幸福の科学に反旗を翻し7度敗訴した宏洋を批判してそれで万時解決…ではありません!(幸福の科学)
こんにちは。
物事は、何においても多面的に考察していくべし、という主題で話していきたいと思います。
幸福の科学の故.大川隆法総裁の不肖の息子である宏洋氏(下写真)は、大川総裁や幸福の科学に対して反旗を翻してきました。

それがユーチューブや本と両方でおこなわれてきたのです。
彼はかつて、幸福の科学の映画にも出演していて、心強い後継者ができた、と私自身も喜んでみていたものです。
しかし、いつしか反旗を翻すようになり、かなり訝しげに思ったものです。
それがいつまでたっても改善されず、その動画や本に書いてある内容が実際とは違う、ということで、幸福の科学の教団が宏洋氏に対して、その内容の表示の撤回をするように裁判をかけて、宏洋氏は7度も敗訴していたのです。
宏洋氏は幼少期から、週に数個もの習い事をさせられて塾にも通わせられていたということです。
これは裁判の内容には入っていないので真実だったのでしょう。
度重なる体罰も母親からさせられて、それによってできた感情がついに爆発して、あることとないことを混ぜ合わせて動画や本に公開することになってしまったようです。
その見分けをつけるのは、裁判内容と、本と動画を見ながら吟味しなくてはならないので非常にめんどくさいですが(笑)、そういう知的な作業は必要でしょう、真実を確かめるためには。
幸福の科学の開宗から、わずか3年で、大川家は1フロア100万円の高級マンションを6フロア借りていたといいます。
そんなに急激にそんな暮らしができていたということは、一気に信者が増えて、お布施も大量の額になったがゆえに、宏洋氏の母親であったきょうこさん(下写真)は、隆法総裁の宗教的な力は本物と悟ったのでしょう。

ゆえに当然、その本物の宗教の跡取りにさせるべく宏洋氏にエリート教育を施したのではないか?
多岐にわたる学問に精通している必要性を感じ、宏洋氏を後継者にする意図があったのではないか?
それが、あのような教育結果になったのではないか、と思わざるを得ないのですね私は。
しかし、自主性なくしては本人は育たず。
自分の内からやりたいという感情から出たモノでなくては挫折してしまうのは明白なのです。
隆法総裁にしろ、きょう子さんにしろ、両方とも東大を出た、ということです。
それゆえに、2人ともかなり勉強が好きだったのでしょう。
ゆえに、子供も勉強好きなのだろうと勘違いしてしまったのでしょう。
しかし、ことはそう簡単ではないのです(笑)
世のなかの大半の人は、文字も嫌いならば勉強などもっと嫌いなのです。

私の出た大学は中より上の大学でしたが、年末の試験前時には、大学周辺のコンビニにはどこも友人にノートを借りて、コピーする人たちの行列でごった返していましたし、東大を出た友人にも聞くと、事情は一緒だったのです。
ゆえに、自分が好きだから子供も好きになるだろうと思うのは間違いなのです。
教団内の宏洋氏の家庭教師役をしていた人たちの体験談によると宏洋氏は勉強が大嫌いだったようです。
しかし、それでも宏洋氏を責めるには及ばないのです。
自身が心底したいと思えることを、生業にすればいいことだったのです。
総裁の後継者になるのが嫌ならば、それはそれで致し方なかったのです。
子供の精神の健全さの養成には、やはり家族関係が一番重要なのです。
朝眠いにも関わらず起きて、朝食を摂り、会社に出かける。
そこで敢然と仕事をこなし、帰宅したら、子供たちをかわいがり、遊んであげたり、勉強を見てあげる。
子供が困難に遭遇したら励まし、成功したら褒める。
そういう姿を見て子供が育てば、子供の精神は健全になるのです。

しかし、大川総裁はサラリーマンではないゆえに、出勤もしなければ働くこともない。
朝、本や雑誌や新聞を読みながら家にいる。
そういう親の姿を見て育つと、子供の精神は不健全になるのは、教育心理学で明らかになっているのです。
しかも、きょう子氏による宏洋氏へのプレッシャーかけや体罰なども不健全な精神を育成するのに貢献してしまった様です。
しかも、親の夫婦仲が良いことも子供の健全な精神には重要なようです。
大川夫妻は離婚してしまいましたが、離婚する直前まで口喧嘩が絶えなかったようです。
しかも、離婚ともなれば、親を尊敬するどころか、蔑視の対象でしかなくなるのです。
故.大川総裁(下写真)は部類の読書家だったがゆえに、こういった心理学については読んでいたはずですが、いざ自分が教育する段になったら、すっかりそれを忘れてしまっていたのでしょう。

教育はぶっつけ本番的な要素があるので、ことさら、総裁を非難するには及ばないと思います。
しかし、あやまちであることが判明したのであれば、それは是正しなくてはならないですし、これから父親や母親になろうとする人は厳に戒めねばならないということです。
宏洋氏が裁判に7度敗れたからといって、宏洋氏を批判して終わりということではない、ということを覚えておかなくてはならないでしょう。
そんなスタンスに興味のある人には、以下の電子書籍はお勧めです。
●以下よりどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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♯大川隆法
♯宏洋
物事は、何においても多面的に考察していくべし、という主題で話していきたいと思います。
幸福の科学の故.大川隆法総裁の不肖の息子である宏洋氏(下写真)は、大川総裁や幸福の科学に対して反旗を翻してきました。

それがユーチューブや本と両方でおこなわれてきたのです。
彼はかつて、幸福の科学の映画にも出演していて、心強い後継者ができた、と私自身も喜んでみていたものです。
しかし、いつしか反旗を翻すようになり、かなり訝しげに思ったものです。
それがいつまでたっても改善されず、その動画や本に書いてある内容が実際とは違う、ということで、幸福の科学の教団が宏洋氏に対して、その内容の表示の撤回をするように裁判をかけて、宏洋氏は7度も敗訴していたのです。
宏洋氏は幼少期から、週に数個もの習い事をさせられて塾にも通わせられていたということです。
これは裁判の内容には入っていないので真実だったのでしょう。
度重なる体罰も母親からさせられて、それによってできた感情がついに爆発して、あることとないことを混ぜ合わせて動画や本に公開することになってしまったようです。
その見分けをつけるのは、裁判内容と、本と動画を見ながら吟味しなくてはならないので非常にめんどくさいですが(笑)、そういう知的な作業は必要でしょう、真実を確かめるためには。
幸福の科学の開宗から、わずか3年で、大川家は1フロア100万円の高級マンションを6フロア借りていたといいます。
そんなに急激にそんな暮らしができていたということは、一気に信者が増えて、お布施も大量の額になったがゆえに、宏洋氏の母親であったきょうこさん(下写真)は、隆法総裁の宗教的な力は本物と悟ったのでしょう。

ゆえに当然、その本物の宗教の跡取りにさせるべく宏洋氏にエリート教育を施したのではないか?
多岐にわたる学問に精通している必要性を感じ、宏洋氏を後継者にする意図があったのではないか?
それが、あのような教育結果になったのではないか、と思わざるを得ないのですね私は。
しかし、自主性なくしては本人は育たず。
自分の内からやりたいという感情から出たモノでなくては挫折してしまうのは明白なのです。
隆法総裁にしろ、きょう子さんにしろ、両方とも東大を出た、ということです。
それゆえに、2人ともかなり勉強が好きだったのでしょう。
ゆえに、子供も勉強好きなのだろうと勘違いしてしまったのでしょう。
しかし、ことはそう簡単ではないのです(笑)
世のなかの大半の人は、文字も嫌いならば勉強などもっと嫌いなのです。
私の出た大学は中より上の大学でしたが、年末の試験前時には、大学周辺のコンビニにはどこも友人にノートを借りて、コピーする人たちの行列でごった返していましたし、東大を出た友人にも聞くと、事情は一緒だったのです。
ゆえに、自分が好きだから子供も好きになるだろうと思うのは間違いなのです。
教団内の宏洋氏の家庭教師役をしていた人たちの体験談によると宏洋氏は勉強が大嫌いだったようです。
しかし、それでも宏洋氏を責めるには及ばないのです。
自身が心底したいと思えることを、生業にすればいいことだったのです。
総裁の後継者になるのが嫌ならば、それはそれで致し方なかったのです。
子供の精神の健全さの養成には、やはり家族関係が一番重要なのです。
朝眠いにも関わらず起きて、朝食を摂り、会社に出かける。
そこで敢然と仕事をこなし、帰宅したら、子供たちをかわいがり、遊んであげたり、勉強を見てあげる。
子供が困難に遭遇したら励まし、成功したら褒める。
そういう姿を見て子供が育てば、子供の精神は健全になるのです。
しかし、大川総裁はサラリーマンではないゆえに、出勤もしなければ働くこともない。
朝、本や雑誌や新聞を読みながら家にいる。
そういう親の姿を見て育つと、子供の精神は不健全になるのは、教育心理学で明らかになっているのです。
しかも、きょう子氏による宏洋氏へのプレッシャーかけや体罰なども不健全な精神を育成するのに貢献してしまった様です。
しかも、親の夫婦仲が良いことも子供の健全な精神には重要なようです。
大川夫妻は離婚してしまいましたが、離婚する直前まで口喧嘩が絶えなかったようです。
しかも、離婚ともなれば、親を尊敬するどころか、蔑視の対象でしかなくなるのです。
故.大川総裁(下写真)は部類の読書家だったがゆえに、こういった心理学については読んでいたはずですが、いざ自分が教育する段になったら、すっかりそれを忘れてしまっていたのでしょう。
教育はぶっつけ本番的な要素があるので、ことさら、総裁を非難するには及ばないと思います。
しかし、あやまちであることが判明したのであれば、それは是正しなくてはならないですし、これから父親や母親になろうとする人は厳に戒めねばならないということです。
宏洋氏が裁判に7度敗れたからといって、宏洋氏を批判して終わりということではない、ということを覚えておかなくてはならないでしょう。
そんなスタンスに興味のある人には、以下の電子書籍はお勧めです。
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人の気持ちを理解するには最高の宗教に入っていることが最重要…いやそんなことないです。 (幸福の科学)
今回は、宗教だけに縋っていれば幸せになれるのか、という主題で話しをしていきたいです。
私たち日本人は、24時間の間に朝昼晩があります。
実に当たり前のことです。
しかし、世界では、それがない国があるのです。
それが北欧のノルウェイです。

日が差さない月が年に2か月間続くのだそうです。
それゆえに、日差しがなくなり、それがないゆえに、朝起きてもアドレナリンが出ずに、気が滅入ったままになり、鬱を抱えている人は、その期間に自殺してしまうパターンも往々にしてあるのです。
ゆえにノルウェイは自殺者の割合がかなり高いのです。
これには驚きました。
そんな国があったのか、ということですね。
確かに、滅入るような疲れが前日にあったり、嫌なことがあって次の日を迎えたりしても、次の日に起きて太陽の日差しを浴びていたら自然とそういった感情が霧消してしてしまっていたりすることがままありました私には。
しかし、ノルウェイでは朝起きても日差しが出ないのですから、アドレナリンが出ず、そのまま嫌な感情が継続して、ついには自殺してしまう人が続出…こんなパターンもあるのかと、驚きました。

