000円弱の本です。
この値段は、講義2回未満分ですが、2回分以上の価値は十分、いやそれ以上に何倍もあるというのが正直なところです。
大学ではどの学部にも必修科目があります。
必修ゆえに、いやでも採らないといけなかった。
「こんな科目…」と思いながらも出席して、ノートしてました。
しかし、後々考えて重要だったこともあるというのが正直なところです。
先に、大学に行かずとも本を読んで学べばよろしい、と書きましたが、しかし、自由な読書だけに任せると、自分の好きな分野ばかりの本を読んでしまいがちになるという負の面があるのは否めないです。
視野狭窄になってしまうのです。
だが人生どこでもテイクオフ関係です。大学を辞めて、独学で行くというのならば割り切れ!ということですね。
私が危惧するのは、大学の学費が年々上がっていることです。
私が在学していた時代は、日本は一億総中流国家といわれていた時代だったのです。
30年務め続ければ誰もが必ず年収1000万円になるという時代だったのです。
そういう時代であれば多少の無理をしても、自分の子を大学に行かせようというインセンティブが働いてもおかしくはないでしょう。
しかし、昨今は格差社会になってしまったのです。
年収1000万円も獲得しているのは1握りの人間だけになってしまったのです。
そんな一般サラリーマンの賃金は下がっている時代なのに、大学の学費は上がっているのです。
文系の大学の学費は、1コマ3000円〜4000円はしてしまう時代になってしまったのです。
4000円…そんな価値はないと断言します(笑)。
私から言わせれば「ふざけるな!」とクレーム入れたくなるのですが、日本社会ではうやむやのまま…無批判体制なのです。
例えば、全然美味しくない飲食店に行って、かなり高い料金を取るぼったくり店で食べてしまったとしましょう。
そういう店には、二度と行かないのが普通です。
しかし、こと大学の講義には日本人は無批判でいるのです。
毎年毎年同じ講義ノートを読んで説明しているだけのぼったくり教授の授業ならば、二度と行かないということはなしなのです。
無批判のまま受講し続けるのです4年間も。
まさにダブルスタンダード。
巷の店は資本主義の原理が働くのに、大学の講義は社会主義の原理で動いているのです。
誠に日本人は、学問に対して無言の畏敬の念を抱き無批判のままでいるのです。
ただ大学卒業の肩書が欲しい、キャンパスライフを社会に出る前に満喫しておきたい、大学で学んだことが重要かどうかを検証する事すらしない。
こんな感じでしょう。
そんなスタンスはすぐに捨てるべきでしょう。
料金に講義内容が見合ってない、ということもさることながら、奨学金を借りて大学にいき続けて、卒業後にそれを返済しなくてはいけないのです。
それでは家計を圧迫して、家庭の経済を最悪の場合、破綻させることは間違いないです。
そうなるよりも、通信制に編入するか、退学をすることを勧めているのです私は。
大学卒業という肩書や大学で学んだことが、高収入や高地位に直結するならば話は別ですが、今の時代そんなことは一切ないのです。
大学に行かずとも、高校もまともに出ていないのに平均年収以上のお金を稼いでいる例などを、以下の電子書籍.ペーパーバックでは明らかにされています。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
それに興味のある人は読んでみることをお勧めします。
●以下どうぞ!
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
学習は生涯続く?恋愛関係をよくしたかったらそれについて学ぶべし?その他の領域も…(加藤秀俊)
こんにちは。
私が敬愛していた故.加藤秀俊氏(下写真)は、その著『独学のすすめ』において、「学習は最終学歴が終わったらそれで終わりではない。それからもずっと続く」ということを書いていました。

まさにその通りだと思いました。
人との関係の良さを築く方法、よき自分の財政を築く方法、よき環境の築く方法、上手く料理を作る方法、仕事でのレベルを上げる方法…こういった内容で、いろんな事柄の勉強は生涯続くのは目に見えているのです。
ゆえに、読書というごく一般的な行動は毎日行っていかなくてはならないでしょう。
中でも、恋愛関係は、誰にでも興味関心の向くことではないでしょうか?
高校生あたりから、なんとも男女のものの捉え方や思考法は違うなと思った人も多いのではないでしょうか?
男は、金を儲けることを第一に考えて仕事を選ぶが、女はやりたいことを第一に考えて選ぶ。
男は腹いっぱいになることを考えて食べ物を選ぶが、女はきれいになることを考えて選ぶ。
男は美容に神経をほとんど使わないが、女は異様に神経を使う。
男は合理的に物事を考えるが、女は感情的に考える。
こういった違いがあるのです。

ゆえに男性の思考法だけで女性に接しようとしても男性はダメです。
逆に女性の思考法だけで男性に接しようとしてもダメです(笑)。
互いが違いを意識しながら、兼ね合いを意識して接していかないことには、恋愛は上手くいかないのです。
そこに気が付いて、これからも男女のよき関係を築き、さらにその関係を維持したいという人は、そういった類の本を読んで、そこに書いてある良き方法について実際の生活で行動していかなくてはいけないのは明白です。
いや、そんなことには興味がない、今のままでいいんだ、という人ならば、何も学んでいく必要はないでしょう。
私は、若月謙司という恋愛心理学、家族心理学の研究の第一人者の本を多く読んで、非常に助けられました。
ダメな男に惚れてしまう女性の心理は、その父親からの影響にある、ということを知りました。
ダメな父親の元で育った女性は、そんな父でも好きにならなければその家庭で暮らしていけない。
それゆえに、無理やりその父親を好きになろうと努力する。
その結果、ダメなところが父親そっくりな男性を恋人や伴侶に選んでしまう、ということですね。

このことを知った男性は目からうろこではないでしょうか?
また「何であんな奴に、惚れてしまう女がいるんだ!」とショックを受けてしまった男性はいるでしょう?
その女性がきれいであればあるほど、そのショックは大きかったでしょう?(笑)
それはそういう理由だったのです。
ゆえに安心してもらえたらなと思います。
女性は男性のように合理的に考えることが苦手なのです。
合理的に考えることが女性は苦手なのです。
ゆえに、大学の教授になる人は圧倒的に男性が多いのです。
こういう違いを乗り越えて、互いに足りないものを補って、互いに幸せになろうという思いを互いにもって行けたらなあと思える相手ができたら最高ではないですか?

