梅棹忠夫 『文明の生態史観』


今はなき日本が誇る知の巨星として謳われた梅棹忠夫氏の本、しかも代表作である『文明の生態史観』です。
これはもう20年以上も前に読んだ本でして、その読んだ際に、シャープペンで重要と思われる個所に印をつけて、その印を中心に要点をまとめて今回文章にしたのです。
しかし、これは60年代に書かれたにもかかわらず、非常な説得力をもって迫ってきます。

梅棹忠夫
私の大学時代に、政治学のゼミに所属していましたが、そのゼミの教員曰くに「私は丸山政男の本は大学時代から今まで何度読んだかわからない。もう丸山の本はボロボロだもの!」と言っていたのを思い出します (丸山政男は、今も政治学の神と崇められている学者です) 。
私も大学の教員や研究者だったら、梅棹氏の本はボロボロになるまで読んだであろうことは間違いないですね。
しかし、丸山氏の本は…まあわきに置いておきましょう。(笑)
梅棹忠夫氏は、私の大学時代に感銘を大いに受けた学者で、その氏の本は、いまだに本棚にしまっています。
また読むことがあると思っているので。
あまり感銘を受けなかった本はすぐに売ってしまいますが。
その氏の本は『日本とは何か?』という題でした。
これはなぜ、日本が戦後大きく経済発展できたのかを、社会を分析していき、説明した内容をフランスにおいて講演し、その内容を本にしたものです。
日本社会を教育、歴史、気候、風土、といった多分野にわたって分析していくことで、かなり明確に読者に迫る気がしました。
よくもこれほどの明確かつ分かりやすく分析したなと感心するとともに、「これほどの明確に説明できる経済学者がどれだけいるだろうか?」と瞬時に思ったものです。
このような明確な分析ができる学者は古今東西要るもので、そういう人がいることで、これからの社会を占い、明確な指針ができて、それを参考に快適な生活できるということからです。
単なる知の寄せ集めではなく、そこからこれから人類は、自国の社会はどういう指針をもって活動を続けていくのか、ということを明確にする、これが学者の使命の1つであると思うのですがどうでしょうか?
物資が当然のように国民全般にいきわたるようになったときに、必要な分析理論は何か、ということを明確にしたのが、梅棹氏の『情報の文明学』になります。
この本は、日本のみならず世界においても、この先どのような経済社会を築いていくかを占う指針として注目されたのです。
それに興味を持った人はそれを読んでみるのがいいでしょう。
今回紹介する『文明の生態史観』は、読むことでなぜ、経済的に発展できる国がある一方で、なかなかできない国があるのかといった素朴な疑問に明確な答えが見つかりました。
単なる政府の機構だけでなく、これまでのそれぞれの地域が経てきた歴史や文化をも俯瞰することによって、明らかになったのです。
その地域の分けかたが梅棹氏、特有なのです。
それでいて非常に明確なのです。
地球の北東から西南に横切る線を引き、その線の乾燥地帯は、砂漠、オアシス、ステップがあり、ここに接して森林ステップ、サバンナが現れる。
このただなかか縁辺に沿うサバンナを本拠として成立した古代文明があり、その例としてナイル、メソポタミア、インダス、黄河があり、それらのいずれもその性格を抜け切ることはなかったのです。
この真ん中から現れてくる人間集団、恐ろしい破壊力、文明の世界を嵐のようにふき抜けて行ったというのです。
匈奴、モンゴル、ツングース、イスラム社会そのものが暴力の源泉だったというのです。
この特有の現象を見つけた梅棹氏は慧眼モノです。
梅棹氏は、地球を大きく第一地域と第二地域に分けているのです。
第一地域は、日本とヨーロッパというおおざっぱな区切り方でいいのかという気がします。
高度資本主義体制は、革命によってブルジョアが実質的な実権を得たのです。
革命前は、封建体制であった。
動乱を経て、封建体制が成立。
それ以外を第二地域としたのです。
第二地域では、巨大な帝国ができては壊れの連続だったのです。
大きな帝国ができては壊れての連続で発展がなかったという中国の停滞史観という単語を聞いたことがあるでしょう。
第二地域では、王朝はその暴力を有効に排除したときにうまく栄えたのですが、ゆえにいつも身構えなくてはならなかった。
ゆえに生産力の浪費だったのです。
近世にはいって、遊牧的暴力はほぼ鎮圧され、その結果、中国、インド、ロシア、トルコが成立したというのです。
すると今度は、第一地域からの侵略的勢力に立ち向かうことになるのです。
第一地域は中緯度温帯で、適度の雨量があり、高い土地の生産力を誇っていた。
しかし、第二地域は熱帯降雨林地帯でてごわい。
端っこだったゆえに、中央アジア的暴力がここまで及ぶことなかったゆえに、抵抗できるほどの実力の蓄積していったということです。
非常に明確かつ分かりやすい分析でしょう。
気候や風土にまで突っ込んで分析しているのですから。
こういう経済的に必要な要素が日本には、ヨーロッパ諸国と同じように持ち合わせていたからこそ、日本は戦後ももちろん明治維新時にも、西洋列強と肩を並べるほどの先進国になることができた、ということがわかるでしょう。
日本を「東洋の国」とするのは、いかにも不十分だと梅棹氏はしているのです。
日本は、西洋伝来のものがおびただしく入ってきている。
高度の文明生活を享受し、巨大な工業力、交通通信網、行政組織、教育の普及、豊富な物資、生活水準の高さ、高い平均年齢、発達した学問、芸術が存在しているのです。
それを思い起すと、日本に生まれて自分は幸運だったなあと思います。
経済発展には、当然国民の教育や啓蒙が不可欠です。
その勉強をする際にも、気候が足枷になることが日々の生活からもわかります。
今このページを書いているのは、夏ですが、網戸にしてパンツ1枚にして書いてますが、それでも暑くて、しまいにはねむたくなり、そのまま寝てしまいます。
たとえ起きていれても、汗が出てタイピングがしずらくなるし、それをぬぐうストレスも加わってなかなか前に進めないです。
ゆえにエアコンを使わざるを得ないです。
すると仕事が一気にはかどることになります。
その最強の利器であるエアコンを第三世界全体に敷くとなれば、かなりの労力と時間と費用が掛かるのは言うまでもないです。
暑いというのは教育にはかなり支障が生じることになります。
フィリピンやエジプトに行ったことがある人に聞いたところ、現地の人達は、昼間はほとんどの人が寝ているのだそうです。
そうでしょう暑ければ、当然寝たくなりますもの。
そうなれば勉強はもちろん普通に働くことだって難しいことです。
ゆえに、経済発展も緩慢になります。
また第一地域と第二地域の対比として、第一地域では、聖と俗の権力分離が早く起こったのに対し、第二地域では、精神界の支配者と俗界の支配者がずっと後世までくっついている、ということです。
これもまた、経済発展の際の作用を考えるに必須の事象でしょう。

あまりに興味のわくわかりやすい本だったゆえに、この本もさきの『日本とは何か』と同じく、一気に読んでしまい、2日か3日で読破してしまったものです。
こういうわかりやすく、明確ゆえに興奮して読んでしまった本の著者の本は、他の出した本にも興味がわき、それ以外の本も注文して読んでしまうものです。
そういう著作家の例は、そうそうあるものではないです。
5人以下ではないでしょうか?
確かに、多大なる感動を受けた著者のでも、あまり読む気になれないで終わってしまうパターンも大いにありますし、事実梅棹氏のもそういう例がありました。
しかし、それは5指に余る程度で、それほど卑下すべき筋合いのものではないでしょう。
好きな音楽アーティストでも、そのアーティストの出したアルバムすべてが傑作というわけではないでしょう?
やはり2枚以上全然聴けないアルバムというのは誰にでもあるものです。
この本『文明の生態史観』は、67年に初版が出されて以降、いまだに新本で入手が可能なのですから驚異的です。
そういう例は非常に珍しいです。
梅棹氏の専門は民俗学ですが、この本は専門にかまわず、大学の文系に属している人ならば、1度は読んでいてもいいでしょう。
社会科学全般を理解するに非常に愉しくわかりやすくする理論が、そこかしこにちりばめられている本ですから、一度読んでいれば社会の事象を理解するのに大いに手助けになる本だということが言えるからです。
●この本はお勧めです。




♯梅棹忠夫
♯文明の生態史観
大川隆法 『人間完成への道』


これは1989年におこなわれた、幸福の科学の総裁だった故.大川隆法氏による講演集です。
かねがね、私は哲学者とはどういう人物か、ということを考えていました。
いろんな定義がありますが、「人間社会を広く深く見れて、人を良き方向へ舵取りできるカリスマ性を秘めた人」ということもあるでしょう。
そのためには、いろんな学問を修めて、それを常に脳内で統合させながら、ものを書くなり、講演するなりして、その内容を表出しなければならないですね。
それを常に行っていたのが、大川隆法氏(下写真)だったのですね。
普通に会社に通い、身をそこに捧げて給料をもらう、ということで生活できますが、あえてそういった多数派の生活には身を投じずに、自身のうちから湧き出る思いや思想を表出し続ける、というかなりの程度、少数派の生活を選んだ大川総裁をはじめ幾多の学者、思想家、そして哲学者といわれる人には敬服しないわけにはいかないです。
もちろん、その表出した内容が、漫然としたものであったり、だれでも言えるような内容であってみれば、何の印象にも残らずに、そのまま記憶の外に置かれる、ということになってしまいますが、こと大川総裁に関してはそういうことはなかったですね。
その表出した内容も、読むごとに心温まる思いになっていたというのが正直なところです。
やはりそういう少数派の仕事に身を置いたのみならず、その内容を世界170か国以上にその宗教を弘めさせたというからには、かなりの程度、神や仏の加護はあったのであり、それらを味方につけていたという気がします。
物事1つするにも、ただ頑張っているだけではそれには限界が来てしまいます。
やはり結果を出せている、というのは、そういった人間の能力を超越したものを見方につけていると言わざるを得ないというのが正直なところです。
裏心があったり、人に良く見られたいという心が全くなく、純真な心で必死に打ち込んでいる人に神仏が味方してくれる、あるいは超越した能力を授けてくれるということでしょうか?
そんな気がします。
哲学者の定義としては、先に書いた通りですが、それ以外にも、政治に関して目の覚めるような理論を構築できている、ということも、その定義づけとして含めないといけないのかもしれないです。
この本の中で、大川総裁は、「政治においてエキスパートが必要」ということをこの講演内で言っているのです。
衆議院議員の600人のうち、200人を政治エキスパートに仕立て上げる必要があるということです。
もちろん、専門知識を問う試験を通る必要もさることながら、心や精神の世界、真理観での合格者をそのエキスパートにさせなければならない、ということのようです。
国会議員は、議会の中で各委員会に属し、また党内で各部会に属しているうちにいわゆる族議員になっていく。
曰く“農林族”“商工族”“運輸族”など、この族議員がそれぞれに専門知識を発揮して、立法に当たれば国政は円滑に進む。
だが、とかく我田引水になり利権と結びつきやすい。
その長期間の族議員の政権就任によって、この講演が行われていた89年においてその弊が表出していたのは間違いないでしょう。
また、官僚出身議員は知識とモラルにおいてエリート教育を施される。
諸外国と比べて日本の世襲議員、二世議員は汚職が少ない。
ゆえに世襲議員、二世議員は必ずしも否ではないということは言えるでしょう。
しかし、党人議員は地方議会から階段を登ってくる。
その経緯で選挙に金をかけるから金に敏感になり、暴力団とのつながり、不正に手を染めやすいという弊があるようです。
その弊も当時、表出していたのも間違いないでしょう。
それゆえに、このような提言を大川総裁は表出していたのでしょう。
とにかく、そういった問題点を浮き彫りにさせるだけで終わっていてはいけないです。
学問は、問題点をあぶりだして、その内容を構造的に明らかにして、それを良き方向へいかせるには、自身が行動するためにあるのです。
行動しなければ意味がないのは言うまでもないです。
それが、大川総裁による2009年の幸福実現党の結党でしょう。
しかし、それから10年以上も経ってはいるけれども、国選での当選者は幸福実現党からはいまだ1人もいないのは悲しいことです。
しかし、地方選ではちょくちょく幸福実現党から当選者が出ているようです。
やはり国選でのし上がるには、長い年月がかかるようです。
創価学会をバックにした公明党も国選で当選者が出るまでに30年がかかっているのですから、それを見習う必要があったのですが、やはり急ぎすぎた感があるのは否めないですね。
政治に関心がものすごくあった大川総裁は、いろんな情報を得ることで新聞ではえれない税金の行方をも浮き彫りにしているのがわかります。
郵政省でも国民が税金を取られている。
そして、大蔵省でも国民が税金を取られている。
こういう2本立ては、経営倫理に反するということです。
また医療保険にも税金がとられているということです。
私が、大学時代にはほとんどの学生が奨学金など借りずに生活していましたが、今の大学生にきいてみると奨学金を借りないでいる人のほうが少ない、ということです。
「30年間働き続ければ誰でも必ず年収1000万円」という団塊の世代の時代は終わりを告げて、2極化の時代に入ってしまったのが、現代日本なのですね。
それを直視して、自分が生活上でどのような工夫をしていくかが問われる時代になったようです。
その奨学金もまた日本政府の重要な財源になっているのです。
大蔵省に守られて、戦後、銀行は発展して、経常利益は何千億円にもなっていたようです。
こうなれば金利は下げなくてはならないのです。
国民が商品を買っていくごとに、ものは安くなる。
こういう量産効果が働くのが資本主義の常識なのです。
金利を安くして、国民たちに安い金で活動できるようにしなければいけないでしょう。
しかし、銀行は大きな保護を受けていたし、今もそうでしょう。
この時期(89年)においては、まだバブルが弾けず、国民のほとんどが中流意識をもち、世界でまれにみる平等国家だったのです。
誰もが、その恩恵を受けていた時代だけに、そういった問題点があっても不問に付されていたのです。
しかし、バブルが弾けてしまったそれ以降の時代において、そのバブル経済の残滓の処理によって、その金利の恩恵を更に受けることができなくなってしまったのは明白です。
しかも、高齢化社会において、年金を受給する人の増大や、生活保護を申請する人の増大も相まっていれば、さらにその金利はさらに上がっていくでしょう。
そこで何を考えて、市民として何をしていくべきか?を考えて日々行動していかなくてはならないでしょう。
こんな時代だからこそ、徳のある人が求められる、ということでしょう。