しかし、こういうノルウェイの人たちのような経験もないのに、自殺してしまう人に対して、だらしがないとか、深く考えすぎだ、といったような批判はすべきではないでしょう。
2か月間も、日が差さない生活をしたことがないのですから、他の国の人たちは。
そういう経験をしながら、疲れたり、嫌な感情を抱えた上で、死にたくなる感情を抑えて生還した、という経験がないのならば、むやみにその感情に囚われている人を批判すべきではないのです。
こういう感情は、宗教に入ることによって霧消できるのでしょうか?
ある程度は可能でしょう。
宗教に入れば、経文を唱えたりすることで意気が上がりますし、宗教内には心優しい人が大勢いますから、その人たちに励ましを受けることもあるでしょう。

しかし、完全に雲散霧消してしまうことはできた話しではないでしょう。
自分の入っている宗教が素晴らしいと喧伝したい気持ちはわかりますが、完璧なものなどないのです。
完全に解決できるなどと大言壮語を吐く人は、物事を深く探求する資質がないのです。
そういう人の言葉は通りすぎるのがいいでしょう。
私も信用しません。
本当に相手を思いやる心を持っている人ならば、同じような体験を自ら進んで受けようという人のことです。
ノルウェイの日が差さない月にも、自ら進んで滞在して、そこに住む人たちの気持ちを量ろうという人こそが真の優しさを持った人なのでしょう。

ノルウェーでは自殺者多い、ということを知って、日光を浴びることによるアドレナリンが放出しているから自分は鬱を改善できた。
憂鬱だったが光を見ることで雲散霧消していく気が芽生えていたということが分かった。
それは失って初めて分かるものなのです。
やはり体験、あるいは体感というものが、人を理解するためには非常に大事なことなのです。
素晴らしい宗教に入ることが最重要…全然ちがいます!(笑)
体験、体感が大事なのです。
そういう経験を多く積んだ人こそが、人の上に立つ人としての資質がある、ということなのでしょう。
そんなことを考えてしまいました。
こういうスタンスに共鳴できる人におすすめなのが以下の電子書籍です。
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♯宗教
♯完璧
私たち日本人は、24時間の間に朝昼晩があります。
実に当たり前のことです。
しかし、世界では、それがない国があるのです。
それが北欧のノルウェイです。
日が差さない月が年に2か月間続くのだそうです。
それゆえに、日差しがなくなり、それがないゆえに、朝起きてもアドレナリンが出ずに、気が滅入ったままになり、鬱を抱えている人は、その期間に自殺してしまうパターンも往々にしてあるのです。
ゆえにノルウェイは自殺者の割合がかなり高いのです。
これには驚きました。
そんな国があったのか、ということですね。
確かに、滅入るような疲れが前日にあったり、嫌なことがあって次の日を迎えたりしても、次の日に起きて太陽の日差しを浴びていたら自然とそういった感情が霧消してしてしまっていたりすることがままありました私には。
しかし、ノルウェイでは朝起きても日差しが出ないのですから、アドレナリンが出ず、そのまま嫌な感情が継続して、ついには自殺してしまう人が続出…こんなパターンもあるのかと、驚きました。
しかし、こういうノルウェイの人たちのような経験もないのに、自殺してしまう人に対して、だらしがないとか、深く考えすぎだ、といったような批判はすべきではないでしょう。
2か月間も、日が差さない生活をしたことがないのですから、他の国の人たちは。
そういう経験をしながら、疲れたり、嫌な感情を抱えた上で、死にたくなる感情を抑えて生還した、という経験がないのならば、むやみにその感情に囚われている人を批判すべきではないのです。
こういう感情は、宗教に入ることによって霧消できるのでしょうか?
ある程度は可能でしょう。
宗教に入れば、経文を唱えたりすることで意気が上がりますし、宗教内には心優しい人が大勢いますから、その人たちに励ましを受けることもあるでしょう。

しかし、完全に雲散霧消してしまうことはできた話しではないでしょう。
自分の入っている宗教が素晴らしいと喧伝したい気持ちはわかりますが、完璧なものなどないのです。
完全に解決できるなどと大言壮語を吐く人は、物事を深く探求する資質がないのです。
そういう人の言葉は通りすぎるのがいいでしょう。
私も信用しません。
本当に相手を思いやる心を持っている人ならば、同じような体験を自ら進んで受けようという人のことです。
ノルウェイの日が差さない月にも、自ら進んで滞在して、そこに住む人たちの気持ちを量ろうという人こそが真の優しさを持った人なのでしょう。
ノルウェーでは自殺者多い、ということを知って、日光を浴びることによるアドレナリンが放出しているから自分は鬱を改善できた。
憂鬱だったが光を見ることで雲散霧消していく気が芽生えていたということが分かった。
それは失って初めて分かるものなのです。
やはり体験、あるいは体感というものが、人を理解するためには非常に大事なことなのです。
素晴らしい宗教に入ることが最重要…全然ちがいます!(笑)
体験、体感が大事なのです。
そういう経験を多く積んだ人こそが、人の上に立つ人としての資質がある、ということなのでしょう。
そんなことを考えてしまいました。
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事の決定=政治は宗教団体云々ではなく如何に理論的に掘り下げているかどうかにバイアスを?
人を指示する立場と、指示される立場の相克はどこにでもあります。
どちらの立場も、その立場になってみないことにはわからないのです、実感がないので。
実感なくして、される側の気持ちを分かれと言ってもわかるはずはないのです。
実感としてわかるためには、その立場に立って生活する以外にはないのです。
これは古今東西変わらぬ真実です。
経文を唱えることは、どの宗教でもしていることですが、それをしたからといって、そのされる側の気持ちが実感できるかというとそんなことは絶対にないのです。
ゆえに、どの宗教に入ってようと、下っ端からの仕事をしていくことが重要なのです。
それを省いて、社長が自分の息子をいきなり重役に据えるなどということは絶対にすべきではないのです。
それでは、その息子が下っ端の人間の気持ちを察していくことなど不可能です。

これはどんな素晴らしい宗教に入っていようと一緒なのです。
この宗教の経文を唱えていれば、相手は分かってくれるようになるなどという誤った気持ちで、自分を貶してくる人が、自分の気持ちを分かるようになるよう真剣に祈る…こんなことがかなうはずはないのです(笑)。
にもかかわらず、そういうこと疑問を持たずに上げていくことをしている信者がいる団体があるから不思議なのです。
創価学会に入信していた女性で、旦那が冷たい人なので、心優しい人になるように1日に4時間から8時間の南無妙法蓮華経という経文を唱えたが、旦那は一向に変わってくれない。
これに我慢できずに創価学会から脱会…こんなエピソードが動画に上げられていて、悲しい気分になりましたが、こういったかなうはずもない嘘を吹き込んだ周りの創価学会員もさることながら、そんな嘘を嘘と見抜けなかったその女性も問題なのです。

総論として、される側になって初めて分かることがあるのです。
それが実感としてわかって、ことを決めていく。
それがわかるためには、苦労を進んでさせていくことが重要なのです。
社長の親は、自分の息子には最底辺の仕事からさせていくことが大事なのです。
そして社長自らも、進んで最底辺の仕事をしていくのです。
そういう姿を見せていくことで息子は、人の気持ちがわかるようになるのです。
そういうことをさせないで、相手の気持ちを分かれと言ってもわかろうはずはないのです。
ゆえに、家族会社に無批判でいていいはずはないのです。
たとえその社長が東大出でも一緒です。
しかし、何から何まで構成員の意見をくみ取ることでいいかというとそうでもないのです。

ことは政治的な話しになってしまいますが、ことはどの組織でも一緒なのです。
ことの取り決め=政治なのです。
その組織内でのより良き取り決めをしていくためには、組織全体の事柄を熟知している必要があるのです。
しかし、組織内でそういう人物は限られた人しかいないのです。
そういうことに関心がない人、ちょっとだけ関心がある人、大いに関心がある人、いろいろあるのです。
管理職として上部に上がれば上がるほど、関心が大きくなっていくのはどの組織でも共通することですが、それでも上部なら必ずしも関心が高いかというとそうでもないのです。
ケースバイケースなのです。
ですから、その組織内での事を熟知して、危急存亡について大いに使命感を持っている人を集めていく必要があるのです。
それでいて、一般人の意見も汲み取る…これが最良の道なのかなという気がします。
こういう王道の道を踏み外して、上部だけで事の決定をしてしまったがために、没落の憂き目にあったのが、日蓮正宗でしょう。

前代の法主である阿部日顕が、信徒団体で巨大な組織であった創価学会を切り、本山である大石寺に350億円かけて作った正本堂を破壊し、木を数百本切り倒し、伏せ拝を小僧たちに強要し、供養金を値上げする、といった暴挙に出たがために、日蓮正宗はかつての信者数から2%にまで激減してしまったのです。
やはり、そういう輩が組織のトップになるべきではなかったのです。
日顕はほぼ独断的にことを決めていったのです。
しかし、すべてを人民にゆだねると衆愚制になってしまうのは人類の歴史を見れば明らかでしょう。
「民意なるものはない。民衆はそれぞれ自分の好きなことを言っているだけだ」と書いたのは、大正デモクラシーで有名な吉野作造だが、現代はそうではないだろうと思います。
人々を啓蒙する本はたくさんあるし、情報はいつでもスマホのネットで探索できる時代です。
市民として知りたいことは知れるが、そのも吟味は必要です。
それに直接自分に関係があるかないかで、情報へのアクセスの度合いは違ってくるのです。

自分のすぐ近くに清掃工場ができると聞いたら、すぐさまその内容について吟味し抗議するが、遠く離れた県でのことならばそんなに関心はないか、あるいは無に帰してしまう。
哀しいが人間というものはそういうものなのです、私を含めて。
やはり政治というものはエリートにこそ着手してもらうべき筋合いのものです。
この場合のエリートとは、社会の問題全般に関心があって、日々そういうものに対する情報を得て行動している人のことをさします。
しかしエリート制度でいいか?そんなこともないないのは先に指摘した通りです。
それゆえに、現代は間接民主制として、選挙というものがあるのです。
その理念をプラトン(下写真)という紀元前400年前の人が見抜いていたのです。

すごいですねえ。
私にはそんな時代を超えて透徹した理論を導くことなどできた話しではないです(笑)
こういった古典を学ぶメリットというのは、現代でも学べる事柄があるからです。
現代において学ぶ面がないならば古典とは呼べないのです。
もちろん、その古典がそっくりそのまま現代でも有意義かというとそうでもないのです。
一部だけだったり、半分くらいだったり、ほとんどだったり、ものによってケースバイケースなのです。
その吟味は、学者たちに任せられているのです。
この衆愚制云々について興味の出た人はプラトンを読め!ということです。
やはり、ことはどの宗教に入っているかではなく、どれだけ多面的に物事を掘り下げていくかということです。
この宗教に入って祈っているからとか、というのは邪道なのです。