『思い残し症候群』(岩月謙司 著)を読んで、男女関係において学び続ける必須性を私は実感したものでした。
恋愛関係のみならず、他の人間関係や社会をよくする方法、こういった諸々の事柄についても、良きものに変えていきたいなと思う人は、その人は永遠に学び続けることをお勧めします。
やはり、学習は最終学歴が終わっても、それで終わりではないのです。
生涯続くのです。
●そんな内容に興味が持てた方は、以下の電子書籍.ペーパーバックを読むのがいいでしょう!(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
私が敬愛していた故.加藤秀俊氏(下写真)は、その著『独学のすすめ』において、「学習は最終学歴が終わったらそれで終わりではない。それからもずっと続く」ということを書いていました。
まさにその通りだと思いました。
人との関係の良さを築く方法、よき自分の財政を築く方法、よき環境の築く方法、上手く料理を作る方法、仕事でのレベルを上げる方法…こういった内容で、いろんな事柄の勉強は生涯続くのは目に見えているのです。
ゆえに、読書というごく一般的な行動は毎日行っていかなくてはならないでしょう。
中でも、恋愛関係は、誰にでも興味関心の向くことではないでしょうか?
高校生あたりから、なんとも男女のものの捉え方や思考法は違うなと思った人も多いのではないでしょうか?
男は、金を儲けることを第一に考えて仕事を選ぶが、女はやりたいことを第一に考えて選ぶ。
男は腹いっぱいになることを考えて食べ物を選ぶが、女はきれいになることを考えて選ぶ。
男は美容に神経をほとんど使わないが、女は異様に神経を使う。
男は合理的に物事を考えるが、女は感情的に考える。
こういった違いがあるのです。

ゆえに男性の思考法だけで女性に接しようとしても男性はダメです。
逆に女性の思考法だけで男性に接しようとしてもダメです(笑)。
互いが違いを意識しながら、兼ね合いを意識して接していかないことには、恋愛は上手くいかないのです。
そこに気が付いて、これからも男女のよき関係を築き、さらにその関係を維持したいという人は、そういった類の本を読んで、そこに書いてある良き方法について実際の生活で行動していかなくてはいけないのは明白です。
いや、そんなことには興味がない、今のままでいいんだ、という人ならば、何も学んでいく必要はないでしょう。
私は、若月謙司という恋愛心理学、家族心理学の研究の第一人者の本を多く読んで、非常に助けられました。
ダメな男に惚れてしまう女性の心理は、その父親からの影響にある、ということを知りました。
ダメな父親の元で育った女性は、そんな父でも好きにならなければその家庭で暮らしていけない。
それゆえに、無理やりその父親を好きになろうと努力する。
その結果、ダメなところが父親そっくりな男性を恋人や伴侶に選んでしまう、ということですね。

このことを知った男性は目からうろこではないでしょうか?
また「何であんな奴に、惚れてしまう女がいるんだ!」とショックを受けてしまった男性はいるでしょう?
その女性がきれいであればあるほど、そのショックは大きかったでしょう?(笑)
それはそういう理由だったのです。
ゆえに安心してもらえたらなと思います。
女性は男性のように合理的に考えることが苦手なのです。
合理的に考えることが女性は苦手なのです。
ゆえに、大学の教授になる人は圧倒的に男性が多いのです。
こういう違いを乗り越えて、互いに足りないものを補って、互いに幸せになろうという思いを互いにもって行けたらなあと思える相手ができたら最高ではないですか?

『思い残し症候群』(岩月謙司 著)を読んで、男女関係において学び続ける必須性を私は実感したものでした。
恋愛関係のみならず、他の人間関係や社会をよくする方法、こういった諸々の事柄についても、良きものに変えていきたいなと思う人は、その人は永遠に学び続けることをお勧めします。
やはり、学習は最終学歴が終わっても、それで終わりではないのです。
生涯続くのです。
●そんな内容に興味が持てた方は、以下の電子書籍.ペーパーバックを読むのがいいでしょう!(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
社会学の定義とは?社会学は社会科学ではない? (加藤秀俊)
こんにちは。
私が敬愛していた故.加藤秀俊氏(下写真)は、社会学者という肩書でした。

では社会学とはどういうものか、という疑問が必然的にわくわけですが、その定義は結構難しいものです。
社会科学とは、法学、政治学、経済学、といったものを総合しての呼び名なのです。
そこに社会学も入るようですが、学者によっては社会学は社会科学には含めるべきではない、といわれる例もあるのです。
それは後述しましょう。
それに対して自然科学というのは物理学とか、統計学とかいったものの総称をいうのです。
しかし、加藤氏は、その著『社会学』(中公新書)の中で、社会科学自体が科学ではない、という論を展開しているのです。
それは、法則が人間社会の事象では存在しないからだ、ということです。
重力は、いつの世でも存在しますし不変です。
古代ギリシャであろうが、今の日本であろうが必ず重量のあるものは手を放すと下に落ちます。
しかし、あらゆる人間社会の事象には、その場限りのモノばかりだということです。
年功序列や終身雇用は、永遠のものと思われていた日本の経済ですが、それは一時代限りのモノであったのです。