徳のある人とは、この本の冒頭で大川総裁は、「他の人の幸福を考えた時間が遥かに多い人」と定義しています。
会社の発展、繁栄はリーダーの心構えとして、最重要としているのです。
利益追求は会社の存続契機として持って当然としながら、徳ある人を求めているのです。
徳ある人は、自然自然と選ばれて行き、浮かび上がってくる、ということです。
この講演で総裁は「私は、私的幸福と公的幸福を両輪として理想的な世界を作る!」と言っているのです。
これには心温まる思いがしたものです。
若干30歳にしてかなりの慧眼モノの意見が言えているなと感じざるを得なかったですね。
これまでに、死去するまでに大川氏は10万冊の本を読んでいたようです。
こういった努力の積み重ねが神仏の加護を得ていた、ということも言えたと思います。
そういう日々の積み重ねをしている人に、神や仏が運や使命を与える、ということでしょう。
「さしたる努力もせずに、神仏の加護を得ようとはちと虫が良すぎよう」ということを言った格闘家がいました。
大学で学ぶ学問の理念や存在意義、市民とは何か、どのような社会生活を送っていくべきか…こんなことを日々考え続けてきた自分には、かなり整合する理論と思ったからです。
それに共感する人には読んでほしい本だと思いました。
ここに書いてあるのは一部だけであり、全部を網羅していないです。
2章以降に、「人間完成への道」「人を愛し、人を生かし、人を許せ」「八正道の発見」「無限の愛とは何か」と5章立てで講演がなされているのです。
●この本はお勧めです。




♯大川隆法
♯講演
大川隆法 『人生の再建』
幸福の科学の総裁だった故.大川隆法氏による講演集です。
90年代初頭に行われたものです。
従来から大川氏は、人間の生命はこの世だけのものであり、死んだら土にかえるという唯物論には異を唱えていたものです。
それは、来世の存在を肯定して、それに対する知識を備えていれば、おのずと人の人生が変わってくるから、それを期待していたからなのか、あるいは実際に大川氏があの世といった場所へ行ける能力があったがゆえに、その描写を正確にしていたのかはわかりかねる。
しかし、根拠がどちらにせよ、その知識は脳内にあったほうがいいのは言うまでもないです。

そちらについて、大川氏は「人間が自然にもつべき考えである」としていて、この本でも書いているのです。
遠い昔に生きた開祖の言葉だけを引き合いに出すことだけを中心に講義している仏教系の宗教よりも、大川氏のように長いスパンをも視野に入れて講義しているほうが、スタンスとしては共鳴できます。
その例証は、女性なるものの魂の本質はこの世界を、そして家庭を調和させていくものであり、ここから社会の調和が始まっていくとしているこの講演の箇所です。
女性が、この使命を捨て去っていったときに、その国は下り坂を下っていくというのです。
男性と競おうとして、その使命を捨て去ってしまったときに、進化は遅れるというのです。
張り合ってキャリアウーマンとしてだけ頑張るといった姿勢ですね。
人類が、これまで転生の過程において、女性なるものの優美さとその素晴らしさと、調和の心、安らぎの心、美しさを培ってきた故としているのです。
そして男性は、家庭内においては模範的でなければならないというのです。
外だけでなく内においてもです。
男女が信じあい、調和した家庭を作る中で、そこに大きな光が出てくる。
それが「光の出城」というのだそうです。
これを作るのが夫婦の使命なのだというのです。
調和し真理を学び続ける中で。
それこそが、神の光にかなった生き方になるのです。

その他、リーダーにならんとする人に課せられた要素として、礼、智、信、義、勇の5つを挙げています。
その内容については、この本を読んでいただきましょう。
いきなり、その5つを併せ持つ人はあまりいないでしょうから、残りの部分はこれから先埋めていく所存を持たなくてはならないでしょう。
そして、この世で生きていくうえで、困難にぶつかり、その際に、憎しみや恨みの思いは幸福な方角には向いていかない、と総裁はしているのです。
そういう心を持っていると、悪霊や動物霊が反応して、その人を良からぬ方向へ導くということを、総裁は生前によく言われていましたが、この講演では構造的にいうにとどめています。
その経験を教訓にしろ、ということです。
その経験を土台にして、前に向いて行動せよということですね。
こういった言葉は、ややもすれば読者の胸に刺さらずに通り過ぎ去られてしまいがちですが、これまで3150冊もの本を出してきた大川隆法氏の言葉ゆえにか真剣になって読み、チェックを入れてしまうのです。
また、これまで大川氏の本を読んで、その書いてきた言葉から神々しさを感じてきたものゆえにか、という疑問もわきます。
また近視眼的な言葉としてもとられがちですが、これは人類史を長く俯瞰して、研究してきた大川氏の言葉ゆえにということもあります。
こういった読者をひきつけるためには、日々の弛まぬ研鑽と研究と実践内容によって信頼を受けるのだなあと思います。
単なる市井人よりも、そちらのほうが集中して聞いてしまうのは言うまでもないです。
おのずとそういう気にさせてしまう威力を秘めた人間になれるように自分も努力していきたいと思っています。
●この本はお勧めです。

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・大川隆法ホーム

90年代初頭に行われたものです。
従来から大川氏は、人間の生命はこの世だけのものであり、死んだら土にかえるという唯物論には異を唱えていたものです。
それは、来世の存在を肯定して、それに対する知識を備えていれば、おのずと人の人生が変わってくるから、それを期待していたからなのか、あるいは実際に大川氏があの世といった場所へ行ける能力があったがゆえに、その描写を正確にしていたのかはわかりかねる。
しかし、根拠がどちらにせよ、その知識は脳内にあったほうがいいのは言うまでもないです。

そちらについて、大川氏は「人間が自然にもつべき考えである」としていて、この本でも書いているのです。
遠い昔に生きた開祖の言葉だけを引き合いに出すことだけを中心に講義している仏教系の宗教よりも、大川氏のように長いスパンをも視野に入れて講義しているほうが、スタンスとしては共鳴できます。
その例証は、女性なるものの魂の本質はこの世界を、そして家庭を調和させていくものであり、ここから社会の調和が始まっていくとしているこの講演の箇所です。
女性が、この使命を捨て去っていったときに、その国は下り坂を下っていくというのです。
男性と競おうとして、その使命を捨て去ってしまったときに、進化は遅れるというのです。
張り合ってキャリアウーマンとしてだけ頑張るといった姿勢ですね。
人類が、これまで転生の過程において、女性なるものの優美さとその素晴らしさと、調和の心、安らぎの心、美しさを培ってきた故としているのです。
そして男性は、家庭内においては模範的でなければならないというのです。
外だけでなく内においてもです。
男女が信じあい、調和した家庭を作る中で、そこに大きな光が出てくる。
それが「光の出城」というのだそうです。
これを作るのが夫婦の使命なのだというのです。
調和し真理を学び続ける中で。
それこそが、神の光にかなった生き方になるのです。
その他、リーダーにならんとする人に課せられた要素として、礼、智、信、義、勇の5つを挙げています。
その内容については、この本を読んでいただきましょう。
いきなり、その5つを併せ持つ人はあまりいないでしょうから、残りの部分はこれから先埋めていく所存を持たなくてはならないでしょう。
そして、この世で生きていくうえで、困難にぶつかり、その際に、憎しみや恨みの思いは幸福な方角には向いていかない、と総裁はしているのです。
そういう心を持っていると、悪霊や動物霊が反応して、その人を良からぬ方向へ導くということを、総裁は生前によく言われていましたが、この講演では構造的にいうにとどめています。
その経験を教訓にしろ、ということです。
その経験を土台にして、前に向いて行動せよということですね。
こういった言葉は、ややもすれば読者の胸に刺さらずに通り過ぎ去られてしまいがちですが、これまで3150冊もの本を出してきた大川隆法氏の言葉ゆえにか真剣になって読み、チェックを入れてしまうのです。
また、これまで大川氏の本を読んで、その書いてきた言葉から神々しさを感じてきたものゆえにか、という疑問もわきます。
また近視眼的な言葉としてもとられがちですが、これは人類史を長く俯瞰して、研究してきた大川氏の言葉ゆえにということもあります。
こういった読者をひきつけるためには、日々の弛まぬ研鑽と研究と実践内容によって信頼を受けるのだなあと思います。
単なる市井人よりも、そちらのほうが集中して聞いてしまうのは言うまでもないです。
おのずとそういう気にさせてしまう威力を秘めた人間になれるように自分も努力していきたいと思っています。
●この本はお勧めです。


・大川隆法ホーム
宗教団体において分裂や移籍は不可避…ならばあなたはどうする?
こんにちは。
宗教をいろいろ研究していくと、他の宗教から別の宗教に移動していくパターンが散見されます。
日蓮を開祖と仰ぐ顕正会の『顕正新聞』を読んでいると、そういう会員たちのパターンが散見されます。
以下のパターンを知りました。
身延派(正法会)から顕正会へ
宗門から顕正会へ
エホバの証人から顕正会へ
創価学会から顕正会へ

神や仏といったものについては信じるものの、1つの宗教には拘泥できない、というのが私の立場であるゆえに、別段、宗教に入るのはいいとは思いますが、それだけに拘泥せずに、自分の属す宗教に足りないところや不満なところがあっても、それは別にむやみに咎めることはせずに、自分の思うようにアレンジすればいい、というのが私の立場です。
不満な人が、その宗教内にいても、相手にしなければいいし、金銭問題が発生したら(例えば、いくばくかの金を払いなさいというような理不尽なことを当局から命令されたら)、そこは敢然と意思表示をして、それでもだめならば、その団体は抜けるのがいいでしょう。
その宗教の長がいなくなって別の長にかわったら、戻ればいいでしょう。
同じ開祖を仰ぐ宗教でも分裂してしまう例はあります。
日蓮正宗から創価学会が除名にされ、顕正会も同じく除名にされました。
その後、創価学会も顕正会も各自で正宗とは別個に活動しています。
それぞれの団体に属していたが、そこの団体に疑問を呈して、他の日蓮正宗系の団体に移動していくパターンがあるのが見ることができます。
それは上に見た通りです。
そういう例を散見すると、やはり日蓮(下写真)という僧侶はカリスマ的な人だったのがわかりますし、同時に、多くの人は宗教にすがらなくては生きていけないパターンが多いのだなあと思います。