最近は、選挙が近いこともあって選挙活動が喧しく(笑)、知り合いの創価学会員が公明党議員に入れてくれと自宅までやってきますが、日蓮の教えを学んでいる団体の支持の政党だから、という理由では公明党議員には投票しません。
どれだけ社会にある問題点を掘り下げて、どのような議論をして、どのような法案を作っていくか、ということを公約として掲げているか、ということを見て、自分が感心した議員に投票しようと思います。
そういう議員が公明党にいれば、その人に入れようと思いますが、いないならば他の政党の議員に入れるほかないです。
こういう掘り下げが日々大事なのです。
こういうモラルに賛嘆できる人におすすめな宗教に関する電子書籍は以下です。
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♯古典
♯プラトン
どちらの立場も、その立場になってみないことにはわからないのです、実感がないので。
実感なくして、される側の気持ちを分かれと言ってもわかるはずはないのです。
実感としてわかるためには、その立場に立って生活する以外にはないのです。
これは古今東西変わらぬ真実です。
経文を唱えることは、どの宗教でもしていることですが、それをしたからといって、そのされる側の気持ちが実感できるかというとそんなことは絶対にないのです。
ゆえに、どの宗教に入ってようと、下っ端からの仕事をしていくことが重要なのです。
それを省いて、社長が自分の息子をいきなり重役に据えるなどということは絶対にすべきではないのです。
それでは、その息子が下っ端の人間の気持ちを察していくことなど不可能です。
これはどんな素晴らしい宗教に入っていようと一緒なのです。
この宗教の経文を唱えていれば、相手は分かってくれるようになるなどという誤った気持ちで、自分を貶してくる人が、自分の気持ちを分かるようになるよう真剣に祈る…こんなことがかなうはずはないのです(笑)。
にもかかわらず、そういうこと疑問を持たずに上げていくことをしている信者がいる団体があるから不思議なのです。
創価学会に入信していた女性で、旦那が冷たい人なので、心優しい人になるように1日に4時間から8時間の南無妙法蓮華経という経文を唱えたが、旦那は一向に変わってくれない。
これに我慢できずに創価学会から脱会…こんなエピソードが動画に上げられていて、悲しい気分になりましたが、こういったかなうはずもない嘘を吹き込んだ周りの創価学会員もさることながら、そんな嘘を嘘と見抜けなかったその女性も問題なのです。
総論として、される側になって初めて分かることがあるのです。
それが実感としてわかって、ことを決めていく。
それがわかるためには、苦労を進んでさせていくことが重要なのです。
社長の親は、自分の息子には最底辺の仕事からさせていくことが大事なのです。
そして社長自らも、進んで最底辺の仕事をしていくのです。
そういう姿を見せていくことで息子は、人の気持ちがわかるようになるのです。
そういうことをさせないで、相手の気持ちを分かれと言ってもわかろうはずはないのです。
ゆえに、家族会社に無批判でいていいはずはないのです。
たとえその社長が東大出でも一緒です。
しかし、何から何まで構成員の意見をくみ取ることでいいかというとそうでもないのです。
ことは政治的な話しになってしまいますが、ことはどの組織でも一緒なのです。
ことの取り決め=政治なのです。
その組織内でのより良き取り決めをしていくためには、組織全体の事柄を熟知している必要があるのです。
しかし、組織内でそういう人物は限られた人しかいないのです。
そういうことに関心がない人、ちょっとだけ関心がある人、大いに関心がある人、いろいろあるのです。
管理職として上部に上がれば上がるほど、関心が大きくなっていくのはどの組織でも共通することですが、それでも上部なら必ずしも関心が高いかというとそうでもないのです。
ケースバイケースなのです。
ですから、その組織内での事を熟知して、危急存亡について大いに使命感を持っている人を集めていく必要があるのです。
それでいて、一般人の意見も汲み取る…これが最良の道なのかなという気がします。
こういう王道の道を踏み外して、上部だけで事の決定をしてしまったがために、没落の憂き目にあったのが、日蓮正宗でしょう。

前代の法主である阿部日顕が、信徒団体で巨大な組織であった創価学会を切り、本山である大石寺に350億円かけて作った正本堂を破壊し、木を数百本切り倒し、伏せ拝を小僧たちに強要し、供養金を値上げする、といった暴挙に出たがために、日蓮正宗はかつての信者数から2%にまで激減してしまったのです。
やはり、そういう輩が組織のトップになるべきではなかったのです。
日顕はほぼ独断的にことを決めていったのです。
しかし、すべてを人民にゆだねると衆愚制になってしまうのは人類の歴史を見れば明らかでしょう。
「民意なるものはない。民衆はそれぞれ自分の好きなことを言っているだけだ」と書いたのは、大正デモクラシーで有名な吉野作造だが、現代はそうではないだろうと思います。
人々を啓蒙する本はたくさんあるし、情報はいつでもスマホのネットで探索できる時代です。
市民として知りたいことは知れるが、そのも吟味は必要です。
それに直接自分に関係があるかないかで、情報へのアクセスの度合いは違ってくるのです。
自分のすぐ近くに清掃工場ができると聞いたら、すぐさまその内容について吟味し抗議するが、遠く離れた県でのことならばそんなに関心はないか、あるいは無に帰してしまう。
哀しいが人間というものはそういうものなのです、私を含めて。
やはり政治というものはエリートにこそ着手してもらうべき筋合いのものです。
この場合のエリートとは、社会の問題全般に関心があって、日々そういうものに対する情報を得て行動している人のことをさします。
しかしエリート制度でいいか?そんなこともないないのは先に指摘した通りです。
それゆえに、現代は間接民主制として、選挙というものがあるのです。
その理念をプラトン(下写真)という紀元前400年前の人が見抜いていたのです。
すごいですねえ。
私にはそんな時代を超えて透徹した理論を導くことなどできた話しではないです(笑)
こういった古典を学ぶメリットというのは、現代でも学べる事柄があるからです。
現代において学ぶ面がないならば古典とは呼べないのです。
もちろん、その古典がそっくりそのまま現代でも有意義かというとそうでもないのです。
一部だけだったり、半分くらいだったり、ほとんどだったり、ものによってケースバイケースなのです。
その吟味は、学者たちに任せられているのです。
この衆愚制云々について興味の出た人はプラトンを読め!ということです。
やはり、ことはどの宗教に入っているかではなく、どれだけ多面的に物事を掘り下げていくかということです。
この宗教に入って祈っているからとか、というのは邪道なのです。

最近は、選挙が近いこともあって選挙活動が喧しく(笑)、知り合いの創価学会員が公明党議員に入れてくれと自宅までやってきますが、日蓮の教えを学んでいる団体の支持の政党だから、という理由では公明党議員には投票しません。
どれだけ社会にある問題点を掘り下げて、どのような議論をして、どのような法案を作っていくか、ということを公約として掲げているか、ということを見て、自分が感心した議員に投票しようと思います。
そういう議員が公明党にいれば、その人に入れようと思いますが、いないならば他の政党の議員に入れるほかないです。
こういう掘り下げが日々大事なのです。
こういうモラルに賛嘆できる人におすすめな宗教に関する電子書籍は以下です。
●以下よりどうぞ
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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♯古典
♯プラトン
大川隆法総裁の言葉を信じるか?信じないで他の方法を吟味すべきか? (幸福の科学)
こんにちは。
私が、幸福の科学に接するようになって、20年近くがたちます。
変わった宗教団体の名前だなとおもいましたが、当初、しかし、それだけでいかがわしい団体と決めつけずに、虚心坦懐に、その体験談等を読んで、どのような学ぶところがあるかを見極めていこうと思いました。
そして、この団体が発行している冊子を毎月、最初から最後まで読んでみました。
そこに書いてある体験談で多いのは、故.大川総裁の著である『太陽の法』(下写真)を読んで覚醒したというパターンですね。

そこには、「人間は魂を磨くために生まれてくる。人生における苦難困難は何かを学びとる機会である」と書かれているのです。
普通、交通事故で半身不随になったり、切断という最悪の事態になったりしたら、それはそれは落ち込むに違いありません。
しかし、そういう境遇になってしまった人が、幸福の科学の職員や信者に、この本を読むのを勧められて、この個所を読んで、生き生きとした気分がインストールされて精神的に覚醒するパターンが多くあるのです。
この言葉が、故.大川総裁が究極の言葉であると悟ったからなのか、膨大な数の読書を通じて拾うことができたのかは、実際のところ検証のしようがないです。
しかし、そういう経験談を何度も読むと、大川総裁はカリスタ的な人物であったな、と思わざるを得ません。
ある信者の体験談で印象に残こったのは、「脳梗塞によって右半身麻痺、しかし、動揺なかった。人生における苦難困難は何かを学びとる機会である。霊的人生観を学んでいたからです。」ということです。
さらに「主エルカンターレのお導きを信じていたからです。
1人でも多くの方に、幸福の科学の信仰を伝えていきたいと思います。」 ということを付け加えていたのです。
しかし、私には霊的な能力がないために、それが本当に大川総裁(下写真)がエルカンターレの使途であったのであり、その導きを委託されて、あのような言葉を書かせたのかはわかりかねます。

当会の『太陽の法』を読まなくても、他の本を読めばヒントは得れる可能性もあるのです。
多読によって、いろんな困難を切り抜けていきた私としては、やはり多読を勧めたいのです。
1つの宗教によって打開を図るのではなく。
宗教によって打開が図れるかもしれないし、図れないかもしれないのです。
しかし、故.大川総裁は、亡くなるまでに10万冊の本を読んできたがゆえに、多面的なのですね。
いろんな年代の、いろんな悩み事に対しての打開法が、いろんな本によって書かれているがゆえに、自身の打開法が見つかるかもしれない可能性は高いのです。
だから試したい人は、大川総裁の本をジャンル別に探すのがいいでしょう。
それで、この人の信憑性に触れることができて感動したのであれば、信者になればいいし、私のように信者にはならないけれども、本などは読ませていただく、というスタンスを貫くのもいいでしょう。
いずれにせよ、どのような人生を送るかは、自分で決めるべき筋合いのものであるということは間違いないのです。
そんなスタンスに興味のある人におすすめなのが以下の電子書籍です。
●以下よりどうぞ。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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♯大川隆法
♯太陽の法
私が、幸福の科学に接するようになって、20年近くがたちます。
変わった宗教団体の名前だなとおもいましたが、当初、しかし、それだけでいかがわしい団体と決めつけずに、虚心坦懐に、その体験談等を読んで、どのような学ぶところがあるかを見極めていこうと思いました。
そして、この団体が発行している冊子を毎月、最初から最後まで読んでみました。
そこに書いてある体験談で多いのは、故.大川総裁の著である『太陽の法』(下写真)を読んで覚醒したというパターンですね。