やはり、その場限り、一時代だけのものというものというんが人間社会の現象なのです。
ゆえに法則性がない。
ゆえに科学ではない、というのです。
非常に目の覚める理論ではあると思います。
しかし、永遠不変とまではいかないですが、ある程度の法則性なるものは存在することは確かです。
その「ある程度の法則性」に依拠して、これからの人間社会を理論的に占っていくことは大切ですし、それがかなりの精度をもって武器になることは間違いないでしょう。
そして、社会学ですが、これはどんな学問であるかというと、「社会情勢のレポート+人々の感想や感情を集めたもの」から当初は出発して、実証主義的なものに変遷していったということが書かれています。
急激に変動する社会を見据えて、諸外国のスラムだの、暴力団だの社会の底辺や周縁部で生きる人々の姿を密着して描き捕らえて余すところがなくなっていったのということです。
世間話を通じて、大都市がどんなふうに編成されて、どんな問題を生み、それにどんな対処をすればいいのかがしっかり頭に入る。
放置していては大変なことになる、ということで社会学が頼られ出したということです。

変動する社会の様相を分析して、そこにどのような政治的な影響があるか、どのような経済的な影響があるか、といったことを総合的に分析して、それぞれの学問に問いかける性質を持っているということです。
ゆえに、社会学は、総合的な学問であると同時に、基礎的な学問であるというのが正しいだろうと思います。
いろんな社会学の本を研究してきて、これが一番妥当なイメージと私は踏んでいるのです。
そしてそれは、政治、国際関係、教育、経済、法律など社会科学のほぼ全域にわたって埋め尽くす性質をもっているのです。
だがそうだとすれば、あえて社会学といわず社会科学といえばいいではないか、という疑問がわくでしょう。
しかし、社会学は、特定の対象に依拠してその独自性を主張するのではなく、あらゆる社会現象を分析して見せる視点にこそ、独自性があるという主張であり、社会現象を社会を構成する個人個人の行為を相互関係という視点から解明する学問なのです。
社会とは人間の集まり(家族、村、会社、団体Etc)です。
こういう事情ゆえに、社会学は社会科学のうちに含めるべきではない、とした識者がいたのです。

こういう性質を社会学にはあるからこそ、好奇心旺盛な加藤秀俊は惹かれたのだろうと思います。
いろんな分野に目を向けて、そこで社会変動の形を見つけて、そこで社会的な意義や、新しい発見をしていったのでしょう。
その論じ方の内容が非常に興味深く、説得的で私は何十冊もこの加藤氏の本を買っては読んでしまったのです。
好奇心旺盛ゆえに加藤氏は、『文芸の社会学』『衣の社会学』『食の社会学』『パチンコと日本人』『異常性の社会学』『比較文化への視角』…etcと多岐にわたる分野にわたって調べ研究して論じて本を出していったのです。
こういう資質があってこそ本物の学者という気がします。
自分の専門の分野にだけ目を向けて、その他には一切興味も示さないでいる。
そういう悪い意味での専門家は、私の好むところではありません。
●こういうスタンスに興味のある人、加藤秀俊について興味の出た方は、以下の電子書籍.ペーパーバックをお勧めします。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
私が敬愛していた故.加藤秀俊氏(下写真)は、社会学者という肩書でした。
では社会学とはどういうものか、という疑問が必然的にわくわけですが、その定義は結構難しいものです。
社会科学とは、法学、政治学、経済学、といったものを総合しての呼び名なのです。
そこに社会学も入るようですが、学者によっては社会学は社会科学には含めるべきではない、といわれる例もあるのです。
それは後述しましょう。
それに対して自然科学というのは物理学とか、統計学とかいったものの総称をいうのです。
しかし、加藤氏は、その著『社会学』(中公新書)の中で、社会科学自体が科学ではない、という論を展開しているのです。
それは、法則が人間社会の事象では存在しないからだ、ということです。
重力は、いつの世でも存在しますし不変です。
古代ギリシャであろうが、今の日本であろうが必ず重量のあるものは手を放すと下に落ちます。
しかし、あらゆる人間社会の事象には、その場限りのモノばかりだということです。
年功序列や終身雇用は、永遠のものと思われていた日本の経済ですが、それは一時代限りのモノであったのです。
やはり、その場限り、一時代だけのものというものというんが人間社会の現象なのです。
ゆえに法則性がない。
ゆえに科学ではない、というのです。
非常に目の覚める理論ではあると思います。
しかし、永遠不変とまではいかないですが、ある程度の法則性なるものは存在することは確かです。
その「ある程度の法則性」に依拠して、これからの人間社会を理論的に占っていくことは大切ですし、それがかなりの精度をもって武器になることは間違いないでしょう。
そして、社会学ですが、これはどんな学問であるかというと、「社会情勢のレポート+人々の感想や感情を集めたもの」から当初は出発して、実証主義的なものに変遷していったということが書かれています。
急激に変動する社会を見据えて、諸外国のスラムだの、暴力団だの社会の底辺や周縁部で生きる人々の姿を密着して描き捕らえて余すところがなくなっていったのということです。
世間話を通じて、大都市がどんなふうに編成されて、どんな問題を生み、それにどんな対処をすればいいのかがしっかり頭に入る。
放置していては大変なことになる、ということで社会学が頼られ出したということです。
変動する社会の様相を分析して、そこにどのような政治的な影響があるか、どのような経済的な影響があるか、といったことを総合的に分析して、それぞれの学問に問いかける性質を持っているということです。
ゆえに、社会学は、総合的な学問であると同時に、基礎的な学問であるというのが正しいだろうと思います。
いろんな社会学の本を研究してきて、これが一番妥当なイメージと私は踏んでいるのです。
そしてそれは、政治、国際関係、教育、経済、法律など社会科学のほぼ全域にわたって埋め尽くす性質をもっているのです。
だがそうだとすれば、あえて社会学といわず社会科学といえばいいではないか、という疑問がわくでしょう。
しかし、社会学は、特定の対象に依拠してその独自性を主張するのではなく、あらゆる社会現象を分析して見せる視点にこそ、独自性があるという主張であり、社会現象を社会を構成する個人個人の行為を相互関係という視点から解明する学問なのです。
社会とは人間の集まり(家族、村、会社、団体Etc)です。
こういう事情ゆえに、社会学は社会科学のうちに含めるべきではない、とした識者がいたのです。
こういう性質を社会学にはあるからこそ、好奇心旺盛な加藤秀俊は惹かれたのだろうと思います。
いろんな分野に目を向けて、そこで社会変動の形を見つけて、そこで社会的な意義や、新しい発見をしていったのでしょう。
その論じ方の内容が非常に興味深く、説得的で私は何十冊もこの加藤氏の本を買っては読んでしまったのです。
好奇心旺盛ゆえに加藤氏は、『文芸の社会学』『衣の社会学』『食の社会学』『パチンコと日本人』『異常性の社会学』『比較文化への視角』…etcと多岐にわたる分野にわたって調べ研究して論じて本を出していったのです。
こういう資質があってこそ本物の学者という気がします。
自分の専門の分野にだけ目を向けて、その他には一切興味も示さないでいる。
そういう悪い意味での専門家は、私の好むところではありません。
●こういうスタンスに興味のある人、加藤秀俊について興味の出た方は、以下の電子書籍.ペーパーバックをお勧めします。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
社会生活、学者生活の両方において、創造力(常識を疑い新たな意味づけ)を発揮せよ。しかし、注意点が! (加藤秀俊)
こんにちは。
社会をよくしていくためには、あるいは自分の能力や脳力を向上させていくためには、常識に囚われてはいけない、ということを強調する必要があるでしょう。
例えば、中学時代においては、周りの人間が「勉強は1日に2時間でいい」という言葉が流布されていたとしましょう。
その言葉通り、2時間しか勉強しなかった。
しかし、それでは点数が上がらない。