私は創価学会に入っていた時期がありましたが、特に得るものがなかったし、この団体に不満があれど、他の日蓮正宗系の団体に移籍しようなどと思ったことはなかったです。
日蓮の教えは学ぶところはあれども、そこだけでなく、いろんな本はもちろん、他の宗教について書かれた本を読むことで人生に生かすことが学べると思ったからです。
ゆえに創価学会に不満があっても、それを変革しようとは思わなかったです。
ただ、正宗から顕正会へ、あるいは創価学会から顕正会へ、という移籍のパターンの人は、そこで落ち着いてしまうようです。
顕正会も不満で他の団体へ、というパターンもあれど、それは少数派のようです。
しかし、なぜ、同じ正宗系でありながら信者に不満が出てしまうのか?を考えてしまいます。
いろんな人が日蓮にあこがれていながらも、その宗教に入るも、その人が持っている理想とその団体がかけ離れているから、というものが大きな原因があるようです。
また、その宗教団体の長が、説明責任を果たさないで好き勝手に組織を動かし、それについて何の反省をもしないでいるからだろうとも、思います。
それは日蓮正宗系のみならず、どの宗教団体にもあることなので、やはり同じ開祖を仰ぐ宗教団体でも、やはり分裂は避けられないでしょう。
まずは、いろいろ考えた結果、自分に一番合った団体を選び、そこに追随していくしかないでしょう。
それでいながら、他の領域からも積極的に学び、自分のモラルを形成していく工夫が必要でしょうし、それは自分独自の方法として他に強制はすべきではないでしょう。
なぜならば、自分の理想と、他の人の理想は違うからこそ、その理想を他の人に押し付けることは理にかなわないからです。
「これこそが最高の方法だ!」と思っていても、他の人からは全然そうでないと思えるパターンはいくらでもあります。

宗教に限らず、例えば自分の好きな音楽アーティストを思い浮かべればいいでしょう。
自分が「こんな素晴らしいアーティストが他にいるはずない!」と思って、人にその音楽を聴かせる。
しかし、その人は全然感動してくれない…そんな例ってありますよね?(笑)
ゆえに、人に自分の理想を押し付けるのは間違いなのです。
しかし、こと自分がぞっこんになった開祖の宗教団体については、とりあえずカリスマ的な指導者が長になっている団体に属し、そこでとりあえずは落ち着かせて、不満に思える箇所が出たら、そこは独自にアレンジしていくのがいいでしょう。
しかし、それで満足できないのであれば、その意思表示をする。
それでだめならば、抜けるか、その団体にはかかわらないで過ごし、理想と思える団体を探して、そこに移籍するのがいいでしょう。
それでも不満ならば、自分でその開祖の教えを正統に受け継ぐ団体だ、といって新たな団体を設立するのがいいでしょう(笑)。
いや冗談ではなく!(笑)
ただし、あなたがカリスマ性を秘めた長でいると確信が持てたらの話しですが。
それと、その団体を設立するにあたり、資金もなくてはならないでしょう。
その運営についての明確なビジョンも当然必要でしょう。
やはり、そういう明確なものが備わっていないならば、今の団体に落ち着くのがいいでしょう。
やはり、不満だけでは運営はやっていけないのが明白なのです。
使命感にもえるのは素晴らしいですが、やはり資質が必須なのです。
●そんなことに称賛してくれる人ならば、以下の本はお勧めです。
→楽天Kobo
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



宗教をいろいろ研究していくと、他の宗教から別の宗教に移動していくパターンが散見されます。
日蓮を開祖と仰ぐ顕正会の『顕正新聞』を読んでいると、そういう会員たちのパターンが散見されます。
以下のパターンを知りました。
身延派(正法会)から顕正会へ
宗門から顕正会へ
エホバの証人から顕正会へ
創価学会から顕正会へ

神や仏といったものについては信じるものの、1つの宗教には拘泥できない、というのが私の立場であるゆえに、別段、宗教に入るのはいいとは思いますが、それだけに拘泥せずに、自分の属す宗教に足りないところや不満なところがあっても、それは別にむやみに咎めることはせずに、自分の思うようにアレンジすればいい、というのが私の立場です。
不満な人が、その宗教内にいても、相手にしなければいいし、金銭問題が発生したら(例えば、いくばくかの金を払いなさいというような理不尽なことを当局から命令されたら)、そこは敢然と意思表示をして、それでもだめならば、その団体は抜けるのがいいでしょう。
その宗教の長がいなくなって別の長にかわったら、戻ればいいでしょう。
同じ開祖を仰ぐ宗教でも分裂してしまう例はあります。
日蓮正宗から創価学会が除名にされ、顕正会も同じく除名にされました。
その後、創価学会も顕正会も各自で正宗とは別個に活動しています。
それぞれの団体に属していたが、そこの団体に疑問を呈して、他の日蓮正宗系の団体に移動していくパターンがあるのが見ることができます。
それは上に見た通りです。
そういう例を散見すると、やはり日蓮(下写真)という僧侶はカリスマ的な人だったのがわかりますし、同時に、多くの人は宗教にすがらなくては生きていけないパターンが多いのだなあと思います。

私は創価学会に入っていた時期がありましたが、特に得るものがなかったし、この団体に不満があれど、他の日蓮正宗系の団体に移籍しようなどと思ったことはなかったです。
日蓮の教えは学ぶところはあれども、そこだけでなく、いろんな本はもちろん、他の宗教について書かれた本を読むことで人生に生かすことが学べると思ったからです。
ゆえに創価学会に不満があっても、それを変革しようとは思わなかったです。
ただ、正宗から顕正会へ、あるいは創価学会から顕正会へ、という移籍のパターンの人は、そこで落ち着いてしまうようです。
顕正会も不満で他の団体へ、というパターンもあれど、それは少数派のようです。
しかし、なぜ、同じ正宗系でありながら信者に不満が出てしまうのか?を考えてしまいます。
いろんな人が日蓮にあこがれていながらも、その宗教に入るも、その人が持っている理想とその団体がかけ離れているから、というものが大きな原因があるようです。
また、その宗教団体の長が、説明責任を果たさないで好き勝手に組織を動かし、それについて何の反省をもしないでいるからだろうとも、思います。
それは日蓮正宗系のみならず、どの宗教団体にもあることなので、やはり同じ開祖を仰ぐ宗教団体でも、やはり分裂は避けられないでしょう。
まずは、いろいろ考えた結果、自分に一番合った団体を選び、そこに追随していくしかないでしょう。
それでいながら、他の領域からも積極的に学び、自分のモラルを形成していく工夫が必要でしょうし、それは自分独自の方法として他に強制はすべきではないでしょう。
なぜならば、自分の理想と、他の人の理想は違うからこそ、その理想を他の人に押し付けることは理にかなわないからです。
「これこそが最高の方法だ!」と思っていても、他の人からは全然そうでないと思えるパターンはいくらでもあります。

宗教に限らず、例えば自分の好きな音楽アーティストを思い浮かべればいいでしょう。
自分が「こんな素晴らしいアーティストが他にいるはずない!」と思って、人にその音楽を聴かせる。
しかし、その人は全然感動してくれない…そんな例ってありますよね?(笑)
ゆえに、人に自分の理想を押し付けるのは間違いなのです。
しかし、こと自分がぞっこんになった開祖の宗教団体については、とりあえずカリスマ的な指導者が長になっている団体に属し、そこでとりあえずは落ち着かせて、不満に思える箇所が出たら、そこは独自にアレンジしていくのがいいでしょう。
しかし、それで満足できないのであれば、その意思表示をする。
それでだめならば、抜けるか、その団体にはかかわらないで過ごし、理想と思える団体を探して、そこに移籍するのがいいでしょう。
それでも不満ならば、自分でその開祖の教えを正統に受け継ぐ団体だ、といって新たな団体を設立するのがいいでしょう(笑)。
いや冗談ではなく!(笑)
ただし、あなたがカリスマ性を秘めた長でいると確信が持てたらの話しですが。
それと、その団体を設立するにあたり、資金もなくてはならないでしょう。
その運営についての明確なビジョンも当然必要でしょう。
やはり、そういう明確なものが備わっていないならば、今の団体に落ち着くのがいいでしょう。
やはり、不満だけでは運営はやっていけないのが明白なのです。
使命感にもえるのは素晴らしいですが、やはり資質が必須なのです。
●そんなことに称賛してくれる人ならば、以下の本はお勧めです。
→楽天Kobo
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

私の出した書籍に物言いが出ました。それに対する反論は読みたいですか?
こんにちは。
私の出した以下の書籍にレビューが書かれていました。

★の数が1とは…他の人は5つとか4つなのに…。
しかも、まるで一元的にしかモノをみていない観点からです。
以下、Aさんというかたによって投稿されていました。
「先に言っておくと顕正会との縁や知識がないので顕正会については今回レビューでは触れません。
まずは私の祖父母と両親は過去に創価学会の幹部におりまして、池田先生との接点どころか一緒に活動をしていた経験があり、現在は日蓮正宗に帰依しております。
私自身は日蓮正宗しか知らないため、今回のレビューでは私自身の経験からではなく、身内や日蓮正宗の信徒で創価学会にいた過去がある方々から聞いた話がメインであることを承知の上読んでいただけたらと思います。
日顕猊下についての記載について。これは創価学会を経験した方々からの話を聞く限り、事実無根としか言いようがありません。創価学会と日蓮正宗の両方を知る彼らの見てきた現実をどう繋げても日顕猊下の人物像にはならないです。日顕猊下は確かに日達猊下に比べると信心に対して厳しい方ではありましたが、嫉妬や私利私欲で行動するような傲慢な方とは私も到底思えません。日顕猊下と直接関わってきた方々からの事実に基づいたこ話を聞くことは日蓮正宗にいれば容易なんですけどね。
芸能人など有名人のことでもそうですが、不倫が事実無根であっても公に問題になってしまうその時点で不倫のレッテルを貼られ、不倫をしていない証明することはほぼ困難になります。嘘であっても告発したもん勝ちみたいになるんですよね。
そもそも日蓮正宗は大聖人様からの教えを一切曲げず真っ直ぐ信仰してきています。そんな日蓮正宗の猊下である日顕猊下がもし仮に私利私欲で傲慢な人柄だとしたら、破門されていなければ説明がつかないです。
著者の幼少期の話など参考になる話はたくさんありましたが、この本のコンセプトである3つの宗派を比べて選ぶための内容とは思えませんでした。比べるのであれば、できる限り平等な目線であるべきで、偏った情報であってはいけませんよね。
池田先生の話では日蓮正宗側からの批判、日顕猊下の話では創価学会員側からの批判を…噂されていることを著者が鵜呑みにしてそのまま書いてしているだけのように思えました。「だったようだ」で語るのは違うと感じました。
比べるというのであれば、創価学会と日蓮正宗をそれぞれ熱心に信仰してきた経験がある方々からの実体験でないと語れないかと思います。
そういった意味では私の祖父母や両親は幹部でしたし創価学会でも日蓮正宗でも熱心に活動してきたので内情をよく知ってます。破門される前の創価学会の内情も知っていれば、破門された真実も目の当たりにしてきましたし、だからこそ創価学会に疑問を感じ日蓮正宗に帰依することになったわけです。
そもそも日蓮正宗の教えは世の中の道理の根源です。著者が言うように確かに道理だけなら宗教でなくても学ぶことはできますが、日蓮正宗では信仰することによっての功徳という現象があります。道理を学ぶだけなら朝夕の勤行というものはなくていいわけですから。初座から五座までの勤行があることの理由があるわけです。
日蓮正宗が必要である科学的根拠についてお話します。まず科学的とは…?科学とは物事や現象についてその性質や変化、様々なこととの関係などを実験し体系化し、応用を考える学問のこと。この科学の基本となる道理が因果律です。一定の物事が一定の条件と作用(縁)によって一定の結果を生ずること。例えるなら酸素と水素を一定条件のもとで化合すれば、いつどこで行っても、必ず水を生ずるようなもの。この普遍的な因果律が科学的という言葉の意味ということ。
それを踏まえた上で日蓮正宗の効力を科学的根拠にするのであれば…釈尊の予証のとおり、日蓮大聖人が大難に遭いながら一切衆生を成仏すようとすると、大慈悲をもって大御本尊を図顕建立された事実。そしてそれを信ずる人々が大聖人のお言葉どおり、歓喜と希望に満ちた人生を歩んでいるという実証こそ、“科学的”現実そのものであるのではないかと思います。
私が体感してきた経験してきたもの…現在の科学的知識では計れない現象が起きるのが日蓮正宗。とにかく信仰した分、"必ず"現象が起きるんですよ。ほんとすごいですよ。残念ながら努力は報われるとは限らない。けれど日蓮正宗にいるとその努力が必ず報われるように導かれるんです。私は幼い頃から何が何だか分からない頃から信仰していますが、どう考えても日蓮正宗のおかげとしか言いようがない不思議な現象に幾度と出くわしています。大病すら治せるときたら…。
その逆も然りで、犯した謗法によっての現象もそうです。例えば「創価学会がまんだらを捨てさせた」と本文には書いていますが(こういう小さな誤情報がたくさんあります)正しくは回収して焼いたわけですが、のちに大震災が起きていたり…。
そもそも宗教を理屈で比べることが間違っていますからね。信仰しないと分からないことなので無理もないと思いますが。信仰することによってどうなっていくのか、正しい信心をしている信徒を見ていたら分かることだと思いますよ。
事実に基づいているかどうか分からない情報週刊誌を読んだり、人の噂話や憶測であーでもないこーでもない考えるのが好きな方には楽しく読める書籍だとは思います。」
ということです。
⇒投稿のあったサイトページはコチラ
かなり長く書かれているので、これを読んだ人は、それに圧倒されて、この書籍を読まずに、マイナスのレッテルを貼って終わってしまう可能性が大きいので、このレビューに対して、批判しておきましょう。
「事実無根としか言いようがないです」とレビュー者は書いていますが、何を根拠にそう書いているのか不明です。
あなたの方こそ事実無根でしょうと言いたくなります。
日蓮正宗、創価学会、顕正会とどれも敵対して同盟などを結んでいるわけではないので、互いにどの団体も批判しています。
ゆえに、それぞれが出している機関紙を読んでも、その出した団体側の言い分しか書いていないのは名白です。
ゆえに、例えば日蓮正宗の出している新聞だけ読んでいれば、学会や顕正会の事を悪く思うでしょうし、学会にいれば正宗や顕正会が悪く思えてくるでしょう。
それでは中立の立場を貫くことはできませんから、3つの団体の出している機関紙をそれぞれ複数づつ読みました。
その結果、この書籍を出した次第なのです。
決して1つの団体の出している機関紙だけを読んで結論付けたわけではないのです。
それなのに、「事実無根」とは何を根拠にいっているのかと訝しげに思わざるを得ないです。
おそらく、このレビュー者は、日蓮正宗の講義内容や、日蓮正宗の出している新聞や冊子だけをよりどころにしているのだと思います。
ゆえに、私の出した書籍を読んで、それまで知りえなかったことが書かれているがゆえに、そのような結論に立ったのだと思います。