そこには、「人間は魂を磨くために生まれてくる。人生における苦難困難は何かを学びとる機会である」と書かれているのです。
普通、交通事故で半身不随になったり、切断という最悪の事態になったりしたら、それはそれは落ち込むに違いありません。
しかし、そういう境遇になってしまった人が、幸福の科学の職員や信者に、この本を読むのを勧められて、この個所を読んで、生き生きとした気分がインストールされて精神的に覚醒するパターンが多くあるのです。
この言葉が、故.大川総裁が究極の言葉であると悟ったからなのか、膨大な数の読書を通じて拾うことができたのかは、実際のところ検証のしようがないです。
しかし、そういう経験談を何度も読むと、大川総裁はカリスタ的な人物であったな、と思わざるを得ません。
ある信者の体験談で印象に残こったのは、「脳梗塞によって右半身麻痺、しかし、動揺なかった。人生における苦難困難は何かを学びとる機会である。霊的人生観を学んでいたからです。」ということです。
さらに「主エルカンターレのお導きを信じていたからです。
1人でも多くの方に、幸福の科学の信仰を伝えていきたいと思います。」 ということを付け加えていたのです。
しかし、私には霊的な能力がないために、それが本当に大川総裁(下写真)がエルカンターレの使途であったのであり、その導きを委託されて、あのような言葉を書かせたのかはわかりかねます。

当会の『太陽の法』を読まなくても、他の本を読めばヒントは得れる可能性もあるのです。
多読によって、いろんな困難を切り抜けていきた私としては、やはり多読を勧めたいのです。
1つの宗教によって打開を図るのではなく。
宗教によって打開が図れるかもしれないし、図れないかもしれないのです。
しかし、故.大川総裁は、亡くなるまでに10万冊の本を読んできたがゆえに、多面的なのですね。
いろんな年代の、いろんな悩み事に対しての打開法が、いろんな本によって書かれているがゆえに、自身の打開法が見つかるかもしれない可能性は高いのです。
だから試したい人は、大川総裁の本をジャンル別に探すのがいいでしょう。
それで、この人の信憑性に触れることができて感動したのであれば、信者になればいいし、私のように信者にはならないけれども、本などは読ませていただく、というスタンスを貫くのもいいでしょう。
いずれにせよ、どのような人生を送るかは、自分で決めるべき筋合いのものであるということは間違いないのです。
そんなスタンスに興味のある人におすすめなのが以下の電子書籍です。
●以下よりどうぞ。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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今回はこれにて終了します。
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市民として政治でなすべきは、投票することだけではない?(幸福の科学)
こんにちは。
先日、7月5日は南海トラフ大地震がきて、太平洋側の多くの日本の地域が津波に襲われる、という予言が巷に流布していたのですが、それが杞憂で終わってよかったです。
私は東京に住んでいるのですが、東京はもし来たら、危ないとも安全ともいわれてなかったので、どうしようかと思い、日本海側にある富山県に行ってきました(笑)。
もし来なくても、長らくこの県には行ってなかったので、旅行がてらのつもりで行ってこようと思いましたので、損した気はないです。

しかし、何も起こらなかったですが、それでいいわけはなく、日本は地震大国ですから、いつまでも東京のような海抜の低いところに永住しているのがいいとは思わないです。
もしものために、移住を考えて行動しているのがいいでしょう。
さて今回の記事は、反.幸福の科学のニュアンスを感じさせてしまうかもしれないですが、そうではないのです。
この団体については、反論の余地がかなり少ない宗教なので、支持したいものではあります。

しかし、いくら反論の余地がかなり少ない宗教であるといっても、完ぺきではないのですから、批判すべきところは批判すべし、と私はしているのです。
この団体の総裁であった故.大川隆法氏は、「世の中の価値正す」と言い張っていたのです。
やはりいつの世でも問題点はあるもので、それを正すためには、それを指摘し、それが改善されるように行動していかなくてはならないのです。
こと政治においても同様です。
新聞はもちろん、いろんな本を読んでいるとその問題点が発見できるのです。
それを愚痴っていても、改善にはつながらない。
やはり行動につなげなくてはいけないのです。
その考慮の結果、総裁(下写真)は自分で政党を作り、それを国政に生かすために、議員を出そうとして結党もしたのです。

しかし、もはや成熟した世のなかにおいて、やはりパイは非常に小さくなっていたのでしょう。
国会議員を取るのは、やはり陣取り合戦の様相を呈していたようで、国政選挙において、この団体の党であった幸福実現党からは、国会議員を1人も出すことができていなかったのです。
地方選では何人か出すことに成功していたようですが。
今月のこの団体の月刊冊子を読むとその報告が載っていて、胸をなでおろしました。
しかし、これから国政選挙において幸福実現党が議員を出させることができるのかどうか不安ではあるのです。
やはり議員を選出させるためには、多くの人にその議員を認識してもらわないといけないのは言うまでもないのです。
宗教政党である公明党のバックには創価学会があります。

この団体では、毎日新聞が会員に届けられます。
そこでは、毎日、新聞で公明党の良さを語るのです。
ましてや、選挙が近くなると、公明党議員の声明文を載せたり、その議員の素晴らしさを論じたりします。
すると、それを読んでいる創価学会員たちは、その議員に投票しようという気概を持つのが自然なのです。

その結果、この党は自民党に次ぐ第二の政党になっているのです。
かたや、幸福の科学は、月に1回冊子が家々に届けられるだけです。
しかも、幸福の科学の会員よりも、創価学会員のほうが断然数が多い。
となれば、当選者数は圧倒的に公明党に有利になるのは必然です。
これも、幸福実現党が選挙当選において難しかった理由でしょう。
単純接触効果がこの党には少なかったのと会員数で太刀打ちできなかったのです。
それを考慮せずに、故.大川総裁は、この党の当選のために90億円ものお金を拠出してしまったのだそうです。
やはり、いくら高尚な理念を持った政党でも、必ずしも当選できることはない、という痛い教訓になりました。
それを踏まえたうえで、自分が支持したい立候補者に投票し続けたいと思います。

自分が支持する候補者の当選がかなわなかったとしたら、自分が生活上で市民としてなすことはないか考え行動する。
そんなスタンスが必要ではないでしょうか?
市民生活とはなにも選挙で投票するだけではないのです。
自分で良かれと思うことは行動し、その理念を外部に出し続ける。
その理念に棲む電波が波及して、世の中をよくしていくことにつながる。
そう思っているのです。
こういう理念に賛同できる人におすすめなのが以下の電子書籍になります。
●以下よりどうぞ。
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♯大川隆法
♯幸福実現党
先日、7月5日は南海トラフ大地震がきて、太平洋側の多くの日本の地域が津波に襲われる、という予言が巷に流布していたのですが、それが杞憂で終わってよかったです。
私は東京に住んでいるのですが、東京はもし来たら、危ないとも安全ともいわれてなかったので、どうしようかと思い、日本海側にある富山県に行ってきました(笑)。
もし来なくても、長らくこの県には行ってなかったので、旅行がてらのつもりで行ってこようと思いましたので、損した気はないです。

しかし、何も起こらなかったですが、それでいいわけはなく、日本は地震大国ですから、いつまでも東京のような海抜の低いところに永住しているのがいいとは思わないです。
もしものために、移住を考えて行動しているのがいいでしょう。
さて今回の記事は、反.幸福の科学のニュアンスを感じさせてしまうかもしれないですが、そうではないのです。
この団体については、反論の余地がかなり少ない宗教なので、支持したいものではあります。

しかし、いくら反論の余地がかなり少ない宗教であるといっても、完ぺきではないのですから、批判すべきところは批判すべし、と私はしているのです。
この団体の総裁であった故.大川隆法氏は、「世の中の価値正す」と言い張っていたのです。
やはりいつの世でも問題点はあるもので、それを正すためには、それを指摘し、それが改善されるように行動していかなくてはならないのです。
こと政治においても同様です。
新聞はもちろん、いろんな本を読んでいるとその問題点が発見できるのです。
それを愚痴っていても、改善にはつながらない。
やはり行動につなげなくてはいけないのです。
その考慮の結果、総裁(下写真)は自分で政党を作り、それを国政に生かすために、議員を出そうとして結党もしたのです。

しかし、もはや成熟した世のなかにおいて、やはりパイは非常に小さくなっていたのでしょう。
国会議員を取るのは、やはり陣取り合戦の様相を呈していたようで、国政選挙において、この団体の党であった幸福実現党からは、国会議員を1人も出すことができていなかったのです。
地方選では何人か出すことに成功していたようですが。
今月のこの団体の月刊冊子を読むとその報告が載っていて、胸をなでおろしました。
しかし、これから国政選挙において幸福実現党が議員を出させることができるのかどうか不安ではあるのです。
やはり議員を選出させるためには、多くの人にその議員を認識してもらわないといけないのは言うまでもないのです。
宗教政党である公明党のバックには創価学会があります。

この団体では、毎日新聞が会員に届けられます。
そこでは、毎日、新聞で公明党の良さを語るのです。
ましてや、選挙が近くなると、公明党議員の声明文を載せたり、その議員の素晴らしさを論じたりします。
すると、それを読んでいる創価学会員たちは、その議員に投票しようという気概を持つのが自然なのです。

その結果、この党は自民党に次ぐ第二の政党になっているのです。
かたや、幸福の科学は、月に1回冊子が家々に届けられるだけです。
しかも、幸福の科学の会員よりも、創価学会員のほうが断然数が多い。
となれば、当選者数は圧倒的に公明党に有利になるのは必然です。
これも、幸福実現党が選挙当選において難しかった理由でしょう。
単純接触効果がこの党には少なかったのと会員数で太刀打ちできなかったのです。
それを考慮せずに、故.大川総裁は、この党の当選のために90億円ものお金を拠出してしまったのだそうです。
やはり、いくら高尚な理念を持った政党でも、必ずしも当選できることはない、という痛い教訓になりました。
それを踏まえたうえで、自分が支持したい立候補者に投票し続けたいと思います。

自分が支持する候補者の当選がかなわなかったとしたら、自分が生活上で市民としてなすことはないか考え行動する。
そんなスタンスが必要ではないでしょうか?
市民生活とはなにも選挙で投票するだけではないのです。
自分で良かれと思うことは行動し、その理念を外部に出し続ける。
その理念に棲む電波が波及して、世の中をよくしていくことにつながる。
そう思っているのです。
こういう理念に賛同できる人におすすめなのが以下の電子書籍になります。
●以下よりどうぞ。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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今回はこれにて終了します。
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♯幸福実現党
神懸かりの故.大川総裁でも無批判でいいか?…それはNGです!なぜか (幸福の科学)
宗教というものは、古今東西、新興すると反発を食らうというのは人間の歴史を見ればわかります。
いかがわしい、変だ、これまでとは違う…こういったことが理由として挙げられるものです。
しかし、大人になったら、そういう短絡的な考えはせず、一度、その宗教について書かれた本を読んでみるべきでしょう。
1冊を最初から最後まで。

ことは宗教に限らず、いろんな分野で同じことが言えそうです。
それまで流行っていたグラビアアイドルとは違うタイプのグラビアアイドルが登場してきたら、だれもが訝し気に思うものです。
しかし、そのグラビアアイドルが何度も映像に登場すると、それに慣れてきて、逆に、そのグラビアアイドルが恋しくなったり、もっと長く登場すれば、国を代表するグラビアアイドル、といった感じで取り上げられたりするものです。
初めころに、貶していた人はどうしたの?と反論したくなるのです。
こういう歴史を鑑みると、その異物が出てきたら、まず、様子を見守り、その内容を詳しく見てみるのがいいでしょう。
そのうえで、それが気に入らなければ、そのアンチでいればいいだけの話しです。
ことは、幸福の科学でも一緒のようです。
そのアンチは、開宗当初はいたようですが、今に至っては鎮静化しているように見受けられます。
しかし、その団体内部に最大のアンチがいる、いや、いたという珍しいタイプです。
そう、この団体の故.大川総裁の息子である大川宏洋氏(下写真)です。