それに業を煮やして、3時間4時間するようにした。
それで点数が上がるようようになった。
それで自分は勉強の際には3時間4時間することが大事とわかりそれを踏襲することにした。
これが常識に疑いを持ち、取り外して行動していくことが大事ということがわかるでしょう。
また、アルバイトの飲食店で、お客が来店した時に、他の店員たちは何も言わない。
これでは雰囲気が悪い。
それで自分だけが、「いらっしゃいませ!」というようにした。
すると雰囲気が良くなった。
それで、その言葉掛けを継続ていったらお客さんが来るようになった。
これも常識を疑うことの大事さがわかるでしょう。

こういう工夫が大事なのは日常生活で大いにあります。
ゆえに、常に常識を疑い、それをいい方向へ向かわせるためにはどうすればいいか、そしていかに行動に移すか、ということを自身に問うて、そして行動していかなくてはならないのです。
それは、こと生活だけではなくて、科学を含む学問においても大事なのです。
本などを読んで理論を学び、知識を学ぶ。
その内容について果たして正しいのかどうかを吟味しなくてはならないのです。
そして、その研究対象が、よき方向へいかせるためにはどのようなテーゼがあるかを考えなくてはならないのです。
学問は、よき方向へ行くために何をすればいいのかを考え行動することを目的にしているのですから。
そのためには、いろんな本を読んでいかなくてはならないです。
そういう行為を日々続けることで創造的な思考法が出てくるのだと思います。

いろんな角度から物事を見ていくことで疑問や至らない点を発見できるのです。
その際、物事を論じる際に、祖述や他の書物からの引用ばかりでは意味がありません。
自身でおこなった分析や、考えなどを盛り込まなくてはいけないのは言うまでもありません。
そういうものがなくただ祖述や引用ばかりで固めた論文を書くのはご法度です。
こういう一連の行為が創造というものになるのです。
それは一般人、学者、両方にとって必須のものであるとわかるでしょう。
誰にでも創造力は要るのです。
創造力=常識を疑う、という図式が当てはまります。
しかし、注意点はあります。
常識でも、変えてはいけない常識もあるから注意必要です。
おはようございます、ありがとうございました、申しわけありませんでした。といった礼儀は変えてはならないのです。
もちろん規則通りの時間に出勤するといったことも!
何でもかんでも否定して、各自が自分の思い通りにだけしていてはその場はカオスと化してしまいますから注意が必要です。
こういうことを参考に、大学での勉強、そして社会生活を謳歌していってもらいたいものです。
●こういうスタンスに共鳴できる方には、おすすめの電子書籍.ペーパーバックが以下になります。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
社会をよくしていくためには、あるいは自分の能力や脳力を向上させていくためには、常識に囚われてはいけない、ということを強調する必要があるでしょう。
例えば、中学時代においては、周りの人間が「勉強は1日に2時間でいい」という言葉が流布されていたとしましょう。
その言葉通り、2時間しか勉強しなかった。
しかし、それでは点数が上がらない。