日顕(上写真)が、大石寺境内の木を数百本切り落としたとか、学会員が350億円も出して作った正本堂を解体したとか、アメリカで売春婦とトラブりになり裁判で負けたとか、信者が出した供養金で身内に巨額のマンションを造営したとか、芸者遊びに奔走していたとか、こういったことは知らされていなかったのでしょう。
当然でしょう。
こういった法主の黒歴史を信者たちに知らせては体制上、結束が緩くなってしまうに決まっていますから、良い面だけで固めていたのは間違いないです。
レビュー者は「日顕猊下は嫉妬や私利私欲で行動するような傲慢な方であるとは思えません」と書かれていますが、そういうマイナス面について正宗側が新聞や雑誌に書くわけはないのです。
それはあの人のそばにいたことのない人が書いて説得力はないですし、少ない情報で意見を固めているとしか思えないです。
その他、日顕が嫉妬の輩だったといったことは、日顕の側近に居ながらも、日顕の人間性に呆れをきたして離れていった人たちの証言をもとに本に書かれているのです。
それが『偽法主!阿部日顕』なのです。
決してでっち上げの内容を私は書籍にしたわけではないのです。
僧侶たちを土下座させて、その間を日顕一同が通るシーンをテレビで見たこともあります。
どうしてそういうパーソナリティになってしまうのか?
それを克服するためにはどうすればいいか?
それを克明にしたためたのが私の書籍なのです。
それは宗教に縋っているだけで決して解決しない、ということを克明にしました。

この電子書籍を出すにあたり、日蓮正宗にいて辞めた人、日蓮正宗にい続けている人、学会にいて辞めた人、学会にい続けている人、顕正会にいたが辞めた人、顕正会にい続けている人…これら計6者の立場から意見を汲んで、そして汲み取ったうえで自分の書籍にしたためたまでです。
それでも、まだ結論付けるには早いのでは、と思われる向きもあることは事実です。
しかし、このレビュー者は、日蓮正宗にい続けている人、学会にいて辞めた人、学会にい続けている人の3者からしか意見を汲み取っていないのです。
ではどちらが、説得力があるか?
私の方が深いに決まっています。
このレビュー者は「偏った情報であってはいけませんね」などと書かれていますが、それはあなたでしょう!と言いたくなりました。
そしてレビュー者は「日蓮正宗のお陰としか言いようがない不思議な現象に幾度となく出くわしています。大病すら治せるときたら…。」と書いていますが、そういう宗教的な現象も多々存在することは私も認めます。
しかし、ただ信心だけのお陰なのですか?と問いたいです。
大病を克服したのは、第一に医療の発達のお陰でしょう。
全部、正宗に帰依したおかげでなせるのであれば、病院などに行かずに、信心だけしていればいいでしょうがそんなことはできるのでしょうか?
出来ないですよね?
やはり、そこで望ましいスタンスは医療のありがたさにも感謝しつつ、信心も並行していく、こういうスタンスを勧めているのです。

決して無神論者や無宗教者ではないのです私は。
そういう複眼的な思考法ができなくなると、ことの本質を見誤るから注意してくれと、書籍の中で書いたのですが、この人は読み落としたのかなあと思います。
そういう宗教に縋っていたゆえに利益が得れた…それは結構な事でしょう。
それを否定する気は全然ないです。
ならその頂点にいる法主が人間的に堕落していても、無批判でいていいのでしょうか。
また学会員は、会長のすること為すことに無批判でいいでしょうか?
顕正会員もその会長のいうこと為すことに無批判でいいでしょうか?
そんなことないですよね。
そうならないように、信者たち自らがそれを是正するように行動しなくてはならないのです。
このレビュー者は正宗の人間のようですが、正宗の信者の数はかつての2%まで落ちてしまったのは事実の様です。
それは、学会の機関紙からも知れたし、正宗を抜けた人たちの出した本からも知れるし、現正宗の信者のかたに実際に聞いたのですから。
こんなに落ちてしまったのは誰に原因があるでしょうか?
日顕なのです。

それにもかかわらず無批判でいていいのでしょうか?
確かに、人間全員にいろんなことを万時多面的に観察してから行動するなどと言う学者的な気質を要求するのは不可能でしょう。
しかし、あまりに少ない情報で短絡的に断定していくのも考え物でしょう。
それをどの程度にするか、は個人の自由です。
このレビュー者.Aさんは、この文章を読んで、自分の考えを矯正しなくてはならない、と考えるかもしれないです。
しかし、また正宗の出している新聞や冊子を読み、そして猊下の講義を聞くだけの生活になると、また元に戻ってしまうから、人の考えの矯正は難しいと思わざるを得ないですね。
●そういったことに興味のある人は、私の書籍を読んでくださいませ!
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ありがとうございました。
また読んでくださいませ!
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そもそも日蓮正宗は大聖人様からの教えを一切曲げず真っ直ぐ信仰してきています。そんな日蓮正宗の猊下である日顕猊下がもし仮に私利私欲で傲慢な人柄だとしたら、破門されていなければ説明がつかないです。
著者の幼少期の話など参考になる話はたくさんありましたが、この本のコンセプトである3つの宗派を比べて選ぶための内容とは思えませんでした。比べるのであれば、できる限り平等な目線であるべきで、偏った情報であってはいけませんよね。
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比べるというのであれば、創価学会と日蓮正宗をそれぞれ熱心に信仰してきた経験がある方々からの実体験でないと語れないかと思います。
そういった意味では私の祖父母や両親は幹部でしたし創価学会でも日蓮正宗でも熱心に活動してきたので内情をよく知ってます。破門される前の創価学会の内情も知っていれば、破門された真実も目の当たりにしてきましたし、だからこそ創価学会に疑問を感じ日蓮正宗に帰依することになったわけです。
そもそも日蓮正宗の教えは世の中の道理の根源です。著者が言うように確かに道理だけなら宗教でなくても学ぶことはできますが、日蓮正宗では信仰することによっての功徳という現象があります。道理を学ぶだけなら朝夕の勤行というものはなくていいわけですから。初座から五座までの勤行があることの理由があるわけです。
日蓮正宗が必要である科学的根拠についてお話します。まず科学的とは…?科学とは物事や現象についてその性質や変化、様々なこととの関係などを実験し体系化し、応用を考える学問のこと。この科学の基本となる道理が因果律です。一定の物事が一定の条件と作用(縁)によって一定の結果を生ずること。例えるなら酸素と水素を一定条件のもとで化合すれば、いつどこで行っても、必ず水を生ずるようなもの。この普遍的な因果律が科学的という言葉の意味ということ。
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日蓮正宗、創価学会、顕正会とどれも敵対して同盟などを結んでいるわけではないので、互いにどの団体も批判しています。
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日顕(上写真)が、大石寺境内の木を数百本切り落としたとか、学会員が350億円も出して作った正本堂を解体したとか、アメリカで売春婦とトラブりになり裁判で負けたとか、信者が出した供養金で身内に巨額のマンションを造営したとか、芸者遊びに奔走していたとか、こういったことは知らされていなかったのでしょう。
当然でしょう。
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しかし、ただ信心だけのお陰なのですか?と問いたいです。
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そういう複眼的な思考法ができなくなると、ことの本質を見誤るから注意してくれと、書籍の中で書いたのですが、この人は読み落としたのかなあと思います。
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。
また読んでくださいませ!
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日本歴史上、唯一の偉業をなした真言宗のその詳細は何か?
『空海に秘められた古寺の謎』を読んでいると、非常に興味深くなりました。
今の自分の周りには、創価学会やその信徒団体時代の本体であった日蓮正宗の寺院、そしてその信徒団体の1つでもあった顕正会の人たち、同じ日蓮の教えを基本とする立正佼成会の高校が近くにあったりと、日蓮系の関係が多いです。
全くと言っていいほど真言宗の関係のものはないです。
自転車で走っていて、わずかに、真言宗系の寺院をたまに見かけるくらいです。
何故ここまで真言系は少なくて、日蓮系は多いか? 真言宗は密教ゆえに、いかがわしいイメージを持たれてしまうようです。
そして護摩炊きのイメージもあり、それもまた忌避しがちであるという理由になってしまうでしょう。

しかし、日蓮系,とくに創価学会は清楚なイメージが強く、現代社会との融和が施されているといった感じを与えているために、すんなりと受けいられやすいのでしょう。
また、日蓮は、楽観的な協議を展開し、今生きている現世から逃避するのではなく、自ら自分の身の周りをよくしていくように勧めていたのです。
やはり目の前が、開けるような教えの方がウケがいいのは普遍的な事実であるようです。
しかし、空海(下写真)の展開した理論も、楽観主義であったことは間違いないでしょう。

ただ密教的なイメージが、好感度を下げていたと私は思うのです。
ここでは真言宗の広布のことについて言及しましょう。
空海の著作の鎬矢は『弁顕密二教論』であり、自らの悟りを自ら享受する真理そのものである大日如来がさとって境地を説いた。
これが密教の根本になるのでしょう。
空海は観自らの悟りを自ら享受する真理そのものである大日如来がさとって境地を説いた。
これが密教の根本になるのでし縁疏(かんえんのしょ)を弟子たちに持たせて、各地につかわし、写経を勧めたのでした。
その写経をおこなうにあたり、桓武天皇(下写真)の時世に、国費で賄われたようです。