「反 幸福の科学」とか「幸福の科学 批判」といったワードで検索しても、この人が出した動画か出てこないのですね。
この人の出した反幸福の科学の動画を見ると、「教団の一番近くにいた人の言葉だから、この人を信じたほうがいいのだろうか?」と本気になって思ったものです。
それまで幸福の科学に対しては、称賛の声しか自分には浮かばなかったですが、息子の宏洋氏が言ってるのだから…という思いが強くなりました。
しかし、いま一度、信者の声や、大川総裁の講演や本を読んで、平等な視線でみると、やはり宏洋氏のほうが誤りではないか、と思うようになったのです。
そして、その宏洋氏の動画や本で言われていることは、間違いだらけである、ということで、教団から訴えられ、彼は7回も敗訴しているのです。
彼は一度は教団に帰依し、エルカンターレに奉仕するとスピーチで涙を流しながら話したこともあり、当会の映画に出演したこともあったのです。

それがどうして、反旗を翻すようになってしまったのか…非常に疑問でしょう?
私も疑問でした。
それを探るために、彼の本も読んでみました。
事実と違うとして訴えられたところと違う部分について読み込みました。
その部分で印象的に思ったのは、週6回のペースで習い事をさせられていた、ということです。
そして、彼の母親が何としても偏差値の高い大学への合格させようと躍起になっていたということですね。
総裁がなくなる前にすでに離婚していた前妻のきょうこさん(下写真)がです。

幸福の科学の開宗からわずか3年で、総裁の家族は高級マンションを6階分を借りて生活していたようです。
その1階につき100万円もの高値であったようです。
それが可能になったのだから、きょうこさんは総裁のカリスマ性や宗教性は本物とおもったのが自然でしょう。
ゆえに、宏洋氏を総裁と同じような高学歴の人間に仕立て上げようと躍起になってしまったのは、頷けます。
大川総裁は東大法学部、そしてきょうこさんは東大教育学部を卒業した、ということで非常に勉強が好きで、楽しかったのでしょう。
そういう人は、本を1冊読むだけで、精神的に参ってしまう人の心を理解しにくいのです。
かくいう私もそうでした(笑)。
大学時代は登録した授業は全部出席し、全部ノートを取り、4年間で300冊以上の本を読みました。

大学生ならば、こういうことができて当たり前と思っていたので、さぼりまくっている人の心が理解できなかったのです。
しかし、いろんな本を読んでいくうえで、そういう素質のある人とそうでない人がいる、ということを知り、そういう一律的な考えは捨てました。
きょう子さんは、その事実がわからなかったのでしょう。
宏洋氏を生んだのが20代後半で、あまり世間を広く見ることができなかった。
誰もが勉強が好きになり、本を読むのは習慣づけられる、という思いだったのでしょう。
しかし、それに気づくことができないまま宏洋氏にスパルタ教育を施しすぎてしまった。
宏洋氏の本や、幸福の科学の職員たちの書いた本を読むと、彼は大の勉強嫌いだったようです。
そういう人を好きにならせるのは不可能ゆえに、他の道で進ませるべきだったのはいうまでもないです。
こういう幼少時のスパルタ教育がトラウマになって、教団を非難しまくる生態になってしまったということが容易に想像できます。

きょう子氏の教育については、だれもが子育てはぶっつけ本番ゆえに、逐一咎めだてすべきではないでしょう。
それが誤りなのがわかったら矯正すればいいだけの話しです。
この記事を読んでいる父母さんも気を付けてほしいものです。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式の感情になって、宏洋氏は、自分の父母のみならず教団まで批判する行動になってしまったのです。
そういった自分への父母の教育だけでなく、親とくに父親の生活習慣も、子供へ悪影響を与えていた、と私は分析するのです。
普通の父は、朝起きて、ごはんを食べて出勤する。
そういう態度を見て育った子供は、精神を健全にすることができるのです。
しかし、出勤せずに、家でテレビを見たり、パソコンをいじったり、本を読んでいる親とくに父を見て育つと、子供の精神は不健康になるのです。
「親が楽して生きているのに、なんで自分は苦労して生きていかなくてはならなんだ!」
という反発心を抱いてしまうのですね。
それが後々まで、親子の不信感につながり、険悪な仲にまで発展してしまうこともしばしばなのです。
やはり、大学教授、アトリエの先生、塾講師、陶芸家などの芸術家、こういった職を持つ父親をもった子供は、力強く健全な精神で生きていくことが困難になってしまうのが心理学的に明らかにされているのです。
いろんな科学に精通していた故.大川総裁(下写真)だったがゆえに、こういうことにも通じていたはずですが、過ちを犯してしまったようです。

この知識が、宏洋氏の教育時には抜け落ちてしまっていた。
そうならないためにはどうすればよかったか?
簡単です。
子供たちが起床する時間帯に、自分はいち早く起きて、ファミレスや喫茶店などに行って、書き物や読み物といったことをすべきであった、ということです。
やはり、教育はぶっつけ本番ゆえに、ちょっとした過ちが後々まで響くことを導いてしまった、ということです。
こういうことが大事と思った人は、自分のモラルを形成するときに、脳内に付け加えよ、ということです。
宗教というとどうしても祈願をする行為が基本としてありますが、こういう事象を見ると、ただ祈ってればいいか?
という疑問がおきますよね。
私は、大川総裁だけに縋ればいいのか?という疑問を抱くわけです。
ちがうでしょう、ということを言いたいわけです。
宏洋もまさに、ちょっとした過ちが原因で変化してしまったのですから、そこは厳然とした態度で臨まなくてはいけない、ということです。
私は幸福の科学には、信頼の幅としては大きい宗教ではありますが、全部を受け入れることはできない、ということは宏洋氏を見ればわかると思います。
もちろん、私は完璧からは程遠いので、私を見本とせよなどとは、いうわけはないです(笑)。
完璧なものはない、という前提で宗教に接していくのが大事、という意見に賛同してもらえる人には、以下の電子書籍はお勧めです!
●以下よりどうぞ。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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♯反.幸福の科学
いかがわしい、変だ、これまでとは違う…こういったことが理由として挙げられるものです。
しかし、大人になったら、そういう短絡的な考えはせず、一度、その宗教について書かれた本を読んでみるべきでしょう。
1冊を最初から最後まで。

ことは宗教に限らず、いろんな分野で同じことが言えそうです。
それまで流行っていたグラビアアイドルとは違うタイプのグラビアアイドルが登場してきたら、だれもが訝し気に思うものです。
しかし、そのグラビアアイドルが何度も映像に登場すると、それに慣れてきて、逆に、そのグラビアアイドルが恋しくなったり、もっと長く登場すれば、国を代表するグラビアアイドル、といった感じで取り上げられたりするものです。
初めころに、貶していた人はどうしたの?と反論したくなるのです。
こういう歴史を鑑みると、その異物が出てきたら、まず、様子を見守り、その内容を詳しく見てみるのがいいでしょう。
そのうえで、それが気に入らなければ、そのアンチでいればいいだけの話しです。
ことは、幸福の科学でも一緒のようです。
そのアンチは、開宗当初はいたようですが、今に至っては鎮静化しているように見受けられます。
しかし、その団体内部に最大のアンチがいる、いや、いたという珍しいタイプです。
そう、この団体の故.大川総裁の息子である大川宏洋氏(下写真)です。

「反 幸福の科学」とか「幸福の科学 批判」といったワードで検索しても、この人が出した動画か出てこないのですね。
この人の出した反幸福の科学の動画を見ると、「教団の一番近くにいた人の言葉だから、この人を信じたほうがいいのだろうか?」と本気になって思ったものです。
それまで幸福の科学に対しては、称賛の声しか自分には浮かばなかったですが、息子の宏洋氏が言ってるのだから…という思いが強くなりました。
しかし、いま一度、信者の声や、大川総裁の講演や本を読んで、平等な視線でみると、やはり宏洋氏のほうが誤りではないか、と思うようになったのです。
そして、その宏洋氏の動画や本で言われていることは、間違いだらけである、ということで、教団から訴えられ、彼は7回も敗訴しているのです。
彼は一度は教団に帰依し、エルカンターレに奉仕するとスピーチで涙を流しながら話したこともあり、当会の映画に出演したこともあったのです。
それがどうして、反旗を翻すようになってしまったのか…非常に疑問でしょう?
私も疑問でした。
それを探るために、彼の本も読んでみました。
事実と違うとして訴えられたところと違う部分について読み込みました。
その部分で印象的に思ったのは、週6回のペースで習い事をさせられていた、ということです。
そして、彼の母親が何としても偏差値の高い大学への合格させようと躍起になっていたということですね。
総裁がなくなる前にすでに離婚していた前妻のきょうこさん(下写真)がです。

幸福の科学の開宗からわずか3年で、総裁の家族は高級マンションを6階分を借りて生活していたようです。
その1階につき100万円もの高値であったようです。
それが可能になったのだから、きょうこさんは総裁のカリスマ性や宗教性は本物とおもったのが自然でしょう。
ゆえに、宏洋氏を総裁と同じような高学歴の人間に仕立て上げようと躍起になってしまったのは、頷けます。
大川総裁は東大法学部、そしてきょうこさんは東大教育学部を卒業した、ということで非常に勉強が好きで、楽しかったのでしょう。
そういう人は、本を1冊読むだけで、精神的に参ってしまう人の心を理解しにくいのです。
かくいう私もそうでした(笑)。
大学時代は登録した授業は全部出席し、全部ノートを取り、4年間で300冊以上の本を読みました。
大学生ならば、こういうことができて当たり前と思っていたので、さぼりまくっている人の心が理解できなかったのです。
しかし、いろんな本を読んでいくうえで、そういう素質のある人とそうでない人がいる、ということを知り、そういう一律的な考えは捨てました。
きょう子さんは、その事実がわからなかったのでしょう。
宏洋氏を生んだのが20代後半で、あまり世間を広く見ることができなかった。
誰もが勉強が好きになり、本を読むのは習慣づけられる、という思いだったのでしょう。
しかし、それに気づくことができないまま宏洋氏にスパルタ教育を施しすぎてしまった。
宏洋氏の本や、幸福の科学の職員たちの書いた本を読むと、彼は大の勉強嫌いだったようです。
そういう人を好きにならせるのは不可能ゆえに、他の道で進ませるべきだったのはいうまでもないです。
こういう幼少時のスパルタ教育がトラウマになって、教団を非難しまくる生態になってしまったということが容易に想像できます。