それに業を煮やして、3時間4時間するようにした。
それで点数が上がるようようになった。
それで自分は勉強の際には3時間4時間することが大事とわかりそれを踏襲することにした。
これが常識に疑いを持ち、取り外して行動していくことが大事ということがわかるでしょう。
また、アルバイトの飲食店で、お客が来店した時に、他の店員たちは何も言わない。
これでは雰囲気が悪い。
それで自分だけが、「いらっしゃいませ!」というようにした。
すると雰囲気が良くなった。
それで、その言葉掛けを継続ていったらお客さんが来るようになった。
これも常識を疑うことの大事さがわかるでしょう。
こういう工夫が大事なのは日常生活で大いにあります。
ゆえに、常に常識を疑い、それをいい方向へ向かわせるためにはどうすればいいか、そしていかに行動に移すか、ということを自身に問うて、そして行動していかなくてはならないのです。
それは、こと生活だけではなくて、科学を含む学問においても大事なのです。
本などを読んで理論を学び、知識を学ぶ。
その内容について果たして正しいのかどうかを吟味しなくてはならないのです。
そして、その研究対象が、よき方向へいかせるためにはどのようなテーゼがあるかを考えなくてはならないのです。
学問は、よき方向へ行くために何をすればいいのかを考え行動することを目的にしているのですから。
そのためには、いろんな本を読んでいかなくてはならないです。
そういう行為を日々続けることで創造的な思考法が出てくるのだと思います。
いろんな角度から物事を見ていくことで疑問や至らない点を発見できるのです。
その際、物事を論じる際に、祖述や他の書物からの引用ばかりでは意味がありません。
自身でおこなった分析や、考えなどを盛り込まなくてはいけないのは言うまでもありません。
そういうものがなくただ祖述や引用ばかりで固めた論文を書くのはご法度です。
こういう一連の行為が創造というものになるのです。
それは一般人、学者、両方にとって必須のものであるとわかるでしょう。
誰にでも創造力は要るのです。
創造力=常識を疑う、という図式が当てはまります。
しかし、注意点はあります。
常識でも、変えてはいけない常識もあるから注意必要です。
おはようございます、ありがとうございました、申しわけありませんでした。といった礼儀は変えてはならないのです。
もちろん規則通りの時間に出勤するといったことも!
何でもかんでも否定して、各自が自分の思い通りにだけしていてはその場はカオスと化してしまいますから注意が必要です。
こういうことを参考に、大学での勉強、そして社会生活を謳歌していってもらいたいものです。
●こういうスタンスに共鳴できる方には、おすすめの電子書籍.ペーパーバックが以下になります。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
医学に関してはすべて医者に任せるべからず?ではどうする? (加藤秀俊)
こんにちは。
大学および、その卒業後は、自身で主体的に物事を学んで、それを実行に移す世代に突入するわけです。
ゆえに、自身で本を読んで、社会にある問題点を把握し、自身ですべきことは何かを見つけて、それを改善するための行動をしなくてはならないのです。
ですから、それはもう大学時代から始めておいたほうがいいでしょう。

元より大学は、そういう主旨で出来たわけですし、科学の理念とはそういうものなのです。
ことは医療や健康についてもいえるのです。
何も考えずに、好きなものを好きなように摂取しているだけではいつしか、変調をきたしてきます。
また、医療でも問題点はあって、受けすぎると癌になってしまうものがあるのです。
それがレントゲンです。
これは放射線が使われているのですが、その放射線を浴び続けると癌になってしまうのです。
人の健康を測るための道具にそんなことがあるはずがないだろうと訝し気に思う人や、そんなことあるわけないと怒りを覚える人もいるでしょう。
しかし、本当なのです。
知り合いの医者の人に訊いてみるのもいいですし、その手の事が書かれている本を読むのもいいでしょう。
いずれの手段でも一通り話を聞くなり、本を1冊通して読むのがいいでしょう。
レントゲンに癌性などあるはずがない、という常識的なことでも、内情を探っていくと癌性がある、ということがわかってきます。
そのことがわかったらどうするか?
レントゲンで健康診断を受けない、ということです。
いいのはMRIという健診を受けるということです。
これには放射線は使われていないですから。
そういった健診だけでなく、多分野で物事を学び行動に移していくことが大事です。

ある病気に罹った人がいたとして、その原因を探り、自分がならないようにするためにはどんな生活が大事かを本を読んで学び実行するのを勧めているのです私は。
そういった病気になった人だけでなく、他の人たちも、いろんな病気になってしまうものを食べるのは避けた方がいいだろう、ということです。
巷で売られている食品には闇が多いです。
自然の摂理に反して長持ちさせる。見た目のいい色にする。味を大仰にする。
そういう目的の添加物を加味をすることで、それを食べた人が癌やアレルギーなどの疾患を引き起こすことにつながるということが明らかになっているのです。
それは私に聞くのではなく、その手の本を主体的に読んで身に着けていってほしいものです。
本を巧みに読みこなすのが大学生や一般人になった時のために、大学入試の科目には現代文というものが必須になっているのだから。
こういう食品だけでなく、ボディシャンプー、歯磨き粉、シャンプーなどの日用品などにもがん物質が入っているのです。
これらは口から取り入れなくても皮膚を伝って体内に取り込まれるのです。
それも、その手の本を読んで確認してもらうほかないです。