それくらい、密教は国から尊重されていたのです。
桓武天皇は政争で敗れた人たちの怨霊の鎮撫、病気の治癒を祈祷に期待していた。
空海は、弘仁13年2月、東大寺の南院灌頂道場;鎮護国家の法を学ぶように命じられました。
日蓮正宗系の1つである顕正会の会長だった浅井昭衛氏は、日蓮正宗系がこういう状態になるのを夢見ていたに違いありません。
天長1(824)年3月26日、空海は少僧都に、高雄寺が定額寺(一定数を限り官寺に準じて特典を与えられ,官稲などを賜わった私寺)になりました。
のちに神護国祚真言寺になるのです。
真言院を宮中に設けます 1月8日から7日間、僧に真言密教まで収めさせて国家安穏を祈願しました。
今は東寺でおこなわれるようです。
承和元年3月21日、空海が臨終し、淳和天皇が弔書送るのです。
天皇のバックを経て、布教をなされた例は、日本では真言宗だけでしょう。
これくらい名誉的に栄えた真言宗でしたが、時代が下って室町時代になると、急速に地位を落としていきました。
応仁の乱によって天台、真言、禅の諸宗が壊滅状態になったようです。
京都.洛中には拡張された日蓮宗寺院が再興されて、本国寺の祖師二百遠忌の大法寺には、参詣の信者が多いのに目を見張るほどだったようです。
日蓮が描いていた仏国土顕現の夢が京都で実現したのです。

日蓮
しかし、ここをどう評価するかは、人によって違ってくるでしょう。
京都. 洛中という狭い地域だけで栄えただけでは仏国土とは言えないのではないか?
いな、天皇のバックを得ていないでこれまでにない前代未聞の事態であるから、それは仏国土として評価していいだろう。
いろいろあると思います。
しかし鎌倉時代に興った宗教が、長らく息絶えずに生きてきたという期間的な例と、かなりの信者を獲得したという2点で評価することができるのは、やはり日蓮正宗の信徒団体だった創価学会でしょう。
日蓮には6人の弟子がいて、そのうちの日興のみが日蓮の教えだけを一途に伝えていったのです。
この日興上人の流れを汲むのが日蓮正宗。
それ以外の5人の弟子たちは、日蓮の教えのほかに、神道などの他の教えも交えて展開していったようです。
その5人の僧たちの流れを汲むのが、日蓮宗とされているのです。
日興の流れを汲む日蓮正宗の再興にあたって、一番評価されていいのは、その信徒団体だった創価学会でしょう。
第二次大戦後、この団体の2代目会長だった戸田城聖氏によって、日蓮正宗の本山である大石寺への定期登山会が企画、推進されたのです。

土日、祝日は参詣者で境内は大いににぎわうことになり、それにより、大石寺は急激に潤うことになったようです。
なぜなら、当時急激に会員を増やしていた創価学会員が、登山のたびに拝観料を払っていたのみならず、周辺にはいろんな食べ物が売られた縁日が出ていて、そこで大勢の人がものを買えば当然、大石寺は潤うことになったのですから。
その時には、150軒もの縁日が軒を連ねていたのだそうです。 そしてそれによる収益は年100億円以上だったのが明らかになっているのです。
定期登山会が開始されてから、40年間で7000万人が大石寺に参詣しました。
これこそまさに仏国土と言っていいでしょう。
これも評価されていい事態ですね。
昨年亡くなった顕正会の会長だった浅井昭衛氏は、国民全員が日蓮の教えに帰依した状態こそが、広宣流布と言っていたのですが、そんなことは不可能です。
その状態になってこそ、日本に仏国土が到来するといっていたのです。

浅井昭衛
そんな経緯を経た歴史的な事実はないのに、こういうことが書ける根拠が分からないのです。
20年間キリスト教を信じていた人を日蓮正宗系に改宗させることは可能か?
不可能です。
30年以上浄土真宗の信者だった人に、日蓮正宗系に改宗させることは可能か?
不可能に決まっています。
昭衛氏は、日蓮正宗を国教にしてしまうことを目的にしていたようです。
これまでの歴史上で、天皇の支持を得て全国規模で布教をされたのは、1つだけ、真言宗だけなのです。
それ(真言宗)を国教にしようというのなら、まだ話は分かります。
そういう経験論があるのですから。
しかし、それも今の政教分離の時代では不可能です。
聖武天皇による大仏の建立は、特定の仏教の派を支持したことで成り立ったことではないのです。
聖武天皇の時代は、分派の間を隔てて仏教が論じられる時代的背景はなかったのです。
それだけ真言宗は偉業を持っているのです。
それについて知りたい人には、『空海に秘められた古寺の謎』を勧めしたいです。
非常にわかりやすい筆致で書かれていますので。
●お勧めです!

空海に秘められた古寺の謎 弘法大師と辿る高野山と真言宗/山折哲雄【1000円以上送料無料】
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。
次回も読んでくださいませ!

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今の自分の周りには、創価学会やその信徒団体時代の本体であった日蓮正宗の寺院、そしてその信徒団体の1つでもあった顕正会の人たち、同じ日蓮の教えを基本とする立正佼成会の高校が近くにあったりと、日蓮系の関係が多いです。
全くと言っていいほど真言宗の関係のものはないです。
自転車で走っていて、わずかに、真言宗系の寺院をたまに見かけるくらいです。
何故ここまで真言系は少なくて、日蓮系は多いか? 真言宗は密教ゆえに、いかがわしいイメージを持たれてしまうようです。
そして護摩炊きのイメージもあり、それもまた忌避しがちであるという理由になってしまうでしょう。

しかし、日蓮系,とくに創価学会は清楚なイメージが強く、現代社会との融和が施されているといった感じを与えているために、すんなりと受けいられやすいのでしょう。
また、日蓮は、楽観的な協議を展開し、今生きている現世から逃避するのではなく、自ら自分の身の周りをよくしていくように勧めていたのです。
やはり目の前が、開けるような教えの方がウケがいいのは普遍的な事実であるようです。
しかし、空海(下写真)の展開した理論も、楽観主義であったことは間違いないでしょう。

ただ密教的なイメージが、好感度を下げていたと私は思うのです。
ここでは真言宗の広布のことについて言及しましょう。
空海の著作の鎬矢は『弁顕密二教論』であり、自らの悟りを自ら享受する真理そのものである大日如来がさとって境地を説いた。
これが密教の根本になるのでしょう。
空海は観自らの悟りを自ら享受する真理そのものである大日如来がさとって境地を説いた。
これが密教の根本になるのでし縁疏(かんえんのしょ)を弟子たちに持たせて、各地につかわし、写経を勧めたのでした。
その写経をおこなうにあたり、桓武天皇(下写真)の時世に、国費で賄われたようです。

それくらい、密教は国から尊重されていたのです。
桓武天皇は政争で敗れた人たちの怨霊の鎮撫、病気の治癒を祈祷に期待していた。
空海は、弘仁13年2月、東大寺の南院灌頂道場;鎮護国家の法を学ぶように命じられました。
日蓮正宗系の1つである顕正会の会長だった浅井昭衛氏は、日蓮正宗系がこういう状態になるのを夢見ていたに違いありません。
天長1(824)年3月26日、空海は少僧都に、高雄寺が定額寺(一定数を限り官寺に準じて特典を与えられ,官稲などを賜わった私寺)になりました。
のちに神護国祚真言寺になるのです。
真言院を宮中に設けます 1月8日から7日間、僧に真言密教まで収めさせて国家安穏を祈願しました。
今は東寺でおこなわれるようです。
承和元年3月21日、空海が臨終し、淳和天皇が弔書送るのです。
天皇のバックを経て、布教をなされた例は、日本では真言宗だけでしょう。
これくらい名誉的に栄えた真言宗でしたが、時代が下って室町時代になると、急速に地位を落としていきました。
応仁の乱によって天台、真言、禅の諸宗が壊滅状態になったようです。
京都.洛中には拡張された日蓮宗寺院が再興されて、本国寺の祖師二百遠忌の大法寺には、参詣の信者が多いのに目を見張るほどだったようです。
日蓮が描いていた仏国土顕現の夢が京都で実現したのです。

日蓮
しかし、ここをどう評価するかは、人によって違ってくるでしょう。
京都. 洛中という狭い地域だけで栄えただけでは仏国土とは言えないのではないか?
いな、天皇のバックを得ていないでこれまでにない前代未聞の事態であるから、それは仏国土として評価していいだろう。
いろいろあると思います。
しかし鎌倉時代に興った宗教が、長らく息絶えずに生きてきたという期間的な例と、かなりの信者を獲得したという2点で評価することができるのは、やはり日蓮正宗の信徒団体だった創価学会でしょう。
日蓮には6人の弟子がいて、そのうちの日興のみが日蓮の教えだけを一途に伝えていったのです。
この日興上人の流れを汲むのが日蓮正宗。
それ以外の5人の弟子たちは、日蓮の教えのほかに、神道などの他の教えも交えて展開していったようです。
その5人の僧たちの流れを汲むのが、日蓮宗とされているのです。
日興の流れを汲む日蓮正宗の再興にあたって、一番評価されていいのは、その信徒団体だった創価学会でしょう。
第二次大戦後、この団体の2代目会長だった戸田城聖氏によって、日蓮正宗の本山である大石寺への定期登山会が企画、推進されたのです。

土日、祝日は参詣者で境内は大いににぎわうことになり、それにより、大石寺は急激に潤うことになったようです。
なぜなら、当時急激に会員を増やしていた創価学会員が、登山のたびに拝観料を払っていたのみならず、周辺にはいろんな食べ物が売られた縁日が出ていて、そこで大勢の人がものを買えば当然、大石寺は潤うことになったのですから。
その時には、150軒もの縁日が軒を連ねていたのだそうです。 そしてそれによる収益は年100億円以上だったのが明らかになっているのです。
定期登山会が開始されてから、40年間で7000万人が大石寺に参詣しました。
これこそまさに仏国土と言っていいでしょう。
これも評価されていい事態ですね。
昨年亡くなった顕正会の会長だった浅井昭衛氏は、国民全員が日蓮の教えに帰依した状態こそが、広宣流布と言っていたのですが、そんなことは不可能です。
その状態になってこそ、日本に仏国土が到来するといっていたのです。

浅井昭衛
そんな経緯を経た歴史的な事実はないのに、こういうことが書ける根拠が分からないのです。
20年間キリスト教を信じていた人を日蓮正宗系に改宗させることは可能か?
不可能です。
30年以上浄土真宗の信者だった人に、日蓮正宗系に改宗させることは可能か?
不可能に決まっています。
昭衛氏は、日蓮正宗を国教にしてしまうことを目的にしていたようです。
これまでの歴史上で、天皇の支持を得て全国規模で布教をされたのは、1つだけ、真言宗だけなのです。
それ(真言宗)を国教にしようというのなら、まだ話は分かります。
そういう経験論があるのですから。
しかし、それも今の政教分離の時代では不可能です。
聖武天皇による大仏の建立は、特定の仏教の派を支持したことで成り立ったことではないのです。
聖武天皇の時代は、分派の間を隔てて仏教が論じられる時代的背景はなかったのです。
それだけ真言宗は偉業を持っているのです。
それについて知りたい人には、『空海に秘められた古寺の謎』を勧めしたいです。
非常にわかりやすい筆致で書かれていますので。
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山折哲雄 『空海に秘められた古寺の謎』

空海は真言宗の開祖です。
開祖になる人は、普通の人が経験しないような神秘的な経験もするのも特徴のようです。
「室戸岬にいって念誦に務めた空海、すると奥深い静かな谷が声に感応して明星が来映した」 という文章で、この本は始まります。
以後、日々物事を理解できるようになり、筆をおろせば自ずと文が書けるようになった。
空海の幼少期は生まれつき聡明でよく物事を知っており、5〜6歳過ぎるころには、神童とよばれるようになったようです。
待講(天皇や親王に仕えて学問の講義する)だった叔父について学問の基礎を修め、18歳で修学おえて、大学(官吏養成)へ。
官吏の道をすてて仏門へ。
処女作『三教指帰』を著す。
こんな経緯があるのです。
虚空蔵求聞持法(物事を理解し、記憶する力もとめる法)を空海は修めました。
呪句を100万回唱え続けるのが基本でした。 50〜100日間で終えなくてはならないのを空海はこれを修了しました。
そして、虚空蔵菩薩の化身である明星が大空に姿現しました。
こういう経験をするうちに立身出世や富の追及の暮らしには虚しさをおぼえるようになった空海は、正規の得度は得ずに、私度僧、優娑塞として活動していた。
官寺には属さない孤高の沙門として私道に歩み、四国や吉野の山野めぐる。
無常、縁起、輪廻転生の理を説き、菩提心をおこして仏道に励み儒教、道教、仏教教義にかなり精通するようになった。
そういった開祖になる人は、多くの道に精通していることが共通点として挙げられます。
知的に貪欲なんですね。 大乗仏教がインドで生まれ、それが中国へ渡り、ここから密教が生まれたのです。
バラモンの影響下の密教でした。
密教は悟りを得て、解脱に至ることです。
それを空海は遣唐使として中国に渡り学ぶのでした。
密教は雑密(真言、陀羅尼(呪句)による所願成就)と純密(大日経、金剛頂経)あり、空海は初め雑密を学び後に純密を学びます。
所願成就のためには、神秘的な呪術的な儀式が必要です。
空海は夢で、汝に必要なのは大日経だと啓示を受けたといいます。
また、新たな宗派を興す人の共通点として、神や仏から啓示を受けることもある、ということです。
イスラム教のムハンマドしかり、統一協会の文鮮明しかり、モルモン教のジョセフ.スミス(下写真)しかりです。