きょう子氏の教育については、だれもが子育てはぶっつけ本番ゆえに、逐一咎めだてすべきではないでしょう。
それが誤りなのがわかったら矯正すればいいだけの話しです。
この記事を読んでいる父母さんも気を付けてほしいものです。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式の感情になって、宏洋氏は、自分の父母のみならず教団まで批判する行動になってしまったのです。
そういった自分への父母の教育だけでなく、親とくに父親の生活習慣も、子供へ悪影響を与えていた、と私は分析するのです。
普通の父は、朝起きて、ごはんを食べて出勤する。
そういう態度を見て育った子供は、精神を健全にすることができるのです。
しかし、出勤せずに、家でテレビを見たり、パソコンをいじったり、本を読んでいる親とくに父を見て育つと、子供の精神は不健康になるのです。
「親が楽して生きているのに、なんで自分は苦労して生きていかなくてはならなんだ!」
という反発心を抱いてしまうのですね。
それが後々まで、親子の不信感につながり、険悪な仲にまで発展してしまうこともしばしばなのです。
やはり、大学教授、アトリエの先生、塾講師、陶芸家などの芸術家、こういった職を持つ父親をもった子供は、力強く健全な精神で生きていくことが困難になってしまうのが心理学的に明らかにされているのです。
いろんな科学に精通していた故.大川総裁(下写真)だったがゆえに、こういうことにも通じていたはずですが、過ちを犯してしまったようです。
この知識が、宏洋氏の教育時には抜け落ちてしまっていた。
そうならないためにはどうすればよかったか?
簡単です。
子供たちが起床する時間帯に、自分はいち早く起きて、ファミレスや喫茶店などに行って、書き物や読み物といったことをすべきであった、ということです。
やはり、教育はぶっつけ本番ゆえに、ちょっとした過ちが後々まで響くことを導いてしまった、ということです。
こういうことが大事と思った人は、自分のモラルを形成するときに、脳内に付け加えよ、ということです。
宗教というとどうしても祈願をする行為が基本としてありますが、こういう事象を見ると、ただ祈ってればいいか?
という疑問がおきますよね。
私は、大川総裁だけに縋ればいいのか?という疑問を抱くわけです。
ちがうでしょう、ということを言いたいわけです。
宏洋もまさに、ちょっとした過ちが原因で変化してしまったのですから、そこは厳然とした態度で臨まなくてはいけない、ということです。
私は幸福の科学には、信頼の幅としては大きい宗教ではありますが、全部を受け入れることはできない、ということは宏洋氏を見ればわかると思います。
もちろん、私は完璧からは程遠いので、私を見本とせよなどとは、いうわけはないです(笑)。
完璧なものはない、という前提で宗教に接していくのが大事、という意見に賛同してもらえる人には、以下の電子書籍はお勧めです!
●以下よりどうぞ。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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ありがとうございました!

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宗教乱立の時代に望ましい宗教へのスタンスとは?
こんにちは。
世の中にはいろんな宗教が乱立しています。
何かの縁で,その宗教に入ることは誰にでもあるでしょう。
しかし、大抵の宗教では、その宗教に関する正当性を論じ、いかにこの宗教が素晴らしいかを説くのに躍起になっているだけの観があるのは否めないです。
他の宗教について交えて論じることはまれなのです。

これで納得してしまうのが、古今東西人類の変わらぬ事態なのでしょうか?
それでは正直、納得できないのが私の立場なのです。
その宗教がこの世で一番素晴らしいというのならば、複数、それも最低でも5つ以上の宗教と比較してから、自分の宗教の正当性を論じるべきでしょう。
そういう作業なくして、その宗教がこの世で一番素晴らしいなどといわれても、私は納得できないのですが、その宗教にぞっこんになってしまった人は、汲々として、その宗教の素晴らしさを人に語ったり、信者になるように勧めたりするからわからないのです(笑)
そのぞっこんになってしまった人に「他の宗教についての本を何冊読みましたか?」と問うても、「1冊も読んでいない」というのがほとんどなのです(笑)
あまりに論理的に私は考えすぎなのでしょうか?
そんなことはないと思います(笑)
宗教的な力…仏力、霊力といったものには敬意を払いつつも、いろんな宗教を垣間見て、それぞれのいいところを身に入れて、感謝しつつ、生活を生きていく…そんなスタンスが最良と思うのですが、世のなかの人はそうでないのが通常の例なのです。

それは言論を提示していくに際しても、おなじであるべきなのです。
意見Aと、意見Bがあるとします。
それぞれの意見を最初から最後まで聞く、あるいは全部読む。
それに関する本を、いっぱい読む、そのうえで自分の意見を練り上げて、中道を行く。
中道とはいっても、キッチリ真ん中ではないです。
どの程度に中道かは、その人の価値観や、得てきた情報によって違ってくるのです。
ゆえに、意見Aと意見Bに関しての意見や論文は、10人10色、100人100色であってしかるべきなのです。
しかし、こと宗教団体になると、ほぼ10人1色、100人1色になってしまうのです。

神仏という尊い存在に対して謙虚になるのはいいことだと思います。
しかし、時代の変遷とともに、その内容が通用しなかったり、まったく的外れになることもままあるのです。
ゆえに、無批判というのはいただけないのです。
それに、その宗教指導者が、信者を欺くために虚偽の言説を流している場合もあるのです。
それに気づかずに無批判というのはどうなのかな、という気がします。
論文の著者の本をいろいろ買い、読んできた私としては、中道で書き本を出し、その内容を読んで感銘を受けた人がその人の著作家のファンになるかどうかが決まる、という気がします。
決して1つの立場に一辺倒という著者にはファンは限られてくるでしょうし、そもそもファンすらつかない気がします。
そんなスタンスの言論に興味のある人に、おすすめの本が以下です。
●以下よりどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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♯宗教
♯中道
世の中にはいろんな宗教が乱立しています。
何かの縁で,その宗教に入ることは誰にでもあるでしょう。
しかし、大抵の宗教では、その宗教に関する正当性を論じ、いかにこの宗教が素晴らしいかを説くのに躍起になっているだけの観があるのは否めないです。
他の宗教について交えて論じることはまれなのです。

これで納得してしまうのが、古今東西人類の変わらぬ事態なのでしょうか?
それでは正直、納得できないのが私の立場なのです。
その宗教がこの世で一番素晴らしいというのならば、複数、それも最低でも5つ以上の宗教と比較してから、自分の宗教の正当性を論じるべきでしょう。
そういう作業なくして、その宗教がこの世で一番素晴らしいなどといわれても、私は納得できないのですが、その宗教にぞっこんになってしまった人は、汲々として、その宗教の素晴らしさを人に語ったり、信者になるように勧めたりするからわからないのです(笑)
そのぞっこんになってしまった人に「他の宗教についての本を何冊読みましたか?」と問うても、「1冊も読んでいない」というのがほとんどなのです(笑)
あまりに論理的に私は考えすぎなのでしょうか?
そんなことはないと思います(笑)
宗教的な力…仏力、霊力といったものには敬意を払いつつも、いろんな宗教を垣間見て、それぞれのいいところを身に入れて、感謝しつつ、生活を生きていく…そんなスタンスが最良と思うのですが、世のなかの人はそうでないのが通常の例なのです。
それは言論を提示していくに際しても、おなじであるべきなのです。
意見Aと、意見Bがあるとします。
それぞれの意見を最初から最後まで聞く、あるいは全部読む。
それに関する本を、いっぱい読む、そのうえで自分の意見を練り上げて、中道を行く。
中道とはいっても、キッチリ真ん中ではないです。
どの程度に中道かは、その人の価値観や、得てきた情報によって違ってくるのです。
ゆえに、意見Aと意見Bに関しての意見や論文は、10人10色、100人100色であってしかるべきなのです。
しかし、こと宗教団体になると、ほぼ10人1色、100人1色になってしまうのです。

神仏という尊い存在に対して謙虚になるのはいいことだと思います。
しかし、時代の変遷とともに、その内容が通用しなかったり、まったく的外れになることもままあるのです。
ゆえに、無批判というのはいただけないのです。
それに、その宗教指導者が、信者を欺くために虚偽の言説を流している場合もあるのです。
それに気づかずに無批判というのはどうなのかな、という気がします。
論文の著者の本をいろいろ買い、読んできた私としては、中道で書き本を出し、その内容を読んで感銘を受けた人がその人の著作家のファンになるかどうかが決まる、という気がします。
決して1つの立場に一辺倒という著者にはファンは限られてくるでしょうし、そもそもファンすらつかない気がします。
そんなスタンスの言論に興味のある人に、おすすめの本が以下です。
●以下よりどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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偉大なる大川隆法でも無批判でいいか?そんなことありません!(幸福の科学)
前回は、幸福の科学の映画『ドラゴンハート』を観にいって、その現代的な意義について書きました。
そこで言われていたことは、現代人にとって大事なことであり、そこで言われていたことを知って、これからの人生を生きるかどうかで、違ってきますから、その内容は脳内に留保しておいたほうがいいでしょう。
※
⇒ドラゴンハートのリポート
さて、私は非信者ながら、幸福の科学には信用を置いているのです。
故.大川総裁(下写真)の言わんとしたことは多面的であり、反論の余地がほとんどなかったですから。

逆に、鎌倉時代の新仏教の勃興期に出現して、今でも生き延びているそれらの宗派に万般の信用を置くのは間違いと思っているのです。
なぜなら、鎌倉時代に妥当と思われていたことでも、今はまるで通用しないものが多くあるからです。
その場合、その開祖の言ったことは、わきに置いておいて、自分の脳内で考えてアレンジしていかなくてはならないのです。
いくら偉大な開祖のいったことでも間違っていることは間違っているのです。
その部分をきっちり批判している幸福の科学は、自分のスタンスと一緒なのです。
それに、今のネットの時代、いくらでも動画において、宗教批判はできる時代です。
一番多いのは、「この宗教に入って祈れば必ず幸せになるといわれたが、一向に幸福にはなれない」ということでしょうか?
その趣旨の動画がたくさんアップされているのです。
しかし、こと幸福の科学については、ないのです。
「反 幸福の科学」とか「幸福の科学批判」といったキーワードで検索するも出てくるのは、故.大川隆法総裁の不詳の長男の宏洋氏(下写真)が上げた動画だけなのです(笑)。

やはり、総裁の言われたことを遵守していったからこそ、信者になった人は幸福になれたのだし、悩みも解決していったのでしょう。
そういう面を見るとやはり、この宗教は本物なのかなあという気がします。
なら何故、宏洋氏は大川総裁に反旗を翻したのか、という素朴な疑問がわくでしょう。
彼の出した本である『私の父は大川隆法だった』という本によれば、総裁の講演時の袈裟は、特注で何百万円、何千万円もするもので、1回着たらそれで終わり、もう2度と着ないということが書かれているのです。
おなじことは、彼の動画でも語られているのです。
総裁の腕時計も一緒で特注でかなり高価のもだそうです。
そして、幸福の科学の職員になった人は、本の売り込みや布施で多大なノルマを課される。
それでいて、総裁があのような衒示的消費をしている。
そして総裁は信者を見下し、金づるとしか思っていないという。
ゆえに、幸福になるのは総裁だけで、一般の信者は幸福になれない、ということでした。
私は、この部分を読んで、「側近にいた人が書いたことだから本当のことなのか?本当ならばこれから先、一切幸福の科学にかかわるのは辞めようか?」などと思ったのです。