それを知ったら、そういうものを使わない。
それを知ったら、そういうものを使わないように、友人や知人に教えてあげることが大事でしょう。
何を病院の先生でない人が何を言ってるんだ、と反論される人もあるだろうことは容易に想像できます。
その通りでしょう。
医者を信用せず私がなおすなどといったことはできないし、病気になったらまずは医師の言うとおりに診察を受けて治療をしてもらうべきでしょう。
しかし、何から何まで医師に任せるのは考え物です。
全部医師に任せて、自分はただ病院に行って診察を受けて、薬を処方してもらうだけ。
これでは治るかどうかもあやしいですし、場合に依ったら不治になることもありえるのです。
巷には、いろんな医学についての情報があふれているのだし、自分がその中でできることを日々の生活ですべきではないか、と思われてならないのです。
自分も主体的に勉強して、その病気が治るのに、いいことはして、悪いことはしない、と敢然としていってもらいたいものです。

いろんな情報にアクセスしていって、身に着けたものは、行動に移さなくてはならないでしょう。
しかし、その情報も、全部を網羅することはできないだろうし、自分が調べたつもりでも、拾い忘れも当然あるでしょう。
でもまったくしらべずに生活を送るのと、主体的に調べていって生活していったのではどちらがいいでしょうか?
もちろん前者です。
しかし、全部を調べて完璧を目指すのは不可能です。
ゆえに、ある程度調べて行動してから、さらなる研究をして、そして行動していく、そして更なる研究をしていくというスタンスがいいでしょう。
そんなスタンスを勧めているのです私は。
●そんなスタンスに共鳴できる人に読んでもらいたい電子書籍.ペーパーバックは以下です。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
大学および、その卒業後は、自身で主体的に物事を学んで、それを実行に移す世代に突入するわけです。
ゆえに、自身で本を読んで、社会にある問題点を把握し、自身ですべきことは何かを見つけて、それを改善するための行動をしなくてはならないのです。
ですから、それはもう大学時代から始めておいたほうがいいでしょう。
元より大学は、そういう主旨で出来たわけですし、科学の理念とはそういうものなのです。
ことは医療や健康についてもいえるのです。
何も考えずに、好きなものを好きなように摂取しているだけではいつしか、変調をきたしてきます。
また、医療でも問題点はあって、受けすぎると癌になってしまうものがあるのです。
それがレントゲンです。
これは放射線が使われているのですが、その放射線を浴び続けると癌になってしまうのです。
人の健康を測るための道具にそんなことがあるはずがないだろうと訝し気に思う人や、そんなことあるわけないと怒りを覚える人もいるでしょう。
しかし、本当なのです。
知り合いの医者の人に訊いてみるのもいいですし、その手の事が書かれている本を読むのもいいでしょう。
いずれの手段でも一通り話を聞くなり、本を1冊通して読むのがいいでしょう。
レントゲンに癌性などあるはずがない、という常識的なことでも、内情を探っていくと癌性がある、ということがわかってきます。
そのことがわかったらどうするか?
レントゲンで健康診断を受けない、ということです。
いいのはMRIという健診を受けるということです。
これには放射線は使われていないですから。
そういった健診だけでなく、多分野で物事を学び行動に移していくことが大事です。
ある病気に罹った人がいたとして、その原因を探り、自分がならないようにするためにはどんな生活が大事かを本を読んで学び実行するのを勧めているのです私は。
そういった病気になった人だけでなく、他の人たちも、いろんな病気になってしまうものを食べるのは避けた方がいいだろう、ということです。
巷で売られている食品には闇が多いです。
自然の摂理に反して長持ちさせる。見た目のいい色にする。味を大仰にする。
そういう目的の添加物を加味をすることで、それを食べた人が癌やアレルギーなどの疾患を引き起こすことにつながるということが明らかになっているのです。
それは私に聞くのではなく、その手の本を主体的に読んで身に着けていってほしいものです。
本を巧みに読みこなすのが大学生や一般人になった時のために、大学入試の科目には現代文というものが必須になっているのだから。
こういう食品だけでなく、ボディシャンプー、歯磨き粉、シャンプーなどの日用品などにもがん物質が入っているのです。
これらは口から取り入れなくても皮膚を伝って体内に取り込まれるのです。
それも、その手の本を読んで確認してもらうほかないです。

それを知ったら、そういうものを使わない。
それを知ったら、そういうものを使わないように、友人や知人に教えてあげることが大事でしょう。
何を病院の先生でない人が何を言ってるんだ、と反論される人もあるだろうことは容易に想像できます。
その通りでしょう。
医者を信用せず私がなおすなどといったことはできないし、病気になったらまずは医師の言うとおりに診察を受けて治療をしてもらうべきでしょう。
しかし、何から何まで医師に任せるのは考え物です。
全部医師に任せて、自分はただ病院に行って診察を受けて、薬を処方してもらうだけ。
これでは治るかどうかもあやしいですし、場合に依ったら不治になることもありえるのです。
巷には、いろんな医学についての情報があふれているのだし、自分がその中でできることを日々の生活ですべきではないか、と思われてならないのです。
自分も主体的に勉強して、その病気が治るのに、いいことはして、悪いことはしない、と敢然としていってもらいたいものです。
いろんな情報にアクセスしていって、身に着けたものは、行動に移さなくてはならないでしょう。
しかし、その情報も、全部を網羅することはできないだろうし、自分が調べたつもりでも、拾い忘れも当然あるでしょう。
でもまったくしらべずに生活を送るのと、主体的に調べていって生活していったのではどちらがいいでしょうか?
もちろん前者です。
しかし、全部を調べて完璧を目指すのは不可能です。
ゆえに、ある程度調べて行動してから、さらなる研究をして、そして行動していく、そして更なる研究をしていくというスタンスがいいでしょう。
そんなスタンスを勧めているのです私は。
●そんなスタンスに共鳴できる人に読んでもらいたい電子書籍.ペーパーバックは以下です。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
医学的な知識は医学者だけに任せるべからず? (加藤秀俊)
こんにちは。
こんにちでは、いろんな本が買えて、それを読むことでいろんな知識が得れて、その知識を生活上で生かすことができる非常に恵まれた時代であるとはいえましょう。
重要な情報が一部の人間だけに独占される時代ではないのです。
知識を生活上で生かす…これは何も難しい話しではなく、自分にとって重要と思われる事柄であればそれを取り入れて、いらないと思われる事柄であれば捨て去る、ということです。
〇〇は体に良くないから食べない、△△は体にいいから食べる。
こういうことでいいのだと思います。