たぐいまれなる知的好奇心の盛んな空海は、久米寺で大日経も学ぶもよく理解できないから遣唐使として唐にわたったのです。
唐に渡り、そこで仏教を学び、それを日本に持ち帰った僧として空海とともに有名なのは最澄でしょう。
最澄は天台教学の研究、講説を盛んに送り、桓武天皇や貴族に信頼を得て、仏教界の寵児になったのです。
長安は西域から多くの人が往来していて、西明寺が空海の居所でした。
ここにはゾロアスター教、キリスト教ネトリウス派の施設もあり、大雲光明寺(マニ教寺院)もあったのです。
このようにいろんな宗教が雑居しているところでは、それぞれの特徴ある部分を知らず知らずのうちに取り込んでしまうのが人間の自然な性なのです。
真言でなされている、供え物を火に投じて祈願する護摩炊きは、当然、ゾロアスター教からの影響を受けていることは間違いないのです。

やはり純粋な仏教なるものはないのです。
最初に師事した醴泉寺の般若参蔵(南インドで密教学んだ北インド人)は、北インド人ゆえに梵語に習熟していました。
真言、陀羅尼は梵語を漢字によって音写したモノだったので、密教の解明には必須でした。
金剛頂経を恵果はコチラを重んじ、青龍寺に阿闍梨として密教を弘めました。
西明寺で恵果に空海は会います。 曼荼羅は美術品とほぼ同じ。観ながら呪句を唱え、深い瞑想に入り、この世界に没入します。
空海は伝法阿闍梨位灌位頂(密教の大法を人に教えてもいいという資格)を受けました。
密教は図画を用いなければ正しく伝えられない。 曼荼羅の図画、密教経典の書写、法具の制作をしたのです。
そこで重要なのは以下の行動です。
身密‐手指の形である印(印契、印相)を結ぶ。
口密‐マントラ、梵語の呪句の読誦
意密‐深い瞑想、祈念
かの有名な日蓮も身密は排除しながら、口密と意密は取り入れたのは明白です。
それは日蓮正宗の勤行要点を見れば明白です。
この3つを同時に実行して絶妙に作用させあうと、超常的なパワーが生じて、種々の祈願が成就して自我が仏と一体になり即身成仏に至るとしたのです。
これを密教修法というようです。
唐にいるのは20年のはずが、2年で申請し帰国した空海。
学術、芸術、技術のエッセンスを空海は中国から持ち込んだのです。
宇宙の中心は太陽、世界の中心に座るのは大日如来、この2つが同体 この2つの存在の働きで左右されるから太陽と大日如来の名を唱えよ!としたのです。
当時の京都は、密教がブームになっていました。
桓武天皇は、政争で敗れた人たちの怨霊の鎮撫、病気の治癒を祈祷に期待していたのです。
その際に密教が必要だったので、最澄に期待がかけられていたようですが、最澄は断片的に密教を学んだだけだったようです。

最澄
空海は、高雄山寺に入寺し、ここで最澄とかかわりあい、これが密教宣布の始まりだったのです。
弘仁13年2月、東大寺の南院灌頂道場;鎮護国家の法を学ぶように空海は命じられました。
天長1年(824) 3月26日 空海は少僧都になり、高雄寺が定額寺(一定数を限り官寺に準じて特典を与えられ,官稲などを賜わった私寺)になり、のちに神護国祚真言寺になりました。 真言院を宮中に設けられました。
1月8日から7日間、僧に真言密教まで収めさせて国家安穏を祈願したのです。
今は東寺でおこなわれるようになり、東寺長者が金剛峯寺の座主になりました。
東寺が本寺、金剛峯寺が末寺になったのでした。

ここを読むといかに当時、密教が国家行事として重宝されたいたかがわかり唖然とするでしょう。
私は大学受験に日本史を選びましたが、ここまで深く密教について学んではいなかったのです。
ですから驚きでした。
密教の経論には、深山の平地こそがもっとも密教修行にふさわしいとされ、高野山は密教の根本道場になり、僧の修行地を営むのに、理想的とされたのです。
布教だけでなく、空海は讃岐国の万農池に行き土木技術駆使しこれを修築しました。
社会事業として、橋かけ、井戸を掘りました。
これらは「済生利民」菩薩道の理念にかなっているのは明白でしょう。
また空海が展開したのは、種智院における総合教育で、ここにおいて僧侶と博士(儒教、道教)おかれたのです。
ここは、学費無料、衣食住給付、身分問わずだれでも門戸を開き、儒教、道教、仏教を教えられました(長老は幕府が任命)。
ここで疑問に思うのは、空海がこういう社会的、慈善的なことをしてきたにもかかわらず、なぜ日蓮は真言を邪道、悪法としたかわからないということです。
それはのちの私の研究に関わってくるのですが、空海よりも最澄の天台の方に意識や好みが偏っていったのは間違いないです。
日蓮は真言も学び、天台も学んだのは明白な事実で、その天台の部分を借用して、自身の宗教を展開していったのは明らかになっています。
それは以下の本でも解明されています。

承和元年3月21日 空海は臨終を迎え、淳和天皇が弔書送ることになりました。
「いまも衆生に利益をもたらしている空海」という弘法大師入定留身信仰が今も存在しているのです。
眼を閉じて言葉を発しないことが入定の意味だそうです。
金剛峯寺では今でも、空海が生きているとして、御廟に朝と昼に調理された供え物が給仕されているというのです。
その後、空海が入定している高野山を弥勒浄土と同一視する信仰派生し、鎌倉時代に皇族、貴族、武士の信仰を集めて霊場化がすすみ、新たな堂塔が建立されました。
体外的な布教活動が活発化し高野山の納骨を進め、高野山が納骨霊場になり、日本菩提所になったのです。
しかし、こういった密教が盛んになったにもかかわらず、それに否定的な意見を言う新たな仏教の派の開祖が現れるのでした。
前出の日蓮(下写真)です。

国が悪天候に見舞われて、争いが絶えず行われ、他国からの侵逼も起る。
これは、国が真言、律、念仏を唱えているからだ。
それを辞めさせて、法華経を唱えれば、国は治まると日蓮はしたのでした。
その論拠は、今になって思えば短絡的で片務的だったと思わざるを得ないですね。
日蓮の生きた鎌倉時代には、祈ることによって、事を好転させることができるとして宗教とくに仏教が重んじられていたのです。
しかし、世の中をくまなく分析する技術はなかったのです。
科学的な分析法ですね、気候、風土、経済活動などについての。
それがなかったがために、宗教に祈るほかなかった。
しかし、それだけでうまく事が運ぶはずはなく、いくら仏教の多団体が祈っても好転できなかった。
そこで既存の宗教が、否定されることになったのでしょう。
日蓮が自分で起こした宗教こそが真理だ、といったニュアンスを発したのでした。 当時の日本は旱魃が続き、草木は枯れて、水が不足していたのです。
当然餓死者も大勢出ていたのです。
そこで日蓮に反発した念仏宗の良観が、その念仏で雨を降らせると断言したのです。
そこで、日蓮はその念仏で雨が降ったら、私はあなたの臣下になるといったようです。
しかし良観が雨乞いの念仏を7日間あげたにもかかわらず雨は降らなかった。
そしてもう7日間あげても雨が降らなかったという史実は、日蓮系の宗教ではよく引き合いに出される事項です。
しかし、そこで疑問に思ったのは、ではなぜここで日蓮は南無妙法蓮華経と唱えなかったのか? ということです。
そこでそう唱えて雨がふれば、日蓮の理論は正しいし信憑性があるし、私は理に適っていると思ったのですがいかがでしょうか?
やはり、ここでうすうす日蓮も宗教の限界に気づいていたのではないでしょうか?

そこで、「末法になるといろんな天災厄が起きる。そして戦争の準備をして他国の人間を警戒させると、(戦争などの災厄が起きて)大勢の人が死んで地獄に堕ちる。しかし(妙法蓮華経と書かれた)曼荼羅を身に持していけば、王は国を助けて国民は難を逃れることができると」
といったのではないかと思われてならないのです。
ただ他の宗教については否定的な意見を言っていた。
確かに、日蓮の言ったことで当たっていた部分(他国侵逼難など)はあったことは間違いないです。
しかし、その理論も今となっては間違いであることは明白です。
これでは日蓮に全般の信頼を置くことはできないです、学ぶところは部分的にはありますが。
今でも真言宗寺院は全国に敢然と存在して、その利益にあずかっている人は大勢います。
日蓮系の寺院よりも少ないとはいえ、それでも空海の遺した史蹟や偉業や理念は敢然と存在し続けています。
それらがなくなるわけでは決してないのです。
それを無視して、この宗教を信じよなどと言っても誰も納得いかないでしょう。
私が住む東京には、一番距離的に近い真言宗寺院として高幡不動があります。
家から遠いので、そんなに回数はいけないけれども、近くに来た場合は立ち寄ることにしています。
そこに足を踏み入れた時の荘厳な気分は何とも言えないものを持っています。
そんな澄み切った気分になれる時間は他にかえがたいものがあります。
お賽銭を入れて、その境内にある出店で和菓子を買って食べて、そこで休むのです。
言っては悪いかもしれませんが、顕正会の会館に足を運んでも、こんな荘厳な気分にはなれないです(笑)
こういう特長を素直に認められずに、自分の宗教だけに意識をフォーカスするのは間違いでしょう。
その他、金剛峯寺にはどのような本尊や仏像が祀られ、どういった経緯で戦国武将たちの仏塔が高野山に建てられ、どのような経緯で金剛峯寺で神仏習合が進んでいったか、空海が帰朝した後にどのような影響を日本をもたらしたがなどが書かれています。
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ありがとうございました。
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最初に宗教ありきでは人生好転しない…ではどうすればいい?
富士門流…いわゆる、日蓮の6人の弟子だった1人であった日興の流れを汲む団体である日蓮正宗は、幾多の分裂を経て今にいたります。
日蓮正宗本体、創価学会、顕正会…この3つがその中で大きな団体でしょう。
その団体に安住することなく、やはりその団体から、他の団体に移ってしまうことも往々にしてあるようです。
知り合いの顕正会の人から、その機関紙である『顕正新聞』をもらって読んでいますが、そこに書かれている体験談で、その多くを知ることができます。
以下は、創価学会から顕正会に移った例です。
以下読んでくださいませ。
「大石寺の方へ向かい勤行をするようになりました。すると、胸の奥から熱いものがこみ上げてきました。学会時代には一度も感じたことはない心が躍動する大喚起がわいてきた。」
ということです。
日蓮正宗の信徒であれば、法主といわれる人に本尊(下写真)を書いて下付され、それを家に持ち帰って、それを厨子に入れて、朝と夕に拝んで勤行する、ということが日課になっています。

しかし、創価学会にしろ、顕正会にしろ、日蓮正宗から破門処分にされていますから、会員たちは本尊を下付されなくなってしまったのです。
そこで、創価学会では、これまでにあった本尊のコピーを印刷工場でしてそれを下付することにしました。
そして、顕正会では、家にいるときに日蓮正宗の大石寺のある方角に向かって勤行するようにしたようです。
これを遥拝勤行というのだそうです。
創価と顕正会のした措置についての是非については、それぞれが論じてもらいましょう。
しかし、この体験談の人は、創価学会の偽本尊に拝んでも功徳は得られなかったようです。
しかし、遥拝勤行によってそれを感じるようになったのですから、それはそれで喜ばしいことでしょう。
学会版の本尊を家に下付することによって、金縛りになったり、大金を失ったり、事がうまく運ばなくなった、といった体験談は、新聞のみならず、動画でも多く観ることができます。
こういった意見を聞くと、やはり創価学会の本尊は良くないのだろうか?
そんなことを考えてしまいます。
私は敢然と駄目だ、という断定はしたくないです。
学会版の本尊で祈っても、そんな不幸など訪れてないし、事はうまくいっているという人も大勢知っているからです。