しかし、一歩距離を置いて、もう一度総裁の書いた本を読み直しました。
すると、「信者を見下している人が信者が奮起して、目のまえが明るくなるようなことを書けるか?それも何冊も?宏洋氏のほうが嘘ちゃうんか?」と思うになりました。
そういった譲歩をしてよかったと思います。
宏洋氏が書いた本の内容及び、動画の内容は現実と全く違うとして、幸福の科学からその文言の取り消しを訴求されて、宏洋氏は7度敗訴しているのです。
そこで思うのは、なぜ宏洋氏は、幸福の科学および総裁に反旗を翻したのか?ということです。
これは家族心理学とか教育心理学といった部門によらないといけないようです。
解決の糸口は見えてこないのです。
親とくに父親が、朝眠い目をこすって起きて朝飯を食べて会社に出社する。
そういう姿を見て子供は育っていけば、普通に健全な精神を得ることができるのです。
しかし、そうではない、父親が働きに出ずに家で寝ている、あるいは書き物をしたり、パソコンをいじって何かをタイプしている。

そういう職業、たとえば塾講師、アトリエ講師、大学教授、芸術家といった父を持つ子供は精神が不健全になりやすいのです。
「父親が楽して生きているのに、なんで自分は苦労して生きていかなくてはならないんだ?」といったような反発心を抱くようになるのです。
その結果、子供は集団行動においてもはぐれた行動を平気でするようになり、勉学も、運動もなあなあでするようになるのです。
その思い込みを外すことはなかなか困難なことのようです。
事実、反旗を翻す前に、幸福の科学の映画に宏洋氏が参加していた時に、何度も遅刻をして、そのせいで大幅に撮影が遅れて、幸福の科学から3000万円の損害賠償を求められる事態になったようです。
それは『宏洋問題の深層』という本で明らかになっています。
こういった自分の非については一切述べないにもかかわらず、幸福の科学および総裁についての悪口だけ述べているのは、かなり中立から遠く、考え物です。
しかし、こういったモンスターを生み出してしまった故.大川総裁ですが、働きに出ずに、家で読書をし、本の執筆をし、瞑想をおこなうという普通の父親たちの行動とは逸脱した生活をしていたがために、その父を見て育った宏洋氏があのような逸脱行動を起こすようになってしまったのでしょう。

それゆえに、いくら私が信頼をおく総裁であっても批判はまぬかれないでしょう。
大学教授の息子、塾講師の息子といった人たちと中学校でクラスメートになったことがありますが、いずれも親子関係はよくなかったし、その息子たちは打たれ弱かったのは間違いなかったです。
しかし、子供の教育はぶっつけ本番なところがあり、1人目で失敗してしまったことについて、とやかく言うことはないでしょう。
総裁は、家で書き物の執筆などをせずに、子供たちがおきる前に起きて、ファミレスや喫茶店で、そういった仕事をしていればよかったのです。
自分の属す宗教に万般の信頼を置きすぎると、この場合、宏洋氏への批判だけで終始してしまう危険性はまぬかれないでしょう。
しかしそうではなく、総裁には信頼おきながらも、足りないところは、自分の学習で補うというスタンスが大事だと私は思うのですがどうでしょうか?
鎌倉時代の新仏教で今も多くの信者のいる宗派でも、「この偉大なる開祖様が言っていることだから…」ということで、その開祖が残した書物に書いてあることは無批判になって、現代社会や現実社会との兼ね合いや正当性の吟味は一切しない…これではいけないとしているのです私は。
そんなスタンスに共感出来る方には、以下の電子書籍はお勧めです。
●
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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♯大川隆法
♯宏洋
そこで言われていたことは、現代人にとって大事なことであり、そこで言われていたことを知って、これからの人生を生きるかどうかで、違ってきますから、その内容は脳内に留保しておいたほうがいいでしょう。
※
⇒ドラゴンハートのリポート
さて、私は非信者ながら、幸福の科学には信用を置いているのです。
故.大川総裁(下写真)の言わんとしたことは多面的であり、反論の余地がほとんどなかったですから。
逆に、鎌倉時代の新仏教の勃興期に出現して、今でも生き延びているそれらの宗派に万般の信用を置くのは間違いと思っているのです。
なぜなら、鎌倉時代に妥当と思われていたことでも、今はまるで通用しないものが多くあるからです。
その場合、その開祖の言ったことは、わきに置いておいて、自分の脳内で考えてアレンジしていかなくてはならないのです。
いくら偉大な開祖のいったことでも間違っていることは間違っているのです。
その部分をきっちり批判している幸福の科学は、自分のスタンスと一緒なのです。
それに、今のネットの時代、いくらでも動画において、宗教批判はできる時代です。
一番多いのは、「この宗教に入って祈れば必ず幸せになるといわれたが、一向に幸福にはなれない」ということでしょうか?
その趣旨の動画がたくさんアップされているのです。
しかし、こと幸福の科学については、ないのです。
「反 幸福の科学」とか「幸福の科学批判」といったキーワードで検索するも出てくるのは、故.大川隆法総裁の不詳の長男の宏洋氏(下写真)が上げた動画だけなのです(笑)。

やはり、総裁の言われたことを遵守していったからこそ、信者になった人は幸福になれたのだし、悩みも解決していったのでしょう。
そういう面を見るとやはり、この宗教は本物なのかなあという気がします。
なら何故、宏洋氏は大川総裁に反旗を翻したのか、という素朴な疑問がわくでしょう。
彼の出した本である『私の父は大川隆法だった』という本によれば、総裁の講演時の袈裟は、特注で何百万円、何千万円もするもので、1回着たらそれで終わり、もう2度と着ないということが書かれているのです。
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ゆえに、幸福になるのは総裁だけで、一般の信者は幸福になれない、ということでした。
私は、この部分を読んで、「側近にいた人が書いたことだから本当のことなのか?本当ならばこれから先、一切幸福の科学にかかわるのは辞めようか?」などと思ったのです。

しかし、一歩距離を置いて、もう一度総裁の書いた本を読み直しました。
すると、「信者を見下している人が信者が奮起して、目のまえが明るくなるようなことを書けるか?それも何冊も?宏洋氏のほうが嘘ちゃうんか?」と思うになりました。
そういった譲歩をしてよかったと思います。
宏洋氏が書いた本の内容及び、動画の内容は現実と全く違うとして、幸福の科学からその文言の取り消しを訴求されて、宏洋氏は7度敗訴しているのです。
そこで思うのは、なぜ宏洋氏は、幸福の科学および総裁に反旗を翻したのか?ということです。
これは家族心理学とか教育心理学といった部門によらないといけないようです。
解決の糸口は見えてこないのです。
親とくに父親が、朝眠い目をこすって起きて朝飯を食べて会社に出社する。
そういう姿を見て子供は育っていけば、普通に健全な精神を得ることができるのです。
しかし、そうではない、父親が働きに出ずに家で寝ている、あるいは書き物をしたり、パソコンをいじって何かをタイプしている。
そういう職業、たとえば塾講師、アトリエ講師、大学教授、芸術家といった父を持つ子供は精神が不健全になりやすいのです。
「父親が楽して生きているのに、なんで自分は苦労して生きていかなくてはならないんだ?」といったような反発心を抱くようになるのです。
その結果、子供は集団行動においてもはぐれた行動を平気でするようになり、勉学も、運動もなあなあでするようになるのです。
その思い込みを外すことはなかなか困難なことのようです。
事実、反旗を翻す前に、幸福の科学の映画に宏洋氏が参加していた時に、何度も遅刻をして、そのせいで大幅に撮影が遅れて、幸福の科学から3000万円の損害賠償を求められる事態になったようです。
それは『宏洋問題の深層』という本で明らかになっています。
こういった自分の非については一切述べないにもかかわらず、幸福の科学および総裁についての悪口だけ述べているのは、かなり中立から遠く、考え物です。
しかし、こういったモンスターを生み出してしまった故.大川総裁ですが、働きに出ずに、家で読書をし、本の執筆をし、瞑想をおこなうという普通の父親たちの行動とは逸脱した生活をしていたがために、その父を見て育った宏洋氏があのような逸脱行動を起こすようになってしまったのでしょう。

それゆえに、いくら私が信頼をおく総裁であっても批判はまぬかれないでしょう。
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しかし、子供の教育はぶっつけ本番なところがあり、1人目で失敗してしまったことについて、とやかく言うことはないでしょう。
総裁は、家で書き物の執筆などをせずに、子供たちがおきる前に起きて、ファミレスや喫茶店で、そういった仕事をしていればよかったのです。
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しかしそうではなく、総裁には信頼おきながらも、足りないところは、自分の学習で補うというスタンスが大事だと私は思うのですがどうでしょうか?
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そんなスタンスに共感出来る方には、以下の電子書籍はお勧めです。
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♯大川隆法
♯宏洋
幸福の科学主催の映画『ドラゴンハート』から現代社会への警鐘を考える!(幸福の科学)

幸福の科学主催のアニメ映画『ドラゴン.ハート』を映画にて鑑賞してきました。
壮大な気宇に包まれて、観ている人の心を浄化してくれるような威力を秘めていたということができると思いました。
この映画の舞台になっているのは、幸福の科学の故.大川総裁(下写真)の故郷である徳島県になっています。
その田舎の広大な舞台も、都会の敷き詰めた空間に暮らし続けている人には癒いの空間になることは間違いないでしょう。
この映画の主人公の竜介と知美が山の川に行き、河童に出くわし、その姿を確かめたくて河童のあとをつける。
そして河童は川には逃げ、追いかけようと川に入った主人公の2人は深みにはまってしまう。
そして奥深くに流されてしまったと思ったら、巨大な竜が2人を背中に乗せて、山の高みの麓に到着させておろす。

すると、1人の仙人が登場し、2人はもうこの世の人間ではないことを告げられる。
それにかなうように、2人の足は透けてしまっているのが悟られる。
すると、その仙人は、2人に人生でなすべきことを見つけたら元の世界に還してくれると告げ、2人はその言葉に従い、あの世に探訪することになる。
あの世は1つではなく、空赤黒く、重い空気に包まれ、人間はいるが、そのほとんどが魑魅魍魎に心を支配された社会であったり、患者を殺したり手足を切断することしか治療するすべを持たない病院だったり、広大な暗い岩ばかりの蛇の神が支配する世界であったり、人身を束縛するホラーな西洋館だったりといろいろなところに出向いたりしながら、そこで危機に陥っている人をすくことに躍起になる主人公の2人が印象的だったのです。