ある初老の老人に医療的な知識をお教えしたら、いやな顔をされた事を前回話しました。
その続きですが、そして、知った知識で「甘い物はがん細胞が喜んで、そして増殖してしまうから食べるべきではないです。また炭水化物も同様に」といった旨のこと言ったら、屁理屈など聞きたくない、といった憤りに満ちた顔をされたので、仕方なく撤退することにしたのです。
確かに医者ほどには医療に関する知識を、私が持っているわけではないです。
しかし、少しでも持っているのと全く知らないのとでは意味が違うし、すべてを医者に任せるのではなく、自身で調べて良かれと思われることは自主的に行動していくべきであるのは間違いないです。
がんが治るためのいいものを食べ、悪いものは食べない飲まないといった主体的な行動は必要でしょう。
健康にいいことを、国が全部国民に教えることなどできた話ではないのですから。
虫歯になって、治療するのだけに任せて、毎日甘い物を食べて虫歯が悪化することをしていくのでは話しにならない。
それと一緒なのです。

そこは専門家の意見を聞くべきでしょう、読むべきでしょう。
ただし、これはいいという科学的なテーゼに対して、それは悪いという意見もあることは世の常です。
そこは、自身で両者の意見を読んだうえで、どちらを支持するか、あるいは中道で行くかを決めるべきでしょう。
そして採択した立場については自身の責任で生きていく、ということが大事です。
昨今はYouTubeでいろんな医学者、医者の方が、健康にいいこと悪いことを話しているのです。
癌にかからないようにすることなどが私の最近の関心の1つではありますが、そこで言われている癌にかからないためにすべきこと、しないべきことの両方を脳内に入れて日々行動していくことにしています。
そこで言われていることを全部脳内にしまっておくことはできませんから、そのURLをワードに張り付けて、時間があったら、それを再度、観なおすことにしているのです。
それプラス、自分で医学に関する本を読んで肉付けしていくことも重要と思っています。
そういう主体的に情報を得て、自身の健康状態をよくしていく努力は大事でしょう。
それは人任せにしているうちには成就しないです。
主体的に学んでいくことこそが重要なのです。
それは何も、大学という最高学府といわれる場祖に行かなくても学べる性質なのです。
そこを意識していきましょう。
●そんなスタンスに共鳴できる人には是非とも読んでもらいたい電子書籍.ペーパーバックは以下です。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
こんにちでは、いろんな本が買えて、それを読むことでいろんな知識が得れて、その知識を生活上で生かすことができる非常に恵まれた時代であるとはいえましょう。
重要な情報が一部の人間だけに独占される時代ではないのです。
知識を生活上で生かす…これは何も難しい話しではなく、自分にとって重要と思われる事柄であればそれを取り入れて、いらないと思われる事柄であれば捨て去る、ということです。
〇〇は体に良くないから食べない、△△は体にいいから食べる。
こういうことでいいのだと思います。
ある初老の老人に医療的な知識をお教えしたら、いやな顔をされた事を前回話しました。
その続きですが、そして、知った知識で「甘い物はがん細胞が喜んで、そして増殖してしまうから食べるべきではないです。また炭水化物も同様に」といった旨のこと言ったら、屁理屈など聞きたくない、といった憤りに満ちた顔をされたので、仕方なく撤退することにしたのです。
確かに医者ほどには医療に関する知識を、私が持っているわけではないです。
しかし、少しでも持っているのと全く知らないのとでは意味が違うし、すべてを医者に任せるのではなく、自身で調べて良かれと思われることは自主的に行動していくべきであるのは間違いないです。
がんが治るためのいいものを食べ、悪いものは食べない飲まないといった主体的な行動は必要でしょう。
健康にいいことを、国が全部国民に教えることなどできた話ではないのですから。
虫歯になって、治療するのだけに任せて、毎日甘い物を食べて虫歯が悪化することをしていくのでは話しにならない。
それと一緒なのです。
そこは専門家の意見を聞くべきでしょう、読むべきでしょう。
ただし、これはいいという科学的なテーゼに対して、それは悪いという意見もあることは世の常です。
そこは、自身で両者の意見を読んだうえで、どちらを支持するか、あるいは中道で行くかを決めるべきでしょう。
そして採択した立場については自身の責任で生きていく、ということが大事です。
昨今はYouTubeでいろんな医学者、医者の方が、健康にいいこと悪いことを話しているのです。
癌にかからないようにすることなどが私の最近の関心の1つではありますが、そこで言われている癌にかからないためにすべきこと、しないべきことの両方を脳内に入れて日々行動していくことにしています。
そこで言われていることを全部脳内にしまっておくことはできませんから、そのURLをワードに張り付けて、時間があったら、それを再度、観なおすことにしているのです。
それプラス、自分で医学に関する本を読んで肉付けしていくことも重要と思っています。
そういう主体的に情報を得て、自身の健康状態をよくしていく努力は大事でしょう。
それは人任せにしているうちには成就しないです。
主体的に学んでいくことこそが重要なのです。
それは何も、大学という最高学府といわれる場祖に行かなくても学べる性質なのです。
そこを意識していきましょう。
●そんなスタンスに共鳴できる人には是非とも読んでもらいたい電子書籍.ペーパーバックは以下です。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
学問を学ぶ意義はどのようなところにあるか?それを知ったらこれこそが…! (加藤秀俊)
こんにちは。
本を読む、学問を学ぶ、これらをすることによって共通するメリットは、自身や社会をよき方向へ舵取りできるということです。
そのモラルであるゆえに、私はいつも勧めているのです。
そしてそこで得られる理論は、これまで得てきた常識と対立する場面が多々あることは間違いないのです。
その際には、まず常識を疑えということを言いたいのです。
私は知識を預けなくてはならない思い、軽度のがんにかかってしまった初老人にいったのです。
レントゲンは放射線を放出する、放射線にはがん性が含まれているから受けるべきではない、ということを。