また、学会が日蓮正宗から破門にされる前に創価学会員だった人は、当時の法主から下付された本尊をおいて祈っているパターンもありますから、学会版の今のコピーした本尊でもいいということも断定できないのです。
じれったいですねえ…でも事実ですし、本心を書いたままです(笑)。
ことが上手くいかない。
その際にすることで最優先にすべきことは何でしょうか?
それが上手くいくために必要なことを洗いざらい列挙して、それらを敢然とこなしていくことではないでしょうか?
富士門流の人たちは、信心が最優先になってしまっている、と感じているのは私だけはないでしょう。
彼らは勤行をこなし、日蓮の仏法の素晴らしさを多くの人に語り、折伏(その団体の信者にする)していくことが最優先です。
無理もないです。
上手くいかないときは、そうするのがいい、とどの団体でも、日蓮の言葉を引き合いに出して説明しているのですから。
しかし、日蓮の仏法を語ることによって人生好転する…非常に滑稽とは思えないでしょうか?(笑)
こんにちのように科学が発達した社会においてそんなことを言うのは?
こう書くと私が無神論者と映るでしょうが、そんなことはないのです。

日蓮
日蓮の生きた鎌倉時代においては、政治の行方を占ううえで、宗教が非常に重要な役割を果たしていたのですが、その理論を現代において当てはめようとするのは間違いなのは明らかでしょう。
私がしていた空手ですが、これは体力をつけて、身体を頑強にして、攻撃を強く速くすることで勝てることなのです。
それを怠り、日蓮に縋っていっても決して強くはなれないのです。
その際にすることは、拳立て、腹筋、背筋、カーフレイズ、スクワット、、ビッグミットトレーニング、突きと蹴りの打ち込み、スパーリング、走り込み、ウェイトトレーニング…etcといろいろあるのです。
こういうすべきことを洗いざらいして列挙し、それらを全て毎日こなしてくことで強くなれるのです。
それを怠って、日蓮仏法を人に語り、折伏したって強くはなれないのです。
しかし、日蓮の思想にぞっこんになってしまった人は、すぐに日蓮の書物を引いたり、その団体で出されている冊子なり新聞なりを引き出して打開策を見出そうとしている。
やはり、受け入れる情報が最初から間違っているのです。
ゆえに上手くいかない。
それは何でか?
やはり、この団体が誤った団体だからか? という想念が浮かび、他の団体に移る。
それで好転したといって、その体験談を語るのです。
それでは根本解決にはならないでしょう。

例え一時的に上手くいっても、恒常的に上手くいくとは私は到底思えないのです。
付けたしですが、「学会時代には一度も感じたことはない心が躍動する大喚起がわいてきた。」ということですが、顕正会がしている遥拝勤行においては、大石寺にある日蓮大聖人様が生前に彫った大御本尊を想像しながら勤行しているのですから、それはコピーした本尊よりも荘厳さで勝るのは当然の事でしょう。
こういった物事の深い分析をしながら、事を見極めていき、それに適った行動を敢然とこなしていく。
その行動の積み重ねが、神や仏の支持を得て、大きな結果になるということだと私は思うのです。
しかし、そういった理にかなった方法だけではなく、他の事ですべきことも往々にしてあります。
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まず最初に宗教ありきではなく、論理的、合理的な判断の上ですべきことを察知して、それを敢然とこなしていく。
そういうスタンスを最初から説いているのです。
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日蓮正宗本体、創価学会、顕正会…この3つがその中で大きな団体でしょう。
その団体に安住することなく、やはりその団体から、他の団体に移ってしまうことも往々にしてあるようです。
知り合いの顕正会の人から、その機関紙である『顕正新聞』をもらって読んでいますが、そこに書かれている体験談で、その多くを知ることができます。
以下は、創価学会から顕正会に移った例です。
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「大石寺の方へ向かい勤行をするようになりました。すると、胸の奥から熱いものがこみ上げてきました。学会時代には一度も感じたことはない心が躍動する大喚起がわいてきた。」
ということです。
日蓮正宗の信徒であれば、法主といわれる人に本尊(下写真)を書いて下付され、それを家に持ち帰って、それを厨子に入れて、朝と夕に拝んで勤行する、ということが日課になっています。

しかし、創価学会にしろ、顕正会にしろ、日蓮正宗から破門処分にされていますから、会員たちは本尊を下付されなくなってしまったのです。
そこで、創価学会では、これまでにあった本尊のコピーを印刷工場でしてそれを下付することにしました。
そして、顕正会では、家にいるときに日蓮正宗の大石寺のある方角に向かって勤行するようにしたようです。
これを遥拝勤行というのだそうです。
創価と顕正会のした措置についての是非については、それぞれが論じてもらいましょう。
しかし、この体験談の人は、創価学会の偽本尊に拝んでも功徳は得られなかったようです。
しかし、遥拝勤行によってそれを感じるようになったのですから、それはそれで喜ばしいことでしょう。
学会版の本尊を家に下付することによって、金縛りになったり、大金を失ったり、事がうまく運ばなくなった、といった体験談は、新聞のみならず、動画でも多く観ることができます。
こういった意見を聞くと、やはり創価学会の本尊は良くないのだろうか?
そんなことを考えてしまいます。
私は敢然と駄目だ、という断定はしたくないです。
学会版の本尊で祈っても、そんな不幸など訪れてないし、事はうまくいっているという人も大勢知っているからです。

また、学会が日蓮正宗から破門にされる前に創価学会員だった人は、当時の法主から下付された本尊をおいて祈っているパターンもありますから、学会版の今のコピーした本尊でもいいということも断定できないのです。
じれったいですねえ…でも事実ですし、本心を書いたままです(笑)。
ことが上手くいかない。
その際にすることで最優先にすべきことは何でしょうか?
それが上手くいくために必要なことを洗いざらい列挙して、それらを敢然とこなしていくことではないでしょうか?
富士門流の人たちは、信心が最優先になってしまっている、と感じているのは私だけはないでしょう。
彼らは勤行をこなし、日蓮の仏法の素晴らしさを多くの人に語り、折伏(その団体の信者にする)していくことが最優先です。
無理もないです。
上手くいかないときは、そうするのがいい、とどの団体でも、日蓮の言葉を引き合いに出して説明しているのですから。
しかし、日蓮の仏法を語ることによって人生好転する…非常に滑稽とは思えないでしょうか?(笑)
こんにちのように科学が発達した社会においてそんなことを言うのは?
こう書くと私が無神論者と映るでしょうが、そんなことはないのです。

日蓮
日蓮の生きた鎌倉時代においては、政治の行方を占ううえで、宗教が非常に重要な役割を果たしていたのですが、その理論を現代において当てはめようとするのは間違いなのは明らかでしょう。
私がしていた空手ですが、これは体力をつけて、身体を頑強にして、攻撃を強く速くすることで勝てることなのです。
それを怠り、日蓮に縋っていっても決して強くはなれないのです。
その際にすることは、拳立て、腹筋、背筋、カーフレイズ、スクワット、、ビッグミットトレーニング、突きと蹴りの打ち込み、スパーリング、走り込み、ウェイトトレーニング…etcといろいろあるのです。
こういうすべきことを洗いざらいして列挙し、それらを全て毎日こなしてくことで強くなれるのです。
それを怠って、日蓮仏法を人に語り、折伏したって強くはなれないのです。
しかし、日蓮の思想にぞっこんになってしまった人は、すぐに日蓮の書物を引いたり、その団体で出されている冊子なり新聞なりを引き出して打開策を見出そうとしている。
やはり、受け入れる情報が最初から間違っているのです。
ゆえに上手くいかない。
それは何でか?
やはり、この団体が誤った団体だからか? という想念が浮かび、他の団体に移る。
それで好転したといって、その体験談を語るのです。
それでは根本解決にはならないでしょう。

例え一時的に上手くいっても、恒常的に上手くいくとは私は到底思えないのです。
付けたしですが、「学会時代には一度も感じたことはない心が躍動する大喚起がわいてきた。」ということですが、顕正会がしている遥拝勤行においては、大石寺にある日蓮大聖人様が生前に彫った大御本尊を想像しながら勤行しているのですから、それはコピーした本尊よりも荘厳さで勝るのは当然の事でしょう。
こういった物事の深い分析をしながら、事を見極めていき、それに適った行動を敢然とこなしていく。
その行動の積み重ねが、神や仏の支持を得て、大きな結果になるということだと私は思うのです。
しかし、そういった理にかなった方法だけではなく、他の事ですべきことも往々にしてあります。
それについて書いたのが以下の本です。

まず最初に宗教ありきではなく、論理的、合理的な判断の上ですべきことを察知して、それを敢然とこなしていく。
そういうスタンスを最初から説いているのです。
この団体ではだめだったから他の団体に移る…これでは何の解決にもならないでしょうし、その体験談を語っても人にはちょっとしか参考にならないで終わってしまうでしょう。
そして望ましい神仏へのスタンスも書いてあります。
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藤井寛清 『日蓮』

これは、日蓮宗の開祖である日蓮が宗教の学び始めから接していった経緯を詳らかにした後に、その自身の宗教創始から、その意思が京都の日蓮の教えを伝える寺々において、どのように継承されていったかを詳らかにわかりやすく述べられています。

日蓮
富士門流、いわゆる日蓮正宗系の人たちは、我らの宗教の開祖と反論されましょうが、ここはそれはおいておきましょう(笑)。
日蓮には6人の弟子がいて、その内の日興上人のみが、日蓮の教えだけを忠実に伝えたようです。
しかし、他の5人は、日蓮の教えのほかに神道などの教えも加味して布教していったようです。
それがいいか悪いか、それが王道か邪道かは、人によって違ってくるので、どちらがいいかはその人の判断に任せます。
その5人のうちの日朗上人の弟である日像による京都布教の始めにおいて、石清水八幡宮に詣でて、布教の請願をおこなったのが始まりのようです。
ここで気付くのは、この段階ですでに神仏習合が始まっているわけです。
それが自然な成り行きでしょう。

日本には初めに神道が入り、その後、聖徳太子の時代になって仏教が入ってきたのです。
それまでの文化や教えを全部いきなり捨てるというのは人間だれしもできないわけで、全部捨てろというのであれば、誰もが納得するような確たる根拠がなくてはならないはずです。
それがないならば、日蓮の教えだけに縋ればいいというのでは説得力がないですね。
ゆえに、日蓮の教えを基本としながら、他の宗教を摂り入れるというのが自然でしょう。
ゆえに、日蓮正宗系よりも、日蓮宗系の方が私のスタンスに近いです。
かといって、日蓮宗系の教えだけで万事うまくいくとは思えないので、常日頃から、いろんな学問などのものを修める必要がある、というのが私のスタンスですね。
それはおいておいて(笑)、日像が十如寺の草庵で説法したエピソードや、その偉大さゆえに妙喜山法華寺には日像の説法像が祭祀されていることもこの本で知りました。
驚いたのは、日興の弟子であった日尊が六角油小路に上行院を建立したということをこの本で知ったことです。
どのようなスタンスで人生を生きるかは、その人の自由ですし、どの道に行こうが批判すべき筋合いはないでしょう。
しかし、日蓮正宗の最初の上人の弟子が早くも、日蓮宗に鞍替えしたことは驚き以外何物でもなかったです。
また、応仁の乱によって天台、真言、禅の諸宗が壊滅状態になったのですが、洛中には拡張された日蓮宗寺院が再興されていたことをこの本で知りました。
他宗の講への参加を禁止したり、嫁は必ず日蓮宗に改宗させたといった令が発布され、それが積み重なった結果、本国寺の祖師二百遠忌の大法寺に参詣の信者が多いのに目を見張るほどだったようです。

仏国土顕現の夢が京都で実現したということです。
その寺院が壊滅状態になればその状態から復興される働きが出るのは自然です。
しかし、それが早いか遅いかは、その宗教団体の人数が多いか少ないかで変わってくるでしょう。
こんなに早く既存の仏教団体よりも早く復興できたのは驚きでした。
それだけ多くの人が、日蓮の思想や教えに惹かれたからでしょう。
それと政治的な力学も働いて。
「生きることは苦しい。現実は苦しい。その苦しみを自らの力で解決せず、死後に浄土を求め、この世に浄土を築こうとせぬのは、現実からの逃避に他ならない。」
これは日蓮が遺した、娑婆即寂光土の現世絶対肯定の思想というのだそうです。
こういう人生を肯定的に生きる思想は今でも多くの人の心を捉えることは間違いありません。
現世を否定する思想よりも全然。
人が躓いたらそれを貶すよりも、励ます人間になりたいですね。
それを実行しています、実際の社会生活で。
また驚いたのは、あの歴史の教科書に出てくる戦国武将だった斉藤道三(下写真)は、法華信徒だったことや、同じく戦国武将だった加藤清正が朝鮮出兵時に戦勝祈願に本圀寺に訪れるたことや、そこに真生廟をたてたことも知って驚きました。
あの人たちが日蓮宗の信徒だったとは!と驚きでした。

しかし、良き面だけでなく、違う面も見逃せません。
京都日蓮宗が幕府と対立し、1536年、洛中に日蓮宗の僧や信徒の立ち回りを禁止する令が発布されたことや、1615年、日蓮宗の中で起こった身延派と.池上派のの対決などの黒歴史をも垣間見ることができます。
その他に興味のわいた人は、この本を読むのがいいでしょう。
そういった黒歴史は、どの団体にでもあるもので、それを論って批判するのは私のスタンスには合わないです。
それを批判して良しとするのではなく、現代に如何に生かすかを考え行動するのがいいでしょう。
また、日蓮の教えにぞっこんになった人が帰依して、後に、どのような人生を送ったかを垣間見ることができるのもこの本を読むメリットの1つでしょう。
日護上人が本満寺の日重の門に入り帰依を受けて、その後、遍歴し、10000余の仏を彫り、法華経摺写180余部、読誦妙典4500部をなした。
本阿弥道悦が、法華を信仰していた法華経10000部読誦し、その後、本法寺の大壇越になり、枯山水の庭園は有名で昭和61年に国の名勝になったのです。
頂妙寺には、運慶と快慶の作である仁王尊があり、俵屋宗達の墓があります。

三宝寺(金映山)にいた中正院日護は、「宗旨を弘め、一切衆生をすくうこと」とさとる。霊夢により、天性である彫刻に目覚め、10000余りの仏を彫ったというエピソードもあります。
ここでも歴史教科書に出てくる人物が登場し、その人たちもこのように後世に遺る仕事をなした、ということを知り、驚きでした。
ここで、このような行動でに出てくる原動力は何か、と不思議に思うのは私だけはないでしょう?
ここでは目を他のパターンに転じてみることで、共通点が浮かび上がってくるから、興味深いです。
かのピタゴラスは、ゾロアスターの信者でしたが、美しさの象徴である夜空、宇宙を数学で表現できるはずだ、という気持ちであったようです。
音楽や宇宙のように美しいものを神はどのように創ったかを知りたい、というあくなき好奇心がいろんな物事を深く探求していくことになったということです。
コペルニクスは、敬愛する神はどのように宇宙を創ったかを少しでも知りたいというあくなき欲求があったようですし、ガリレオ.ガリレイはカトリック信者だったようで万物の創造主である神がなぜ宇宙をこのように創ったか。
それを知るには数学という言葉で書かれたもう1つの聖書を読まなくてはならないと考えていたようです。
現代の無宗教の人にはにわかには信じれないことでしょう。
何故、こんなにも神や仏を信じなくなってしまったのかを考えれば、それらに縋らなくても生きていけるからでしょう。
しかし、こういった学者として名を馳せた人たちは、あくなき知的好奇心ゆえに、非科学的な事でもとりあえずは本を読むなり、それらの儀式や誦経などにも接してみたのでしょう。
その結果、そういった神仏による事象があると悟り、それにも縋るようになった、接するのが不可欠になったということだと思います。
やはり、自分の専門に拘らずに、いろんなことを修める。
すると、そこでそれらの効用を知ることができて、それが不可欠になったというパターンであると思います。
学者として、科学者として名を馳せた人たちは、このように自分の専門だけに拘らずに、いろんな分野にまで目を転じているのです。
そうでなければ、真理を掴むことはできた話ではないです。
ゆえに真理に到達したいと思うならば、宗教にも心や目を転じなければならないのは言うまでもないです。

やはりそういう資質があったからこそ、京都日蓮宗の文化人たちは名を馳せるほどのものを遺せたのだと感心するばかりです。
何事も、浅くかじったくらいでは、その道を究めることはできないのは古今東西かわらぬ事実でしょう。
毎日毎日、そのことを長期間やりこむ姿勢がなくては。
その行動の原動力が日蓮の教えであったことを知って、今あらためて日蓮のカリスマ性に嘆じるほかないです。
そのことを心にとどめつつ、これからも私は謙虚に宗教について学びたいと思いました。
●この本はおすすめです。

日蓮 日蓮宗/淡交社/藤井寛清
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。




♯日蓮 ♯京都日蓮宗 ♯運慶.快慶 ♯加藤清正
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団体を変えて功徳が得れた。だから、この団体が最高…これでは短絡的?
同じ日蓮を信奉する宗教であっても、いくつかの分派に分かれてしまったことは、やむを得ない事情でしょうか?
日蓮正宗は、日蓮の弟子であった6人のうちの1人、日興の流れを汲む団体です。
その正宗の中の1つに、妙信講という1つの信徒団体があり、それが後に顕正会という名になったのですが、その顕正会は、日蓮正宗の法主であった細井日達氏によって破門処分にされてしまうのです。
それが独立して、富士大石寺顕正会と名を改めるのです。
日蓮正宗と顕正会は今、同じ日蓮の仏法を信奉する団体でも別の団体なのです。
その顕正会に、日蓮正宗を辞めて、入ってきた人がいるのですが、そういう例は数多いです。
また、創価学会も日蓮正宗の信徒団体でしたが、法主が阿部日顕の時に、破門処分にされてしまうのです。
その創価学会が、3つのうち一番大きいですが、だからと言って無批判でいいかというとそんなことはなく、その創価学会をやめて、顕正会へ移った例もあります。
これまた例が多いのです。
その体験談が、顕正会の機関紙である『顕正新聞』に載っていたので、以下引用したいです。
「大石寺に向かって勤行をするようになり、胸の奥から熱いものがこみ上げ、学会では一度も感じたことがない心が躍動する大歓喜がわいた!」
ということです。
日蓮正宗の信者であれば、法主よりご本尊(下写真)を書いて下付されるのですが、創価学会や顕正会は破門になってしまったので、それがかなわなくなりました。

創価学会は、過去の本尊にアレンジを加えて印刷工場で印刷したものを下付するようになり、それを拝みながら勤行をすることにし、顕正会は、大石寺にある方角へ向かって勤行をするようにしたのです(これを遥拝勤行という)。
この体験談の人の学会を辞めてしまった理由は、本人に聞いてみなければわからないので、その云々についてのコメントは避けなくてはならないでしょう。
学会では功徳が得れなかった。
しかし、大石寺に向かってする勤行によって、功徳が得れた。
富士大石寺には、日蓮が生前に彫った大きな本尊=大御本尊があり、それに向かってする勤行によって功徳が得れるようになった、ということですが、これは綿密にその事情を分析しないことには、にわかにはこの体験談を擁護する気にはなれないのです。
顕正会の人にとっては、そういうのはじれったいのでしょうが(苦笑)。
顕正会の会長だった浅井昭衛氏の「忠誠の証」ゆえであるというのが顕正会の立場ですし、「時に適った信行」たる遥拝勤行ゆえともしているのですがどうなのでしょうか?
学会では、印刷した本尊(ゆえに、これを偽本尊と揶揄する人もいます)ゆえに、威厳が感じれなかったが、さすがに開祖.日蓮の彫った大御本尊(下写真)であれば、威厳が感じれるのは自然な成り行きでしょう。

その他に、日々かさねていたことのちょっとしたチェンジを施す過程であり、それがきっかけで好転した。
あるいは、新しいものの考えをすることで好転した。
こういったことも考えれるのです。
あるいは墓参りをするようなった、といったこともです。
ゆえに、大御本尊に向かって祈るようになったから、と短絡的に考えることはできない、というのが私の立場です。
学会が、正宗から破門になった後に独自で制作するようになった本尊にかえたことで、次々に不幸が訪れるようになった、という体験談は動画でよく見ます。
しかし、それもその人の生活全般の奥深い分析が必要と思います。
単に、偽本尊ゆえだ、というふうには思えないし、それでは事の本質を見誤るし、そういう他視点での分析なくしては、これから先も、その好転が続くとは考えにくいです。
そういう立場に共感できる人や、その内情について知りたい人にはお勧めの本が以下です。
これは、上記の3つの団体の人でもない1市井の立場から書かれたもので、客観的な立場から、深く広い分析をもってことを論じているのです。
短絡的な論理による断定は一切避けているのです。
そういう立場に最も共感できる人にはお勧めです。
●読破をお勧めします。
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。
また読んでくださいませ。

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日蓮正宗は、日蓮の弟子であった6人のうちの1人、日興の流れを汲む団体です。
その正宗の中の1つに、妙信講という1つの信徒団体があり、それが後に顕正会という名になったのですが、その顕正会は、日蓮正宗の法主であった細井日達氏によって破門処分にされてしまうのです。
それが独立して、富士大石寺顕正会と名を改めるのです。
日蓮正宗と顕正会は今、同じ日蓮の仏法を信奉する団体でも別の団体なのです。
その顕正会に、日蓮正宗を辞めて、入ってきた人がいるのですが、そういう例は数多いです。
また、創価学会も日蓮正宗の信徒団体でしたが、法主が阿部日顕の時に、破門処分にされてしまうのです。
その創価学会が、3つのうち一番大きいですが、だからと言って無批判でいいかというとそんなことはなく、その創価学会をやめて、顕正会へ移った例もあります。
これまた例が多いのです。
その体験談が、顕正会の機関紙である『顕正新聞』に載っていたので、以下引用したいです。
「大石寺に向かって勤行をするようになり、胸の奥から熱いものがこみ上げ、学会では一度も感じたことがない心が躍動する大歓喜がわいた!」
ということです。
日蓮正宗の信者であれば、法主よりご本尊(下写真)を書いて下付されるのですが、創価学会や顕正会は破門になってしまったので、それがかなわなくなりました。

創価学会は、過去の本尊にアレンジを加えて印刷工場で印刷したものを下付するようになり、それを拝みながら勤行をすることにし、顕正会は、大石寺にある方角へ向かって勤行をするようにしたのです(これを遥拝勤行という)。
この体験談の人の学会を辞めてしまった理由は、本人に聞いてみなければわからないので、その云々についてのコメントは避けなくてはならないでしょう。
学会では功徳が得れなかった。
しかし、大石寺に向かってする勤行によって、功徳が得れた。
富士大石寺には、日蓮が生前に彫った大きな本尊=大御本尊があり、それに向かってする勤行によって功徳が得れるようになった、ということですが、これは綿密にその事情を分析しないことには、にわかにはこの体験談を擁護する気にはなれないのです。
顕正会の人にとっては、そういうのはじれったいのでしょうが(苦笑)。
顕正会の会長だった浅井昭衛氏の「忠誠の証」ゆえであるというのが顕正会の立場ですし、「時に適った信行」たる遥拝勤行ゆえともしているのですがどうなのでしょうか?
学会では、印刷した本尊(ゆえに、これを偽本尊と揶揄する人もいます)ゆえに、威厳が感じれなかったが、さすがに開祖.日蓮の彫った大御本尊(下写真)であれば、威厳が感じれるのは自然な成り行きでしょう。

その他に、日々かさねていたことのちょっとしたチェンジを施す過程であり、それがきっかけで好転した。
あるいは、新しいものの考えをすることで好転した。
こういったことも考えれるのです。
あるいは墓参りをするようなった、といったこともです。
ゆえに、大御本尊に向かって祈るようになったから、と短絡的に考えることはできない、というのが私の立場です。
学会が、正宗から破門になった後に独自で制作するようになった本尊にかえたことで、次々に不幸が訪れるようになった、という体験談は動画でよく見ます。
しかし、それもその人の生活全般の奥深い分析が必要と思います。
単に、偽本尊ゆえだ、というふうには思えないし、それでは事の本質を見誤るし、そういう他視点での分析なくしては、これから先も、その好転が続くとは考えにくいです。
そういう立場に共感できる人や、その内情について知りたい人にはお勧めの本が以下です。

これは、上記の3つの団体の人でもない1市井の立場から書かれたもので、客観的な立場から、深く広い分析をもってことを論じているのです。
短絡的な論理による断定は一切避けているのです。
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