そして最後は、故.大川総裁もまねかれていたと自身が書いていたシャンバラの世界が最後に到達する。
シャンバラは、政界中の宗教や芸などの各界の選ばれし選民たちの集まる場所で、透明感のある心の持ち主たちが集まるということです。
これは故.大川総裁もまねかれていたということを総裁の書『メシアの法』で知っていました。
こういう場所は招かれていた人たちの心もさることながら、その場の雰囲気も当場していた選民たちの心もかなり透明感のあるものであることが、鑑賞していてわかりました。
その無数の人たちの前で、エルカンターレがビシュヌ神から戴冠されるシーンは、この映画の中で最大の広大な気宇を有していたのが感じれました。
その後、気が付いたら主人公の2人は、家の中で気を失っていて看病されているシーンに移動します。
よかった…この2人は生還することができたのです。
注目すべきは、この映画の中で感じれる臨場感ですね。
あの世やシャンバラ(写真下)といったこの世とは違う場所の広大な気宇は、想像力では表現できない性質のものであったことは確かです。
記憶力によってはじめて可能はないかと、思わざるを得なかったのです。
いろんな人たちの記録をたくさん集めて、制作することも可能ではありますが、そんなに時間をかけてできたものではないだけに、やはり総裁の記憶を頼りに制作したものではないかと思わざるを得なかったのです。
ゆえに大川総裁は、自身はあの世への行き来ができる数少ない人間の1人であるとか、霊能力があるとか、エルカンターレの使途であると生前に語っていたのは、やはり本当のことではないのか…そう思わざるを得ない力を感じたのです、今回の映画においても。
今回の映画のナレーションにおいて、「総指揮.大川隆法」としていたこともそうですが、やはり実際に映画の中で感じた壮大な気宇の再現には瞠目せざるを得なかったのです。
やはり宗教たるもの、あの世といったものも視野に入れて講じないことには説得力に乏しいと感じるのは私だけでしょうか?
こんにちの仏教界では、浄土真宗、日蓮正宗が、大幅に支持を集めているのです。
いずれも鎌倉期の、仏教の勃興期にできたものです。
その他、曹洞宗、臨済宗、時宗といった宗派も、この時期にできたものですが、それらの開祖たちのこんにち遺されている書物を読むと、いずれもあの世といったものは視野に入れてはいるものの、具体的な描写がないのです。
それは、こういった宗派の開祖たちが、あの世に行ける能力がなかったからでしょう。
しかし、大本の仏教の開祖であった釈尊にはそういう能力があったのだそうです。
それがこんにちの仏教界の悲劇の始まりだったのでしょうか?
あの世に行ける能力がなかった開祖の言っていたことだけに依拠して教義を伝えてしまっていたがゆえに、あの世を視野に入れなくてもいいという風潮が跋扈してしまった。
証明できないがゆえに、教義に入れることができなかった。
だから、死去した後の閻魔による裁きで天国にいくか地獄にいくということになる、ということに現代人のほとんどが認識できずに終わってしまっている。
この世での行いが死後、裁判にかけられ、地獄に行くか天国に行くかが決まる、ということですね。
死後のことは考えなくていい、という思いゆえに、現世において法の穴を潜り抜けて悪事を重ねることを平然とこなしている人が多い、ということですね。
故.大川総裁曰く「現代人の半分以上が死後、地獄にいく」ということです。

そういうことは某キリスト教会でも語られていたようです。
それを本気で信じていたクリスチャンは、煙管乗車ができない、ということです。
なぜなら、神様が自分を見ている、あるいは現世での行動の結果、天国いきか地獄いきかが決まると知っていたからですね。
しかし、仏教でもキリスト教でも、地獄や天国が想定されているのを見ると、宗教は元は1つだった、という見方も成り立ちますね。
しかし、その教会の長が変わることで、その長の価値観によって、現世での行いによって死後の…云々の講義をしなくなれば、せっかくのキリスト教会でも道を踏み外す信者が出てくることは必然になります。
証明なくんば、語る必要なし。
これはかなり難しい問題になるということです。
しかし、そのことを信じるのであれば、故.大川隆法総裁の教えを語る必要はあるでしょう。
私が一番尊崇している大山倍達(極真会館総裁、下写真)も、同じようなことを生前に発していたのでした。
証明なくんば信用されず、と。
その言葉によってあの世といったものは、一般人には証明できないがゆえに、証明できないもの=ないものというレッテルが貼られて、世俗はもちろん、宗教においても講義されることがなくなってしまったのでしょう。
しかし、一般的な世俗とは違い、大山総裁は、神仏に対する畏敬の念は保持していたのです。
道場には、神棚を置いていたし、自分の家では、身を徹底的に奇麗にしたうえで、祖先を祀った仏壇の前に座り、線香をたき、子供たちと一緒に家訓を読み聞かせていたのです。
しかもこれは毎日です。

大山総裁はきれい好きで、少しでも汚いところがあったら、自ら進んで掃き、雑巾がけをしていたのです、家の中でも道場内でも。
神仏はきれいなところを好む、とは風水でもあまたの宗教でも説かれることですが、それを地で行っていたのです総裁は。
その結果、総裁は一代で世界125か国に極真会館の支部を広げることに成功したのです。
道場訓の1つに、「1つ我々は、神仏を尊び、謙譲の美徳を忘れざること」と大山総裁はしていたのです。
特定の神や仏は信仰しないけれども、あると措定したうえで、人智を超えたものに対する畏敬の念、そしていつまでも永遠に自分は修行者だ、という心がけを忘れない事の重要さを説いていたのです。
宗教に入らない人にとっても、こういうスタンスは勧めれるでしょう。
というか、このブログで何回も幸福の科学の特長については説いてきましたが、私は幸福の科学の信者ではないのです(笑)
そのスタンスはいつまでも変わることはないでしょう。

しかし、特定の神や仏は信仰せず、そういうものがあると措定した上で、畏敬の念を持ち、心身ともの成長は忘れない、というスタンスになるのだと思います。
謙虚に、神や仏についても学び続けて、ひと様に誇れる人格になるのを目指していたいということです。
今回もこの映画を虚心坦懐に鑑賞し、他のいろんな宗教についての本も多数よみ、この世の真理は何かということと探究し続けています。
そういうスタンスもありかなという思いでいます。
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。
●
| ドラゴン・ハート-霊界探訪記- 公式ガイドブック/大川隆法製作総指揮・原作『ドラゴン・ハート−霊界探訪記−』製作プロジェクト | ||||
|
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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1つの宗教に拘るべからず!多面的に学び、自身の哲学を構築せよ?

哲学とは何かといえば、古代のギリシャを含めた西洋の思想家の思想を勉強することと思われがちでしょう。
しかし、それは人の定義づけによって変わってくるので、むやみに否定はしないですが、私はそれだけではないのです。
いな、違うといってもいいのでしょうか?
私にとって哲学とは、雑学、乱読によって得た知識と、それを手段にして形成した自分の思想というふうに考えています。
人は、それぞれいろんな情報に接して生きてきました。
ゆえに、その情報が変わってくれば、当然、考えも変わってくるわけで,それを統一しようとしたら、それはかなり難しいことでしょう。
しかし、事、宗教内に入ってしまえば、神や仏など、人間を凌駕した存在の言葉を介したものゆえに、その宗教内で言われていることには、すぐ鵜呑みにして無批判になってしまうようです。
それは幾多の宗教を見て、発見しました。
しかし、いくら神や仏の言った言葉でも、のちになって誤りであることも判明するわけです。
いや、神や仏ではない、宗教の創始者、開祖といわれる人たちも同じ人間なのですから、もっと過ちを犯すでしょう。
それを批判する気はないのです。

しかし、それが誤りであることが判明したのであれば、そこについては取り入れない、という毅然とした態度が必須と思うのですが、そういう考えをしている人はまれです。
ゆえに、私が1つの宗教にぞっこんになって、その宗教の素晴らしさを人に語り、信者になってくれるように頼む、なんていうふうにはならないのは明白です(笑)
そういうスタンスですから、ある特定の宗教にぞっこんになってしまう人の気持ちが全然わからないのです。
それに、発見したことですが、その宗教に入ってしまう人の特徴は、やはりその他の宗教についての本も同様に、他の科学や学問についての本は全くと言っていいほど読んでいないのが通常です。
その宗教の素晴らしさを語るなら、他の宗教についていくつも比較して、その素晴らしさを語ることによって説得力があるものですが、そう言うことをしてくれる人はまずいないのです。
自分の入っている宗教だけ学んで「この宗教こそ至上のものだ!」なんて言われても納得できません(笑)
しかし、その宗教の会合に行って話しを聞いたり、その宗教についての本を読むとそれなりに学ぶところはあります。
しかし、全部が無批判というわけではないのですから、そこは毅然とした態度で「取り入れない」という態度が必要と思います。
私は心理学の本をたくさん読んできました。
やはり人間関係について悩むたちですから。

そこで学んだのは、「人間には2タイプあって、1つはひとの心に関心のある人、もう1つはひとの心に無関心な人」ということを知りました。
それによって、心が晴れました。
「ひとの心に無関心な人に対しては、わざわざ心を開いてくれるようにアクセスしなくていいんだ!」ということですね。
ゆえに、人の揚げ足しかとらない人や、コチラが優しくしているのに一向にコチラにやさしくしてくれない人にはかかわらずに、人の心に無関心な人にはロボットと接するようにしているのでいいということがわかりました。
そういうことを書くと、それでは相手が傷つくんじゃ、と思われるかもしれないですがそんなことはないのです。
そういうことをしても、やはり、傷ついている様子はないのです。
しかし、そういったことを言うのは宗教内では御法度なのです。
宗教は和を前提とした団体なのですから。
それが宗教の建前なのですから。
しかし、真実は「人の心に無関心な人にはロボットと接するようにせよ」というのが王道なのです。
しかしそれを理解しないで、そういう人にも優しく接しても一向にあちらはそういうことをしてくれないで終わるのですから、ストレスにさいなまれます。

それでは何のために生きているのかわからないですよね。
そこは毅然とした態度が必須なのです。
宗教以外にも学べるものはいくらでもあるのですから、そこから学んで自分の哲学を構築すればいいのですが、文字嫌いな人はそれができないから、宗教内で言われていることだけに依拠してしまい、いつまでたってもそのスパイラルから抜け出せないでいるのです。
宗教で言われていることだけが真実ではない、という厳然たる事実を悟らなくてはなりません。
開祖がなくなって、そのあとを継いだその団体の長は大抵、いろんな著作家の本、他の宗教者の本、伝記の本、哲学者の本を宗教の長は読んでいるのが通常です。
ゆえに一般信者よりは多面的なのです。
しかし、多くの場合、内容がその宗教内に留まるゆえに、幅は狭いのです。
ゆえに、その宗教団体内で話されていることだけに依拠するのも危険なのです。
しかし、一般信者はほとんど本を読まず。
ゆえに一面的で逢着してしまっているのです。
ゆえに、宗教にぞっこんになるのはお勧めできないのです。
それなりに学ぶものがあるのは事実ですが。
その宗教内で話されている内容が、自分が興味あることであれば話しは別ですが、私は興味ないです、ほとんど…(笑)
そのことを書くと、この宗教をしっかり学ばなければ、いい人生を送れないよといった意見が宗教者からは出そうですが、そこは構わないです、不問です。
何も宗教を蔑ろにしているわけではないのです。

学び、実践していくべきと思われることについては真摯に接しています。
それでも足りない、ということであれば、それは不問にしなければないです。
その宗教で大事とされていることをすべて行動していくには時間がないからです。
それでも邪道というのであれば、仕方ないです、本当に!
そんなスタンスの興味ある人には以下の電子書籍はお勧めです。
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