そう言うと、「はあ、何言ってんだ。健康を診断する機械にそんなことがあるわけないだろう!」といわれて、こいつは変人なのか、みたいな顔をされたのです。
それは無理もないだろうし、一般的な常識ではそのような意見になってもおかしくはないでしょう。
しかし、それは本当なことなのです。
それは医師である友人や知り合いもそれはあっているといってくれたし、ベンジャミン.フルフォードもそれを『人殺し医療』に書いてあるのです。
それが疑わしいというのならば、それについて書いてある本を1冊でもいいから読破することが大事です。
何故、医療の現場でそんながんが増殖するようなことをしているのに放置されているのか?

それは私の意見だけではなく、その道に精通している人の見解や、知識や理論を一通り本を通して読んでもらうほかないのです。
そのうえで、批判するなり賞賛するなりしてもらわないことには、科学の存立意義がないのです。
レントゲンを受け続けることでがん細胞が発生する、ということを確認した私は、健康診断の際に、レントゲンではしないようにしているのです。
MRIであればがん細胞はできませんので、そちらを使う診断にしているのです。
ことの内情を構造的に探る。
そして、自身や社会のためによくないことであれば、それは避ける、あるいは撲滅するように働きかける。
そういう姿勢が大事なのでしょう。
そういうモラルゆえに、私はいろんな本を読み、問題点を探り、それをよき方向へ向かわせるためにすべきことを探し、その行動をとる、ということを続行しているのです日々。
単なる趣味でしているのではないのです(笑)。
確かに本を読むのは大好きですが、その本を読むのが楽しいという価値観を植え付けることを目的にしているのではないのです。
そこをたがえては困ります。
●そんなスタンスに共鳴できる人には以下の電子書籍.ペーパーバックはお勧めですので読んでみることを進言します。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
本を読む、学問を学ぶ、これらをすることによって共通するメリットは、自身や社会をよき方向へ舵取りできるということです。
そのモラルであるゆえに、私はいつも勧めているのです。
そしてそこで得られる理論は、これまで得てきた常識と対立する場面が多々あることは間違いないのです。
その際には、まず常識を疑えということを言いたいのです。
私は知識を預けなくてはならない思い、軽度のがんにかかってしまった初老人にいったのです。
レントゲンは放射線を放出する、放射線にはがん性が含まれているから受けるべきではない、ということを。
そう言うと、「はあ、何言ってんだ。健康を診断する機械にそんなことがあるわけないだろう!」といわれて、こいつは変人なのか、みたいな顔をされたのです。
それは無理もないだろうし、一般的な常識ではそのような意見になってもおかしくはないでしょう。
しかし、それは本当なことなのです。
それは医師である友人や知り合いもそれはあっているといってくれたし、ベンジャミン.フルフォードもそれを『人殺し医療』に書いてあるのです。
それが疑わしいというのならば、それについて書いてある本を1冊でもいいから読破することが大事です。
何故、医療の現場でそんながんが増殖するようなことをしているのに放置されているのか?
それは私の意見だけではなく、その道に精通している人の見解や、知識や理論を一通り本を通して読んでもらうほかないのです。
そのうえで、批判するなり賞賛するなりしてもらわないことには、科学の存立意義がないのです。
レントゲンを受け続けることでがん細胞が発生する、ということを確認した私は、健康診断の際に、レントゲンではしないようにしているのです。
MRIであればがん細胞はできませんので、そちらを使う診断にしているのです。
ことの内情を構造的に探る。
そして、自身や社会のためによくないことであれば、それは避ける、あるいは撲滅するように働きかける。
そういう姿勢が大事なのでしょう。
そういうモラルゆえに、私はいろんな本を読み、問題点を探り、それをよき方向へ向かわせるためにすべきことを探し、その行動をとる、ということを続行しているのです日々。
単なる趣味でしているのではないのです(笑)。
確かに本を読むのは大好きですが、その本を読むのが楽しいという価値観を植え付けることを目的にしているのではないのです。
そこをたがえては困ります。
●そんなスタンスに共鳴できる人には以下の電子書籍.ペーパーバックはお勧めですので読んでみることを進言します。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム